<前編>
「……これは一体、どういうことなのかしら?」冷たい瞳で言い捨てる瞑子。
「私に聞かれましても」何とも言えない様な表情をするゆかり。
「…………」無言で、道端を歩いている猫を見つめている炎雪。
「ダブルデートよ、楽しそうじゃない」一人、はしゃいでいる槙。
土曜日の昼下がり、不思議な四人が街中に集っていた。いや、槙とゆかり、瞑子と炎雪はそれぞれ刃友同士であり、ダブルデートの組み合わせとして見た目にはおかしくない。だが実際には、ゆかりと瞑子、槙と炎雪というカップリングなのだ。
「なんで私が、こんな茶番につきあわなければいけないのかしら」
腕を組み、不機嫌そうに言う瞑子だが、槙は穏やかな表情を変えることはない。
「ごめんなさい氷室さん、やっぱりゆかりと二人きりの方が良かったかしら?」
「な、何を言うのっ。私はそもそも、来たくもなかったのに」
表情を隠すように眼鏡のフレームに手をあて、顔を背ける。
「またそんなこと言って、そんな可愛らしい洋服で気合い入っているくせに。それ、この前ゆかりと一緒に購入したものでしょう?」
「な、ななっ、なんでそんなことっ! そ、染谷さん、あなた」
「し、仕方ないじゃないですか、先輩、話すまでしつっこいんですからっ」
オフホワイトのカットソーと裾フリルペチスカート、その上から花柄キャミワンピースを重ね、更に上着としてカーディガンを着ている。確かに、瞑子が自分ではまず選ばなさそうなフェミニンなコーディネートである。
一方、横に並ぶゆかりは黒系チェック柄ネルシャツ風チュニックにベージュのフェイクファーベスト、ネイビーのストレートパンツ。
「ちなみに、スゥちゃんのコーディネートは、私がしましたっ」
得意げに宣言する槙だが、炎雪は無関心なように周囲をキョロキョロと見まわしている。
キャラクターもののシャツのウエスト部分にはベルトを巻き、パーカを羽織っている。ボトムスは意表をついて三段ティアードのひらひらミニスカート、そしてスニーカー。
「なんで炎雪にミニスカートを?」
「だってスゥちゃんに可愛い格好をしてもらいたかったからー。スゥちゃん、すっごい脚も綺麗だし、あと、パンツルックだと自由気ままに動くから。ミニスカートだったら、下着が見えるのを気にすると思ったんだけど……そうでもないのかな。ま、まぁ、見ているのが私だけならそれでもいいんだけれど」
頬を両手で抑え、嬉しそうに話す槙は、カットソーにロングカーデ、ブラックの裾レース使いペチパンツにブーツ。
どちらかというと野性的なコンビの方がいずれもスカートで、反対にゆかりと槙の方が二人ともパンツというのが、意外なところであろう。
「最近、ゆかりと氷室さん、よくデートしているようだし、仲良しでいいじゃない。私もスゥちゃんとラブ度を上げたいし、ここはお互い刃友同士がフォローしあって、お互いの新密度を増していきましょう、という私の意図が」
「ちょちょ、ちょっと待って。別に私と染谷さんはそんな関係じゃ」
「えーっ、そうなんですか? でも先日もキスしたってゆかりから報告が」
「あ、あれだってまだ八回目のキスだし!」
「氷室さんっ、それ先輩のブラフですから。そこまでは私も話していないのにっ」
「えっ……」
あちゃーっ、ていう感じに頭を抑えるゆかり、にこにこと見つめてくる槙を視界にとらえて、瞑子も失言を悟った。首のあたりから、徐々に顔の方に赤みが増してくる。
「ふむふむ、ゆかりと氷室さんはキス八回と……ていうか氷室さん、ちゃんとキスの回数、記憶しているのね」
「な、何メモしているんですかっ!?」
「冗談よ、さ、そろそろ出発しましょう」
結局、終始槙のペースでダブルデートは始まる。槙は、目を離すとふらふらとどこかへ行ってしまいそうな炎雪の手を握り、引っ張るようにして歩き出す。そんな二人の姿を、いみじくも瞑子、ゆかりが同時に見る。
そして、視線をあわせ。
「な、なんですか?」
「別に、そちらこそ、何よ?」
なかなか素直でない二人であった。
デートの行先は水族館。炎雪が魚好きだということ、瞑子自身もこの手の静かな場所の方が好みということもあり、選択された。
「スゥちゃん、スゥちゃん、あんまりケースにひっつかないの」
水槽にぴったりと張り付き、獲物を狙うような目で中を泳ぐ魚を見つめている炎雪。
『槙、これは食べられないのか?』
「食べちゃダメよ、観賞用なんだから。ほら、綺麗でしょう」
炎雪が無茶な行動を起こさないよう、必ず手をつないでいる槙。
「先輩、中国語、わかるんですか?」
「少しね。スゥちゃんとお付き合いするなら、やっぱり覚えないとね。そんなことよりゆかり、氷室さんの相手をしてあげないと、拗ねているじゃない」
「そ、そう……ですか?」
「そうよ、ほらほら、行きなさい」
横を見ると、一人離れた場所で別の水槽を眺めている瞑子の姿が入る。槙の声に押されるようにして、瞑子の方に近づいていく。
瞑子が見入っているのは、タコの水槽だった。なぜにタコ、と思いもしたが、静かに隣に立って水槽の中を見る。タコは、身動きせずに水槽の底にぐにゃりとしている。
「……面白いですか?」
「面白いわ」
何が面白いのかよくわからないが、一緒に眺める。瞑子と共に行動していると、たまにこうして良く分からないことがある。
しばらく並んでタコを見ていたが、ふと周りを見ると、槙と炎雪が次のエリアに移動しようというところだった。
「私たちもそろそろ行きましょう」
声をかけるが、聞こえているのかいないのか、瞑子は動こうとしない。
「ほら」
手を伸ばす。
瞑子の手首に触れると、初めてゆかりの存在に気がついたかのように、びくりと反応する。ゆかりは左右を見回し、槙達の姿が同じエリア内にないことを確認すると、瞑子の手を握った。
「ほら、行きますよ」
「え、ええ」
あくまで瞑子を先導するという体で、手をつないで歩いていく。瞑子も、わずかに躊躇したが、とりあえず素直についてくる。
次のエリアに到着するまでの、ほんの数メートルの距離だけ、二人は手をつないで歩いてゆく。
「ゆかりー? あ、ついてきていた」
「はい、すみません」
隣のエリアの境目のところから槙が顔をのぞかせてきて、慌てて繋いでいた手を離す。
「あららら?」
「な、なんですかっ?」
「ううん、なんでもない。ほら、行きましょう、次は色鮮やかなお魚さんたちで、すごい見応えあるわよ」
様々な海洋生物を見て、アザラシの可愛らしさに歓声をあげ、グロテスクな深海魚を目にしても可愛いと言い、大体が槙のハイテンションに引っ張られる形でデートは進行していった。
盛り上げるためにテンションを上げているのかと思いきや、槙は基本的に天然だ。自分の好きなこと、興味深いことになると、人が変わったように目を輝かせるのだ。
今は、お土産コーナーでアザラシの縫いぐるみを炎雪にプレゼントしてはしゃいでいる。炎雪は、与えられたぬいぐるみを不思議そうに見つめている。立ち合うと凶暴な炎雪だが、こうして見ていると、動物的な可愛らしさが見えなくもない……気がする。少なくとも槙は、そう感じているのだろう。
「上条さんも、物好きね」
「先輩の趣味は私も時々、わからなくなります」
槙と炎雪がじゃれあっているのを眺めていた瞑子に、ゆかりも苦笑で応じる。
「ゆかり、氷室さん、これ可愛いっ。あなた達にもプレゼントしてあげるねっ」
良く分からない小さなぬいぐるみを掲げて、ゆかり達に嬉しそうに声をかけてくる槙。瞑子は、ため息を吐き出す。
「素直に受け取った方がいいですよ、しつこいですから」
「……そのようね」
「ちょっと、二人して何か変なこと言っているでしょー」
文句を言う槙の方に向かって歩き出す。遅れて、仕方なさそうに瞑子も続く。
お土産を購入して水族館を出ると、夕暮れ時になっていたが、帰らなければならないほど遅い時間にはなっていなかった。槙と二人で相談して、天地寮に帰るまでの乗り換えの駅に併設されているショッピングモールに寄っていくことにした(瞑子と炎雪は相談しても、何も決めてくれないのだ)
ショッピングモールに到着すると、槙はなぜかランジェリーショップに真っ先に向かった。そして、嬉々として炎雪のための下着を見つくろい始める。
「な、なんで先輩が炎雪の下着を見るんですか?」
「だってスゥちゃん、自分だとおんなじのしか買わないんだもん。それも、可愛くないやつを」
『……身につけられれば、問題ない』
「だから、そんなんじゃ駄目だって。女の子なんだし、スゥちゃんスタイル良いんだから、こう可愛いのとか、セクシーなのとか、選ばないと」
「……このところ、炎雪の下着が随分とカラフルになっているのは、上条さんのせいだったというわけね」
「な、なんで氷室さんがスゥちゃんの下着事情を知っているの!?」
「炎雪はそういうところ無頓着だから、私の目なんか気にしないで着替えするから」
「うぅ、羨ましすぎる……」
心底、悔しそうな顔をする槙。
「ま、まあいいわ、ほらスゥちゃん、試着しましょう。こ、この縞々なんかどうかしら」
「……先輩、涎、垂れてます」
呆れつつ、せっかくなのでゆかりも自分用の下着を見て回る。ゆかりは派手好きではないが、それでもやはり中学三年の女の子、どちらかといえば可愛い下着を好む。あの綾那でさえパステルカラーが多いらしいので、この辺はやはり皆、同じなのだろう。
手に取った水色の下着を見つつ、気になる相手を横目で見る。果たして、どんな下着を普段は身につけているのだろうか。イメージ的には黒とか紫の感じがするが、どうであろうか。
「って、ちょ、ちょっと氷室さん、そんなの駄目ですよっ」
「え、何よ、染谷さん」
瞑子が手にしていたのは、飾り気のない機能的な、どちらかというとスポーツブラに近いようなもの。
「動きやすいものの方がいいでしょう」
「そうかもしれませんが、オフの日くらいはいいでしょう。もう、そうですね、氷室さんに似合いそうなのは……」
綾那と違い、ゆかりはファッションにはそれなりにうるさい。なので、ついムキになって選び始めてしまった。そんなゆかりに、槙がこっそり近づいてきて耳打ちする。
「ゆかり、ゆかり」
「なんですか、先輩」
「あのね、自分が脱がせるシーンをイメージして選ぶといいわよ」
「なっ……ちょ、先輩っ」
文句を口にする前に、槙は逃げるようにして炎雪の方に行ってしまった。「もうっ……」などと呟きながら、改めて下着を選ぼうとするが、今の槙の言葉が邪魔をしてきて、瞑子が身につけた姿を想像してしまう。
瞑子は背が高く、スレンダーで胸は大きくない。クールな雰囲気だからやはり大人っぽいものか、いやあえてキュートなものにするというのはどうか。可愛らしい下着に恥じらっている瞑子の姿を妄想すると、鼻血が出そうになる。
「こ、これなんか、どうですか」
瞑子のイメージを損なわないよう黒をベースとしているが、ピンクのハートプリントで愛らしさを出し、さらに胸元のビッグリボンとショーツのサイドリボンでキュートさをアップ。
「こんなの、嫌よ。大体、布地面積が小さいじゃない」
頬を朱に染めて拒否する瞑子。
だが、恥しがる姿が余計にゆかりの煩悩を刺激することに、本人は気がついていない。
「じゃ、じゃあ、こっちのなんかは」
「いいから、なんで染谷さんがそんなに積極的になっているのよ。大体私、買うつもりないから」
「それなら、わ、私が買ってプレゼントしますからっ」
「な、なんで貴女にプレゼントされなければいけないの。受ける理由なんて、ないわ」
「この前のデートのコンサートチケットのお礼です、それならいいでしょう?」
「ちょっと、なっ、なんなの」
圧倒される瞑子。
なんだかんだいって、この辺の妙な押しの強さは、親友である槙と相通じるところがあるゆかりであった。
半ば強引に瞑子のための下着を購入し、幾つかお店を冷やかし、ショッピングモール内のフードコートで夕食をとる。きちんとした店に入ろうともしたのだが、炎雪がマナーを守れないだろうということで、フードコートに落ち着いた。
炎雪は殆ど喋らないが、瞑子は話を振れば返事くらいはしてくれるので、適度に会話を交わしながら食事をすませ、帰途につく。
そうして、寮の前に到着したところで。
「えーっと、ゆかり、氷室さん」
槙が足を止め、口を開いた。
「どうかしましたか、先輩?」
「ええとね、あの、今夜スゥちゃん、私の部屋にお泊まりするんで」
「……は? え、じゃあ、私は?」
ゆかりと槙は学年が異なるが、なぜか寮の同じ部屋なのである。人数の関係などで。
困惑するゆかりに対し、槙は悪戯っぽくウィンクしてみせる。
「だから、スゥちゃんがこっちの部屋に泊まるということは、氷室さんのお部屋に空きが出来るわけじゃない? ゆかりは今晩、そちらにお世話になって」
「……え? はああぁっ!?」
突然のことに大きな声をあげるゆかり。
「でもさ、その方がお互いにいいことずくめじゃない? ゆかりだって氷室さんと……ねえ? 問題ないわよね?」
「いやいやいや、いきなりそんなこと言われても困りますって」
「大丈夫でしょ? 今日、新しい下着も買ったし」
槙に耳打ちされて、赤面するゆかり。
「か、上条さん、私も困るわよ。大体、炎雪はどう思っているのよ?」
瞑子も事態を理解して、慌てて口を挟んできた。
で、話を振られた炎雪はといえば。
『私は槙と一緒で問題ない』
アザラシのぬいぐるみと戯れながら、そんな返事。
「ということで、よろしくー」
炎雪の言葉を聞くなり、槙は炎雪の腕を取って自分の部屋の方へと逃げるようにして去って行ってしまった。
「ということって、朱炎雪はなんて言っていたんですかっ!? ちょ、先輩っ!?」 取り残される、ゆかりと瞑子。
呆然と、槙が消え去った方角を見つめる。
「……ええと、ど、どうしましょう?」
「わ、私に聞かないでよ」
困ったように瞑子に問いかけると、困ったような応答が戻ってきた。
しばし、無言でたたずむ二人。
「……と、とりあえず、お部屋にお邪魔してもいいですか? あの、私、行く場所もなくて」
「仕方ないわね、それしかないのなら」
同学年の他の友人を頼るという手もあったが、それは口にしなかった。困ると言いながらも、どこか期待している自分がいて。
寮の中に入っていく瞑子の背中を、黙って追う。
「……入ってちょうだい」
瞑子の部屋。
学園の寮であり、炎雪とも同室であるけれど、ドキドキする。
室内からは、なんだかほんのりとお香のような匂いが感じられる。中国香かもしれない。
わずかに高鳴る胸を抑えながら、ゆかりは室内に足を踏み入れた。