「な、なんでこんなことになったんだ……」
祐麒は呆然と立ち尽くし、かろうじてそう呟いた。
今、祐麒が立っているのは今日から通うことになる学校の前。高校生に進学し、希望に満ち溢れた学園生活を前にして打ち震えている、というわけではない。
なぜなら。
「――うふふ、ごきげんよう」
「今日もいいお天気ですね」
「お姉さまっ、おはようございますっ」
目に入ってくるのは若い女の子たちのきらきらと輝くような微笑み、耳に届いてくるのは軽やかな小鳥のさえずりのような声。
うら若い乙女たちが通う学び舎、そこは『リリアン女学園』。
「なんでやねん……」
無意識のうちに、えせ関西弁が口をついて出てしまうくらい、祐麒は今の自分の立場が信じられないでいた。
祐麒の身を包んでいるのは、緑を一滴垂らしたような黒い生地を使用したセーラー服、黒のラインが一本だけ入ったアイボリーのセーラーカラーはそのまま結んでタイになる。
そう、祐麒が今いる場所は『リリアン女学園』。
「祐紀ちゃん、元気出して、ふぁいとだよ」
隣から、眩しい笑顔と明るい声で慰めてくれているが、それで何が変わるというものではない。
呆然とする祐麒の手が掴まれ、下駄箱へと引っ張られる。ふらふらと覚束ない足取りで歩いていく。今は、ぎゅっと握ってきてくれている柔らかな手が、とても温かくて心強い。
なんという数奇な人生なのか。こんなことが本当にありえるのか。だが、事実として祐麒は今、『リリアン女学園』にいるわけで。
「はぁ……」
小さくため息をつき、此処に至るまでのことを思い返してみる。
そう、ありえない日常への、始まりの日を――
楽しくはあったけれど、どこか物足りなさも感じた高校三年間が終わった。
生徒会長として走り回り、充実していたことに異存はないのだが、何かこう高校生活の中で不足していたものがある気がしてならない。
「よぉユキチ、お互いに結局、彼女が出来ないまま卒業だな」
背後から小林が声をかけながら肩を叩いてきた。
「ぐっ……それか」
その言葉を聞き、俺は項垂れた。
いや、実のところなんとなくは理解していたのだが、どこか心の奥底で目を向けている自分がいたのだ。
男子校だし、致し方ない部分があったとはいえリリアン女学園とは交流があって、その中でも祐麒は生徒会のメンバーとしてリリアンに足を運び、学園祭でお互いに助け合い、リリアン内での知名度もそれなりにあったのに、何も起こらなかった。いや、何も起こせなかったというべきか。
元々、恋愛関連には昔から積極的ではなかったから、生徒会が忙しいとか言い訳を作って、その手の機会を自ら逃して来たような気がする。
「まぁなぁ、動かざるもの、食うべからず、だよな」
「そう落ち込むなって、大学からだって、そういうのはさ」
「そうかもしれないけれど」
確かに、大学に入ってからは新たな出会いもあるだろう。サークル活動やゼミ、合コンなんかも開催されるだろうし、高校時代よりも派手な行事だって色々とあるかもしれない。
だけど、高校生の時代というのは二度と戻ってこない。高校生だからこそデキる、甘酸っぱいような恋愛だってあったのではなかろうか。加えて言うなら、リリアン女学園という非常にハイレベルな女の子たちとお近づきになれたのは、高校時代だけではなかっただろうか。
大学に入れば、皆ばらばらになってしまう。リリアン女子大ともつながりはあるだろうが、生徒会のようなつながりは無い。
「なんか正直、すごく勿体ないことをしてきた気がする」
「だけどさ、別に本気で頑張ったって、リリアンの女の子とお付き合いできたとは限らないんだからな」
それくらい分かっているが、そもそも動かなければ可能性はゼロなのだ。俺は、可能性を自らなくしていたのだ。
「切り替えろよ、後悔したまま卒業したって、つまんないだろ」
「まあ……な」
別に、後悔しているというほどではないが、未練があるというかもう少しなんとかなったのではないか、と思うことは確かだ。
「ほら、打ち上げ行くぞ、みんな待っている」
「あ、ああ」
返事をして前を向くと、アリスや高田がいつもと変わらぬ様子で俺たちが来るのを待っているのが見えた。
軽く手を上げ、小林と肩を並べて歩く。
振り返れば、三年間学び、遊び、様々なことを経験した校舎が見下ろしてきていた。珍しく感傷的になり、心の中で感謝と別れの言葉を紡ぐ。
そして、今度こそ振り返らずに前を向いて歩き出す。そう、これから新しい日々がまた待っているのだから。
小林達と一旦別れ、家に戻る。今日はこの後、もう一度クラスの連中と集まって謝恩会を開催することになっているのだ。
卒業、そして大学と新たな生活に少しばかり心躍らせ、注意力が散漫になっていたのかもしれない。
「――――危ないっ!?」
そんな声が聞こえた時には、もう遅かった。
「え?」
目に入ったのは、疾走する巨大なトラックで、それも分かったのは一瞬だった。次の瞬間、激しい衝撃と共に体が浮遊する。
あ、ヤバい、死ぬかもしんない。
なぜか冷静にそんなことを考えていた。
あまりに突然すぎて、痛みというものを感じない。いや、感じられないほど意識が失われているのかもしれない。
まさか卒業したその日に交通事故で死ぬなんて、笑い話にもなりやしない。
父さん、母さん、祐巳、ごめん。
先立つ不孝をお許しください――
そこで祐麒の意識は途絶えた。
☆
目が覚める。
「…………っ!!?」
勢いよく体を起こす。
周囲を見回し、自分の体を見て、触れてみる。
「生きてる……夢……?」
そんなはずはない。あれが夢だとしたら、あまりにリアルすぎる。もしかしたら、あの後病院に運ばれ奇跡的に一命を取りとめ、その後ずっと意識不明で眠っていたのだろうか。だが、それにしては、今いる場所は明らかに自分の部屋の自分のベッドだ。
「…………っくしゅ!!」
ぶるぶるっと、体が震える。
寒い。
春になったはずなのに、真冬に戻ってしまったかのような寒さだ。ガタガタと体が震えだし、慌てて布団の中に入り込んで驚く。明らかに冬用の毛布だったから。これはやはり、怪我でずっと寝ていて、でも病院からは運び出されて家で療養していたとかだろうか。ならば、季節が変わってしまっているのも納得できるが。
混乱する頭のまま、とりあえず布団の中でぬくぬくしていると。
「いつまでぼけーっと寝てやがんだ、とっとと起きやがれ!」
「ふぎゃあっ!?」
いきなり布団を剥ぎ取られたかと思うと、乱暴に肩を掴まれてベッドから投げ落とされた。あまりに横暴な起こし方に、文句を言おうと目を開くと。
「…………」
目に入ってきたのは。
「おう、起きたか? ったく、今日くらい一人で起きられないのかよ」
見知らぬ女性。
恐らく二十代前半から半ばといったところだが、その格好はどう見てもメイド。そして、それ以上に視線が釘付けになってしまうのが。
「……パステルピンク」
「あぁ?」
上から迫力ある目つきで見下ろしてくる女性。
「何がパステルピ……」
顔色に朱が帯びてくる。
「――――っ! てめえ、何、覗いてやがんだっ!!」
「あがーーーーーーっ!!!?」
女性のストンピングを受けて、祐麒は悶絶した。
「お、お前、いい加減にこの手のことはやめろよな。でないと、さすがに温厚なあたしもぶち切れるよ?」
はぁはぁと呼吸も荒く、メイドは執拗に祐麒の股間を靴で踏みつけてくる。傍から見られたら、そんなプレイと思われたりしないか、痛みに気を失いそうになる中そんなことを考える。
「――どうしたの、朝から騒がしいわね。起きたの、ユウキ?」
そこへ、新たなる声が加わった。
なんだか、聞いたことがあるような声だった。
「やべ、お嬢様が来た! くそ、お前がぐずぐずしているから」
理不尽な苦情を言いながら、メイドは慌てて祐麒をベッドの上に押し上げ、布団を下半身の上にかけ、てきぱきと乱れた祐麒のパジャマを直す。
そして自分自身の服装の乱れもチェックした後、雰囲気を急変させる。
「ユウキ、起きたの?」
「おはようございます、お嬢様。ユウキさまはただいま、起床されたところです」
姿を見せたのは、背中まで流れ落ちる漆黒の髪も美しい、ため息をつきたくなるような美少女。
「さ……祥子、さん?」
間違いなく、小笠原祥子だった。
祥子はユウキの声を聞いて、首を傾げる。
「あら、まだ寝ぼけているの? ふふ、いつものように『祥子お姉さま』って呼んで欲しいわ、私の可愛いユウキ」
「――――っ!?」
ベッドまで歩いてきた祥子は、春の日差しのような温かな微笑みを浮かべ、祐麒の頭を優しく撫でた。
「緊張しているのかしら? 大丈夫よ、貴方なら。いつも通りの力を出せば」
声も出ない。
何がどうなっているのか、全く分からない。
「ユウキさまのことは私にお任せください、お嬢様」
「そうね、まだ時間に余裕はあるとはいえ、早めに支度は済ませた方が良いわ。よろしくね、アンリ」
「はい」
腰を綺麗に曲げて深々と頭を下げ、部屋を出て行く祥子を見送るアンリと呼ばれたメイド。祐麒は意味も分からず、祥子が出て行った扉を見送るのみ。
やがて、祥子の気配が完全に消えたところで。
「――おい、てめえ。あたしのパンツ見た始末、どうつけてくれ……って、くそ、時間がねぇ。帰ってきたら、絶対にぶち殺すからな!」
「え、あ、ちょっと、何が」
アンリは色々と口汚いことを呟きながら、祐麒の体をベッドから引き起こすと、強引にパジャマを脱がしてきた。
「ぎゃあっ!? ち、痴女か!」
「誰が痴女だ! いいから大人しくしていろ!」
女とは思えない腕力で祐麒の体の自由を奪い、無理矢理に身支度をさせていく。
「イタタタタタ!! 痛い、ちょ、何すん」
「だーってろ!」
「いやいやいや、これおかしい、あの、イデーーーッ!?」
「暴れるんじゃねえ!!」
と、どたばたと激しくやりあい、やがて疲れた抵抗することも辛くなった祐麒は、アンリのなすがままになった。
そして三十分ほど後に、ようやく解放された。
「……これって、どういうこと?」
「どうもこうも、相変わらず完璧だろ、あたしは。感謝しな」
手をぱんぱんと叩き、得意げに薄い胸を張るアンリ。
そして祐麒は、部屋にあった大きな姿見に映る自分自身を見て言葉を失くす。
白いブラウスに赤いリボン、深緑のジャケットに、同色を基にしたチェックのスカート、肩にかかるセミロングの髪の毛は無造作に見えて実は繊細にセットされており、前髪にはヘアピンでアクセントをつけている。
女装だ。
嫌、むしろ女の子だ。
なぜなら、コルセットできつく締めて体を細くし、ブラジャーで胸を膨らませ、股間は特殊なカップみたいなもので覆い、女性用のパンツを穿いている。完全に、女の子に見せようかという格好だ。
「ど、ど、どういうこと、これ!?」
「さあ、さっさと行くぞ、今日はリリアンの入学試験日だからな」
「はぁ!?」
反論する間もなく部屋から追い出され、豪華な食堂で祥子や祥子の母である清子と朝食をとり、祥子に見送られて玄関から出てみれば、まぎれもなく小笠原家の邸内であった。そのままリリアン女学園に送られて訳も分からずに試験を受け、そして帰ってきた。
「――おう、試験はどうだったよ?」
出迎えてくれたアンリに部屋まで送られたところで、改めてアンリに向き直る。
「ちょっと、一体どういうことなんだこれは? 今日は一体何年の何日だ!? そもそも俺はなんで祥子さんの家でこんな格好を」
「おま、馬鹿っ!」
慌てた様子のアンリに口を塞がれる。
「……大きな声で『俺』とか言うなよ。お嬢様はお前のこと、『女の子』だと思っているんだからな?」
「は? な、何それ、どういうこと? あの、なんで俺が女の子として祥子さんの」
「今更何を言っているんだよ、お前も納得したことだろう?」
「あの、頼む、頼みますからどうして俺がこんな状態になっているか、教えてくれませんか? なんか、記憶が……」
「ん~~? まだ記憶が混乱することがあるのか、もう一年も経つのに……」
顔を顰めながらもアンリは教えてくれた。
それは一年近く前のこと、祥子が乗っていた小笠原家の送迎車が、ふらふらと車道に出てきた祐麒をはねてしまった。祥子はすぐに、お抱えの小笠原医師団のもとに祐麒を運び込んで手当てをさせた。幸い、祐麒の怪我そのものはたいしたことなかったが、事故の後遺症か祐麒は記憶を失っていた。
自分の名前や一般常識は分かるが、それ以外のことは殆ど覚えていない。そこで祥子は小笠原家の力を使って祐麒のことを調べてみたのだが、不思議なことに全く情報がつかめない。
家に送ろうにも家族の情報もなく、困った挙句に祥子はある決心を固めた。怪我をさせて記憶を失わせたのは自分の責任、こうなったら祐麒は責任を持って小笠原家が預かって育てると。
そうして祐麒は、祥子の『妹』として小笠原家に迎え入れられた。
「…………あの、なんで『妹』なんでしょうか?」
「車に撥ねられたお前は、ユニセックスな服を着ていたし、髪の毛も長くて顔も女顔だしな、おまけにお嬢様は男嫌いときているからな。思い込みだ」
「そんな、それくらい幾らでも覆す機会はあったんじゃ?」
「皆、お嬢様のこと第一だし、妹が出来たと喜んでいるお嬢様に水を差すわけにもいかなかったからなぁ、全員でお前を女として通すことにしたんだ」
「んな無茶な……」
「お嬢様が一緒に風呂に入りたいと言った時は苦労したぞ。小笠原家の技術力を集結して、特殊なボディスーツで女性に見えるようにだな」
「な、なんて無駄なことに……」
「とにかく、そういうわけでお前はここでは『女』であり、お嬢様の『妹』なんだ。そのことをゆめゆめ忘れるなよ?」
凄みを効かせてくるアンリに、無言で首を縦に振るしかない。情けないと言うな、アンリが醸し出すオーラは数多の戦場を駆け抜けてきた、本物の修羅が出せるもので、ハッキリ言えば怖かったから。
「それにしても、なんでリリアンの受験を?」
「そんなもん、お嬢様が一緒に通いたいと言ったからに決まってんだろうが。ちなみに、いくら小笠原家が金持ちでも、裏口入学の斡旋はしねぇぜ? そういうのはお嬢様、大嫌いだからな、実力で受からなければ意味がねぇ」
「いや、とゆうか……」
そもそも、リリアン女学園の『高等部』の入学試験という時点でおかしいのだ。祐麒は大学受験を終え、高校を卒業したばかりだというのに、なぜまた高校へ入学しなければならないのか。
だが、カレンダーを見ても、新聞を見ても、テレビを見ても、『今』が祐麒の認識している年の三年前という事実は動かしがたいようだった。新聞やニュースの内容も、見るとかつて目にした記憶のあるようなものが多くあり、大々的に祐麒を騙そうとしているなんて現実的とも思えないことがない限り、間違いなさそうだった。
即ち、三年前に戻ってしまったと。
きっかけは間違いなくあの事故であろう。そこから三年前にいきなりタイムスリップし、それどころか小笠原家に入るという意味不明な事態に陥っている。
大体、家族が見つからないとはどういうことか。祐巳や両親はどこに行ってしまったのか、友人達はどうなったのか、気になることが多すぎるが今の祐麒ではどうにもできない。
「とにかく、もしも男だとばれたりしたらお嬢様に殺されるかもしれないからな、気をつけろよ」
アンリの忠告を受けて、ぞっとする。今日、ほんの少し祥子と接しただけだが、それだけでも祥子が『妹』のことを溺愛しているのが分かった。それが実は女ではなかったなんてバレたらと考えると、肝が冷える。
「まあ、その辺はあと二か月、あたしがバッチリ教えてやるから安心しな」
「はあ……って、二か月って?」
「だってリリアンに合格したら、寮に入ることになってるだろ。となると、着替えやメイクは自力で出来るようにならないとまずいだろ」
「なるほど……って、なんで寮!? え、リリアンに寮!?」
初耳だった。
「お前が我が儘通したんだろうが。あんまり甘えてもいられないし、自立心の向上だなんだと言ってさ。あたしとしちゃあ、無茶苦茶で無謀だと思ったけれど、使用人の身としてお嬢様たちの前で勝手に意見なんて出せないしな。結局、ユウキの力説にお嬢様が折れてお前の寮暮らしが決まったんだよ」
「寮って、ま、まさか、女子寮!?」
「当たり前だろ、リリアンなんだから。だからあたしが、色々と教えてやるんだよ。男だってバレたりしたら、恥をかくのはお嬢様なんだからな」
腕組みし、仁王立ちして祐麒を見下ろしてくるアンリに、祐麒は戦慄を覚えた。
それから二か月、言葉通りアンリの容赦ない特訓が課せられた。自力で女の子の下着から様々な服を身に付けられるように、色んなヘアメイクが出来るように、簡単な化粧ができるように。アンリは、祐麒と二人でいるときは口も態度も悪いヤンキーのような娘だったが、腕は確かだった。
図らずも『女』として暮らさざるを得ない二か月、それでもアンリや祥子の両親は祐麒が本当は『男』だということを知ってくれていたし、小笠原家の中で引きこもりに近い生活をしていれば、バレるなんて心配は殆ど無いも同然だった。
しかし、無情にも時は流れゆくもので、四月となってとうとうリリアンの寮へと入寮することになった。既に荷物は業者によって運ばれ、あとは簡単な手荷物を持って祐麒自身が行くだけである。
「ユウキ、気を付けるのよ? 生水は飲まないように、知らない人にはついていかないように、男の人には近づかないように」
「さ、祥子お姉さま、リリアンの寮に行くだけですから、大丈夫ですってば」
祥子のあまりの心配っぷりに、祐麒の方が苦笑せざるをえない。
この二か月、他に行くあてもない祐麒は小笠原家に留まるしか選択肢はなく、必然的に祥子の『妹』としての立場にも慣れざるをえなかった。もっとも、『祥子お姉さま』と呼ぶことに慣れただけで、女の格好やメイク、言動に慣れるというわけにはいかず、様々な苦労をしつつアンリにしばかれる毎日を過ごしていた。
しかし、その日々も昨日で終わり、今日からは寮生活になる。不安もあるが、小笠原家に世話になっているのも逆に落ち着かないので、むしろ良いかもしれないと思うようにした。寮生との付き合いさえ上手くできれば、後は一人の時間を過ごせるはずだ。学校が女子高だということは、今は頭の中から消し去ることにしている。
「それでは祥子お姉さま、私はそろそろ行ってまいります」
ぺこりと頭を下げる。
どんな経緯があろうとも、事故にあい、記憶をなくした(らしい)祐麒のことを面倒見てくれたことは変わりなく、感謝してしたりないということはないだろう。
「……やはり、今からでも私も寮に入ろうかしら」
「やめてください、お嬢様」
貫録のあるメイド長さんが、窘める。祥子は残念そうな表情をしながらも諦めたのか、ため息を一つついて祐麒の前に歩み寄り、そっと額に口づけをした。
親愛の証だが、何度されても慣れるものでなく、いつも顔が赤くなってしまう。そして、そんな祐麒を見て祥子は笑うのだ。
「可愛いユウキ、あなたはどこへ行こうとも私の可愛い妹であることに変わりはないわ。そのことを、忘れないでね」
「はい、ありがとうございます」
「心配だけれど……大丈夫よ、安心して。ちゃんと、アンリも一緒につけるから」
「…………はぃ?」
祥子の言葉にきょとんとする。ついで、名前の出たメイドの方に顔を向けると。
アンリも祐麒と同じように、呆けていた。
「え~~と、お嬢様。今のはどういう意味でしょうか。わ、私も一緒というのは」
恐る恐る、といった感じでアンリが尋ねると。
「言葉通りの意味よ、アンリもユウキと一緒にリリアンに行ってもらい、ユウキの身の回りの世話をしてもらうわ。これならユウキも安心でしょう、アンリとはとても仲が良かったものね」
にっこりと、なんのてらいもなく笑う祥子。その笑顔には、妹のことを思う優しい姉以外のものは見当たらない。
「お、お嬢様、初耳なんですけど!?」
「だって、事前に言ったらアンリのことだから断ったでしょう?」
「そっ……それは、その」
「大丈夫、手続きはこっちで全て済ませておいたから、アンリも四月からはリリアン女学園の生徒よ。ほらアンリ、家庭の事情で高校中退しているって言っていたじゃない、良い機会だと思って」
「なっ――お、お嬢様、わ、私はもう二十四歳なんですよ!? そ、それが高校なんて無理がありますし、そもそもそのような不正はお嬢様がもっとも嫌われることでは」
「あら、不正ではないわ。ちゃんと試験を受けたでしょう?」
「え……あ、あれって、単なる冗談じゃなかったんですか!?」
よく知らないが、どうやら何かしら祐麒の知らないところで行われていたらしい。がっくりとうなだれるアンリ。
しかし、アンリには申し訳ないが、少し安堵したのは事実である。祐麒が男であることを知っている見方がいることは、いざという時に非常に心強いし、着付けやメイクなどでも重宝するに違いない。あとは、言動がまともですぐに暴力さえふるってこなければ、良いのだが。
「それではユウキ、また学校で会いましょう」
祥子のその言葉とともに。
祐麒とアンリは、小笠原家から外へと出て行くことになったのであった。