<後編>
ファミレスを出た後、祐麒達は特に目的もなく歩いているようだった。人波に紛れ、少し距離を置いてついていく志摩子と桂。
やがて二人は公園の中に入っていった。人の姿が少ないので、気が付かれないように慎重に志摩子達も後を追う。
公園内の一画に辿り着いたところで二人は歩を止めた。志摩子達は茂みに隠れるようにしながら大回りをして、二人の声が聞こえる場所に身を隠した。
『……ところで祐麒さん。今日、私に話があるんじゃないんですか?』
『えっ?』
『だから、わざわざ呼んだんですよね?』
乃梨子と祐麒は正面から向かい合っている。
夕暮れ時、他に人のいない静かな公園。
「良い雰囲気だね。もしかしたら、告白タイムかな?」
隣の桂が小声で言う。
「…………っ!?」
考えないようにしていたことだった。
だけど、ずっと見てきて分かってしまった。
今日の二人がしていたことは間違いなくデートだ。乃梨子の好きな仏像展を見て、お茶をして、公園を散歩して、これ以上ないデートだ。そして桂が言う通り、告白するのにふさわしい状況だ。
乃梨子のことはなんでもない、そう言っていたのは嘘だったのか。単なる照れ隠しだったのか。ホワイトデーのお返しは、その前のクリスマスのことは、遊園地でのことは、なんだったのか。
分かっている。別に志摩子だって告白されたわけでもないし、告白をしたわけでもない。志摩子と祐麒は恋人同士ではなく、友達の域を出ていない。
だから、祐麒が乃梨子を好きになろうが、何の問題もないのだ。
『……俺が、二条さんに伝えたいこと……』
祐麒の声が風にのって聞こえてくる。
「…………帰りましょう、桂さん」
「え?」
「人の告白を盗み聞きするなんて、趣味が悪いわ」
「あ、そ、そうだよね。確かに、これ以上はまずいよね、うん」
そうだ、これで良いのだ。
祐麒なら、乃梨子のことを大事にしてくれるだろう。乃梨子も、今は憎まれ口をたたいているが素直になれないだけだろう。好きでもない人と一日一緒に行動をするような子ではないはずだ。
だから、これで良いのだ。
そう、自分に言い聞かせようとするのに、うまくいかない。視界が滲んでいく。良いことなら、笑えるはずなのに、笑えない。
駄目だ、こんなことじゃ駄目なのに、どうして――
「…………っくし!」
鼻が出て、くしゃみが出てしまった。
「え、誰っ!?」
驚きの声をあげる乃梨子。
志摩子は、その場で立ち上がった。
「志摩子さ……え、ええっ、何、どうしたのっ!?」
大声をあげる乃梨子。
それに対して、志摩子は。
「……うぇぇっ、ひっく、うっ」
両目から涙をこぼし、立ち尽くす。
駆け寄ってこようとする乃梨子に向けて、制止するように手の平を向ける。もう片方の手で、目を擦る。
「だ、駄目よ、乃梨子……来ちゃ……ぐすっ」
「どうして、そんな泣いている志摩子さん、放っておけないよ! そんな、鼻水まで垂らしてどうしたのよ一体! 誰が志摩子さんをそんな目に」
「……ずびっ、う、ちが、ちがう……違わない……ひぐっ」
頭の中がぐちゃぐちゃだった。
「ず、ずるいわ……ど、どうして、乃梨子なの……」
「え?」
「ひ、酷いわ、祐麒さん……ずっと、私と……のに……うっ、ぐすっ」
止まらない。
涙も、鼻水も、迸る醜い感情も。
こんなことを言いたかったんじゃない。姉として、乃梨子の幸せであれば祝してあげたいと思ったはずなのに。
口をついて出るのは、自分でも認めたくなかった醜い心の内。
「……うぐっ、ずるっ、ご、ごめんなさい……乃梨子、祐麒さんとお幸せに……っ」
それだけ言うのが精いっぱいで、踵を返してこの場を去ろうとした。
「いやいやいや、ちょっと待って志摩子さん! え、なに、何か勘違いしているみたいだけどっ、なんで私が祐麒さんと幸せにならなきゃいけないの?」
駆けつけてきた乃梨子に肩を掴まれて止められる。
「だ……だって、二人、今日、デートして……祐麒さん、乃梨子に伝えたいことって……こ、告白、なのでしょう……? だから、う、うっ」
「いやいやいやいや、ありえないでしょうそれ、ちょ、祐麒さんも何か言ってくださいよ、どうなってんですかこれ!?」
祐麒も近づいてくるが、来ないでほしい。
こんな、醜い自分を見ないでほしい。
「だって、だ、だって……か、桂さんが……」
「「…………桂さん?」」
乃梨子と祐麒の重なった声を受け、茂みから立ち上がる桂。
「あ……えーと、なんだか、あたしの、せい?」
気まずそうに、桂は言った。
「ごめんなさい、ほんっと~~に、ごめんなさい!」
生の土下座というものを、志摩子は生まれて初めて見た。
「か、桂さん、そんな、立って。ね、お願い」
「でも、あたしのせいで」
桂が出てきた後、その口から情報を聞いて、全員が勘違いをしていたことがわかったのだ。そして、早とちりをして三人に迷惑をかけることになった桂がこうして土下座をしているわけである。
「そうですよ、桂さまが悪いんじゃありません。諸悪の根源は、自分でどうにかしようとせず、桂さまに任せたこの人が悪いんですから」
乃梨子が肘で祐麒の腹を突くと、祐麒はきまり悪そうに頭をかいた。
「いや、本当に、そう言われると返す言葉もない。だから桂さん、立ってください」
祐麒にも言われ、ようやく立ち上がる桂。
「それにしても、なんで祐麒さんが私のことを好きだなんて勘違いしたのか、それが不思議でなりません」
「それは、説明したように早とちりだったわけで、ごめんなさい」
「でも、祐麒さんも勘違いさせるような態度を見せたってことですよね」
「お、俺はそんなこと……」
「……祐麒さん、今日、乃梨子と楽しそうにお話ししていましたね」
拗ねたように志摩子が言うと。
「俺が全て悪かったです。最初から、何かの間違いだって二条さんに伝えていればこんなことにならなかった」
「そこじゃないでしょう、祐麒さん? そもそもは、志摩子さんに勘違いさせるような状況にしたのが駄目なんじゃないですか」
腕を組み、祐麒のことを睨むように見ながら言う乃梨子。
「そ、それは」
「もう、ここではっきりすべきじゃないですか? 関係者のいるところで」
「え、ここで、今?」
「志摩子さんにあれだけ恥をかかせておいて、男らしくないですよ」
乃梨子に言われ、祐麒は決意したように軽く頷くと、志摩子の方に体を向けて正面から見つめてきた。
「あ、あの、あまり見ないでください。私、今、顔ぐちゃぐちゃで酷いから……」
「藤堂さんっ」
「は、はいっ」
志摩子は顔を背けようとしたが、祐麒に強い口調で名前を呼ばれ、左に向けかけた顔を正面へと戻す。
眼鏡などの変装は解いたとはいえ、先ほど醜態をさらしたばかりであり、且つ顔も洗えていなくて酷い状態であろうことは想像出来た。本当なら見られたくないし、見せたくないのだが、目をそらしてはいけないと思わせられるだけのものが祐麒から感じられた。
「……俺が好きなのは、藤堂さんです。俺と、付き合ってください」
「………………え」
びっくりした。
今のは本当のことだろうかと思わず疑いそうになるが、赤面しながらも真剣な目で見つめてくる祐麒の言葉に、嘘はないということが分かった。
「あ…………はい……はい、よろしく、お願いします……」
頭を下げて言うと、またしても視界に靄がかかってきた。
「やだ……私、また……」
慌てて手の甲で涙を拭う志摩子。
「ごめん、藤堂さん。俺が、誤解されるようなことしちゃったから」
「いえ、私も勝手に勘違いして。祐麒さんに何も聞いてもいなかったのに」
本当に、お互いに思っていること、知りたいことを口にしないからこのようなことになったのだ。伝えなければ伝わらない、聞かなければ理解できない、学んできたつもりなのに何も進歩していないのだなと志摩子は思う。
「でもびっくりした。志摩子さんも、ああいうふうに感情を爆発させることってあるんだね」
「や、やだ、言わないで乃梨子。もう、恥ずかしいわ」
火照る頬に両手をあて、恥じらう志摩子。
人前で、いや一人の時でも、あんな風に大声で泣き、涙や洟を垂らしたことなど生まれて初めてのことであった。
「びっくりしたけれど、志摩子さんの思いが聞けて、あたしは志摩子さん凄く綺麗だって思えたよ」
「桂さんまで……」
「そうですね、まあでも……」
そこまで言ったところで、乃梨子はちらりと祐麒を横目で見て言う。
「また今度、あんな風に志摩子さんを泣かせたら承知しませんけどね」
「分かってる。もう、同じ失敗はしません」
乃梨子の言葉を受けて祐麒は宣言し。
急展開ではあるが、こうして志摩子と祐麒は正式に交際を開始することとなった。
――の、だが。
三学期の終業式を控えた前日、そのニュースを耳にした。
"花寺の生徒会長が、リリアンの生徒と交際している"
というニュースを。
そんなに早く噂が流布したことに驚く志摩子。
確かに、あえて公表することもないが、秘密にもしないとあの日に祐麒とは話をしたが、早すぎないだろうか。
まさか、乃梨子や桂が言いふらしたとでもいうのだろうか。可能性がないとはいわないが、考えづらい。
「――あ、志摩子さん、祐麒のこと聞いた?」
「ゆ、祐巳さん。え、ええ、一応は」
話しかけてきたのは祐巳と由乃。
いきなりのことで心の準備がまだできていないが、嘘はつけない。恥ずかしいが、噂になっているのだし、正直に言うしかないと志摩子が思っていると。
「本当、びっくりしたわよね。祐麒くんたら、いつの間に」
「それは、この前――」
「内緒にしていたなんて、祐麒も水臭いわよね」
「そ、そうかもだけれど、祐麒さんだって…………え?」
と、そこで由乃が手にしていた紙片を目にして動きが止まる志摩子。
「……どういうことかしら、桂さん?」
「ち、違うの志摩子さん、誤解よ、濡れ衣よ、これは!」
「あら、こんな写真があるのに?」
志摩子が桂に見せたのは、花寺学園の校内新聞の号外で、そこには
"生徒会長、リリアンの女子生徒と逢引き!?"
という見出しとともに写真が掲載されており、祐麒とリリアンの制服を着た女子が映っている。
後ろ姿で顔は映っていないが、知り合いが見ればなんとなくは分かる。
桂である。
「祐麒くんに、空いている日を聞きに行っただけだよ、ほらあのデートの! 困るわよね、裏付けも取らずに勝手に掲載して、ゴシップよゴシップ!」
手をぶんぶん振り回し、冷や汗を流しながら弁解する桂。
「……ふぅ。分かっているけれど、やっぱり良い気分がしないわ」
桂が悪いわけではないが、色々と振り回されたし、ちょっと言ってやりたかったのだ。
「祐麒さんにも、言わないと」
そう、呟く。
そうだ、ちゃんと伝えよう。こういうのは嫌だと、分かっていても嫌だと。
曖昧に笑みを浮かべて誤魔化すのではなく、伝えるべきことは伝え、知りたいことは聞こう。
不器用だから、この先も二人は失敗をするかもしれないが、ちゃんとお互いの話を聞き、互いの思いを伝えていけば、きっと分かるはず。
でも、その前に。
「まずは誤解している大切な仲間に、伝えないといけないわね」
だって、別の人と交際していると思われるなんて、嫌だから。
事実と違っていると分かっていても、嫌だから。
「――――やっぱり、私って意外とやきもちやきなのかしら?」
空を見上げ、一人呟く。
新たに知った、自分の醜い一面。それも真実だと受け止めて、歩いて行こう。
今思い出しても恥ずかしいけれど、それは嫌ではなかった。
「本当、不思議ね」
「ん、何が、志摩子さん?」
「ふふ、なんでもないわ。いきましょう、桂さん」
大事な友人に微笑みかけると。
いつもと変わらない、ふわふわとした足取りで志摩子は歩き出すのであった。
おしまい