夏休みは終わったけれど残暑もまだまだ厳しい九月。とはいうものの、さすがに朝晩は少し涼しくなってきた九月の下旬。俺は、未だ慣れぬ『リリアン女学園』の敷地内をふらふらと歩いていた。
「あ、あの、ユウキお姉さまっ」
「はい?」
いきなり呼ばれて振り返ってみると、一年生らしき女の子三人組が、おどおどしながらこちらを見ていた。
「あああああの、ここここれっ、今日の家庭科で作ったクッキーですっ。よ、よ、よろしかったら、貰っていただけないでしょうかっ」
俯いて顔を真っ赤にして、可愛らしい包みを差し出してくる。ちょっと驚き、内心ではため息をつきながら、それでも頑張って笑顔を浮かべる。
「ありがとう、いただくね」
ここで変に断ってしまう方が面倒くさいことを知っているので、素直に手を伸ばして包みを受け取る。その際、ちょん、と女の子の手に触れてしまった。女の子は体をびくっと震わせ、更に首の方まで真っ赤にして、俺を見つめてくる。女の子になど見られ慣れていないが、目をそらすのは失礼だと思い、見つめ返すと。
「あああああありがとうございますっ、し、失礼しますっ!」
物凄い勢いで、それこそ膝におでこがくっつくんじゃないかと思うくらいに頭を下げると、女の子達は逃げるように去っていく。とはいってもお嬢様学校、走るわけでもなくちょっと早足で、くらいだけれど。
「ど、どうしよう、ユウキお姉さまの指に触れてしまいましたっ」
「あ、カナエさん羨ましいっ」
「ユウキお姉さまの笑顔、素敵ですわねやっぱり!」
きゃあきゃあと、俺に聞こえるような声で騒ぎながら去っていく姿を、苦笑しながら見送る。
全く、なんでこんなことになっているのかと、何度考えたことだろう。
「凄い人気ですね、私達が修学旅行に行っている間に、またどんなことをしたんですか?」
「わっ!? ……と、び、びっくりさせないでよ、志摩子さん」
いつの間にそこにいたのか、桜並木の影から藤堂志摩子さんが姿を現し、くすくすと上品な笑みを浮かべながら近づいてくる。何度見ても、女神のような美しさだなぁと、見惚れてしまいそうになる。
「今やすっかり、リリアンのアイドルね」
「や、やめてよ、そんな」
しかし、この志摩子さんが曲者だということを知っている俺は、どうにか誤魔化そうと貰ったばかりの包みを開いてクッキーを口に運ぶ。
「でも本当に残念。一緒に修学旅行に行けたら、是非ユウキさんと同じ部屋になりたかったのに……そうしたら一晩中、お互いのことを知りあうことができたのに。それはもう、隅から隅まで」
怪しげな言葉を呟く志摩子さんに、怖気を覚える。
「あ、こ、このクッキー美味しいよ。よかったら志摩子さんも一枚、どう?」
焦りながら、話をそらすようにそう言うと。
「それじゃあ、せっかくだからいただこうかしら」
「……え?」
志摩子さんが身を寄せてきたと思うと、俺が口にくわえているクッキーを、反対側から小さな桜色の唇で挟んだ。大きめのクッキーとはいえ、せいぜい数センチしかないわけで、そんな間近に志摩子さんの顔が迫る。いやそれ以上に、あとちょっと進めば唇同士が触れ合うような距離なわけで。
「うわわっ!?」
驚きつつクッキーを噛んで割って、身を離す。
「――本当、美味しい。あらユウキさんどうしたの、お顔、真っ赤」
「な、な、なんでもないですっ。あ、わ、私、ちょっと約束があるんで、それじゃあっ!」
軽く手を上げ、志摩子さんから逃げ出す。
後ろから志摩子さんが何か言っているが、聞かないことにする。
夏休みの最後の日、薬を飲んで再び女の体になった俺。当然、花寺になど登校できるわけもないが、いつ男に戻るともしれない状態で学校を休み続けるわけにもいかない。三年生になれば大学受験もあるわけで、勉学だっておろそかに出来ない。どうしようか困っていたところ、何をどうしたのか分からないが両親がリリアンへの編入手続きを済ませたのでリリアンへ通え、などと言って来た。悩んだ俺だったが、他に選択肢もないわけで、九月の途中からこうしてリリアンに通い始めたわけである。『野口ユウキ』として。
一方で花寺学院の方では、『福沢祐麒』は休学扱いになっている。こちらも、両親が何かと手続きやらを済ませてくれた。本当、どんなコネを持っているのか。
小林や高田、優といったところからは色々と連絡があったようだが、それに受けられるわけもなく、やっぱり両親が何やら説明をしてくれた。唯一、アリスだけには説明をしている。
まあ、そんなこんなでリリアン女学園に通うこととなり、志摩子さんと同じクラスになったわけだ。いつ男に戻ってもいいように、学園生活は平穏無事に、目立つことなく、ひっそりと雑草のように生活しようと思っていたのだが。
編入後に開催された体育祭で、ちょうど体調不良で休んだ生徒の代わりに出場した種目で派手な活躍をしてしまい、いきなり注目を浴びてしまった。障害物競走、リレーでのごぼう抜きなどしなければよかった。それだけではなく、体育のマラソンでもトップ。おまけに男であるときの癖が抜けてないので、校舎内、敷地内と所構わずよく走っては教師や三年生にお叱りを受けてと、そんなところでも目立ったりして、陰では『疾風の君』なんていう変な通り名までついているとかいないとか。
「ちょっと貴女、待ちなさい。学校内で走るなんてはしたないわよ」
今も早速、志摩子さんから逃げて走っているところを三年生らしき女子に呼びとめられてしまった。無視するわけにもいかないので、慌てて立ち止まる。
「あ、と、と、すみませんっ」
ぺこりと頭を下げる。目の前には二人組の、やっぱり三年生の女子生徒。二人は、やんわりと俺に注意をした後で、「ほら、走っていたからタイが乱れているわよ」、「髪の毛もぼさぼさじゃない」とか言いながら、俺の身だしなみを整え始める。女子からの、それも年上の先輩からのスキンシップになど慣れていない俺は、細く柔らかな手が俺に触れてくるたびにドギマギしてしまう。
やけに丁寧に時間をかけて身だしなみを直されてようやく解放されたが、歩き出した俺の後方からは、「やーん、ユウキちゃんを注意しちゃった、今日はラッキーだわ」、「やっぱり可愛いわねユウキちゃん」、なんていう会話が聞こえてきて身震いする。
体育祭だけではない。
修学旅行にはさすがにタイミング的に間に合わず、留守番することになった。その間、リリアンの学習範囲に追いつこうと、登校して図書室で勉強をしていたのだが。
学園内に侵入して一年生女子に淫らな行為をしようとした変質者の撃退劇を演じたり、寝ぼけて三年生の教室に登校したり、二年生がいないので助っ人を頼まれたソフトボール部の練習試合で色々あったり、とにかく目立ちまくってしまったようなのだ。
「ユウキお姉さまっ」
「わっ……って、なんだ、可南子ちゃんか」
身構えて振り向くと、可南子ちゃんが可笑しそうにくすくすと笑いながら俺のことを見ていた。
「もう、すっかりモテモテね、ユウキお姉さま」
「うー、やめて、『お姉さま』と呼ばれるだけでも嫌なのに、可南子ちゃんまでさー」
「だって仕方ないじゃない、私の方が下級生なんだから」
「それじゃ、さっさと学校から出よう。なんでこんなことになるのかなー」
「ユウキお姉さま、モテフェロモンを出しすぎなのよ。何せ『疾風の君』ですからね」
「やめてー」
女の子にモテるというのは、男からしてみれば夢なのであるが、モテている俺自身がまた女だというのが素直に喜べない。しかも、これだけ学園内で有名になってしまうと、男に戻れたとして簡単にリリアンから抜け出せるだろうかと不安になる。
更にもう一つ、男に戻れたときの不安要素がある。
それは何かといえば。
「ね、ユウキお姉さま」
「だから、その呼び方はやめてって……んんっ」
顔をしかめつつ可南子ちゃんに顔を向けると、ごく自然に顔を寄せてきた可南子ちゃんに唇を塞がれた。目を丸くし、慌てて振りほどこうとするが、可南子ちゃんにがっしりホールドされて、おまけにとろけるくらい気持ち良いもんだから力も入らず抵抗ができない。
「ん、ふっ……」
俺の体は木にもたれかかり、挟むようにして可南子ちゃんが抱きついてくる。可南子ちゃんの胸が俺の胸を押し潰す。そうしながら可南子ちゃんはもぞもぞと動き、自分の胸で俺の胸を刺激してくる。可南子ちゃんのおっぱいの柔らかさ、圧迫される苦しさと同時に感じられる息苦しい心地よさ、更に敏感な部分が刺激されて発生する、電気が走るような痺れにも似た快感。正直、腰砕けになる。
「ユウキちゃん」
一旦、口が離れる。
上気した頬、とろけた目で見つめてくる可南子ちゃん。
そして。
ピーーーーーーッ、と、甲高い笛の音。
「ちょっとそこっ、何やってんですかっ。エロっ、可南子さんのエローっ!」
なぜか笛を首からぶら下げた菜々ちゃんが、両手を腰にあてて睨みつけてきていた。
「もう、菜々ちゃんったら、また私とユウキちゃんの邪魔するのっ?」
「じゃ、邪魔って、大体学園内で何、堂々と破廉恥行為に及んでいるんですかっ」
駆けつけてきた菜々ちゃんが、俺と可南子ちゃんの体の間に割って入ってきて距離を取らせる。
「それじゃあユウキちゃん、私の部屋で続きを」
「そーゆーことじゃありませんっ!」
小さい体全体で憤りを表現する菜々ちゃん。あまり感情を表に出さない菜々ちゃんだけれど、最近はこうして色々と出してくれて、それがまた可愛いのだが本人に言うとなぜか怒るので口にはしない。
「ゆ、ゆ、ユウキさんは、わた、わたしのですからっ」
真っ赤になりながら言った菜々ちゃんは、そのまま俺にジャンプして飛びついてきて、首にぶら下がり。
「ちょっ、菜々ちゃ、ンッ」
強引にキスされる。
ついでに胸も揉まれる。あの夜、俺の弱点を掴んだのか、菜々ちゃんは的確に俺の感じやすい部分を攻めてくる。
「こら菜々ちゃんっ、菜々ちゃんこそエロっ! それにずるいっ、菜々ちゃんはユウキちゃんとはもうえっちなことしたんだから自粛しなさいっ」
「ふにゃーーーっ!」
後ろから羽交い絞めにして菜々ちゃんを引き剥がす可南子ちゃん。菜々ちゃんは可南子ちゃんの腕の中でじたばたしている。
信じられないことだが、なんと可南子ちゃんは俺のことが好きだと告げてきて、以来、積極的に俺の貞操を奪おうとしてくる。
更に信じられないことに、なぜか菜々ちゃんまで対抗心むき出しになって、俺のことを好きだと言っている。
二人の美少女に好かれ、奪い合われているという、まるで夢ではないかというようなシチュエーションだが、素直に喜べないのはどちらも女の俺を好きで奪い合っているから。菜々ちゃんなどは、本当は俺が男だと知っているくせに、女の俺のことを好きだと言っている。
正直、訳が分からないのだが、ここまで女としての『ユウキ』に対して強い想いを持たれてしまうと、もし男に戻れたとして『ユウキ』をそう簡単に捨てられなくなってしまう。なので、出来る限り『ユウキ』としては距離を置きたいところなのだけど、可南子ちゃんのことは最初から一目ぼれに近く好きだし、菜々ちゃんのことも女体化のことで色々と世話になっているうちに好きになっていて、どちらも切り捨てるなんて出来るわけがなくて。
菜々ちゃんなんかは、「いっそこのままずっと女の子でいたらいいんじゃないですか? 私も、どちらかといえばその方が……」などと顔を赤らめながらぼそっと言ってくる始末。
女になった途端、なんでこんなに女の子にモテルのか。どうせだったら、男の時にこんな状況になりたかった。
「――ふぅ、ほら可南子ちゃんも菜々ちゃんも、仲良くしようよ。そんな風にしていないで、やっぱり三人で仲良くしようよ」
別に仲が悪くなったわけではない。ただ、一緒にいるとき、俺のことで争うことが増えた。それも、本気で空気が険悪になるようなものではない。
「……だって、菜々ちゃん。どうする?」
「むーっ……ま、まあユウキさんが言うなら」
「そうね、私も菜々ちゃんなら……仕方ないかなって」
「そ、それじゃあ、前から話していた通りに……」
猫が引っ掻き合うように喧嘩(?)していた二人だったが、なぜかいきなり動きが止まり、二人でごにょごにょと言い合い始めた。
「え、あの、どうしたの二人とも。何が」
なんだか嫌な予感がして、交互に二人の顔を見る。
可南子ちゃんは微妙な笑顔を浮かべながら、菜々ちゃんは拗ねた様な顔をしつつ、俺の左右の腕を取る。
二人の胸が肘に押し付けられて、それはとても良いのだけれど、身動きが取れないということでもあって。
「私も菜々ちゃんも、どちらも譲らないだろうからね、それでユウキちゃんも私達二人のことを決めきれないなら……ううん、私達二人を選んだとしたら、その選択を受け入れようって、前に菜々ちゃんと話しあったの」
「え、えっ!? どど、どういうこと?」
「だから、その、ユウキさんは私と可南子さん、二人同等に権利を有しているということで、えー」
「三人で、っていうのもアリかなと」
目が点になる。
菜々ちゃんを見る。真っ赤になって、目をそらされた。
「いやいやいやいやっ、なに言ってんの二人ともっ!? うええっ!?」
「三人で仲良くシようって言ったじゃない、ユウキちゃん」
「え、言ったけど、なんか意味違くない!?」
「あ、ちなみに仲良くするのはいいけれど、ユウキちゃんの初めてはどちらか一人だけなんだよねー。私、ユウキちゃんの初めてがいいっ」
「ず、ずるいです可南子さんっ」
「だって菜々ちゃん、抜け駆けしてるしいいじゃない。あ、そうだいいこと思いついた。それじゃあ菜々ちゃんは後ろの初めてをもらうってのはどう? ほら、BL好きとしても」
「そっ……それは……た、確かにまあ、あれは本当に気持ち良いものなのか興味がないわけでもないというか、良い作品を作るにあたってはリアル感を知っておくのは必要なこととも思いますし」
「えっ、ちょっと、菜々ちゃん何顔を赤くしてるのっ!? てか何を言っているの!? 菜々ちゃんのBL好きってネタじゃないの!? そもそも言っていることおかしくない二人ともっ!?」
「だ……大丈夫です、ユウキさんにだけ不安な思いはさせません。その際は、その、そっ、双方向のヤツで私も……」
「私は指で……」
「かっ、可南子ちゃん菜々ちゃんっ!? や、ちょっと、やあのやあの~っ!!」
じたばたもがいても、体格の良い可南子ちゃん、剣道で鍛えられて意外と力のある菜々ちゃんからは逃れられず、悲鳴だけがこだまする。
果たして、本当に男に戻れるのか。
男に戻れたとして、女としての現状を捨ておけるのか、右も左も分からない、一歩先も見えない状況で。
「あっ、ユウキちゃん、逃げたっ!」
「ユウキさん、わ、私にここまでさせておいて、逃げるんですかっ!?」
「そんなこと言ったってーーーー!!」
刺激的すぎる生活はいつまで続くのか、またいつ終わるのか、全く予想がつかないまま。
俺はリリアンの敷地内を、疾風の如く駆けるのであった。
おしまい