「やっほー祐麒くん、お待たせー」
いつものごとく、天上にさんさんと輝く太陽のごとき微笑みをふりまき、ぶんぶんと大きく手を振って三奈子がやってくる。既に季節は夏真っ盛りとなり、太陽から降り注がれる熱はまるで容赦ないが、そんな熱さすら上回るエネルギーを振り撒いているかのようである。
今日の三奈子は両耳の下あたりでそれぞれ髪を束ねて垂らしている。髪の長い三奈子はポニーテールというイメージが昔は強かったのだが、色々な髪形にしては祐麒の目を楽しませてくれる。なんでも「三奈ちゃんの髪の毛、サラッサラでどんな髪形にも出来て羨ましい」ということらしい(祐巳談)
髪形で大きく雰囲気、イメージが変わるのだが、今日の三奈子は少し幼く見えるスタイルかもしれない。
「今日も暑いね、じっとしていても汗が出てきちゃう」
ふぅ、と息を吐き出し、ハンカチで額の汗を拭く三奈子。
「それじゃあ行こうか」
三奈子とのデートはもう何回目になるか分からないけれど、何度デートしても楽しさがなくなるということはなかった。むしろ、三奈子に振り回されていつも新たな発見があり、新たな刺激があり、新たな楽しさがあった。
デート先は特に変わった場所ではない。
映画館、ショッピングモール、公園、水族館、ゲームセンター、カラオケ、学生カップルなら誰でも行くような場所だというのに、なぜか三奈子と一緒だとトラブルやアクシデントがあったり、そうではなくても何かしら刺激的なことがあったり、とにかく飽きることはない。
歩き出すと、自然と三奈子が手を握ってきた。祐麒も握り返す。
この辺は特に決まっておらず、手をつなぐこともあれば腕を組むこともあるし、あるいは離れていることもある。何せ三奈子は気ままで自由でフラフラしているから。
そんなことを考えていると、まさか祐麒の思考を読み取ったわけでもないだろうが、思いがけない質問をしてきた。
「ね、祐麒くんは手をつなぐのと腕を組むのだったら、どっちが好き?」
「え? うーん、考えたこともなかったですけど、どっちだろう。両方好きかな」
「何よ、どっちつかずはつまんない答えよ」
「そういう三奈子さんはどうなんですか?」
「私? もちろん両方好きだけど、どっちかといえば手をつなぐ方かなぁ」
と、繋がれた二人の手を見つめながら言う。
「どうして、ですか?」
祐麒もまた握った手に視線を落として尋ねた。
「腕を組んでいるとね、ちょっと歩きづらいから。繋いでいる方が、こうして動きやすいでしょう」
少し身を離して腕を伸ばしたかと思うと、その腕を振り始める。祐麒の腕もつられるようにして前後左右に振られる。
よく言えばアクティブ、別の言い方をすれば落ち着きのない三奈子らしい回答と言えて、なんとなく笑ってしまいそうになる。
「でもでも、腕を組むのも好きだよ? 祐麒くんを近くに感じられるし、あ、人の多い時は近い方がいいよね」
ショッピングモールに近づき人が多くなってきたところで腕を振るのをやめると、握っていた手を離して腕を組んできた。奔放ではあるが、こうしたTPOはわきまえている。
近づいた三奈子からふわりと良い匂いがする。
近距離から猫のような目を向けてにっこり笑われると、もう何年も付き合っているのにいまだにドキドキさせられる。
手をつなぐのも良いけれど、やはり腕を組む方が良いかなと思えてくる。
なんといっても、腕に押し付けられる柔らかくて弾力のある感触が素晴らしいから。
夏になって衣服も薄くなり、祐麒も半袖シャツだから腕に直に当たるのを感じることができる。
「あ、新しいお店が出来ている。ね、いってみようよ」
身を乗り出して前方にある店を指さす三奈子。その勢いでより密着して胸の形が変わるくらいに押し付けられる。
三奈子のおそろしいところは、これを「わざと当てている」のではなく、天然で無自覚にやっていることである。先日、とうとう三奈子と結ばれたとはいえ、体を重ねた回数は片手の指にも満たず、それを抜きにしても破壊力は凄まじい。嬉しいことこの上ないのだが、デートどころではなくなってしまう。
「三奈子さん、今日は手をつなぐ方にしましょうか」
「そう? いいよー」
何も不審に思わず絡めていた腕をほどき、再び手をつなぎ合う。
少し残念だとは思うものの、破壊力が凄まじくて下手をすると反応してしまいそうなので安全策をとったのだ。
それに祐麒も、歩く分には手をつなぐ方がなんとなく良いような気がした。腕を組むのだと祐麒的には受動的になってしまうが、手をつなぐのであればお互いに相手のことを求めあう形になるから対等で、また気持ちも伝わりやすいように思える。
「ん? どうかしたの、祐麒くん」
「え、何がですか」
「なんか、ちょっと握る力が強い気がして」
「そ、そう。気のせいじゃないですか」
「そんなことないよー、今度は急に弱くなった」
「三奈子さんがそんなこと言うから、意識しちゃったじゃないですか」
まるで自分の内心を読まれたようで気がせいてくる。別にやましいことなどないのに焦り出し、だからといって手を離すのは失礼だから離せず、そうこうしているうちに手汗をかいてきてしまった。
「ご、ごめん三奈子さん、汗、かいてきちゃったから」
とりあえずこの場は逃げてしまおうとした祐麒だったが、祐麒が手を緩めても三奈子に手を握られたままでは離れられない。
「私は別に大丈夫だよ」
「俺が気にするから」
「そう? でもどうしちゃったの急に。私と手をつなぐの、緊張しちゃった?」
面白そうに笑いながら、どうにか手を離してくれる三奈子。祐麒は慌ててシャツの裾で手の平を拭おうとしたが。
「はい、これ」
三奈子が綺麗に折りたたまれたハンカチを出して渡してくれる。恥ずかしいと思いつつ、素直に受け取って手を拭く。
「なんか、前にもこういうことなかったっけ」
「えーっ、ないですよ、多分」
「でも祐麒くんって、焦ったり緊張したりすると、すぐに汗かくよね」
「それは別に俺に限ったことじゃないと思いますけど」
「あ、じゃあ、今緊張していたことは認めるんだ。へええ」
「うぐっ。いや、別にそんなこと」
なんだか今日は三奈子に突っ込まれる日になってしまっているのか。普段は三奈子の方が色々とやらかして祐麒がツッコミの立場となるはずなのに、それというのも最初に思いがけないことを訊かれたせいであろう。
「否定しなくてもいいじゃない。最初の頃の気持ちを思い出すのも良いと思うよ。手をつなぐのも恥ずかしかった頃のね」
「三奈子さんは、そんな風に思ったこと無いじゃないですか」
「失礼だな、女子校育ちだった私が男の子の手をつなぐの、恥ずかしく思わないわけないじゃない」
「その割にはごく普通に俺の手を掴んで、色々なところに引っ張りまわしていたじゃないですか」
今となっては懐かしい、最近のことのようで随分と昔のことのように感じる、高校生時代のことが脳裏に浮かぶ。
記憶に間違いがなければ、初対面の時から三奈子は祐麒の腕を掴んできていた筈だった。
「だって、恥ずかしいって思う以上に祐麒くんと一緒にいるのが楽しかったから」
「そ……そういうこと言う方が恥ずかしくないですか」
「どうして? 本当のことなのに。祐麒くんはそうじゃなかったの」
「俺のことはいいでしょう、別に」
「よくないよ、教えてよ」
「楽しいっていうより、ただ大変でしたよ、訳も分からず連れまわされて」
こういう所ははっきりさせておかないといけないと思い、腕を組んで言い渡す。
「そっかー、うひひ」
「なんですか、変な笑いして」
借りていたハンカチを返しながら、含み笑いをする三奈子に問う。
三奈子は手で口もとを隠しつつ、にやりとした目で視線を祐麒に向けて言う。
「だって、そんな大変だったのに毎回快く私に付き合ってくれてたんでしょう。それでも私と一緒にいたかったのかなって」
「なんでそうなるんですか、全く」
肯定はしないが、否定もしきれない自分がいる。当時、まださして親しくもなかった三奈子の誘いを断り切れなかったのは、そんな気持ちがあったのだろうか。
いや、よく考えたら祐麒の意思とは関係なく、三奈子の方が強引に祐麒のことを引っ張り出していたのだ。祐麒の気持ちなど関係ないではないか。
「そんなことないよ、確かに少し強引だったかもしれないけれど、だからって本当に嫌な人を無理やり連れだしたりしないよ。それとも祐麒くんは、私がそんな人間だと思っているってこと?」
「そ、そんなつもりじゃないですけど」
「だったらやっぱり、私と一緒にいたかったんでしょう。認めちゃいなよ、ほらほら」
と、肩をぐりぐりと押し付けてくる三奈子。
「そういう三奈子さんこそ、俺ばっかり誘ってきたってことは、その頃から俺と一緒にいたかったんじゃないですか」
ならば反撃と切り返してみる祐麒。
「えっ!?」
「ほら、どうなんですか」
「ああ、うん、そうだったかも。一緒だと楽しかったし、今考えてみればそうだったのかもしれない」
祐麒の反撃に対しても、三奈子は少しだけ照れた様子は見せたものの、あっさりと認めてしまった。
そしてまた祐麒の顔を覗き込み。
「――で、祐麒くんは?」
と、再び尋ね返してくる。
「俺は、そんなんじゃないですから」
三奈子と顔をあわせないようにしてそう言い返すのが、祐麒に取っては精一杯であった。
デートを終えての帰り道、夕方とはいえまだまだ陽も高くて明るい道を歩く。今日はこの後バイトが入っているのだ。
「祐麒くんはアルバイトか、私は帰ったら何しようかなぁ」
呟くように言う三奈子の横顔がいつもとどこか違い、寂しそうに見えた。帰りで別れる時でも常に明るく笑顔の三奈子にしては珍しいと感じ、思わず素直に口に出して三奈子に告げてしまった。
「そう、だった? あはは、なんかちょっと嫌なコト考えちゃって」
「嫌なコトって、なんですか?」
「私と祐麒くんてさ、同じ大学に通えているじゃない。これって、凄く幸運なことなんだよね。高校時代に付き合っていても殆どの人達は別の大学に行くだろうから」
「それはまあ、そうですね。でも、だったら嫌なことじゃないじゃないですか」
「うん。ただね、さすがに大学卒業して社会に出る時、同じ会社に入ることなんてないだろうから」
「それはまあ、仕方ないんじゃないですか」
「環境が変わって、一緒にいられる時間が減って、そうなるとやっぱり別れたり自然消滅しちゃうカップルも多いんだって。新しい場所では新しい出会いもあったりするしね」
まさか三奈子がそのようなことを考えるなどとは思いもよらず、祐麒はマジマジとその横顔を見つめてしまった。
だけど三奈子の言うことは正しいのだろう。初めての恋人とずっと付き合って人生を過ごしていく、なんて人の方が圧倒的な少数派だというのは祐麒も理解できる。出会いと別れを繰り返して最終的な相手を見つけ出し添い遂げる、大多数がそうなのだろう。
まだ大学一年生の祐麒にとってみれば大学卒業すらかなり先のことだと思えるし、今時点で三奈子と将来どうなるかなんて考えることもなかった。だというのに、あの三奈子がそんな悲観的なことを考えるなんて、何か不安にさせるようなことをしてしまっただろうか。もしや、昼間の三奈子からの問いかけにきちんと答えられなかったことで不安を与えてしまったのだろうか。
「三奈子さん、何言っているんですか、大丈夫ですよ」
そう思うと多少なりとも後ろめたさを覚え、気が付くと口を開いていた。
「言われると確かに、例えば三奈子さんが就職した先には格好いい先輩や上司がいるかもしれないですけれど、俺、負けないような男になりますから」
「祐麒、くん」
「そりゃ今はただのガキかもしれないですけど、これから――」
そこまで言ったところで、三奈子に両の頬をつまんで横に引っ張られた。喋れなくなった祐麒の正面には、明らかに不機嫌そうな表情の三奈子。
「ちょっと祐麒くん、ど・う・し・て、私が他の男の人に目が移る前提で話しているのかな? そんなに私が信じられない?」
更に強くつまんだ肉を横に引っ張られ、声にならない悲鳴をあげる祐麒。これ以上は駄目、裂けてしまうと限界が近づいたところでようやく三奈子は指を離し、祐麒は涙目になって頬を手の平でさする。
三奈子は両の腕を組んでぷんぷんしている。
「私が心配しているのは、祐麒くんがムッツリだから、お色気で迫られたらコロッといっちゃいそうなところ。綺麗な女性やスタイルの良い女性、露出の多い女の人がいるとチラチラ目で追っているの、気が付いていないとでも思った?」
「ぐっ!? いやでもそれは男ならある程度は仕方ない事なんですよ。確かにそういうのはあるかもしれないですけど、それは恋愛とかとは全然別の話ですから。大体、三奈子さんについていける男なんて俺の他にいないでしょうし、放っておいたら危なくて仕方ないですし、やっぱりその、俺も多分最初の頃から三奈子さんとずっと一緒にいたいって思っていたし」
「あ、やっぱりそうだったんだ。ようやく白状したわね」
「え? あ、いやっ、今のは勢いというか、その」
顔が熱くなる。
自分が口走ってしまったことは、本音ではあったかもしれないけれど、だからこそ恥ずかしい。
「いいじゃない、これで互いの思っていることが分かったし。私も、私についてきてくれるのは祐麒くんだけだと思っているし、ふふ、良かった」
「な……なんですか、それ」
「ごめんね、最初に私が不安にさせること言っちゃったからだよね。ちょっとこの前卒業した先輩が付き合っていた彼氏と別れたって聞いて。凄く仲良さそうだっだし、惚気をよく聞かされていたのに、卒業してまだ数か月しか経っていないのにそんなことになったって聞いたから、なんか、ね」
だから自分の身に置き換えてしまったというのか。その言動に振り回されることになった祐麒としてはたまったものではない。まあ、半分以上は自分自身に原因があるような気もするが。
「今からあんまり先のことを考えても仕方ないよね、ごめん、私が悪かったから許して」
「許すも何も、別に怒っているわけじゃないですから」
「もー、拗ねないでよ」
三奈子には祐麒が拗ねているように見えるのだろう。実際は気恥ずかしくて目をそらしていたのだが、そんな祐麒の手を取り握ってくる三奈子。
「あんなこと言っちゃったけれど、私と祐麒くんは大丈夫な気がするんだ」
指と指を絡ませる、いわゆる『恋人繋ぎ』になる。
「根拠もないのに、ですか?」
「根拠はあるよ。だって、あんな風に出会って、それで今でも続いているんだよ。私と祐麒くんの間にはね、何かしら"絆"があるように思えるの」
「絆、ですか。縁ではなくて?」
「あー、うん、縁か。そうかもしれないね。でもなんか、絆って思い浮かんだの」
三奈子がそう思ったのならばそうなのだろうと納得する。三奈子と付き合っている限り、そういうことは多々あるからで、わざわざ否定するほどのことでもない。
それに祐麒も、なぜだか三奈子の言葉に自然と同意できたのだ。この先も大丈夫なのではないかと。三奈子が口にして言ってくれただけで気持ちは180度変わり、あまりに単純かもしれないけれど。
「大丈夫、もしこの先、祐麒くんに何かあったとしても、私は手を離さないからね」
握った手に力が込められる。
三奈子の想いを指先から感じて胸が温かくなったように思えた。
「――そうそう、"絆"ってさ、本来は犬や馬なんかを立ち木につないでおくための綱のことを言っていて、しがらみや呪縛、束縛の意味に使われていたんだよね」
「ちょ、なんですかそれ!?
縁でも絆でも、おそらく三奈子からは逃げられないのだろうなと強く感じた祐麒なのであった。
おしまい