<おまけ>
祐麒は疲れ果てていた。
受験も後半に入り、疲労はピークに達している。今日も、志望校の一つである大学にて試験を受け、脳をフル回転させてきたばかりなのである。手ごたえはどうだったかといえば、なんとも微妙なところ。本命の大学は次だとはいえ、良いイメージを持ってのぞみたいものである。
大学を出て、見慣れぬ駅から電車を乗り継ぎ帰途につく。街は夕暮れ、見慣れぬ街並みも、どこか物悲しく見えるのは祐麒の心情をうつしてのことか。
コートのポケットから携帯電話を取り出して画面を見るが、特に着信もメールもなかった。試験の最中は電源を切っていたから、ひょっとしたらタイムラグがあるのかもしれないが、今の時点で何も届いていないということは、何もなかったのだろう。
小さく息を吐き出し、携帯電話をポケットに無造作に突っ込む。
来ていないかと思っていたのは、三奈子からの連絡である。三奈子とはもう一ヶ月以上も顔をあわせていないが、メールは毎日やり取りをしている。今朝も、試験に向けての応援メールが入っていた。
メールはもちろん良いのだが、それ以上に久しぶりに顔を見て元気を分けてもらいたい、という気持ちが強くなってきていた。ましてや今日は、バレンタインデーである。三奈子のことだから、絶対にチョコレートをくれるだろうと思っているし、そうであれば実に久方ぶりに会えるのではないかと思ってもいたのだが。
朝のメールはただの頑張れメールだったし、それ以降は何もメールはきていない。チョコレートを渡す気があれば、試験が終わったらどこかで会おうとか、そういう話がくるものだとばかり思っていた。
もしかして、くれる気はないのだろうかと不安になるが、だからといってこちらから電話して聞くわけにもいかない。
「はぁ~……っと、いけねっ!」
いつの間にか駅に到着していて、発射のベルが鳴り響いていた。慌てて飛び降りた直後に、扉が閉まる。
「いや、まだ時間はあるしな」
自分に言い聞かせるようにして、走り出す電車を見送り祐麒は歩き出すのであった。
しかし、いくら待っても三奈子からの連絡はなかった。
家に帰るまでの間も、家に着いてから部屋で休んでいる間も、夕飯を食べている間も、夕飯を終え自室で気が向かないまま机に向かっている間も、電話もメールもなかった。
時計を見れば、既に夜の十時近くになっている。ノートを見れば、勉強は1ページすら進んでいない。
祐麒は自分のことながら、三奈子からチョコレートを貰えないことにここまでショックを受けていることに驚いていた。
一年半の付き合いである。その間の二度のクリスマスともプレゼントがあったし、去年のバレンタインだって貰った。喧嘩しているわけでもないし、仲が悪くなったわけでもないし、貰えるものだと思い込んでいた。
頭を振り、ペンを置いて参考書を閉じた。疲れてもいたし、これ以上机に向かっていたところではかどるとも思えないというか、そもそも今日は何も進んでいない。祐麒は立ち上がり、気分転換でもしようかと足をひきずるようにして部屋を出た。
リビングに入ると、祐巳が何か言ってきたが、まともに頭に入らず耳をスルーしてゆく。そんな祐麒を見かねてか、祐巳はバレンタインのチョコレートを渡してきたが、正直、実の姉からのチョコレートでは感激もさほどない。
受け取り、礼は口にしたもののそれだけ。
本当に欲しかったものは、この手にないのだから。
頭を抱えるようにして唸っていると、再び祐巳が何かを差し出してきた。聞くところによると、祐巳ではない他の人から祐麒にあてたチョコレートだということで、さすがに少しは興味をひかれた。
顔を上げてみると、青いリボンのかかった、綺麗にラッピングされた物が目の前に突き出されていた。受け取ってみると、リボンの間には何やらメッセージカードが添えられている。
ひょっとすると、告白でも書かれているのか。祐巳を経由して渡ってきたということは、リリアンの女子だろうが、果たしてどんな娘なのか。祐麒も男、やっぱり女の子からチョコレートを貰うなんて考えるとどきどきする。ましてや、祐巳と母親以外の女の子からまともなチョコレートを貰うことなど、去年が初めてだったのだから。
二つ折りになっていたカードをつまみ、開いてみる。
「――――えっ」
思わず目を疑う。
書かれている文字を目で追う。
嘘だろと思い、二度、三度と読み返してみるけれど、間違いなんかではない。
「ちょ、ちょっ、ゆゆゆ祐巳っ! ここここれ、どういうことだよっ!?」
慌ただしく祐巳とカード、チョコレートと思しき箱を見比べる。
一体、どういうことなのか。祐巳の手を経由してやってくるということは、祐巳に何か話したということなのか。祐巳に知られたのか、祐巳はどう思っているのか、いやそれ以上に、三奈子は何を考えているのか。
混乱し、頭の中を様々な思考がぐるぐると踊り狂っている。
思わずソファの上に立ち上がっていたが、そんなことはどうでもいい。メッセージカードにはこう書かれていた。
"受験も終盤、最後まで全力で走りぬけよう! 駆け抜けたその先で、
両手を広げて待っています。
祐麒くんへ愛をこめて、Happy Valentine's!!
by 三奈子
P.S. "お姉ちゃん"によろしく(笑) "
「お、お、お…………!」
まさか、このメッセージカードの内容を祐巳は読んだりしたのか、と思いかけたところで、祐巳の声が耳に入ってきた。
「……でも勘違いしない方がいいよ。たまたま余っていたのを、たまたま会った私にくれただけで、実際私も同じの貰っているし」
どうやら、それは無いらしいと知って一安心。別にずっと隠していたいというわけではないのだが、なんだか気恥ずかしいのだ。
いや、そんなことを考えている場合ではない。今はこの中身を確認することが先決である。祐麒は箱を抱えてソファを飛び降り、階段を駆け上る。背後で祐巳が何やら言っていたが、そんなのは後回しである。
部屋に入り扉を閉め、もう一度、手の中にあるメッセージカードとソレを見る。間違いなく存在している。
青いリボンを解き、包装紙を剥がし、箱の蓋を開けるとそこにはちょっと不恰好なチョコレートブラウニーが転がっていた。
一目で手作りだと分かるチョコは、形こそ歪だったけれど、そんなことは全然問題ではなかった。
一つつまんで口の中に放りこんでみると、しっとりとした生地に、カリッとした胡桃の感触が歯に心地よい。適度な甘みと、胡桃の歯ざわりがまさに祐麒好みで、自惚れかもしれないが祐麒のことを考えて作ってくれたんだなと思ってしまう。
「……そうだ」
受け取ったことを伝えよう、そう思って携帯電話を取ろうとした瞬間、着信メロディが鳴り響いて思わず手を引っ込める。
だがすぐに、三奈子からの着信を告げる音楽であることに気がつき、慌てて手に取り耳にあてると。
『あ、やっほー。さすがにもう、手に渡ったかな?』
変わらぬ声、変わらぬ口調。
自然と、頬が緩んでくる。
「もう、びっくりしたじゃないですか。まさか、祐巳からなんて」
『サプライズがあった方が、刺激になるかと思ってね』
「本当、驚きましたよ」
話しながらベッドに腰を下ろし、窓から外を見る。
当たり前だが外は真っ暗だったけれど、祐麒の心には光が差し込んでいた。
『……あと、一校だね。風邪なんかひかないようにね』
「大丈夫ですよ、すげーやる気出てきたし」
『ま、気楽に全力で』
「なんすかそれ、どっちですか」
電話機を通して、笑いあう。
本命の大学の入学試験を前に、それこそが何よりのお守りだった。
おしまい