~ The story of one future ~
「さあ、おっぱいの時間でちゅよー」
満面の笑顔を浮かべながら、三奈子はまだ幼い我が子を抱え上げた。
子供が生まれてからというもの、大変な日々が続いていたけれど、ようやく落ち着いてきた。
慣れてきたというのも多分にあるけれど。とにかく、昼夜を問わず赤ん坊との戦いだった。
「はい、ちゅっちゅしましょうねー」
惜しげもなく豊かなバストをさらし、赤ん坊に吸わせる。
子供を生んだというのに三奈子のスタイルはいささかも衰えてなどない。
細い腰、張りのあるヒップ、大きくて柔らかい胸、適度に引き締まった太腿。
むしろ、子供を生んで若返ったのかと思えるくらい。
「なによー、にやにやして見て。どうしたの?」
「なんでもないよ。よく飲むなあと思って」
「育ち盛りだもんねー……って、あー、分かった!」
子供に授乳したまま、三奈子は変な笑顔を祐麒に向けた。
「やーだなー、もう、おっぱい終わったら寝ちゃうから、そしたら次は祐麒くんにたんと吸わせてあげるから」
とんでもないことを口にしてきて、祐麒は赤くなった。
「ば、馬鹿っ、別にそんなこと」
思っていなかったが、言われると急に意識し始めてしまう。
「ずっとこの子のことに手一杯で、あんまりだったもんね。そりゃ、お口で」
「ここ、こらっ。子供の前で変なこと言わないっ!」
一度意識し始めると、止まらなくなる。何せ、三奈子の体は前述の通りなのであるから。
「なにー、じゃあ、したくないの?」
「…………したいです」
あっさりと、敗北。そんな祐麒に、三奈子は頷いて。
「素直でよろしい。じゃあ今日は、たっぷりサービスしてあげるね!」
わずかに頬を赤くしながらも、明るく言い放つ三奈子。
あくまでも主導権は握られている夫婦生活なのであった。
~ The story of one future ~
留学して声楽を学び、声楽を生業として生きていこうと心に決めた。
だけどもちろん、現実はそう簡単にはいかない。声楽で生きていくなんて、本当にごく一握りだ。
留学先の先生の紹介で、幾つか小さなオペラの舞台に参加させていただいたりしたけれど、
やっぱり、他の先輩達の技術を目の前で見せ付けられると、落ち込んだりもする。
日本で、リリアンで幾ら褒め称えられても、所詮は井の中の蛙でしかなかったのだとはっきり分かる。
もちろん、それくらいで負けるつもりはない。こう見えても、かなりの負けず嫌いで頑固者なのだ。
「静さん、お、俺と正式に、結婚を前提に付き合ってください!」
プロポーズされた。
相手は、福沢祐麒くん。福沢祐巳ちゃんの実の弟さんで、実は私のペンフレンドでもあった。
少しびっくりしたけれど、想像がつかなかったわけではない。
会っていて、祐麒くんが私に対して好意を抱いているのは明らかに分かっていたから。
しかしまさか、結婚とは。
それ以上に驚いたのが、自分がさほど嫌だと思っていないこと。
確かに、祐麒くんとは何度もデートしたことがあるし、実はキスしたこともある。彼は知らないだろうけど。
だけど私は、あくまで友達的感覚での「好き」という感じであった。
ところがプロポーズされて、結婚のイメージを抱いてみても、嫌な気はしない。
私は女性しか愛せないと思っていたが、どうも今まで好きになったのが女性しかいなかったということなのか。
ちょっと心配なのは、セックスできるかどうかというところ。まあ、それはその時になって考えるとして。
目下のところ恋人はいないし、結婚を意識し祐麒くんと付き合って行くのもアリかとは思うが。
「本気なの、祐麒くん?」
「もちろんです」
「私の今の状況を知っていて?」
声楽で生きていこうと決めた私は、今がまさに売り出し中。前に出演したオペラで好評を得て注目の若手なのだ。
若くて美しいというところで、マスコミがアイドル化しようとしてるのが感じられるのが、ちょっと嫌だが。
「恋人がいるなんて知られたら、人気が落ちちゃうかしら」
マスコミが作り上げた人気なんていらないけれど、仕事が減ってしまうのは困るかもしれない。
「そうならないためには、どうしたらいいかしらね」
わざと挑発的な目で、祐麒くんを見つめると、彼はわずかに身震いした。
本当は別に構わないのだけれど、さて。
……何しろ私は、他の人のイメージ以上に、意地悪なのだから。
~ The story of one future ~
仕事を終えて、自分の部屋に帰る。
一人暮らしをするようになってからもう何年か、すっかり慣れた道筋、気持ち。
このところめっきり冷え込んできている。また、クリスマスなんて日が近づいてくる。
「あーあ、クリスマスなんて、来なければいいのに」
呟きながら部屋の扉を開けると。
「え……なんで?」
明かりがついていた。部屋を出るときに、消し忘れたのだろうかと訝しがりながら中に入ると。
「お帰りなさい、聖さん」
待ち受けている人が、一人。ソファに座って、私のことを見ている。
「なんで、祐麒がここにいるのさ」
「聖さん、この前俺に鍵を貸したままだったの、忘れてるでしょ?」
そう言いながら笑い、鍵を揺らしてみせる祐麒。
だから、この前から鍵が一つ足りなかったのか。失くしたのであれば鍵を変えようと思っていたところだった。
「ほら、それじゃ返しなさい」
手を伸ばしたが、鍵に触れる前に祐麒の手が離れる。どういうことかと祐麒を見つめると、祐麒は立ち上がる。
「ねえ聖さん、この鍵、俺にくれませんか?」近づきながら、そんなことを言ってくる。
「はあ? なんで祐麒に」
「そうしたら俺、この部屋で聖さんが帰ってくるの待てますから。聖さんてほら、寂しがりやじゃないですか?」
「なっ……?」
思いもしなかった言葉に、不覚にも顔が熱くなった。そんな私の隙を見逃さず、祐麒は私の腰を抱きしめてきた。
「馬鹿、何、調子にのってるの」
慌てて胸を押し返す。祐麒も必要以上に強引にはしてこなかった。
「全く、祐麒もいつの間にかスレちゃって。昔は素直で可愛かったのに」
唇を尖らして見せるが、祐麒は薄く笑っているだけ。本当に、昔は純情少年だったのに。
私は一つ息を吐き出してから、上目遣いで祐麒の首に腕を絡めた。胸をぐいと、押し付ける。
途端に真っ赤になる祐麒。やっぱり、この辺は昔から変わらない。
「しょーがない、それじゃクリスマスの日なら、いいよ」
すっかり私も甘くなったもんだなと思いながら、祐麒に甘えるのもどこか心地よく感じるのだった。
~ The story of one future ~
祐巳が満面の笑顔で見つめてきている。
一方の瞳子はといえば、怒ったような、照れたような顔をして横を向いている。
まあこの場合、恥しいのだろうけれど。
「な、何がそんなにおかしいのですか、お姉さま。にやにやして」
「えー、おかしいんじゃなくて嬉しいんだよ。それに、にこにこしているの」
「同じようなものです」
もちろん祐麒も照れくさいことに変わりはないけれど、瞳子ほどではないだろう。
「だって、瞳子が本当の『妹』になるんだもん。やっぱり嬉しいよ」
「べ、べ、べ、別にまだ、そうなると決まったわけでは」
「えー、じゃあ何、祐麒と別れるかもしれないってこと?」
「そんなことあるわけないじゃないですか!」
「じゃあ、いいじゃない。別れないんだったら、そのうちに……ってことでしょう?」
「うぅ……」
真っ赤になる瞳子。
付き合ってから分かったけれど、瞳子は演技は上手いけれど、素直すぎる部分もある。
そういうところがとても可愛いと思うのだけれど、本人の思いとはまた別のようで。
「ちょっと、祐麒さんまでなんで笑ってるんですかっ」
「いや、俺も瞳子が祐巳の本当の妹になってくれたら嬉しいなって」
「な、なっ、なんっ、そそそそれって、あ」
耳まで真っ赤にして、忙しなく動く姿がまた可愛いな、などと思いながら見ていると。
「ちょっと祐麒、そういうことはちゃんと言わないと駄目よ。しかも私がいるところでなんて」
「え、そういうことって?」
「だって、今のってプロポーズでしょう?」
「え?」
そこで冷静に自分の言葉を思い出し……その意味を考え、祐麒もまた真っ赤になった。
「あははっ、おめでとう、二人とも」
真っ赤になった二人を、祐巳だけが満面の笑顔で見守っているのであった。
~ The story of one future ~
残業を終え、暗い夜の帰り道。
祐麒と乃梨子は肩を並べて歩いていた。
「……いい? あくまで私と祐麒は、たまたまマンションの部屋が隣なだけだったんだからね」
「分かってるよ」
「本当に、偶然なんだからね」
「だから分かってるって。瞳子ちゃんと可南子ちゃんだろ?」
元々祐麒が住んでいたマンションに丁度空き部屋ができたので、乃梨子の会社で借り上げて社員の部屋とした。
そこに、乃梨子たちが入ってきたというわけだが、その部屋を借りたのは誰あろう乃梨子自身であった。
「二部屋なんてもったいないんだけどなぁ」
「駄目よ、同棲なんて、部下に示しがつかないじゃない!」
そう言いながらも、しばしば祐麒の部屋に泊まることになる乃梨子。
朝早くに起きて、朝食の支度をして、そして自分の部屋に戻ってから出社しているのである。
それもこれも、すぐ側に住んでいる瞳子と可南子の目を欺くため。
「すごいさ、無理がある気がするんだけど?」
「無理でも何でも、私はそんな生活をしているなんて知られるわけにはいかないのよ」
「だったら、無理に社員の部屋にうちのマンションをあてがうなんてしなければいいのに」
「……だってそうしたら、私も祐麒の側にいられないじゃない」
怒ったように言う乃梨子が、とても愛らしく祐麒には感じられるが、そんなこと表には出さない。
「なによ、私が側にいないと祐麒が寂しいと思うから、居てあげてるんじゃない。私がいなくてもいいの?」
「いや、それは」
「大体祐麒なんて、私がいないと何も出来ないじゃない。いいわ、今日はみっちりそれを分からせてあげる」
「あのさ、乃梨子」
「いいからさっさと鍵開けなさいよ。誰かに見られたらどうするの」
乃梨子に急かされるように部屋の扉を開け、二人は部屋の中に姿を消した。
扉が閉じるとほぼ同時に、奥の部屋の扉が開く。顔を出したのは、瞳子と可南子。
「……今日も、お泊まりですかね」
「そうでしょう。これで三日連続ですわね。全く、本当にバレてないと思っているのかしら……」