~ 清らかなる天使の微熱 ~
昼下がりの街の雑踏の中を天地は歩いていた。普段は学校に行く以外は家にいる事が多いので、たまに街に出てくるのは、それはそれで楽しかった。しかも、今日は珍しくそばに魎呼も阿重霞もいないのだ。たまには1人で出かけるのも気楽でいいものである。
何を目的にしているわけでもなく、ただふらふらと歩いていると、天地の前方でいかにも遊んでいそうな若い男がなんとも美しい女性をナンパしていた。
濡れたような艶やかな長い黒髪に、対照的に白磁のような白い肌。多くの男を振り向かせずにはいられない美貌。ボディラインがくっきりと分かるタイトな七分袖カーディガンに、レースを重ねたミニスカート。世の男に声をかけてくれといっているようなスタイルだった。
男のほうはかなり熱心に誘っているようだが、女性の方はほとんど関心がないようだ。結局、その女性は男をその場に残し、スタスタと歩き出した。
天地はその女性に近寄り、声をかけた。
「こんにちは、清音さん」
「あ、あら天地さん。こんにちは」
突然目の前に現れた天地に、清音は少し驚いたようだった。
「大変ですね、ナンパを追い払うのも」
「え、や、やだ、見ていたんですか?」
照れたのか、わずかにだが頬を朱に染める清音。その照れを隠すかのように横を向き、息を吐き出す。
「なんか、地球の男の人ってやたらと気軽に声をかけてくるのね」
「それは、清音さんが綺麗で魅力的な女性だからですよ」
「え、天地さん、そんな」
照れる清音を見つつ、天地はふと、いつもいっしょにいる美星の姿が見えないのに気づいた。
「美星さんは一緒じゃないんですか、今日は?」
「あ、美星は法事でちょっと実家の方に戻っているんです」
「へえ、じゃあ、今日は一人で仕事ですか」
「いえ、それが今日、本当は工事現場のバイトが入ってたんですけど、朝になって中止の連絡が来て。それで時間も空いちゃったんで、たまには街に出てきたんですけど」
と、そこまで言って清音は何か考えるように拳を口元に持ってきた。そして何か思い切ったように、おもむろに口を開く。
「ねえ、天地さん、今、暇ですか?」
「は? まあ特に予定はありませんけれども」
「あの、もし良かったらあたしとどこか行きませんか?」
「えっ、俺と、ですか?」
清音からの思わぬ誘いに、天地はなんとも間抜けな声を出してしまった。
「ていうか、どこか連れていってもらえませんか? せっかく暇ができて街に出てきたんですけど、あたしカラオケ以外の地球の遊ぶとことか行った事なくて」
「はあ、なるほど」
「もちろん、無理にとは言いませんけど」
ちょっと恥ずかしげに、上目遣いに天地のことを見る。この、彼女の願いを聞けない男などはたしているだろうか。
天地は当たり前のように頷いていた。
清音からのお願いを聞き受けた天地は、ボウリングにゲ-センというなんとも学生らしい場所に遊びに行き、その後はカフェで軽くお茶をした。なんでもそつなくこなす清音なので、案の定、ボウリングやゲ-ムもうまいのだが、天地もなんとか男のメンツを失わない程度の成績を残した。
二人がカフェを出た時は、あたりは大分暗くなっていた。
「天地さん、今日はどうもありがとうございました。ほんとに、とっても楽しかったです」
「そうですか、なんか俺もそんなに知っているわけじゃないんで、こんなので良かったのか不安だったんですけど、そういってもらえると嬉しいです」
「本当に、楽しかったですよ。それじゃ、失礼します。お休みなさい」
そう告げて、歩き出そうとする清音を天地は呼び止めた。
「清音さんっ、送っていきますよ」
「……え?」
ちょっと不思議そうな顔をして振り向く清音。そんな清音に向かって、天地は言葉を重ねる。
「もう暗いですし、俺、送っていきますよ」
「大丈夫よ。あたし、これでも刑事ですし」
「でも、女性の一人歩きは危険ですよ。最近は色々とありますし」
天地のその言葉に、まじまじと天地の顔を見つめる清音。
「どうかしましたか?」
「ううん、なんでもないの。それじゃあ、お言葉に甘えて送っていってもらおうかしら?」
軽く微笑む清音。
二人は肩を並べて歩き出した。
「それじゃあ、ありがとう、天地さん」
清音の住むアパ-トの前で天地と清音は向かい合った。
「ねえ、天地さん。あたし、嬉しかったです」
「は?」
「天地さんがあたしを送ってくれるって行った時、ほんとに嬉しかったです」
「そんな、大袈裟ですよ」
「本当よ。いつも、あたしはしっかりしてるから……って言われて送られることなんて。だから、ほんとうにすごく嬉しかった」
清音の口調がいつもと違うように感じられた。天地を見つめる目も、心なしかどこか潤んでいるように見える。
「とっても優しいのね……みんなが好きになるのも分かるような気がする」
「えっ?」
「ううん。それじゃあ、お休みなさい」
「は、はい、お休みなさい」
部屋の中に消えていく清音の姿を、天地は少しどきどきしながら見送った。
その翌日。
夕方、学校帰りに天地は清音がバイトしているファストフ-ド店に寄ってみた。
今日バイトに入っていると清音から昨日聞いたからだ。
「いらっしゃいませ!」
店に入った天地を、元気な声が出迎える。
天地は店内を見回してみたが清音の姿が見えない。店の奥にでもいるのかもしれないが、いつもだったらレジを担当しており姿が見えないというのは不自然とも思えた。どうも気になった天地は、掃除しているバイトと思われる女性にたずねてみた。
「あの、すいません。」
「はい、なんでしょう?」
その女性は独特の笑顔で振り返った。
「ええと、その今日清音さんという人が入っていると思うんですけど……」
「あら、あなた清音さんの知り合い? あっ、もしかして彼氏とか? 年下なんて、真面目そうに見えても清音さんも結構やるわねぇ」
「いえ、別にそういうわけでは」
「母性本能でもくすぐられたのかしらね。ああでも、お客さんには内緒にしとかないと、清音さん目当てでくる男の人多いからな」
「あ、あの、それで清音さんは……?」
この手の人には何を言っても無駄だと悟った天地は、誤解を解くのを諦めて聞いた。
「ああそうそう、彼女ね、今日体調崩したから休むって電話あったわよ」
「ええっ、清音さんが!?」
「あなた、学校だったから知らないのね。それとも心配をかけたくないと思ったのかしら。とにかく、はやく行ってあげた方がいいわよ」
「ありがとうございますっ」
お礼もそこそこに天地は駆け出していった。
そして店内では瞬く間にあらぬ噂が流れ出したが、天地には知る由もない。ちなみに、清音は後日、職場の同僚たちから散々からかわれることになるのであった。
息を切らせながら清音のアパ-トの前までたどり着いた天地は、昨日の事を思い出していた。
(清音さんが休むなんて、よほどのことなのかな。昨日はそんな様子見えなかったのに。とにかく今は美星さんもいないし、清音さん一人で大丈夫かな)
悪い予感に捕らわれた天地は、急いで清音の部屋の前までくると、ノックをした。
だが、返事はない。
ドアのノブに手をかけてみると、手応えがなく簡単に回った。思い切ってゆっくりとドアを開けてみる。
「清音さん、失礼します…………清音さん……あっ!?」
小さな1Kの部屋である。ちょっと顔を中に入れれば室内の様子はすぐに分かり、そして部屋の中には、布団の上に倒れている清音がいた。天地は急いで駆け寄った。
「清音さん、しっかりしてください!」
清音はジ-ンズにシャツという格好だった。どうやらギリギリまでバイトへ行こうとしていたらしい。
天地はとりあえず清音を布団に寝かせると、清音の額に手を当てた。
「うわっ、すごい熱だっ!!どうしよう?と、とにかく医者をっ」
「……てん…………さん」
その時、清音がかすかに声を出した。
「清音さん、今医者を呼んできますから」
「……だめ…………わた……に、地球の医者……は」
「あ」
そう、清音は地球人ではなかった。地球の医者に看てもらったとして、はたしてどうなることか。
「くそ、どうすればいいんだ? 美星さんはいないし、こんな時に限って鷲羽ちゃんは銀河アカデミ-のほうへ行っちゃってるし!」
「…………大丈……夫……だから…………」
気丈な清音は、それでもなんとか笑おうとしている。
「俺じゃあ何の役にも立たないのか? くそっ!」
苛立たしそうにそう言う天地。しかし、苦しそうな表情で目を閉じた清音には、すでにその声も聞こえていないようだった。
時計はすでに夜の11時を回っていた。清音の熱はまだ下がる気配をみせなかったが、天地としては額に浮き出る汗を拭き、水に濡らしたタオルをあててあげることくらいしかできなかった。
「――んっ」
清音が一つうめくと、うっとうしそうに布団をはいだ。
「清音さん、熱いのかな」
布団をかけてあげようとして、そこで天地は、はたと気づいた。
(着替えさせてあげないといけないんじゃないか……?)
清音が身に着けていたシャツとジ-ンズはそのままで、見るからに苦しそうだ。それに、かなりの汗をかいていて、このままでは身体にもよくないだろう。
だが。
「お、俺が着替えさせるのか?!」
天地は誰もいない空間に向って問い掛けた。
この時、天地の頭の中には、魎呼や阿重霞を呼び出すという考えは思い浮かばず、ただ、目の前の清音の姿だけしか見えなかった。
「落ち着け、ま、まず着替えを用意しなくちゃ」
天地は心の中で清音と美星に謝りながら、洋服の入れてある棚を探った。幸い、服はそれほど多くなかったのでそれらしきものをすぐに見つけられた。
そして着替えをなんとか揃えた天地は、汗拭き用のタオルを新しく準備し、どきどきする胸を抑えながら清音の寝ている横に座った。
「清音さん、失礼します……」
そう言って震える手で毛布を上げると、シャツのボタンをはずしにかかる。指先が震えるため、なかなかうまくはずせないが、ようやく一つ、ボタンをはずす。
「ふう…………」
ボタン一つはずしただけで天地は大きくため息を一つついた。そして、続けてボタンをはずそうとした時、天地の目に、シャツからはだけた清音の胸の谷間がうつった。汗をかいて光る肌が、荒い息遣いとともにゆっくりと揺れている。
「こ、こら、意識しちゃ駄目だっ」
そう自分に言い聞かせようとするが、つい目がいってしまう。
「くそっ、早くしないとこんな格好のままじゃ治るものも治らなくなっちゃうっての! こうなったら……」
天地は自分が持っている手ぬぐいを取り出すと、ぎゅっと目隠しをした。
「これで見ないですむ。あとは神経を集中させて……」
なんとか清音の服を脱がせ、汗を拭き、着替えさせ終わった時、天地はぐったりと疲れきって、汗びっしょりになっていた。
夢中になってやっていたので、清音の肌に触れた事も覚えていなかった。
「こ、これでとりあえず大丈夫だろう」
天地は壁際にへたりこんでしまった。
部屋の中には月明かりがわずかに差し込んでいて、電気を点けていなくてもなんとか辺りを見渡す事ができた。
時間を刻む時計の針の音だけが静かな部屋の中で響いている。
そんな中、壁にもたれていた人の影が揺らいだ。
「…………んっ……、……はっ!?」
天地はびくっとして起きると、きょろきょろと自分の周囲を見回した。
どうやら、少々眠ってしまったようだ。すでに日付は変わってしまっている。
「えと、清音さんは、と」
清音が寝ている布団のところまで近づくと、そっと様子をうかがってみる。
少し汗をかいているが、着替えさせるほどではないようだ。
「大丈夫、かな?」
「…………んっ……ん」
清音が苦しそうに身体をもぞもぞと動かす。
「清音さん?」
「誰、か……」
「清音さん、大丈夫、俺ならここにいます」
「……どこ?……ど……こにいる…………の?」
「すぐそばに、ここにいますよ」
天地は毛布の外に出ていた清音の右手をそっと握ってやる。
その感触を感じたのか、清音も弱々しく天地の手を握りかえしてきた。その手は天地が思っていたよりもずっと小さく、細く、そして柔らかかった。
「……んち……さん」
「清音さん、気がついたんですか?」
見ると、清音がわずかばかりに目を開いている。
「どこ、なの……?」
「清音さん」
「……お願い、あたしを…………一人に……しないで…………」
いつもの清音からは考えられない言葉を、清音はか細い声で発した。しかし、そこからは心からの思いが伝わってくるようだった。
そんな清音を見ると天地は、清音の手を握ったまま身を少し乗り出し、清音の顔とほんの数センチほどのところまで顔を近づけ、優しく微笑み安心させるように囁いた。
「大丈夫、清音さん。俺がそばにいます。決して一人には、しませんから」
その天地の顔が見え、そして天地の言葉が聞こえたのかはわからないが、清音は少し笑ったように見えた。
そして、天地の手を握ってない方の左手をそっと布団の中から出すと、天地の顔に伸ばした。
天地の頬に清音の少し熱っぽい、綺麗な手が触れ、しばらくいとおしそうになでていたが、やがて天地の顔をゆっくりと引き寄せ始めた。
天地はまるで魔法にかかったように自然に引き寄せられるままに任せた。
煌く星々が見守る中で、二人の影がゆっくりと重なった。
眩しい日差しが部屋の中に差し込んでくる。
「………………あっ……ん……」
太陽の光を感じて清音は目を覚ました。まだ少しだるいが、大分すっきりしている。身体を起こして、ふと横に目をやると、天地が座って自分の方を見ているのに気がついた。
「おはようございます、清音さん。身体の方はどうですか?」
「え? ええ、だいぶいいですけど……あの、もしかして天地さんが看病してくれていたんですか?」
「ええ、まあ、その、はい」
少し照れたように笑う天地を見て、清音は昨日の事を思い返してみた。たしか自分は、バイトに行こうとしたけど体が動かず、結局バイト先に欠勤の電話をして、それから、それ以後の事は覚えていない。
(ひょっとして、とんでもない姿を見られちゃった? そ、それにそもそも一晩中天地さんがっ?)
そのようなことを考えると、清音の中で恥ずかしさが一気に込み上げてくる。
「清音さん、顔が赤いですよ。まだ少し熱があるのかな?」
そう言いながら天地が清音の方に近づく。
「い、いえ、もう熱は……あっ」
天地は清音の前髪を右手で上げると、清音のおでこに自分のおでこをあてた。
「少し熱いかな……?」
そんな天地の言葉も耳に入らず、清音は自分でもわかるほどさらに真っ赤になった。
「あれ?なんかさっきより顔が赤くなったような……」
「い、いえっ、ほ、ほんとに大丈夫ですからっ! あ、あれ?それよりこの服?」
清音は自分が寝間着を着ていることに気づいた。昨日はバイトに行こうとして着替えたのを覚えている。と、いうことはどうゆうことかと考え、清音の顔が瞬時に朱に染まる。
「あっ、あの、この服、天地さんが?!」
「えっ!? い、いやそれはっ、そ、そう、魎呼と阿重霞さんに頼んでやってもらったんですよ!!」
「魎呼さんと阿重霞さんが? そ、そうよね。まさか」
「そっ、そうですよ。まさか俺が清音さんの、そんなっ」
一瞬、顔を見合わせ黙り込む二人。
「そうよね……でもあたし、なんか天地さんが着替えさせてくれてたような覚えがあるんだけど……夢、だったのかしら?」
「そっ、そう、夢ですよ、きっと」
「夢…………」
そこで清音は何かを考えるようなしぐさを見せ、そして何かを思い出したように頬を赤らめ微笑んだ。
「夢……か、でも、夢でもいい夢見ちゃったな、ふふっ」
「え?」
「ふふ……あのね、夢の中であたしと天地さんが……」
「お、俺と清音さんが、なんですか」
「知りたいですか? 実は……」
清音は言いかけた途中で天地の顔を見て、ある不自然な一点に気づいた。
清音を見つめる天地の顔の口元。唇にわずかに、唇の色とは明らかに異なる赤い色が、薄くだが確かに付着している。あの色はどこかで見た事がある。そう、お気に入りの口紅の色に似ている。
確か昨日、バイトに行く前の化粧で付けた記憶がある。
清音はさりげなく指を唇に持ってきて、口付けをした。
指をそっと離して見てみる。
「――ふふっ」
清音が軽く笑う。
「あ、あの、清音さん?」
「ねえ、天地さんっ」
「は、はいっ?」
清音は両膝を立てて盛り上がった毛布の上に腕を組み、少し顔をうずめるような格好で、どぎまぎしている天地を熱っぽい瞳で見やり、悪戯っぽい微笑みを浮かべて言った。
「今度は夢の中じゃなくて、『本当に』、キス、したいですね」
「えっ!? あっ、あのっ……きっ、清音さんっ!?」
真っ赤になって、どうしたらよいのかわからない状態の天地を、清音は魅惑的な笑みを浮かべたまま少し楽しそうに見ている。
清らかなる天使が小悪魔に変わった、暖かな春の日だった。
<あとがき>
今の若い人たちは知ることもないでしょうが、かつて『パソコン通信』で『Nifty-Serve』という大手サービスがありまして、そこの『天地無用!SS掲示板』でSSを発表したのが、私の二次創作の本格的な開始でありました。
その当時に書いた「天地無用!」のSS作品をPCより発掘しましたので(汗)、少しずつ復活させ登録していこうかなと。
読み返すに恥ずかしいものばかりですが、この当時だからこそ書けた作品達であることも確かなはず。
さすがにそのままは載せられないので最低限の修正はしますが、基本的なものは変えずに出していこうかなと。。。
いや、恥ずかしい(笑)