いきなり、胸に衝撃を受けた。さらに、由乃の手が振り回されて頬を叩かれた。由乃がふざけてきたのだろうと思ったけれど、さすがに叩くことはないではないかと、抗議を口にしようとしたところで。
「お、おい、由乃っ!?」
目の前にいた由乃が暴れるようにして、波にのまれて姿が消える。呆気にとられていると、また顔が水面から出てくる。
「た、助けっ……!」
波をもろに顔面に受けて、また沈む。
慌てて祐麒も水の中にもぐり、眼前にいた由乃の体を抱きしめるようにして浮上する。由乃は激しくせき込み、口から水を出す。まだ、ばたばたと手を動かして暴れようとして、波も押し寄せてきて、祐麒は一生懸命にバランスをとる。
「足、つった……! 苦しい、助け、て」
「落ち着け、由乃。大丈夫だから」
そういっているそばから、また波がやってきて由乃の顔にかかる。水をかぶるとまた由乃は暴れ出す。恐怖からパニック状態に陥っているのだろう。由乃はカナヅチだ。まだ足のつく場所だったとはいえ、それでも由乃の首近くの深さがあり、波がくれば由乃の頭を越える。足がつった状態の今であれば、確実に溺れてしまうだろう。
「やだ、苦しいっ、がはっ……」
「落ち着け、大丈夫だっていってるだろ」
「やあっ、死ぬっ」
「馬鹿! 大丈夫だ、目を開けろ! 俺を見ろ!」
「え……あ、ゆ、ゆう……き?」
耳元で大きな声で言うと、暴れていた由乃の体が一瞬だけ跳ね、そして止まった。水だか涙だか鼻水だかわからないが、とにかく顔をぐしゃぐしゃにした由乃がおそるおそる目を開け、祐麒の顔を認める。
落ち着かせるように、安全だということを示すように、祐麒は笑ってみせる。
「足、つったのか? 大丈夫、痛みがひくまで、俺が支えていてやるから」
由乃の顔に水がかからないよう、さらに由乃の体が上にいくよう抱きなおす。由乃のおなかのあたりに顔を埋めるような格好である。
「大丈夫、由乃? どっちの足?」
蔦子がやってきて、由乃の足をマッサージする。
「…………」
無言の由乃。
抱えているから、祐麒は自由に動くことはできない。それでも由乃を不安にさせないよう、波がきてもバランスを崩さないように踏ん張り、波が口や鼻に入ってきても、声は出さない。
「ちょ、ちょっと祐麒、あんた」
「いいから、由乃は足を治すことに専念しろって」
由乃の体は、細くて軽い。抱きしめた手が触れているお尻だって小さいし、太腿だって細い。
「……祐麒、お尻、触ってる」
「気にするな。俺は気にしない」
「馬鹿、気にするにきまって……いたた」
「素直に大人しくしてろって」
「うん……」
ぎゅっ、と祐麒の頭にまわした腕に力を入れてくる由乃。頭の上に、ほんのりと柔らかさが感じられるのは、胸か、それとも単に肌の柔らかさか。
「ごめん、祐麒。ありがと」
「気にするな」
波に揺られながら、抱き合う二人。
そして。
「あー、えへん、私がいること忘れてない、お二人さん?」
ずっと由乃の足をマッサージしていた蔦子が、存在を主張するかのように口を開く。
「うわぁっ、つ、蔦子っ、あの」
「暴れるな、馬鹿、そんなんだとまた」
「きゃっ! 痛っ、あ、痛い痛いっ!」
「だから、いわんこっちゃない」
元気だけれど、細くて薄い体。
今までも、そしてこれからも、守っていかなければと、祐麒は改めて感じたのであった。
帰り道、蔦子と別れて家へと向かう道すがら、由乃は顔を引きつらせた。つった足の痛みがひいたあとも色々と遊び、夢中になっている間は気にならなかったが、こうして気が抜けてしまうとやっぱり攣った方の足に痛みがあったり、疲労で体が重かったりと、積み重なった様々なものがのしかかってきたからだ。
「ほら由乃、しっかり歩きな」
「ううぅ、だってぇ~」
楽しかったけれど、暑いし、疲れたし、足は痛いし。遊び終わったら、すぐに家に帰ることができれば文句ないのに、などと都合の良いことを考える。
家まではあと少し、仕方ないけれど頑張るかと、目を閉じて一回深呼吸。大きく息を吐き、吸って、目を開けると。
「何よ、祐麒。立ち止まってどうしたの」
すぐ目の前に、祐麒が背を向けて立っていた。そんなところで止まられていても邪魔なんだけど、と思っていると、いきなり祐麒がその場にしゃがみ込む。
「ほれ」
「は?」
「仕方ないから、おぶってやるっていってるんだよ」
「――は、はぁ? なな、何いってんの?」
びっくりして、思わず大きな声をあげてしまう。
「足、痛いんだろ。このペースじゃいつまでたっても家につかないから。ここからならもう家も近いし、人通りも少ないし、恥ずかしくないだろ?」
「そ、そんなこといったって」
いくら人通りが少ないとはいえ、住宅街で夕方だから全く人がいないわけではない。そんな中、おんぶして歩こうなんて、祐麒は恥ずかしくないのだろうか。
「ほら、早くしろって」
背中が催促してくる。
思いがけない展開に困惑し、熱くなる頬を感じながら横にいる令に顔を向けると、令は優しい微笑みを見せる。
「う、うぅ~~、仕方ない、そこまで祐麒がいうなら、おぶさられてあげるわ」
「なんだよそれ……ってうわ、いきなり乗るな」
「うるさい」
祐麒が立ち上がり、視界が変わる。肩から首に手をまわすようにしてしがみつくと、祐麒の匂いが感じられた。
「しかしなんで、おぶさるくせに偉そうなんだよ」
「そりゃ、祐麒はあたしの体と密着できて嬉しいだろうからよ」
「ははっ、そんなの別に、今さらだろう」
軽く笑われるのが、なんか少し悔しかった。由乃は今、祐麒の背にこうしてしがみついて、熱い背中を感じて、少しだけ、ほんとに少しだけ、胸の鼓動が速くなっているというのに。
「それに、由乃じゃあ密着してるっていう感じをあまり受けないしな。子供のころから変わらない体型だし」
「……なっ!」
人が気にしていることを、あっさりと口にする。確かに貧相な体型かもしれないが、これでもAAAからAAにサイズアップしたというのに。
「その幼児体型から脱却出来たら、俺も少しは嬉しく……って! イテテテテ! 馬鹿、やめろ、離せ!」
「うるひゃひ、ふぁはひゅうひ!」
由乃は思いっきり、祐麒の肩口に噛みついていた。悲鳴をあげながら祐麒は体を左右に動かし、噛みついてきている口を離そうとするけれど、がっちり噛みついて離さない。
そんな様子を見て、隣で令が笑っている。
「いってー、本気で噛みやがって」
「当り前でしょう、本当に失礼なんだから」
しばらくしてようやく歯を離すと、くっきりと歯型がついていた。
「あはは、祐麒くん、しばらく肩を見せられないね。それ、キスマークに見えちゃうよ」
覗き込んできた令が、いたずらめかすようにして言ってくる。
「なっ……」
「やだもうっ、令ちゃんのバカっ!!」
「あはははっ」
悪態をつきながら。
今はこうして祐麒に背負われていて良かったと思う。
この体勢なら、今の自分の顔を祐麒に見られずにすむから。
夏の夕暮れの中、三人の二つの影がゆっくりと伸びていった。