2月が終わり、3月となった。卒業式も目の前に控えたこの時期、暦の上では既に春だがいまだ空気は肌寒く、朝は布団の温もりが恋しくてなかなか抜け出すことができない。毛布をかぶったままゴロリと寝返りを打ち、ぬくぬくとしたまま再び寝てしまおうと思ったが、物足りないことに気が付いて目をうっすらとあける。
カーテンからは既に朝の光が差し込んでおり、一度目を開いてしまうと気になってしまい、寝入るのは難しそうだった。カーテンを閉めてしまうという手もあるが、こうなったら起きてしまう方が良いだろう。
「…………っと」
ゆっくりと上半身を起こすと、洗面所の方からドライヤーの音が聞こえてきた。寝起きで回転の鈍い頭、しばらくそのままぼーっとしていると、やがてドライヤーの音が止まって洗面所の扉が開く。
「――起きたか、祐麒。いつまでもゴロゴロしているんじゃないぞ」
シャワーを浴びていたためか、頬をほんのりと桜色に染めた栄子が顔を出し、まだ完全に乾ききっていない艶のある髪の毛をセットしながら口を開く。
「ふぁ~~い」
「なんだ、そのだらしない返事は。気が抜けているぞ。大体、今日は久しぶりに学校に行くのだろう。いくら授業がないからとはいえ、遅刻など許さんからな」
「はい、分かってます」
欠伸を噛み殺しつつ返答すると、栄子は再び洗面所へと姿を消した。ドライヤーの音がまたしても聞こえてくる。
高校を卒業するまではあくまで教師と生徒、祐麒が卒業をしたら告白に対する正式な返事をするから待っているように。少なくともその時までは怪しまれるような行為はしないし、するつもりもないと言っていた栄子だったが、バレンタインの時に栄子の部屋で初めて体を重ねてからは、こうして毎週のように栄子の部屋に泊まっている。バレンタインの時から数えると、既に四週連続である。
祐麒としてはもちろん嬉しいことだが、それにもまして嬉しいのは栄子が望んでくれているということだ。
いや、栄子自身は意地でもそんなことを口にはしないのだが――その時のことを思い出すと、自然と祐麒の頬は緩んでしまう。
そもそもは、バレンタインの翌週末のデートのことである。初エッチをしてから最初のデートということで、最初こそ少し互いに意識をしてしまいぎこちないところもあったが、時間が経てばそれも徐々に解消されていった。そうして夜の食事を終えて駅まで歩いてゆき、電車に乗ってもうすぐ祐麒が降りる駅になろうかというところ。
「それじゃあ保科先生、また連絡しますから。今日も楽しかったです」
「あ……ああ、そうか」
「ん、どうかしましたか」
「い、いや別に……もう、そんな時間なんだなと思ってな」
「楽しいと、時間が経つのって早いですよね」
「そう、か?」
「そうですよ。でも逆に、次のデートまでの時間は随分と長く感じちゃいますけどね。あー、早く来週にならないかなって」
「本当に、そう思っているのか?」
「思ってますよ、当たり前じゃないですか。こうして別れる時間が近づくと、寂しくなりますし名残惜しくなりますし」
「……本当に、そう思っているのか?」
同じことをもう一度問い返してくる栄子に内心で首を傾げるが、答える前に降りる駅に到着してしまった。
ドアが開き、後ろ髪をひかれながらも電車から降りる。
「それじゃあ、メールしますね。おやすみな……」
「――――随分とあっさり帰るんだな。本当はやっぱり、その程度の」
ぶつぶつと小さな声で何か言っている栄子。
「え?」
「い、いやっ、なんでもない。それではな、気を付けて帰れ――」
祐麒から顔を背けるようにして電車の扉の前から離れようとする栄子を見て、祐麒は本能的に動いた。
発車ベルも鳴り終わっていて扉が閉じる寸前に、車内へと再び入り込む。
「な……何をしているんだ、君は」
驚きの顔で祐麒を見つめる栄子。
「えーと、やっぱり保科先生を送っていきます。もう夜ですし、心配ですし」
「そんな心配されるほど危険な道は通らない」
「それでも、です。駄目ですか?」
「駄目も何も……もう扉は閉まったじゃないか」
既に電車も動き出しており、今さら降りることなどできない。
そのまま、栄子の住むマンションの最寄駅まで一緒に付き添って行き、ホームに降りる。
「…………じゃ、じゃあ、ここまででいいから」
「あーっと、でも電車、行っちゃったから」
「次のを待てばいいじゃないか」
「実は、今のが終電だったんです」
「まだ終電なんて時間じゃないだろう」
栄子が口にしたことの方が事実で、実際まだ夜の10時にもなっていなかった。
「いや、終電だったんです」
それでも祐麒は言い張る。
「だから……えーこちゃんの部屋に行ってもいいですか?」
「そ、そんな嘘をついてまで、来たいのか? 私と一緒にいたいのか?」
「はい。それに、嘘じゃないですよ、俺にとってはさっきの電車が終電で、あれを乗り損ねたらもう」
そう言って栄子の手を握ると、栄子は僅かに震えた。
「…………し、仕方ないな、それじゃ。そこまで祐麒が言うんじゃあな」
少し赤くなって小さな声で言う栄子。
二人は栄子の部屋に行き、身体を重ねた。
次の週も似たようなものだった。
祐麒としてはまだ半信半疑だったので、安全策ということで普通に帰ることを選択したのだが、やはり帰る前に栄子に引き止められた。
明確な言葉として止められるわけではない、それでも確実に引きとめられていることは分かる。
「なんだ……もう帰るのか?」
「え、あぁ、もうこんな時間ですし」
「そ、そうだな、高校生だし、まだまだ子供だからな、夜遅くに出歩いていては怒られてしまうだろうし、親には逆らえまい」
どうやら子ども扱いして反論を誘おうとしているのだろうと理解し、祐麒はあえてそれに乗っかってみせる。
「そんなことないですよ、親が怖くてデートなんて出来ないですし」
「どうかな、口でならなんとでも言える」
「それじゃあ、実際に示してみましょうか?」
「……と、ゆうと?」
ちらりと祐麒を横目で見つめてくる栄子。
「栄子ちゃんの部屋に泊まっていきたいです」
「ふん、そんなことを示して見せるだけのために、か?」
機嫌を損ねたように眉をひそめる。
「いえ……本当は、ただえーこちゃんとずっと一緒にいたいだけです」
「だが、そう言われても……その、やはり、そういうのはまずいのでは……」
もごもごと、この場になって今さらそんなことを言いだすが、きっと本心ではないはずだと思って祐麒は続ける。
「断られたら俺、絶望して帰る途中で注意力散漫により事故にあっちゃうかも」
「な……そ、そんなに私と一緒にいたいのか?」
「はい、そりゃもちろん、物凄く」
「そ、そうか……そ、そこまで言われたら仕方ないな……」
「え、それじゃあ、いいんですかっ?」
「い、言っておくが、祐麒がどうしてもと頼み込んでくるから、仕方なくだからなっ。そ、そこのところを勘違いするなよ」
「はい、ありがとうございますっ」
笑顔になり、俯いた栄子の手を握って歩き出す。
そしてこの週末もやはり同様、祐麒がどうしてもと譲らず、何度も頭を下げてきて根負けしたから招いてやったのだと、そういう栄子について部屋にやってきた。しかも今回は、翌日の月曜は学校があるというのに泊まってしまった。
祐麒としては大好きな栄子と一緒にいることができて尚且つ体を重ねられるのは嬉しいのは間違いないが、どう見ても栄子だって望んできているようにしか思えない。
ただし、快楽を貪っているというよりかは、キスをしたり肌を重ねて触れ合ったり、抱き合ったりしていることが好きなのだろうとは思う。実際に、何をしていなくても毛布の中で栄子の方からそっと身を寄せて触れてくることが多いし、そうしていると栄子の体から力が抜けているのが分かる。もっとも、祐麒としたらそれだけで済むわけもなく、抱き合って栄子の肌の柔らかさや暖かを感じているとムラムラしてきてしまう。それはそれで嫌ではないらしく、始めこそ形ばかりの抵抗を見せるのだが、すぐに祐麒の愛撫を受け入れやがて栄子の方も応えてくれるようになる。栄子自身は、あくまで祐麒が強く求めてくるからそれを受け入れないと云々言うわけだが。
付き合う前は、あれだけ祐麒が高校生の間は駄目だと言っていたのに、いざ経験してからはハマってしまったとしか思えない。だが、それを懸命に隠そうとしているところなんかはとても可愛らしいではないか。
祐麒はベッドから立ち上がり、ひんやりとした空気に身を震わせながら床に落ちていたシャツを羽織り、昨夜の栄子とのことを思い出して一人でニヤつき、ドライヤーの音が止まった洗面所へと足を向ける。
「――――ん? ああ、祐麒、顔を洗うか?」
両腕を上げて髪の毛をまとめようとしている栄子が、鏡面越しに尋ねてくる。冬の冷たい朝だが、頬はほんのり桜井色に染まっていて髪も肌もしっとりとしている。
「朝からシャワーですか、時間、大丈夫ですか」
欠伸を噛み殺しながらそう言うと、くるっと振り返った栄子は祐麒のシャツを掴んで強く引っ張る。抵抗も出来ず顔を引き寄せられ、怒ったように睨みつけられて戸惑う。
「……祐麒が、髪の毛に付けたからだろうが。大変なんだぞ、落とすの」
「そ、それは」
「それは、なんだ?」
昨夜のことを思いだす。
うっかり避妊具を全て使い切ってしまっていたことに気が付かず、だけど既に臨戦態勢まで整って今さら買いに行く状況でもなくどうしようか戸惑っていると、なかなか挿入して来ようとしない祐麒を不思議に思い、どうしたのか栄子が尋ねてきた。
正直に伝え、仕方ないと諦めようとした祐麒だったが。
「……し、仕方ない奴だな。しようがないから、一回だけなら、そのままでも……」
「え、いいんですか?」
「だ、だって、もうそんな状態になってしまって、収まらないのだろう? そのかわり、中には出したら駄目だからな」
などと、駄目駄目な発言をしてきたのは栄子の方だった。
その結果であるのだが。
「――いえ、なんでもないです、すみません」
言ったところで栄子に拗ねられるだけなので、素直に謝ることにした。
「ふん、分かればいい。次は気を付けろよ」
次ということは、また付けずにしても良いのだろうか。この辺、栄子の発言は天然なのかどうかよくわからないところがある。
洗面所を出て行く栄子の後姿をぼーっと眺めた後、冷たい水で顔を洗ってようやくさっぱりとする。そうしてゆったり身づくろいをして部屋に戻ると、既に栄子の方はメイクを済ませ髪の毛を後ろで束ね、ブラウスにジャケット、そしてタイトスカートの姿。あとはコートだけで通勤の準備は万端という感じになっていた。
「もう出るんですか? 早くないですか」
「色々とすることがあるんだよ、暇な学生とは違うんだ。まあ、祐麒はまだゆっくりしていていいぞ。部屋を出るときは鍵をかけるの忘れるなよ」
「もうちょっと、大丈夫なんじゃないですか」
時間的にはかなり余裕があるように思えるのだが、やはり教師というのは忙しいのだろうか。それでもつい、甘えてしまう。
「馬鹿、こらくっつくな、髪が乱れるだろう」
背後から抱き着くと、小柄な栄子の身体はすっぽりと腕の中におさまってしまう。シャンプーの香りがほのかに鼻をつき、さらに栄子自身の匂いが昨夜のことを思い出させて祐麒を少しばかり興奮させる。
「いい加減に離れなさい……って、おい」
軽く首を捻り、僅かに頬を赤らめながら何ともいえない感じで睨みつけてくる栄子。
「朝から変なモノを押し付けてくるな」
「いやぁ、でもつい」
「つい、じゃないだろう」
いくら言われたところで、栄子のお尻に押し付ける形となってしまったモノがそう簡単に収まるはずもない。
「えーこちゃん、まだ時間、随分と早いし」
「だから、朝から盛るなっ! こら、やめないか」
お尻に押し付けたままブラウス越しに胸に触れる。このまま離したくない、少しくらいならいいではないかと更に手を動かしたところで、少し強めに手の甲を叩かれた。
「いい加減にしないか」
素早く体を離した栄子は、わずかに乱れた髪の毛と服装を正しながら強めの口調で言う。
「私はこれから仕事に向かうんだ、分かっているだろう。服や髪を乱したり汚したりするな、まったく」
「す、すみません」
さすがにやり過ぎたかと、がっくり肩を落とす。
そんな祐麒に一歩近づき、厳しい目つきで見つめてくる栄子。今まで見たことがないような栄子の表情に、調子に乗り過ぎてしまったかと内心で肝を冷やす祐麒だったが。
「…………え。あ、えっ、えーこちゃん、何を?」
「こんなにしてしまったら、もう収まりつかないのだろう? だからといって、私の服を乱されても汚されても困るからな、仕方ないじゃないか」
そう言う栄子は床に膝をついて祐麒の下半身に正対していた。スウェットのズボンとボクサーブリーフに栄子の指がかかる。
「う……わっ、え、えーこちゃんっ、まさか」
「馬鹿者、あ、暴れるな」
「そんなこと、言われてもっ」
「く、こらっ、だから動くなと……し、仕方ない……あむ……」
恐々という感じで、先端を小さな口に含んで暴れ馬をおさえる栄子。
今までやってもらいたかったけれど、嫌がられるかもしれないと思って言い出すことのできなかった口での奉仕を、まさかこんな時にこんな形で栄子の方からしてもらえるなんて思いもしなかった。
「…………どう、だ、祐麒……」
「は、はい……め、滅茶苦茶、気持ちいいです……っ」
「そうか…………っ」
祐麒が素直に言うと、心なしか栄子の動きがより大胆になり、快感もまたそれだけ大きくなる。
肉体的な快感はもちろんのことだが、なんといっても今の栄子はビシッとしたスカートスーツに身を包んだ教師としての姿で、そんな格好の栄子が跪いて口でしてくれている。それがまた精神的にも大きくて快楽度を増幅させてくれる。時折、祐麒の様子を窺うように上目遣いで見上げてくるのも反則的だ。
髪の毛を乱さないように栄子の頭に手を置いて撫でる。
「どう……した……? はぁっ……」
「やばい、えーこちゃん、もう俺……」
「服や髪にかけられたら困るからな……あ……ん……」
小さな口を懸命に開いて再び咥えこんでゆく栄子。
口の端から涎が垂れ、顎から首筋を伝い、ブラウスの中に消えてゆく。
快楽の波状攻撃が祐麒を襲い、限界を突破する。腰を引きそうになったが、そうすると栄子を汚してしまうので、栄子の頭を抑えてそのまま口内に放出した。
「はぁっ…………ふぅっ……」
あまりの気持ち良さにしばし放心しそうになったが、出すと一気に正気に戻るのも男である。栄子をそのままにしておくわけにはいかないと、下半身を急ぎ取り繕った後、慌ててティッシュを取ろうとする祐麒だったが、その目の前で栄子は。
「……んくっ……ん」
喉を鳴らして口内に溜まったモノを嚥下した。
「えっ、えーこちゃん、飲んだの?」
「ん……はぁっ…………あ、ああ……」
「そんな無理しなくても」
「え……だって口に出されたら飲むものだって美月は」
「えっ?」
「あっ、いや、なんでもないっ」
ばたばたと手を振りつつ、唇に付着して残っていた白濁液を指で拭う栄子。
「それより、もう、満足しただろう?」
「あ、はい、それはもちろん……嬉しかったですけど……不味くなかったですか?」
「確かに変な味であるが……その、そこまでではなかったぞ」
「そう……ですか……」
「まあ、な……」
二人、この後なんと続けたらよいのか分からずに赤面して俯き合う。
「――あ、えーこちゃん、そろそろ行かないとまずいんじゃないの?」
「ああ、そ、そうだった。それじゃあ行ってくるぞ」
コートに袖を通し、玄関にてブーツを履いて立ち上がり、扉に手をかける栄子。そのまま出て行くのを見送ろうとしたが、栄子の動きが止まる。
「どうか、しましたか?」
「……祐麒ばっかり、ずるくないか、朝から。私だって、その、あれだな」
「なんですか、えーと、えーと」
ずるいと言うからには、栄子の方も何か望むことがあるらしいのは分かるが、何を望んでいるのかが分からない。まさか栄子も祐麒同じようにエッチなことを考えているとは思えないし、さて何だろうと動けないでいると、痺れを切らしたのか栄子は腕を組んで不満げに見つめてきた。
「これだから甲斐性無しは困るな。まったく、これから出勤しようというのに、あれだ、行ってらっしゃいの一つもないとは」
と、そこでようやくピンと来た。
「えーこちゃん」
「なんだ?」
歩み寄り、栄子の細い首に手を添えて顔を近づける。
「行ってらっしゃいのキスです」
「…………」
そのまま唇を重ねる。
「ん…………っ………………ふ、ふん、別にそんなことを望んだわけではないが、祐麒に考え付くのはそれくらいだろう。まあ、今日は許してやろう」
「はい、どうも」
「それでは行ってくるぞ……」
不満そうな様子を見せつける栄子だったが、最後の最後で嬉しそうな笑みが自然と浮かんだのが、閉じかかった扉の隙間から見えた。
その不意打ちに、先ほど味わった自分自身の味の不快感をたちまちのうちに忘れてしまう祐麒だった。
おしまい