お風呂からあがり、洗面所の鏡に自分の体を映す。
不細工だとは思わないけれど、特別に美人とかかわいいというわけではない。肌は白いけれど、今は中途半端に日に焼けている。体は細い方だけれど、余計なところにお肉がついているのはいかんともしがたく、にも関わらず、ついて欲しいところには全くついてくれない。
「……こうしてみると、私って外見的魅力、ないなぁ」
わかっていたことなのだけど、再確認して、改めて口に出してみると、やっぱり気分は落ち込む。
せめてもう少し、胸を大きくして、ウエストを細くして、お尻は……まあいいとして、太腿を細くできたら。
「……って、せめて、じゃないなぁ、もう全部だ」
今までは、分かってはいたけれどあまり気にしないようにしてきたし、実際にそれほど気にしていなかった。
だけど、高等部にあがり、二年生になったある時点から急速に気になりだしてしまった。それというのも、自分の周りには凄いメンバーがいすぎるせいである。山百合会のメンバーは言うに及ばず、蔦子さんもそうだし、一年生の瞳子ちゃんや可南子ちゃん、笙子ちゃんだって。さらに振り返ってみれば、お姉さまだって美人でスタイルが良かった。ただ、性格や言動が少しばかり"アレ"だったから、あまりそう思われていないけれど、祥子さまや令さまと並んで絵になるのは、同学年ではお姉さまくらいだったと思う。
それに引き換え、自分ときたら。
「はぁ……」
またも、ため息。
どうして人はこう、高望みをするのだろうか。
「……っくちゅっ」
夏とはいえ、さすがに風呂上り、濡れたままの体でいるのはよくない。髪の毛だって、ショートとはいえきちんと乾かさないと。
『真美ちゃーん、風邪ひいちゃうわよ』
「はーい」
もやもやとした思いを抱えたまま、真美は小さな体をバスタオルで包み込むのであった。
一年生の部員が、おそるおそる、といった表情でこちらを窺っている。自信がないのだろう、何を言われるのかと、おどおどしているのが丸分かりである。
真美は鼻を啜りながら、記事をシャープペンの先でつついた。
「この部分。表現が曖昧で分かりづらいわね。読者に何を伝えたいのか、貴女の思いばかりが先走っちゃっているわ。それから、同じ意味のことを繰り返し説明しちゃっている文章になっているから、ちょっと冗長ね。もう一度修正して、持ってきてみて」
「……はい」
しゅんとして、その子は自分の書いた記事を手に取り、席に戻っていく。
落ち込むのも無理はない、これで書き直しは三回目となる。少し厳しいだろうか、とも思うが、甘くしたところで良いとは思わない。初めての記事というわけでもないし、この辺で頑張ってもらわないといけない。これも、彼女に期待してのことなのだ。
「……っくしゅ」
「風邪ですか、真美さま?」
「うー、ちょっとね」
やはり、昨日の風呂上りの時間がまずかったのか、朝から具合が悪かった。鼻水が出るし、少し熱っぽくてだるい。バッグからティッシュを取り出して、鼻をかむ。
「締め切りは明日ですし、無理されず今日は帰られたらいかがですか?」
「うーん、そうしようかしら」
今号の山となる部分は既に終えているし、今日無理して残る必要はない。それに、先ほどの件もあって、部室内の雰囲気も少し悪くなっているように感じたので、私は後輩に後を任せて部室を後にした。
「夏風邪って辛いわよね……」
外は暑く、体も熱く、だからといって体を冷やすわけにもいかず、暑くて熱くて、ただでさえ体力の無い身にはことさらに堪えるのだ。
力なく廊下をしばらく歩いて、ふと、メモ帳を置き忘れてきたことに気がついた。記者の命ともいうべきメモを忘れてくるとは、思っているよりも調子が悪いみたいだった。
引き返し、部室の扉の前まできたところで、ふと中から声が聞こえてきて立ち止まる。この部室は古く、隣の声が聞こえてくることもよくあるくらいだから、扉に隙間があいていれば珍しいことではないが。
『……朱里さん、元気出して。ほら、真美さまだって記事をよくしたいと思っているからこそ、厳しいことを言われるのだから』
中から聞こえてきたその言葉に、思わず扉に伸ばした手が止まる。
どうやら、先ほど真美が駄目出しをした子のことを、皆で励ましているようだ。思わず、聞き耳を立ててしまう。
『噂には聞いていたけどさ、部長、厳しいよねー』
『あー、"鬼編集長"でしょ?』
『私、自信なくなってきちゃった』
聞いていて、ちょっとショックを受けた。そこまで、下級生を追い詰めていたのだろうかと。
『妥協が無いというか、いいものを作りたいのは分かるけれど』
『クールなのが格好いい、って思っていたけれど、もうちょっとこう……』
『人間味的な優しさも欲しいよね』
これは、ちょっとどころか、かなり衝撃を受けた。まさか、そんな風にまで思われていたなんて、気がつかなかった。
その後、彼女達が何をどう話していたのか、よくわからない。ただ真美は、結局メモ帳を取ることなく、痛む頭をおさえながら帰宅したのであった。
それから二日後。
一年生に駄目出しをした記事の修正もなんとか無事に終わり、りりあんかわら版の最新号も問題なくできあがったが、真美の体調はまだ戻っていなかった。気分の方も同様で、一年生達が言っていた言葉が頭に残っており、気が重い。
こんな状態で部活に出たところで、良い結果が出るとも思えない。今日は、帰ってしまおうかなどと弱気なことを考えていると。
「――あ、真美さま、そろそろ時間になりますよ」
「……え?」
不意に、下級生から声をかけられて戸惑う。
何の時間だったか、頭がうまくまわらず分からない。
「あの、花寺への取材に……」
「あ」
すっかり忘れていた。
次のかわら版の記事に向けて、花寺学園への取材をすることになっていた。取材のメインは、一年生にやらせる予定であったけれど、一年生だけに行かせるわけもいかないので、部長である真美も同行することになっていた。
「あの……」
「あー、大丈夫、大丈夫。そうね、行きましょう」
一緒に行くのは、先日、真美のことを話していた一年生たち。気は進まなかったけれど、真美はなんとか自分自身の気力を奮い起こして、お隣の学園に向けて歩き出したのであった。
約束の時間ちょうどに、花寺学園の正門に到着した。一年生らしいその男子は、どこか緊張した口ぶりと身振りで、真美たち新聞部一行を先導する。途中、ちらちらと視線を感じるのは、やはり男子校の中に女子が入っているからだろう。
歩きながら、今日の予定を考える。取材は、今年度の花寺の学園祭コンセプトと、山百合会メンバーとの協力体制についてがメインとなる。取材は一年生をメインに、真美は問題がありそうなときだけ口をはさむ、という想定である。
「こちらです、どうぞ」
校舎内に入り、案内されるままに通された部屋に進むと。
「ようこそいらっしゃいました、リリアン女学園新聞部の皆さん……あ、真美さん」
「―――へ?」
ぼーっとしていたところ、いきなり名前を呼ばれて顔をあげるとそこには。
「え、あ、ゆ、祐麒さんっ? ど、どうしてこちらに」
「どうしてって、今日はうち生徒会への取材ですよね。あ、俺、一応文化祭が終わるまではまだ生徒会長なので」
柔らかい笑みを浮かべた祐麒さんの姿が、そこにはあった。
「あ、そ、そうですよね。やだ、私ったら」
やはり体調不良のせいだろうか、そんな当たり前のことすらすぐに分からず、恥しさに赤面しそうになる。
「さ、皆さん、座ってください」
真美の内心など気にした様子も無く、祐麒さんは皆を招く。
そうして、取材は始まった。
一年生達は、あらかじめ用意していた質問を投げ、質疑応答を続けていく。祐麒さん達、花寺学院生徒会の方の受け答えはスムーズであったが、新聞部の一年生達は慣れてないのと緊張とで、時折つっかえたり、的確な応答が出来ないこともままあった。そういうときには真美がフォローをしたり、冷静に突っ込みをいれたりして、方向修正する。
どうにか、大きな問題もなく取材も進み、やがて祐麒さんが立ち上がり、校内を案内してくれることになった。
リリアンとは全く異なる様相を呈する花寺学院内は、部員達の興味をそそるには十分だった。マリア像と違って仏像があったり、意味不明な物体が積み上げられていたり、お嬢様学校で育ってきた女の子達なら目を見張ってしまうようなものも多い。
案内をしてくれている祐麒さん、小林さんの漫才みたいなトークや説明も、飽きさせない一因だろう。
しかしそんな中、真美だけは楽しめていなかった。体がだるく、頭がぼーっとする。しっかりしなければと思っていても、意識は散漫になり、足は重い。
皆の楽しそうな話し声も、どこか遠くのことのように聞こえてくる。
『……。…………さまっ』
この声は、この前厳しく指導した一年生の子か。考えるのも、面倒くさくなってくる。
『……さま。……真美さま』
「―――え?」
顔をあげる。
と、床に足が引っかかった。
ちょっとひっかかっただけだけど、体に力の入らない真美は、そのままバランスを崩して前のめりになった。
ふわり、と体が浮くような感じだった。倒れそうになっているというのに、妙に現実感が無く、意識がぼやける。
揺れる。
体が揺れる。
「―――大丈夫?」
耳元から聞こえてきた声とともに、揺れが止まった。
目の前は、何も見えない。何かで視界を遮られている。かわりに聞こえてくるのは、とくん、とくん、と響いてくる鼓動。そして、肩を掴んでくる力強い感触。
「え……あれ……?」
視線を上に向ければ。
ちょっと、心配そうに真美の顔を覗き込んでくる、優しい瞳。
「ゆ、祐麒さん……?」
「足元ふらついていたけれど、大丈夫? 立てる?」
そこでようやく気がついた。祐麒さんに抱きとめられているということに。足に力が入らず、祐麒さんの胸の中にもたれかかるようにして支えられている。
「うわ、わ、わ」
慌てて離れようとするけれども、いかんせん、力が出ない。ただ、祐麒さんの胸の中でもぞもぞ動くことしかできない。
それどころか。
「ひょっとして、調子悪い?」
と言いながら、祐麒さんは真美の額にかかる髪の毛の下に、そっと手の平を滑り込ませてきた。
わずかにひんやりとした感触が、心地よい。
そういえば、手が冷たい人は心が温かい、なんて話をどこかで聞いた気がする……とか、どうでもいいことを考えている場合ではなくて。
「やっぱり、熱い。熱がある」
いや、それは。
確かにそうかもしれないけれど、むしろ、今のこの状況のせいで余計に頭に熱がのぼってしまったと思われて。
「あの、わた、わたっ」
「無理しちゃ駄目ですよ……ああ、だから今日、なんかいつもと様子が違ってたんだ」
「……え?」
「なんかクールな感じで、機嫌が悪いのかと思ったけれど、具合が悪かったんだ」
「いえ、あの、わたしっ」
正面から見つめられて、思考がぐるぐると空回りする。何か言わねばと思うほどに、何を言ったらいいのか分からなくなり、ただ口をぱくぱくさせるだけ。風邪のせいの発熱だか、それ以外の原因による熱だか分からないけれど、とにかく顔が熱く火照り、そして体は硬直して動かない。
どうしようもなくなりかけていた真美を我に返したのは、その瞬間まで忘れ去っていた存在だった。
「真美さま、可愛い……っ」
「わあ……こんな真美さま、初めて見た」
「ふぇっ?!」
顔を横に向ければ。
なぜか妙に瞳を輝かせ、嬉しそうな顔をしてこちらのことを見つめている一年生たち。
「あれ、そうなの? 俺はいつも、こんな感じの真美さんしか見たことないけれど」
「あ、わ、ゆ、祐麒さんっ?!」
止めようとしたけれどもう遅く。一年生達は、何を想像したのか知らないけれど、『きゃーっ』とか黄色い声をあげて身を捩っている。
「真美さま、福沢さんの前では可愛い"女の子"なんですねっ」
「真美さま、可愛すぎですーっ!」
「ち、ち、違うのよあなた達っ。こ、これはっ」
「おー、ユキチ、いつの間に? お前も隅におけないな」
「馬鹿、茶化すなよ。真美さん、具合悪いんだから。えっと、ちょうど保健室すぐそこだから。歩いていける?」
「は、はひっ」
裏返りそうな声で返事をしながら。
真美は、ぎゅっと祐麒さんのシャツを掴んだのであった。
予想もしていなかった展開となった取材から、明けた翌日。まだ体はだるかったが、熱はほぼ平熱だったので真美は登校した。休みたいという気持ちももちろんあったが、休む前にやらねばならぬことがあった。
マリア像の前でお祈りを済ませ、近くで待つこと数分。
彼女たちが登校してくる姿が目に入った。
お祈りが終わったところで近づき、声をかける。
「あの、あなた達」
「あ、真美さま。ごきげんよう」
「……ごきげんよう。あの、ちょっといいかしら」
「はい」
彼女達は素直に頷き、ついてきた。
通学の道から外れ、人の姿がなくなったところで、真美はためらいつつも口を開く。
「えーと……昨日は取材、ご苦労様」
「はい、大丈夫ですよ真美さま。私達、誰にもいいませんから、福沢さんとのこと」
「なっ……」
先に言われ、絶句する。
「そりゃ、花寺の生徒会長となんてスクープものですけれど、記事にしたり、日出美さまに報告したりなんかしませんから」
「私達、お二人のこと、応援していますから」
「え、あの、ちょっと」
止めようとしたが、彼女達の勢いは止まらず、真美の方にぐっと近づいてくる。
「だから、私達だけには教えていただけませんか? お二人の馴れ初めとか」
「あの、昨日は保健室に二人きりで……その、やっぱり接吻くらいされたのですか?」
「そ、そんなことするわけ、ない、でしょう……き、ききき、きすなんて、そんな、私達まだ……」
思わず想像しそうになって、慌てて否定するものの、言葉は尻すぼみになって。
すると。
「はわぁ……やっぱり真美さま、可愛い」
「私達、真美さまのことを誤解していたみたいです。クールで、ちょっと冷たい方なのかと思っていたのですけれど、全然違うんですねっ」
「あ、あなた達、上級生に向かって可愛いなんて……」
きつく嗜めようとするものの、我ながら全く声に力が入らず、表情も態度も全然追いついていかなくて。
そうこうしているうちに、予鈴が鳴り響き。
「あ、もう行かないと遅れてしまいますよ」
「それでは真美さま、また放課後に」
にこやかな笑顔を向けて、彼女達は急ぎ足で校舎の方へと向かってゆく。その後ろ姿を呆然と眺めながら、真美は熱くなった頬に手をあてる。
一年生たちに親しみを持たれたのは良いことかもしれないけれど、とんでもない弱みを握られたようでもあり。
「うわ、ぁ……」
妙な声を押し出しながら。
彼女達に先ほど言われたシーンを一人また妄想し、人気の無いリリアンの学び舎で発熱する真美であった。
おしまい