「ああああああああああーっ」
自室に戻ってコートを脱ぐと、乃梨子は声にならない声をあげてベッドにダイブした。
じたばたと足を動かす。
だけど、そんなことをしたって忘れられない。
「…………」
そっと、唇に指で触れる。
あの時、確かに触れたのだ。
「いや、あれは事故よ、事故!」
自分に言い聞かせるようにして身を起こして着替え始める。
「そもそもあんなの、ただの粘膜同士の接触だしね!」<br>
あえて口に出して言うことで、自らを納得させようとした乃梨子だったが。
「…………っ」
かぁっ、と頬が熱くなる。
「ね、粘膜同士の接触…………」
発した言葉がどこか卑猥に感じられてしまう。
そこから変な方向に発想が飛んでいく。
「って、ちがうちがうっ、変なこと考えないっ! さっさと着替えて落ち着こう!」
考えようとするからおかしな方向にいってしまうのだ。
心を無にして着替えに集中する。
服が変われば気持ちも変わる。
パーティで着ていた部屋から部屋着に変わったことで、お家モードになるわけだ。
「よしっ……と」
着替え終えたところで電話の着信があった。
画面を見るとそこには祐麒の名前が表示されていた。
忘れようとしていたのに思い出してしまう。
恐らく、別れ際に投げつけてきたアレのお礼でも伝えるために電話をかけて来たのだろうと予測する。
出たくないような、でも気付いていて出ないのは負けなような気がして画面をタップして。
「…………はい」
『あ、二条さん、俺だけど……ってぇぇぇぇっ!?』
「な、なんですか、いきなり絶叫して」
『ちょっ、え、あっ、に、二条さん可愛い……!!』
「は、はぁ!? な、何をいきなりトチ狂ったんですかっ」
思いがけない祐麒の言葉に乃梨子も焦る。
電話するなり口説いてくるなんて、そんな人だったろうか。
いやいや、こんなナンパなこと言ってくるのを信じてはいけない。
『いや、だって二条さん、ネコ耳……っ』
「え……あ、ああっ!?」
頭に手をあて、そこにあるふわふわとした手触りに愕然とする。
心を無にして着替えをしていたら、いつの間にかネコ耳まで装着してしまっていたようだ。
そして祐麒とはビデオ通話で、思い切り見られてしまっているというわけだった。
『二条さん、そんなに気に入って……いや、滅茶苦茶似合って可愛いよ!』
祐麒もあまりのことにテンションが変になっているようだった。
「ち、ちがうんですこれはっ!」
慌てて外そうとするが。
『待って二条さん、それはまずい、止まって!』
「え、な、何がですか」
強い口調で言われて思わず頭に手を置いた状態で動きを止めると。
『………………』
「……な、なんですか」
真剣な表情で口を噤んでいる祐麒を見て、思わず唾を飲み込む。
なんだ。
何があったのだ。
『……いや、目に焼き付けておこうかと……あ、ろ、録画していい?』
「ななな、何を言っているんですか、駄目に決まっているじゃないですか!」
『そこをなんとか!』
「い、嫌ですよ!」
『じゃあせめて一枚だけ撮影を!』
「いや、だから」
『 頼む、お願いですから! そもそもその格好をして通話に出たのは二条さんの方で二条さんに責任があるはずじゃない!?』
「うううぅ、わ、分かりました、後で自撮りして送りますから、それでいいですよねっ」
『やった! ありがとう!』
「もー、それだけですかっ!?」
『あ……いや、プレゼントありがとう。それが言いたくて』
「っ……」
乃梨子が何かを口にする前に、照れた表情を隠すように通話は切れてしまった。
「な……」
祐麒が消えた画面を見つめながら。
乃梨子は改めて、別に自撮りする必要もないのに約束してしまった自身の発言を悔いてベッドに顔を埋めた。
後日。
絶対に誰にも見せないこと、ネットなどにあげないこと、など諸々10項の条件に合意させたうえで、乃梨子はネコ耳自撮り画像を祐麒に送ったのであった。