とうとう卒業を迎えることとなった。
卒業式も滞りなく終わり、あとは後輩たちの見送りやら挨拶やらを受けて学校を後にするだけ。
大学はリリアンとは異なる学校に行くことにしたので、幼稚舎から通い続けたリリアンともお別れということになる。さすがに、少しばかり寂しい気持ちもあったが、新たな一歩を踏み出すわけだから、笑って巣立って行ける。
色々なことがあり、色々なことを経験できた十何年かは、かけがえのない時間だった。感謝の気持ちを忘れることなく、新しいステージへと進んで行く。令は改めてそんな思いを胸に抱えた。
「令さま、卒業おめでとうございます」
「おめでとうございます。でも、凄く寂しいです!」
下級生の女の子達が大勢集まって、卒業することを祝ってくれた。こんなにも大勢の人に祝われるのも、ひとえに『黄薔薇さま』なんて自分には大層な肩書を背負っているからだけれど、慕われれば嬉しくないわけがない。
いつの間にか覚えていた一人一人の名前を呼んで、ありがとうの気持ちを伝える。笑顔も、涙も、全てを抱いて出て行こうと思う。
「令さま、皆で写真撮るんで、こちらに来てください」
やがて乃梨子が呼びに来て、山百合会の皆で写真を撮ることになった。写真を撮るのはもちろん蔦子で、脇に真美も控えていることから、『りりあんかわら版』の記事にでもするのかもしれない。
祥子と令を中心に、山百合会のみんなで並んで写真を撮る。全員集合だけでなく、二人や三人、色々な組み合わせでも。こういうときじゃないと、なかなか一緒に写真を撮るようなメンバーもいたりするから。
撮影する時は、笑顔だ。
もちろん涙を流している子もいるけれど、それは決して悲しい涙ではない。別れることにはなるかもしれないが、共に過ごした時間は決してなくなることはないのだから。
卒業する三奈子を前にして、クールな真美が号泣するという意外なハプニングもあったけれど、撮影会も終了して自然と最後のお別れの流れとなる。
祥子と並び、正門に向かう。
そうして、正門を出たところで。
「――れ、令さん」
「え……あ、ゆ、祐麒くんっ?」
呼ばれてみてみれば、祐麒の姿が。令は驚いて目を丸くする。
「ど、どうしたの?」
「どうしたって……卒業した令さんを迎えに」
今日、迎えにきてくれるなんて話は聞いていなかった。何時頃に出てくるかも分からないのに、待っていてくれたのだろうか。
「えと……迷惑でしたか?」
「と、とんでもない!」
驚いただけで、物凄く嬉しかった。だって、お付き合いしている恋人が卒業式の日に迎えに来てくれるなんて、かつて夢見たようなシチュエーションだったから。
「う、嬉しい」
「卒業おめでとう、令さん」
「ありがとう、祐麒くん……」
にっこりと微笑みかけてくれる祐麒に、令も顔を赤くしながら笑顔を返す。
「――――こほん」
「……っ、あ、わ、ごめん祥子っ」
わざとらしい咳ばらいが聞こえてきて目を向けると、祥子が微妙に居心地悪そうに立っていた。
「私は別にいいのだけれど……」
ちらと、祥子が後方に顔を向ける。つられるようにして令と祐麒も視線を転じると、そこに見えたのは山百合会のメンバー、新聞部、写真部、そしてその他大勢の生徒達が集まっていた。それぞれみんな、明らかに令と祐麒に注目している。
「きゃーーーっ、乙女な令さまっ、素敵!!」
「ぐぬぬぬっ、れ、令ちゃんを誑かすとは……」
「ちょ、由乃さん、おめでたい日なんだから」
「祐麒さま、令さまを泣かせたら、私たちが承知しませんからねっ!」
野次とも祝福とも聞こえる様々な声が二人に投げかけられる。加えて口笛、拍手、カメラのフラッシュ、そういったものが加わって、リリアンの正門周辺はちょっとしたお祭り騒ぎのような感じだ。
「あ、あわ、はわわわ……っ」
途端に、顔が熱くなってくる。
周囲に沢山の生徒達がいる中で、祐麒と二人だけの世界を作り上げてしまっていたと今更ながらに思い至り、恥ずかしさに目が回る。
「令さまーっ、卒業お祝いのキスを一つ、お願いします」
「え、こういうときは王子様の方からじゃないの?」
「でも、どう見ても令様の方が王子様じゃないかしら」
勝手な声が聞こえてくる。
既に令と祐麒のことはリリアン内に知られており、令のファンの生徒達も、相手が花寺の生徒会長なら、という感じで祝福する雰囲気になっている。
でも、だからといってこんな場所で、皆の前でキスなんてできるわけがない。そもそも、キスなんてまだしたことがないのだから。
令は混乱して、いやいやをするように身を捩る。どうすればこの状況を脱することができるのか、令には思いつくことが出来ない。
「――令ちゃん」
すると、同じように顔を赤くしていた祐麒が、不意に令の手を掴んできた。
「え、ゆ、祐麒くん?」
祐麒を見る。
後方で黄色い歓声があがる。
しかし祐麒は何も言わず、隣にいる祥子を見た。
「祥子さん。令ちゃんは俺が」
全てを言い終える前に、祥子は頷く。
「祐麒さん。令は私の親友です。もし、令を不幸にするようなことがあったら」
「わかってます、俺は――」
「だ、大丈夫だもん、祐麒くんと一緒に居られるだけで、私は幸せだからっ」
またも祐麒が言い終える前に、今度は令が口を開いた。
しかも、かなり大胆なことを。
「令、あなた――」
口にした令自身も驚きではあったが、祐麒が令を不幸にするなんてことを祥子が言うから、我慢できなくなったのだ。
令は恥ずかしそうにしつつも、それでもきちんと親友のことを見つめて言う。
「だ、だから、大丈夫だから……祥子」
「…………そのようね」
呆れたように軽く肩をすくめる祥子。
「もう、祐麒さん。さっさと令を連れて行ってちょうだい」
「はい。それじゃあ、失礼します」
祥子に頭を下げ、そして振り返り、成り行きを興味津々に見守っていた野次馬の生徒達にも深々と頭を下げる。
またしても、どっと歓声がわく。
リリアンらしからぬ大騒ぎだが、年に一回くらい、いやもしかしたら何年かに一回くらい、こんなことがあってもいいのかもしれない。
守衛の人も、何事かとやってきた教師も、苦笑しながら見逃してくれている。
「それにしても、令ったら」
仲良く祐麒と手を繋いで歩いていく親友の横顔は、祥子が今まで見たことがないような、幸せそうな笑顔で。
あんなにも幸せな笑顔を与えてくれるなら、きっと大丈夫だろう。そして、令にそんな笑顔をさせられるのは、隣に立っている少年だけなのだ。
「恋は盲目、とはいったものね。あの令が、あんなに堂々と」
思わぬアクシデントで学園中に知られてしまったとはいえ、それで平然としていられるような令ではない。いくら凛々しく見えても、その中は誰よりも乙女らしいことを、祥子は知っている。
そんな令が、人前で恥じらいながらも、逃げもせず、皆の視線や声を受け止めて笑っていたのだ。祐麒にそれだけ、入れ込んでいるということか。
人の恋路に口を挟むつもりもないし、相手が祐麒なら心配無用だろう。
「ふふ、なんといっても祐巳の弟、ですものね」
春の風に長い黒髪を流しながら。
別の道を進むこととなった親友が歩く道を、祥子はただ見守るのであった。
しばらく歩き、完全にリリアンから見えなくなったところで、祐麒の方から口を開いた。
「あ、そういえば学校のすぐ近くなんですよね、家」
思いがけない騒ぎにあって、あまり考えずにこうして歩いてきたが、令の家はリリアンから歩いて数分の場所にあり、すぐに到着してしまう。いくらなんでもそれは寂しすぎるし、それは祐麒の方も同じ気持ちだと思えた。だから令は、思い切って提案してみる。
「――えと、祐麒くんさえよかったら、ちょっと散歩でもしない?」
「え、でもいいんですか? 寄り道は禁止じゃ」
「だって、今日でもう卒業だし、それくらいは大目にみてくれるんじゃないかな」
「あ、そっか」
「それに……」
「はい?」
微妙にもじもじしながら、令は言う。
「卒業式の日に迎えに来てもらって、一緒に寄り道をして帰るのって、昔からそういうのに憧れていたから……」
自分で言っていて、恥ずかしくなってくる。
いくらなんでも子供っぽすぎると思われないだろうか、笑われないだろうか。
「分かりました、それじゃあ、どこでも好きな場所に行きますよ」
だけどもちろん祐麒はからかうことなんかなくて、温かい笑顔で令の小さな願いを受け入れてくれる。
「それじゃあ、お言葉に甘えて」
令は微笑み、祐麒と並んで歩いていく。
大学に行ったら何をしたいか、春休みは何をするのか、祐麒とはいろんな場所に遊びに行きたい、そんなことを話しながら。
そうして辿り着いた先は、公園。
「もしかしてって思っていたけれど、やっぱりこの公園」
「うん、祐麒くんとの初デートで来た場所だから……」
あの時はまだ、正式に付き合っていたわけではなかったけれど、記念すべき生まれて初めてのデート。だからこそ、正式に付き合い始めてから初めて二人で訪れる場所も、この公園にしたかった。そんなことを思うのは、変だろうか。
「俺、あのとき凄い、ドキドキしていたんですよ。電話して、誘って、でも断られたらどうしようって」
「わ、私だって凄くドキドキしていたよ! だって、デートに誘われるなんて」
「ちなみに、今だって緊張しているんですよ」
「じ、実は私も……」
そこで二人、顔を見合わせて、ぷっと笑う。
「でもね、嫌な緊張じゃないんだ。むしろ、いつでもドキドキして、そんなドキドキをくれる祐麒くんだからこそ、好きなのかも」
「あ、ありがとうございます」
「う、うん」
思わず『好き』だと簡単に言ってしまったことに気が付き、赤面する令。祐麒も赤くなって俯き、なんとなく二人とも無言になる。
そんな微妙な空気を吹き飛ばそうと、令は話題を切り替える。
「わ、私ね、これから先のことが凄い楽しみなんだ。大学では一杯勉強したいし、新しい友達も沢山作りたい。あと、色々な場所に行ってみたい」
楽しそうに話す令を、優しく見つめる祐麒。
「それでね」
「うん」
「隣にはね、いつも祐麒くんがいるの。そうだったら……嬉しいな」
卒業してテンションが上がっているのだろうか、先ほどから結構、大胆なことを言っているような気がする。
だけど、本当のことだから。
二人で買い物に行きたいし、遊園地にも行きたいし、テレビや雑誌で有名なケーキやパスタの美味しいお店にも行きたいし、他にもやりたいことは夢のように浮かんでくる。旅行なんかもいいし、祐麒の家にも行ってみたいし、二人でプリクラ撮りたいし、料理を作ってあげて食べてもらいたい。
でも、一番望むことは。
何もしなくてもいいから、隣に、一緒にいてほしい。
それが、令の最も強い思い。
「もちろん、俺もそのつもりですよ。でも……」
「え、で、でも?」
まさか否定されるのかと思い、不安になって見つめると。
「……さすがに、大学の授業中や、友達と一緒にいるところは、俺も遠慮くらいしますよ」
と言って、笑う祐麒。
「あ、そ、そうだよね。ごめんなさい」
当たり前のことだ。令は恥ずかしくなって頬を手で抑える。
「あ、でも」
「え、ま、まだ何か?」
「俺が同じ大学に入ることが出来たら、それも可能かもしれませんね」
その祐麒の言葉を聞いて夢想する。
大学の同じ教室内で、隣に並んで同じ講義を受ける。学年が違うから、専門教科ではなく一般教養的な授業だ。好きな男の子と机を並んで授業を受ける、授業中もドキドキして、隣が気になって授業内容が頭に入らない。そんな、少女マンガ的なシチュエーションは、令も憧れていたもののうちの一つだった。
そして、友人達と遊んでいる同じ輪の中に、祐麒がいる。祐麒と令が付き合っていることは秘密にしようか、それともみんな知っていることにしようか。どちらであっても、とても素敵なことに違いない。
「はぅぅ、そ、それいいかも……」
自分の想像の破壊力にやられてしまう令。
「でも、そのためには受験勉強、頑張らないとなぁ」
祐麒のその一言に、我に返る。
そうだ、祐麒は今年、受験生になるのだ。ということは、呑気に令と会う時間なんて簡単には作れないかもしれない。色々と想像していたことがガラガラと崩れ落ち、肩を落としそうになるのを堪える。
「そうだね、受験勉強の邪魔しないようにしないとね」
残念だけど、それを祐麒に見せてはいけない。祐麒は優しいから、令が寂しさを見せれば、受験勉強なんてほったらかして令と一緒に居てくれるかもしれない。そうしてくれたら凄く嬉しいけれど、自分が祐麒の足を引っ張ることは耐えられない。
「でも俺、会えないと余計に勉強に集中できなくなりそうだから、定期的には会って欲しい、なんて今から思っているんですけど」
「もちろん、幾らでも会いにいくよっ」
拳を握りしめ、力強く宣言。
自分と会うことで集中力が増すなら、雨が降っていようが、真夜中だろうが、走って会いに行くくらいの気持ちはある。
「そういえば、卒業旅行とかは行かないんですか、祥子さんとかと」
「うーん、そういう話もあったんだけど、残念ながら色々と都合があわなくて、流れちゃった」
「それは残念ですね」
「うん。そうだ、かわりに祐麒くん、一緒に行く?」
「えっ!?」
言ってから。
「……………………」
またまたとんでも大胆発言をしたことに気が付き、耳まで熱くなってくる。
「あ、あのっ、いいいまのは、ね」
「俺、一緒に旅行、行きたいです」
「あうっ」
それは勿論、令だって行きたい。
「でも……男の子と二人で旅行なんて、お父さんが許してくれないから」
「そ、そうですよね、すみません」
「ううん、わ、私が突然、変なこと言っちゃったから。あ、でも、お父さんに祐麒くんのことを知ってもらえば……それでも、いきなりは無理よね……」
がっくりと肩を落とす。
道場の師範をやっている、真面目で厳しい父。それだけに、簡単には許してもらえないだろう。そもそも、男女交際だってきちんと認めてもらえるかどうか。
「俺、ご両親にご挨拶して、真面目に交際しますって言うよ。令さんのこと、大切にしますって、誓って言う。ご両親が認めてくれたら、旅行にだって」
「ま、待って祐麒くん。う、嬉しいけれど、そんなに焦らなくても。別に、卒業旅行にこだわる必要はないし、それに旅行より前に、もっとデートだって楽しみたいし」
「そ……そうですよね。す、すみません、なんか俺一人」
真っ赤になってしまう祐麒を見て、令も赤くなる。
祐麒の気持ちは、一応、分かるつもりだ。
二人きりの旅行で泊りがけとなれば、きっと期待することがあるはず。男の子だから。
「あ、あっち、花が咲いて綺麗ですよ。行ってみましょう」
慌てたように、急に話題を変えて花壇の方を指差す祐麒。不器用だけれども、だからこそ優しさが手に取って分かるようでもあり、やっぱり不器用な令にはそれが嬉しい。不器用な二人でも、それがいい。
「――うん、行こう」
手を繋ぎ、歩き出す。
公園内を歩いているうちに、なんだかんだと時間が過ぎていた。途中、売店でおにぎりを買って食べたので、お腹は空いていない。
平日の日中ということもあり、人の姿は多くもなく少なくもなく、のんびりと過ごすにはいい感じだった。
「あ、あの」
公園を一回りしたところで、祐麒が立ち止まった。
「改めて、卒業おめでとうございます」
「うん、ありがとう」
「あと、リリアンに居てくれて……山百合会に居てくれて……俺と出会ってくれたこと……本当に、ありがとうございます」
「ゆ、祐麒くん……」
きゅん、としてしまった。
可愛らしい顔して、でも時々格好良い、恋人。
今は、僅かに上気した顔で真剣に令のことを見つめてきている。
言葉は途切れる。どこかそわそわしているようで、何か物言いたげな瞳。
そこで令は、気が付いた。周囲にさりげなく視線を向けてみると、他の人の姿は近くには見えない。
ごくり、と唾を飲む。
そしてゆっくりと、目を閉じた。
視界が閉ざされる分、他の感覚が鋭敏に研ぎ澄まされるような気がする。心臓の音が、先ほどより一気に大きく、速くなっていくのが分かる。頬に熱が集まりだし、顔が赤くなっていくのを感じる。
しかし、想像しているものが、なかなかやってこない。もしかして一人で早合点したのだろうかと思ったが、祐麒との身長差に気が付いた。
こんな馬鹿みたいに突っ立っていたって、届くわけがない。かといって、今さら体勢を変えるのも不自然だし、どうしようかと薄目を開けかけた時。
不意に、両肩と、そして唇に感触。
目を開けば、祐麒が令の両肩に手を置き、一生懸命に背伸びをしてキスしていた。肩に置いた手に力が入り過ぎないよう、ぎりぎりまで頑張って背伸びで踏ん張っている。小刻みに震えているのが分かる。
やがて、ゆっくりと離れていく祐麒だが、令が目を開けていることに気が付いてバツが悪そうな顔をする。
「……な、なんか情けなくてすみません」
「そ、そんなことないよっ。わ、私が馬鹿みたいに大きいから、ごめんね」
初めてのキスの後だというのに、なんだか甘い雰囲気があまり感じられないが、それでもファースト・キスには変わらない。
令は頬が緩みそうになるのを堪えようとして、諦めた。
「…………えへへ、これで一つ、夢が叶っちゃった」
「え?」
「ええとね、わ、笑わないでね。卒業式の日にね、好きな人と初めてキスをする、っていうのが、私が卒業式に憧れていたもののうちの一つなの」
言っていて、自分でも恥ずかしい。
「笑ったりなんかしないですよっ。令さんの夢を叶えられて、俺も嬉しいです」
「あ、ありがと」
「いえ……ああ、憧れていたもののうちの一つということは、まだ他にもあります? 俺で良かったら、俺にできることならやりますよ」
令を喜ばすためであろう、そんなことを言う祐麒であったが。
逆に令は絶句し、そして熟れたトマトも如何や、というほど真っ赤になる。
「そ、そそそそっ、それは、いいよ」
「え、なんでですか? 俺には出来ないことですか。俺、令さんのためなら頑張りますよ」
「ち、違うのっ。祐麒くんにしか出来ないけど……で、でも、やっぱいい」
「なんでですか、俺に出来ることなら」
「ご、ごめんなさいっ!」
「あ、令さんっ!?」
顔を隠すように祐麒に背を向け、令は駆け出した
確かに夢はまだあったし、祐麒にならば叶えられること、むしろ祐麒にしか叶えられないことだけれども、そんなこと出来るわけもない。
だって。
"卒業式の日にバージンも卒業"
なんて、恥ずかしくて言えるわけもないし、エッチな女の子だと思われるのも嫌だったし、そもそも今日が初めてのキスで、それ以上のことができるわけもない。いくらなんでも、今日でそこまでは背伸びをしすぎだろう。
令は自分の妄想の恥ずかしさに身悶えながら、走った。
ようやく落ち着いてきて、祐麒も令に追いついて、そんな二人が立ち止まった場所は階段の途中。
「ここは……」
「祐麒くんが、私のパンツを覗き見た場所だね」
「のっ、覗き見たわけじゃないですよっ! あれは偶然に」
ちょっと拗ねたように祐麒を見る。
初めてのデートの日、慣れないスカートで遊んでいたとき、風の悪戯でスカートがひらりと舞い上がった。
丁度、今いる階段に令は立っていて、祐麒は下にいて、位置的に中が見える場所にいたわけで。
「で、でも、ライムグリーンで可愛らしくて令さんに似合っていましたし」
「な、なんでそんな、覚えているのっ!?」
「そりゃ、忘れられないです……って、ご、ごめんなさいっ!」
「ばかばか、祐麒くんのえっち、忘れて、ばかーっ!!」
恥ずかしくて、ぽかぽかと祐麒を殴る令。本気でないとはいえ、鍛えられていて力も強い令だけに、実は結構痛かったりもするが、さすがにそんなこと祐麒も口にはしない。
「許してください、令さん。ごめんなさい」
「駄目。大体、さっきからずっと"令さん"ってばかりなんだもん」
ぷいと、横を向く。
「えっと……許して、令ちゃん」
必死に頭を下げてくる祐麒。
内心ではそこまで怒っているわけではないけれど、怒ったふりを続ける令。
「じゃあ……一発、引っ叩かせてくれる?」
「ええっ?」
「だって、スカート捲られて、見られたんだもん」
「俺が捲ったわけじゃ……いえ、見ちゃったのは確かですしね、分かりました」
頷く祐麒を見て、さっと手を上げる令。
祐麒は目を閉じ、衝撃に備える。
「それじゃあ、覚悟はいい?」
「いつでも、どうぞ」
覚悟を決めた祐麒に向け、令は上げた手を振り下ろす。
そして。
頬の手前で止めると、そっと触れて。
「――え?」
戸惑う祐麒に向けて。
一段下の階段から、つま先立ちになって背伸びをして、唇を重ね合せた。
ゆっくりと踵を下ろしていき、唇を離すと、驚いて目を丸くしている祐麒の顔が目に入ってくる。
「……これで、許してあげるね」
そう言って令は、恥じらいながらにっこりと笑った。
途端に、火が付いたように赤くなる祐麒。
「~~~~~~っ、れ、令ちゃん」
「えへへっ」
手を、繋ぐ。
騙されて悔しいのか、でもキスされて嬉しいのか、なんともいいようのない表情で唸っている祐麒。
「……で、でも、これで許して貰えるなら、また今度」
「ちょっ、な、何言っているの、えっちなのは駄目! 禁止!」
怒ると、しゅんとしてしまう祐麒。
うなだれる祐麒を見て、令もまた慌てる。
「あ……その、えと、だから、いきなりは駄目。そ、そういうえっちなことは、ちょっとずつ、ね?」
「う、うん、そうだね」
全く祐麒が興味を示さなくなっても困る。令だって、好きな相手とは触れ合いたいし、触れてもらいたいと思うから。
指と指を絡ませあい、階段を上る。
二人の関係も、一つずつステップを踏めばいいのだ。
「祐麒くん。あの、これからもよろしくお願いします」
「こちらこそ、令ちゃん。ずっと、一緒にいよう」
「……うん」
互いに見つめ合い、気持ちを確かめる。
好きだと、躊躇いなく言えることの嬉しさを噛みしめる。
リリアン女学園卒業の日。
それは、令が考えうる中でも最高の卒業式の日となったのであった。
おしまい