<1>
福沢絆、13歳、中学生。男の子よりも女の子の方が精神的成長の早い年頃、そろそろ恋に恋する時期。
当然、同年代の男の子なんて子供っぽくて、相手にしようなんて思えない。
絆の好みは年上の、優しくて格好良くて爽やかな人、なんだけどそんな人はいないというか、身近にいすぎて他の男なんか目じゃないというか。
「え、この人、絆っちのパパなの? チョー若くてかっこいいんですけど!?」
「お兄さんとかじゃないのっ? うそーっ、凄い羨ましいーーっ!」
友達の羨望の声に、ちょっとばかり鼻も高くなろうというもの。しかし。
「うわ、凄い本格的だねぇ、焼きそばもたこやきもお好み焼きもチョコバナナも、すっごい美味しいよ祐麒くんっ!」
大量の食糧を手に現れたる一人の女性。「はい、あーん」とかいって、たこ焼きを食べさせてあげたりして。
「絆っち、ええと、お姉さん?」
「……お母さん」
「え、ええええっ!? マジでっ!?」
絶叫して驚く友人達の前で、三奈子は祐麒の口の端についた青のりを、ぺろりと舌で舐めとって見せている。
恐ろしいことに、本人達は意識などしておらず、ごく当然のように行っている。昔っからこうなのだ。
「ああもうっ、学園祭に来て、恥しいことしないでよーっ二人ともっ!」
「えー、何が恥しいのよ絆ちゃん、あっ、何あれプラネタリウムだって、面白そう! 行ってみようよ、祐麒くんっ」
祐麒と腕を組み、きゃあきゃあとはしゃぐ姿は、とてもじゃないが3女の母とは思えない。
いや、外見からして20代にしか見えない。へたすりゃ前半。実際には30代後半のはずなのに、なんと恐ろしい母なのか。
「お、お父さんっ、私のクラスの展示、見に来てよぉ」今日ばかりはと、甘えて腕に絡みつく。
「もちろん、それがメインだからね。絆ちゃんの作った作品は、生涯忘れないから」
「私たちの絆ちゃんだもんね、ああもう、超楽しみ~っ」
しまった。この人たちは一年中お花畑のバカップルだけど、同時に超親ばかでもあったのだ。
「や、やっぱやめて、プラネタリウム観に行っていいからっ」
だが既に遅く、両親の足が止まることはなく。あらゆるクラスで、そのラブラブぶりをいかんなく発揮していく。
ちなみに後日、年上の男を妙齢の美女と取り合っている、なんて噂が広まってしまう絆なのであった。
<2>
「ゆみちゃん、あそぼー」
「おー、亜優ちゃん、いいよ何して遊ぼうか」
駆け寄ってきた亜優を抱きとめ、祐巳は微笑んで見せる。すると、後ろから亜優をおいかけてくる足音。
「こら亜優、わがまま言わないの。私や悠人くんと遊べばいいでしょう。祐巳さんだって忙しいんだから」
末の妹の由香利を抱っこした絆がやってくる。
「やだー、ゆみちゃんがいいー」
「あはは、大丈夫だよ絆ちゃん。お夕飯の支度にはまだ時間あるしね、何して遊ぼうか、亜優ちゃん?」
「ああもう、すみません、お世話になっているのに、そんな亜優の我がまままで聞いてもらっちゃって」
「絆ちゃんも、もっと甘えてくれていいのに、しっかりしているよねえ。まだ10歳にもなっていないのに」
「……あの両親の長女ですから、しっかりしちゃいますよぉ」
由香利を抱きなおし、大きく息を吐き出す絆。
「大体、子供達を祐巳さんに押し付けてまで二人でラブラブ旅行にいくなんてどう思います? 普通、家族一緒に旅行じゃないですかっ」
「家族でも旅行によくいくんでしょう? 年に1回くらい、いいんじゃないの?」
「1回じゃないですよぅ、年3は行ってます。お母さんの実家の方に預けられていくんです」
「あはは……相変わらずだね。付き合ってた頃から二人はラブラブだったからねぇ、仕方ないよ、もう」
「仲が悪いよりかは良いと思いますけど、だからって限度がありますよぉ……ホント、外に一緒に出かけると恥しいんですから。慣れましたけど」
「ゆみちゃん、早く遊ぼうよう」
「よーっし、それじゃ何しようか。あ、悠人はどうしたの?」
「女なんかと遊べるかって、一人で漫画読んでる。悠人くんって、なんかぶっきらぼうですよね、いつも」
「ふふ、それは照れているだけだよ。悠人、絆ちゃんのこと好きだから」
「ばばば、ばかっ、何言ってんだよ母さん!!? そんなわけないだろっ!」
飛び込んできた少年が、顔を真っ赤にしながら叫ぶ。
「さて、悠人も来たし、みんなで楽しめるゲームしようかー」
どこかの連休の中、穏やかな福沢家の光景であった。
<3>
「いやー、でもホント、カナっちには見事に騙されていたよね」
中学時代の友人達と久しぶりに会って、盛り上がってきたところで、そんな風に切り出された。
「そうそう、カナごんも相当な役者だよねー」
「ちょっと、それどういう意味よ?」
「だってさー、男嫌いだから女子校に行くって宣言してさ、そのくせ一年目で彼氏作って」
「それどころか学生結婚でしょ。男嫌いだったカナっぺが、私達の誰よりも早く男を知って結婚するって、おかしくない?」
「なっ……そ、それ、は」
痛いところを突かれて、言葉につまる可南子。相変わらずの長い髪の毛が、背中で揺れる。
「てゆうか、なんでそんなこと知っているのよ!? 私、皆にその話した記憶ないけれどっ」
「ふっふっふ、女の子ネットワークなめんなよカナりん。のりりんととっこちゃんに聞いたんだからー」
「あ、あの二人……とゆうか、どうしてそんな繋がりが……」
「大丈夫、肝心なことは教えてくれなかったから。週何回ヤッてるとか、カナカナの好きな体位とか、そういうのは」
「うあぁ……さ、最悪」
顔を赤くしながら、テーブルにふせる可南子。
確かに、男嫌いでリリアンに通い始めて、それでいて共学の友人達より先に彼氏ができているとか、自分でもどうかとは思う。
しかも、隠していたはずなのに、知らず知らずのうちに、徐々に周囲には広まっていくし。
「さて、今日は高一の夏から、どんなことがあったのか、嬉し恥しいお話を余すことなく聞かせてもらうから」
「男嫌いといっていたカナちーが、どうやって男にてなづけられていったのか、非常に楽しみだよねー」
「聞くまでは帰さないからね、覚悟しなよ」
「うあああああっ! てか、私のあだ名、いい加減に統一してよっ!!」
<4>
駅前、約束の時間のちょっと前、少しだけそわそわしながら周囲の様子をうかがう祐麒。すると。
「だ~れだっ」ふと、視界が閉ざされ、耳元で囁くような声。
「……やめろよ、いまどきそんなこと。恥しくないのか?」
「うわっ、何よその反応!? つまんない!」
「いい年して人前で恥しいだろっつってんの」
振り返れば、不満そうに口を尖らせている祐巳の姿があった。
ツインテールはとうの昔に卒業したが、可愛らしい童顔は変わらず、年齢よりも幼く見えるのは変わらない。
それでも、下ろした髪の毛と、自己主張しすぎない化粧で、大人の女性を感じさせるようにもなっている。
「久しぶりに会ったから、せっかくテンションあげようとしてあげたのに」
大学入学を機会に一人暮らしを始めた祐麒。当然のように、祐巳と会うなんて機会は昔に比べると随分と減ったのだが。
「一週間前にも会ったろが、ったく」
「あれー、じゃあ祐麒は一週間私と会えなくて、寂しくなかったのー?」
意地悪そうな笑みを浮かべながら、祐麒の腕に手を絡めてくる祐巳。腕に胸の感触が伝わってきて、少し反応しそうになる。
「あーあ、せっかく今日は泊まっていこうと思ったんだけど、寂しくないんじゃ帰っちゃおうかなー」
わざとらしく言いながら、また少し胸を強く押し付けてくる。
体は正直なもので、一週間前に堪能した祐巳の体の温もりや感触を一気に思い出し、体が熱くなる。
「馬鹿。寂しかったのは、お前のほうだろどうせ」
「ほうほう、そんなことを言いますか。それじゃ、もう帰っちゃお~っと」するりと、祐巳の体が離れていく。
「ああくそっ、分かったよ、祐巳と会えなくて寂しかったですよ、くそ!」照れながら、早口でそういう。
「最初から素直にそういえばいいのに」笑いながら、再び祐麒と腕を組む祐巳。
祐巳が小悪魔系だと気づかされたのは、いつ頃だったか。以来、こうしていつもいいようにあしらわれてしまう。
「そういえば祐麒は、就職活動は順調? やっぱり厳しい」
「そうだな、厳しいなやっぱり。まだまだ世間は買い手市場って感じがするよ。ストレスもたまるよなー、ホントあれは」
「ふふっ、それじゃあ今日は、祐麒の疲れやストレスも忘れられるよう、一週間分、いーことしてあげるね」
無邪気そうな表情で言われ、夜のことを先走って妄想し、ほんのりと顔を赤くする祐麒。
「でも、その前にデートっ。ほらほら、行くよ」
姉以上の存在となった祐巳の笑顔に引っ張られるようにして、弾む足取りで祐麒も歩き出すのであった。
<5>
やばい、やばい、やばい。どうしたらいいのか分からず、頭が真っ白になりそうだったというか、もはやなりかけている。
目の前には、艶やかな黒髪の美しい女性。
ほんのりと肌が桜色に見えるのは、風呂上がりだからか。
部屋の灯りが消され、月明かりだけで浮かび上がる姿は、神秘的に美しい。
「ふふ、祐麒さんたら、そんなに緊張されなくてもよいのですよ」
「は、は、はいっ」答える声も上ずってしまって情けない。
「大丈夫ですよ、あの人はいつも通りいないし、家の者にも休みを出し、祥子さんは祐巳さんと一緒に旅行中ですから」
ごくりと、唾をのむ。そうなのだ、今、この広い屋敷には二人しかいないのだ。年に一度だけ訪れる、時間。
「このお正月だけは、私と祐麒さんの二人しかいません。ですから、遠慮されることなどありませんわ」
「清子さん……」
吸い寄せられるようにして、清子の体に近づく。良い匂いが鼻先をくすぐる。シャンプーの匂いだろうか。
清子にひかれ、時に他の人の目を盗むようにして二人で出掛けたりしていた。そんな関係がどれくらい続いただろうか。
そうしてこの正月、遊びに来ないかと清子に誘われて、祐麒はやって来たのだ。
正月らしくのんびりと昼間を過ごし、そして日が落ちて夜になり、清子の部屋に誘われた。
葛藤は様々にある。人妻で、祐巳の姉の母親で、大財閥の奥さまで、世間から祝福される要素は何もない。未来だって、ない。
それでも、どうしようもなく惹きつけられてしまい、離れていくことが出来ない。
清子には迷惑をかけたくない。目の前の女性をものにしたい。二つの気持ちがせめぎあう。
「祐麒さんは悩まなくてもよいのですよ。私に脅されているだけ。私の言うことをきかなければ、福沢家がどうなっても知らないと脅されただけ」
祐麒の思いを汲み取ったのか、清子がそう言いながら近寄ってきて、祐麒の胸にそっと手を置いた。
「ふふ、凄い、鼓動が速い」
ほとんど力などいれられていないのに、祐麒の身体は清子の手に押されるようにしてベッドに倒された。
月光により薄ら蒼く見えるその姿は、女神か魔女か。どちらにしろ、祐麒はその魔力にかかり、捕らえられて逃げることはできなかった。