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マリア様がみてる 栄子

【マリみてSS(栄子×祐麒)】それでも

更新日:

~ それでも ~

 

 夏休みは受験生にとって勝負の時期である。
 祐麒も予備校の夏期講習に通い、集中講座に通い、家でも頑張って勉強してと、遊ぶのも我慢して頑張っている。これというのもひとえに現役で良い大学に合格し、栄子に認められ、正式につきあってもらうためである。
 だから海水浴に行って以降の夏休みの間中、祐麒からデートの誘いがないのは当然のことなのだ。それにそもそも、会ったりすること自体が危険で可能な限り避けるべきだと言い続けて断ってきたのは栄子なのだ。むしろ、正しい姿なのだといえる。
「――それで何、祐麒くんから誘いが無くて寂しいから、あたしを呼んだの? 馬鹿だねー、それなら一言『会いたい』っていえば、祐麒くんなら飛んでくるでしょうに」
「ばっ、馬鹿、そんなことしたら勉強の邪魔になるだろう……って違う、そもそも別に寂しくなどない、ただ暇ができたから久しぶりに飲まないかと誘っただけだ」
「あー、はいはい」
 ここは居酒屋、栄子と美月が顔をつきあわせて飲んでいる。
「大体、海の時にとっととヤッておけば、祐麒くんだってきっと毎日のように呼び出しかけてくるはずよ」
「だから、そういう下世話なことはいいから」
 ビールを呷り、栄子は美月を睨みつける。
 美月もまたあわせるようにビールを飲み、枝豆を齧る。
「でも、メールはしているんでしょう?」
「それは、ちゃんと毎日くる」
「どんなメール? 愛してるー、とか、好きだよー、とか?」
「普通に、今日何があったとか、そういうことだ」
「ふーん。ま、ちゃんと付き合ってんじゃん」
「なっ……べ、別に、まだ正式に付き合っているわけじゃないっ」
「往生際悪いなー。デートして、毎日お互いの近況報告して、会えないと寂しくて、キスして、これでつきあってないとでも? あとしていないのはセックスだけじゃん」
「とにかく、アイツが卒業して、それでもまだ私のことを想っていたら、それからの話だ」
「アイツ、ねぇ」
「にやにやするな」
 美月を呼んだ時点でからかわれるのも分かっていたが、さりとて他に話をできる相手もいない。学園の同僚教師になんてできるわけもないのだから。
「でも、祐麒くんもよく頑張るよねぇ。もう9ヶ月でしょ、ヤらせてくれもしない三十路女を相手にまあ、よく我慢してるわ」
「まだ半年あるからな、どうなるか分からんぞ」
「そんなこといって、期待しているくせに」
 ビールを追加注文するついでに、エイヒレ、ししゃも、野菜の天婦羅も追加する。
「よく食べるわね~、大丈夫なの、お肉ついちゃうわよ? エッチするとき、お腹ぷよぷよでいいの」
「ちゃんと毎日筋トレしているから、大丈夫だ」
「あ、ということはエッチすること意識してるんだ」
「ちちっ、ちが、違う! 単に贅肉の、脂肪の話だ!」
 赤面しながら否定する。
 美月から見れば、今の栄子は既に単なる恋する女だ。意識しまくっているのが丸わかりで可愛らしく、ついついからかいたくなってしまうのだ。まあ、生まれて初めて彼氏(候補?)が出来て浮かれつつも、理性や常識といったもののせいで素直に表に出し切ることが出来ないのは、少しばかり可哀想とは思うが。
「ま、まあ、祐麒だったら気持ちが変わるとは思えないが。何せアイツときたら、やはり私の大人の女の魅力にぞっこんだからな」
「…………へぇ」
 内心で美月は前言撤回する。やはり、可哀想などとは思わない。
 こうして時折、ナチュラルに惚気てくるのは聞いている方としては少々イラッとくる。男っ気が絶えて久しい美月だから特に。
 祐麒に言われた言葉なども教えてくれたりするが、聞いている方が恥ずかしくなるようなものも多く、吐きたくなるほど甘い。こちらも学生時代で恋愛にピュアな頃なら良いが、冷静な立場で聞かされるとなんともコメントに困る。当事者の栄子にとっては初めてのことで嬉しいから良いのだろうが。
「……ま、まあ、そうは言っても、アイツの気持ちが変わらなかったとして、私がそれを受けるかどうかは、まだ分からんがな」
 そのくせ、自分の気持ちはハッキリ言い表そうとしないものだから、聞いている方としてもストレスになる。見れば明らかなのに。だから、からかって憂さ晴らし位しても良いだろう。
「そのときは、あたしが祐麒くん、いただいちゃうから」
「そっ、だから、それはダメだと言っているだろう!」
 途端に慌てだす栄子。そういう態度を見せるからバレバレなのに、本人はまだ隠しているつもりなのがおかしい。
 こうしてずっと話していても、ほとんど内容は祐麒に関することなのだ、今まで男の話などあまりのってこなかった栄子が。
「とりあえずさ、せっかく夏なんだからお祭りとか花火大会とか、そういうの誘ったら?」
「花火大会か……」
 栄子の顔が、ほわんとなる。おそらく花火大会で二人、手でもつなぎながら花火を見ているシーンでも想像しているのだろう。
「そうそう、季節ものだしさ、もしかしたら来年は行けないかもしれないじゃない」
「そうだよな、今年の内に……って、それは来年は私と祐麒が別れているということか!?」
「いやいやほら、来年の今頃はおめでたでお腹が大きくなってるかもしれないでしょ」
「ばっ…………バカなこと、言うな」
「それはともかくさ、誘ってみたら? 喜ぶと思うよ」
「だ、だが、受験勉強があるだろう。夏は大事だし。息抜きなら海にも行ったし」
「行きたいくせに、強情だなぁ」
「そんなことはない、それに私だって夏は忙しいんだ、色々と仕事だって」
 こうなってしまうと栄子は頑固に自分の意見を変えようとしない。これは奥手で可愛らしい友人のためにも一肌脱ぐしかないかと、美月はニヤニヤしながら思うのであった。

 

 学校が夏休み期間であっても、養護教諭として働いているからには学校に出勤する必要がある。書類仕事もあるし、部活動の生徒が出てきているから怪我やら熱中症の危険性もあるわけで、それなりに忙しい。
 保健室の机に向かい、栄子もそんな忙しい時間を過ごしていた。
「…………ふぅ」
 適当なところで一息つき、冷たい紅茶を喉に流す。
 立ち上がって凝り固まった体をほぐし、窓の外を眺めてみると、何人かの女子生徒が部活の帰りだろうか、歩いている姿が目に入る。
 楽しそうに話しながら歩く姿を見ていると、なんとなく微笑ましくなる。あの子たちはどのような夏休みを過ごしているのだろうか。部活に打ち込んでいるのか、友達と遊ぶことに一生懸命なのか、それとも恋人との素敵な日を過ごすのか。
「…………」
 そんなことを思ったところで、先日に美月と話した花火大会のことを思い出す。
 確かに、学生時代に恋人がいて付き合っていたならば、そうやってお祭りや花火大会を一緒に見て回り楽しむようなことをしたかった。現実にそのような甘い青春はなく、こうしてはやくも三十代半ばに達しようとしているわけで、たとえ今からでも経験できるならば甘酸っぱいひと時を、などと考えたところで頭を振る。
「だから、祐麒は受験生なんだし」
 再び机にむかい、仕事を続ける。
 大体、卒業するときに答えを出すということで、今は付き合っているわけではなく、その前段階なのだし、そもそも栄子自身の方から誘うなんてみっともなくて出来るわけもない。そう、思い込んでしまっているのだから、栄子から動くこともできず、ただじりじりといたずらに時だけが過ぎてゆく。
 そうして夕方に近づいたころ、机の上に置いておいた携帯から着信音がいきなり鳴り響いて、栄子はびくりとする。この着信メロディは、祐麒からのものだからだ。
「…………もしもし」
『あ、栄子先生、俺です、祐麒です。すみません、今大丈夫ですか?』
「忙しいが……まあ、少しくらいなら手が離せないわけではない」
『良かった。それじゃあ、あまり時間を取らせても申し訳ないので用件だけ。今週末の花火大会、一緒に行きませんか?』
「何?」
 祐麒の言葉に、心臓が一つ大きく跳ねる。
 だが、声はあくまでいつも通り、平静を装う。
「君は受験生だろう、そんな暇はないはずだ。息抜きならこの前、海に行っただろう」
『そうですけど、花火大会はまた別ですし、ぜひ、一緒に見に行きたくて』
「だから、そういうことは受験が終わってからにしなさい。今は何よりも、受験に向けて一分一秒たりとて無駄にできないはずだ」
『そうかもですけれど、今年の花火大会を一緒に見に行けるのは、今年だけなんです。だから、お願いします。その日の夜だけ』
「駄目だ、大体わたしは今、仕事中なんだ。仕事中にそのような用事で電話をしてくるんじゃない。ではない、切るぞ」
『え、あ、栄子セン――――』
 祐麒の言葉を最後まで聞くことなく、栄子は通話を終えた。携帯を机の上に置き、ペンを手に書類に向かう。
「……ふん、これで良かったんだ、これで」
 自分を納得させるように呟き、栄子は仕事を続けた。

 

 あの日の電話以来、祐麒から再び花火大会に誘ってくるようなことはなかった。メールは相変わらず毎日送られてくるけれど、その手の話題には触れていない。電話でかなりキツく言ったこともあるし、当然とも思るのだが。
「……ふん。祐麒のやつめ、結局のところ、その程度だったということだろう。誘ってOKもらえればそれでよし、というところか。全く、あれ以来誘ってこないとは根性のない奴だ……無論、誘ってきたところでまた断るがな、うん」
「――――栄子、一人で何をぶつぶつ言っているの?」
「え、あ、な、なんでもない。それで、何の話だったか?」
 慌てて顔を上げると、そこには最近見慣れた美月、理砂子という二人の友人の姿。
「だから、明日の花火大会のことよ。ちゃんと浴衣で来てよ、私と理砂ちゃんも浴衣で行くからね」
「あ、ああ、分かった」
「それにしても、私たち三人でお祭りに行くなんて、高校生の時以来かしら?」
「そうね、そうだ、あの時本当はセラも一緒のはずだったのに、あいつったら急に彼氏と行くとか言い出して、三人で行くことになったのよ! あいつめ、彼氏がいるなんてそれまで言ってなかったのに」
 セラとは、学生時代に軽音部でギターを担当していた友人だ。美月の言う通り、仲間を裏切るかのように、いきなり男ができて四人での遊びをボイコットしたのだ。前から言ってくれていたなら祝福もできようが、まるで不意打ちで騙されたように感じた三人は、お祭りの屋台でやけくそのように色々なものを食べまくり、お腹いっぱいにになってグロッキーになるという惨事となった。
「懐かしい思い出よねぇ」
「てゆーかさ、今回も抜け駆けしそうなのが一人いるけどね」
 と、美月のその言葉とともに、二人して栄子のことをじっと見つめる。
「わ、私はないぞ。本当だからな、誘われてもいないし」
 本当は誘われたけれど断ったのだが、それを言うと二人とも煩くなるに決まっているので、そういうことにした。
「まったく、いい年して女だけでお祭りとかね」
「いいじゃない、楽しみましょうよ」
 美月から連絡が来たのはつい昨日のこと。週末の花火大会には行くのかと訊かれ、予定はないと答えると一緒に見に行かないかと誘われたのだ。
「でも、本当にいいの、栄子ちゃん? 祐麒くん誘えば、喜ぶと思うのに」
「だから、その話はもういいってのに」
「つまんないのー」
 膨れる理砂子だが、無視する。
「ま、祐麒くんに振られた栄子を慰めるためにも、明日は楽しみましょう」
「べ、別に、振られたわけじゃないからなっ」
 そんな感じで解散し、花火大会当日を迎えた。

 

「さすがに、凄い人ごみだな……」
 美月たちとの待ち合わせ場所にやってきた栄子は、周囲を行き交う人々の波に感嘆とも呆れともとれる息を漏らした。
 それなりに大きな花火大会で、沢山の屋台も出る。老若男女、数えきれないほどの人たちがやってきては会場の方へと向かってゆく。これだけの人数となると、一度はぐれてしまったら大変だな、などと考えつつ時間を見る。二人とも時間にルーズではないが、周囲に人が多すぎて見つけるのも苦労するかもしれない。
「うーむ、実は既に来ている、とかではないだろうな」
 気になり、周囲をきょろきょろと見回す。
「――――栄子先生」
「あいつらも浴衣だと言ったし、さて……」
「あの、栄子先生」
「ん、誰か呼んだか…………っっ!? な、なな、なんで祐麒がここにいる!?」
 肩を叩かれて振り向くと、そこにはなぜか祐麒が立っていた。
「偶然にしては……いや……そういうことか……」
 理解した、これは美月や理砂子の仕組んだことなのだろうと。余計な世話を焼き、栄子と祐麒が二人で花火大会を見られるようにセッティングしたに違いない。厚意なのだろうが余計なお世話でもある。
 目の前の祐麒をちらと見る。祐麒も祐麒である。どう言われたのか知らないが、ホイホイと誘いに乗って受験勉強を放り出してくるとは、説教せねばなるまい。
「あ、違うんです、栄子先生」
「ん、何がだ?」
 口を開く前に祐麒の方が言ってきて、さてどんな言い訳をするのだろうかと身構える。
「俺が、美月さんたちにお願いしたんです。今日、どうしても一緒に花火を観たくて、だからここまで連れ出してもらって」
「何? 君は受験生……」
「この前、誘いを断られて凄いショックで勉強にも集中できなくなって。また誘おうかとも思ったんですけど、それでまた断られたらどうしようかって思って、だから断られないようにちょっと強引でしたけどこうして今日……その、それくらい、栄子先……えーこちゃんと来たかったんです」
「な……な、ななっ……」
「今日、一緒に花火大会を楽しめたら、明日から集中して勉強できそうですから、お願いします。今日、俺と一緒に見に行ってください」
 真剣な表情の祐麒に、思わずたじろぐ。
「そ……そんなに、私と一緒に見に行きたいのか」
「はい、もちろん」
「まあ……勉強が手につかないようじゃいかんからな。仕方ない、今回は特別だぞ」
「はいっ、ありがとうございますっ!」
 そこまで自分が魅力的なのだ、ここで断って受験に失敗でもされたら後味が悪いし仕方ないなと、栄子は自分に言い聞かせる。それに、どうせもうここまで来てしまったわけで、今から断ったところでたいして変わらないだろう。
「あ、そうだ、えーこちゃん」
「ん、なんだ?」
「浴衣なんですね、今日。すごく似合っています、髪形も」
「なっ…………」
 麻の葉に縦縞という古典柄を組み合わせた浴衣は、濃紺をベースに白いラインがアクセントとなっている。帯もラインにあわせるように白をベースとしている。アップにした髪の毛はピンクの髪飾り、手には竹籠巾着、足元はちりめん生地に桜柄の刺繍をあしらった下駄をあわせており、上下ともに栄子自身お気に入りではあるが。
 正面から祐麒に浴衣姿を褒められて、白い頬が瞬間的に朱に染まる。
「べ、べ、別に、君に見せるために着てきたわけじゃないぞ。大体、来ることも知らなかったわけだしな」
「はい、でも綺麗です。可愛いです」
「ば、ば、馬鹿者、いい年した私に可愛いなど……っ」
「お世辞なんかじゃないですからねっ」
「う、うむ……その、なんだ、君の浴衣姿も……その、悪くないぞ」
「あ、ありがとうございますっ、嬉しいですっ」
 そう、祐麒も浴衣姿だった。黒の浴衣に白の帯、シンプルだけれども格好良く見えてしまうのは、浴衣のマジックか。
「じゃあ、そろそろ行きましょうか」
「そうだな……って、こら」
 歩き出そうとしたところ、祐麒が手に触れてきたので慌てる。
「人、多いですし、俺が迷子になっちゃいそうなんで、手、つないでもらいたいんですけど……駄目、ですか」
「く……し、仕方ないな、まったく子供じゃあるまいし」
 手を差し出そうとしたが、その前に急いで浴衣で手のひらの汗を拭う。触れる手と手、絡まりあう指と指。
「じゃ……じゃあ、行くか」

 

 そうして手をつないで歩き出す二人を見つめる、二対の瞳。
「うわ~~、見ているこっちの方が恥ずかしくて胸やけしそう」
「可愛いじゃない、栄子ちゃん、まさに今が青春って感じね」
 美月と理砂子、二人の仕掛け人であった。
 祐麒が先ほど説明したことは嘘で、栄子が察したことの方が事実であった。最初、栄子に断られた祐麒に対し、美月が探りを入れて事情を聴きだし、今日の作戦を進呈したのだ。但し、美月たちの立案だというと怒るだろうから、あくまで祐麒の意思で美月たちにお願いしたことにしろと、そこだけはきっちり念を押した。
「いやぁ~、相談してきたときの祐麒くんの困った様子、可愛かったわぁ。もう、食べたくなっちゃうくらい、よく我慢したもんだわ私」
「あたりまえでしょう、美月ちゃん。栄子ちゃんに殺されちゃうわよ?」
「んー、でもさ、ここまで協力してあげてるんだから、二人がうまく結ばれた後だったら、ちょっとくらいつまみ食いしちゃっても、いいよね?」
「駄目に決まっているでしょ、もう」
「何よ、なんなら理砂ちゃんも一緒にどう? 3P、いや、栄子が怒るから4Pでこの際、理砂ちゃんだって旦那とはレスで冷え切っているんでしょ、若い祐麒くんの……ほしいと思わない?」
「そ、それは……で、でも、栄子ちゃんがそんなのOKするわけ」
「最初、二人でやっているところに入り込んで、流れでいっちゃえば大丈夫だって。ふふっ、楽しみになってきた~」
「や、やだ……下着どうしようかしら……」
 とても友人とは思えないことを話しているバツイチと人妻に見られていたことなど知らず、栄子と祐麒は花火大会の会場へと向かっていた。

 

「あ、俺お腹空いてるんですけど、お好み焼きかたこ焼き、食べませんか」
「そうだな、せっかくだから、何か食べるか」
 屋台でたこ焼きと焼き鳥を購入し、近くに偶然空いていたベンチに腰掛けて食べる。
「えーこちゃん、たこ焼き食べます? はい」
「ん、ああ」
 爪楊枝に刺さったたこ焼きを出され、条件反射的に口をあける。
 熱いたこ焼きを口に含んだとき、これは「あーん」ではないかと悟ったが既に遅く、文句を言うこともできずに口の中の熱いたこ焼きを懸命に咀嚼し、飲み込む。
「こ、こ、こら、そんなことしなくて」
「焼き鳥もどうぞ」
「んっ……って、だからっ」
 串に刺さった焼き鳥を続いて出され、またしてもつい「あーん」と食べてしまい赤くなる栄子。誤魔化すようにビールを呷る。
 そんな感じで時間は経ち、目的の花火大会が始まった。
 夜空に次々と打ちあがる鮮やかな花火を、祐麒と手をつないで眺める。
「うわー、すごいっ、綺麗っ!」
「本当ですね、うおっ、派手だっ」
 この時はさすがに素になって歓声をあげ、純粋に楽しんだ。
 花火も終わって、大混雑の人の流れにのって帰途につく。当然、電車も満員のすし詰め状態になっている。
 一本後のにすればよかったと思ったが、一本程度遅らせたところで大して変わらないだろうから、ならばさっさと乗ってしまった方が良かったかと嘆息する。
「……えーこちゃん、大丈夫?」
「私は大丈夫だ……というか、君こそそんな無理しなくても良いのだぞ?」
 ドアに寄りかかる格好の栄子に対し、ドアに手をついて他の乗客から栄子を守ってくれている。祐麒のお蔭で栄子の前には隙間ができて余裕があり、苦しくはない。こういうシーンはドラマか何かで見た気がするが、いざ自分がその立場になってみるとなるほど、なかなか気分は悪くない。
 祐麒は、たいしたことないと笑って見せようとしているが、やはり苦しいらしく時には表情を歪める。他の客に揉まれて浴衣が乱れ、胸元がさらされて栄子の目の前にわずかに汗ばんだ胸板がある。少年ではあるけれど、少しの男らしさを感じさせる匂いに顔が熱くなってクラクラする。
 混雑のせいか、電車の進みが遅い。しかも栄子がいる側のドアが開く駅がしばらく先なので、体勢もしばらくはこのままだ。
「ゆ、祐麒、本当に大丈夫か?」
「ちょっと苦しいですね」
「だから、無理しなくてもよいぞ?」
「いやいや、ここで潰れちゃう方がきついし、えーこちゃんがぺちゃんこになっちゃうし」
「なるかっ。減らず口を叩くくらいなら、まだ大丈夫か?」
「うーん、パワーをもう少しもらえたら、まだまだ頑張れますけど」
「パワーって何を…………って、ちょちょ、ちょっと待て、な、何をする気だっ!?」
 顔が迫ってくるのを見て狼狽する栄子。
「ば、馬鹿、ここは電車の中……っ」
「俺の体と腕で隠してますから、見えないですよ」
「そ、そういう問題ではっ」
 確かに、祐麒によって栄子の顔は覆い隠された形になってはいるが、それでも周囲に大勢の乗客がいるわけで、そんな中でなど。
「ちょっとだけ……駄目ですか?」
「そ、それは、こんな場所じゃぁ……」
 視線をまともの受けられず首を横に向け、もごもごと口ごもる栄子。
「えーこちゃん」 「うぅ…………ちょ、ちょっとだけ、だぞ……?」
 根負けし、真っ赤になって目をつむりながら顔を正面に戻すと。
 その直後、祐麒の顔が近づく気配を感じたかと思うと、唇に感じる祐麒の感触。同時に、周囲の人の気配も感じ、皆から見られているかもしれないと思うと羞恥で体全体が熱くなってくる。
「ゆ、祐麒、もう…………」
 恥ずかしくなって祐麒の胸を押し、逃れるように口を離す。
「あ……」
 胸元のはだけた浴衣のため、胸に直接手が触れた。伝わってくるのは、熱と汗と驚くほど速い鼓動。
「そろそろ、着きますね」
 上から聞こえるその声に我に返ると、言葉通りもうすぐ駅に到着する。しかも、栄子側のドアが開く。
「……なんだ、もう着いてしまうのか」
 ぼそり、と呟いて。
「え、今なんて?」
「な、ななっ、なんでもないっ、何も言ってないぞ」
「でも、確かに今」
「言ってないったら、言ってない。だ、大体、祐麒にちゅーされていたんだから、言えるはずないだろうっ」
「あ、ちょっと、えーこちゃん……」
「え? あ…………っ!!!」
 気が付くと。
 近くにいる乗客が栄子と祐麒に注目していた。近くにいた女子高校生らしい子達が、きゃあきゃあと何やら言っている。
 みるみるうちに、耳から首まで赤くなっていく栄子。
 タイミングよく電車が駅に到着しドアが開いたので、栄子は逃げるようにしてホームに飛び出し、駆けてゆく。
「えーこちゃ……栄子さんっ」
 浴衣で下駄だから走ることもできず、さして進むまでもなく祐麒に追いつかれて手を掴まれる。
「ううっ……ば、馬鹿者、祐麒のせいだからなぁっ」
「だ、大丈夫ですよ、誰も知っている人なんかいないですし、顔だってそんなに見られているわけじゃないですから」
「そ、そーゆー問題じゃないっ」
 羞恥に打ち震えながら、栄子は帰宅したのであった。

 部屋に戻ってからも電車でのショックが激しく、乱れた浴衣姿でベッドに倒れこんだまま動かない栄子。
 流されたとはいえ、あんな衆人環視の中で口づけをしてしまうなんて、本当にどうしたものか。しかも加えて、わざわざ口に出して言ってしまうなんて。時間を戻したい、穴があったら入りたいと切に願う。
 ――――それでも。
 祭りは、花火大会は楽しかった。
 時間を戻すことができても、あの最後の一言だけなくすだけで、他のことはそのままでありたい。
 
 こうして、栄子にとって忘れることのできない記憶がまた一つ、追加された夏の一夜のことであった。

 

おしまい

 

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