「――え、これって二条さんが書いたんじゃなかったの?」
「違います。私がそんなものを書くと思いますか?」
「そう言われれば……確かに」
「……なんか、それはそれでムッとしますね」
「え、なんで?」
本当にもう、どうしてこう人を腹立たせることが上手いのだろうか。わざと、狙ってやっているのではと疑いもする。
室内に招き入れてから追い出すわけにもいかず、リビングに通して温かい紅茶を出してメッセージカードについて説明をし、祐麒も頷いて納得した。
「そっか、それじゃあ俺が来るなんて思っていなかったんだね、二条さんは」
「全くその通りです」
乃梨子も紅茶に口を付ける。
さて、問題はこれからである。このままずっと居座り続けられたら、こんな二人きりの状況で何をしてくるか分かったものではない。
いや、もちろん祐麒はムッツリスケベだけど理性を持ち、それなりに紳士的だということは頭で理解しているが、だからといって何もしてこない保証などない。現にこの前だって、乃梨子に猫耳や尻尾を装着させた挙句にキスを――
「――――っ!?」
「ん……二条さん、なんか顔が赤いけれど大丈夫? 熱があるとかじゃ」
「別になんでもないですからっ」
「そう? ならいいけれど」
不思議そうに軽く首を捻る祐麒に対し、乃梨子は横を向いて表情を隠す。迂闊にも思い出してしまった余計なことを、どうにか頭の中から振り払う。
「あ、そうだ二条さん、忘れていたけれど、これ」
そんな乃梨子の前に差し出された箱。なんですかコレと目で問うと。
「来る途中で買ってきたチキンと、あとカルパッチョサラダ。良かったらどうぞ。あ、チキンは温めてね」
お呼ばれされたと思った祐麒が、手ぶらで訪れるのもどうかと考えて途中で買ってきたのであろう。さすがに、こうやって気を遣われて手土産を渡されてしまっては帰しづらくなる。
「――それじゃあ、俺はそろそろ」
思案している乃梨子の前で立ち上がり、コートを手に取る祐麒。
「えっ……どうしたんですか?」
「いや、だって二条さんは俺を呼んでなんかいないわけでしょう。これ以上、長居をするわけにはいかないでしょ」
その通りである。どう口にしようか困っていたところ、祐麒の方から言い出してくれるとは好都合に他ならない。
「んー、しかしどうしようかな、親には食べてくるって言っちゃったし」
と、祐麒のその言葉を聞いてハッとする。もしこのまま追い返したら、あの西園寺ゆかりとかいう女のところに向かってしまうのではないか。ゆかりも祐麒に誘いの声をかけていたみたいだし、あり得ない話ではない。
別に祐麒が何をしようと乃梨子には関係ないが、ゆかりのもとに行って万が一何か過ちでもあったらゆかりが可愛そうではないか。あまり好かない相手とはいえ同じ女、見過ごすわけにはいかない。
「ちょ、ま、待ってください」
慌てて乃梨子も立ち上がり、コートに袖を通そうとしていた祐麒を止める。
「え、な、何?」
驚き、動きを止める祐麒。
「え、何って……そ、その」
ゆかりのことを正直に口に出すわけにはいかない乃梨子は、祐麒が持ってきた料理に目を向けて言った。
「こ……こんなに沢山、私一人に食べろって言うんですか? 買ってきたなら……ちゃんと責任、取ってくださいよ」
実際問題、乃梨子一人で食べきれる量でもないし大量に残っても困るだけ、どこにも嘘はない。
「――――うん、それじゃあお言葉に甘えようかな」
そう返事をしてコートを戻した祐麒を見て、乃梨子は気付かれないように小さく息を漏らした。
料理はおいしかった。
さすがに祐麒が買ってきたものだけで済ますわけにもいかないので、乃梨子も冷蔵庫に入っていた食材を使って簡単な料理を作ったのだが、それを口にして「美味しい、美味しい」とお世辞だか本気だか分からないことを言われて肩をすくめる。もちろん、褒められれば悪い気はしないのだが、そこまでのものではないという思いもあるので素直に喜べないし、喜んでいるような姿を見られたくないというのもあった。
お互いに始めはぎこちなさがあったものの、祐麒の少しからかうような口調に乃梨子が怒ったあたりから空気もやわらぎ、料理が美味しいこともあってそれなりに話も弾んだ。
クリスマスケーキはなかったけれど、董子が購入していた焼き菓子があったのでそれを紅茶のお茶請けにしてデザートの代わりにする。
そうこうしているうちに時間は過ぎていくが、なんだかどちらとも「帰る」という言葉を口にする機会を逸しているような気がしている。いや、乃梨子の方から言い出すのでは「帰れ」と言っているようなものでそうそう口には出来ないのだから、祐麒の方から言うべきだと思うのだが。
時間が遅くなってくるとさすがに乃梨子も少しずつ平常心でいられなくなってくる。まさか泊まっていくなんてことはないだろうが、などと考えていると。
「えと、そろそろお暇しないと。随分と遅くなっちゃったし」
「あ、はい」
会話が途絶え静かになった室内で祐麒が言い、乃梨子が頷く。祐麒はコートを着て玄関に向かい、乃梨子は見送るため後をついていく。
「ごちそうさまでした。今日は楽しかった、ありがとう」
「いえ……」
扉を開け、マンションの内廊下を歩き、エレベーターで一階のエントランスまで降りる。
「寒いし、ここまででいいよ」
「はい。それじゃあ」
「うん、おやすみ」
そして外へと出て行こうとして、祐麒の足が止まる。
「…………? どうかしましたか」
「いや、これは……」
エントランスの扉が開くと、冷たい風が頬に突き刺さるように吹き付けてきた。同時に目の前に広がっていたのは、真っ白な世界。
日中に降っていた雪はいつの間にか降り積もり、家々の屋根を、車を、道を白く塗りつぶしていた。
綺麗な一面の銀世界に喜んでなどいられなかった。
「ちょっとこれ……マジ?」
驚きに目を見開いている祐麒の後ろで、乃梨子もびっくりしていた。知らないうちにこんなに降り積もっていたなんてと。
「これってもしかして…………うわ、やっぱり電車止まってる!?」
スマホを取り出した祐麒が画面を見て唸る。
都会の交通網はとにかく雪に弱く、ちょっと降っただけでも大幅にダイヤが乱れ動かなくなるのだ、これだけ積もっていたら止まってしまうのも不思議ではない。 迂闊にも気が付かなかったのは、食事をしている間はテレビもつけずスマホも使用していなかったためである。テレビは興味を引かれるものが無かったし、二人しかいないなかでスマホばかりいじっているのは失礼と思うし、そのこと自体は間違いではないと考えるが裏目に出てしまった。
「さすがにこれじゃあ……って、ちょっ、どこ行くんですかっ!?」
ふと顔を上げると、そのままマンションの外に出て行こうとする祐麒の姿があり、慌てて声をかける。
「どこって、帰るんだけど」
「でも、電車動いていないですよっ」
「そうだけど、他にも電車を使う人は沢山いるし、一晩中動かないってことはないかと」
「そんなの分からないじゃないですか。それに、動くまでどうするつもりですか」
「なんとかなるよ、ネットカフェとかで時間を潰すとか」
「同じような考えの人が大勢いるに決まっているじゃないですか。こんな積もっていて電車も動いていない、そんな中で帰ろうとするとかアホですか」
「アホって……でも他にどうしようもないじゃない」
「うちにいればいいじゃないですか。幾らなんでもこんな状況で追い出すほど、私だって鬼じゃないですよ」
「え、でも、さすがにそれはまずいでしょう」
祐麒の言葉の意味は分かるが、だからといって放り出すわけにもいかない。電車はもちろんだが、道路だって渋滞を起こしているし、かなり混乱が発生していることがネット情報で分かった。
「もちろん、電車が動きだしたら帰ってもらいますし……変なことしたら外に叩きだしますから」
脅しをかけ、くるりと背を向けてまた部屋へと戻ってゆくと、後ろから祐麒がついてくるのが分かった。
部屋に戻って熱いほうじ茶を注ぐ。
会話は自然と雪のことになるが、どことなく白々しい雰囲気になってしまうのは仕方ないところだった。
気まずくなるのも嫌だったのでテレビを点ける。こういうときにテレビというモノは便利だなと改めて気付かされる。
テレビから流れてくる音を聞き流しながら、さてこれからどうしたものかと考えながら祐麒と適当にテレビ番組を観ながら会話をしていると。
「――――っ!?」
ブツン、というような音と共にテレビ画面が真っ暗になり、それどころか室内そのものが闇に包まれた。
「停電……?」
「ま、マジっすか……」
暗闇の中で立ち尽くす乃梨子。それまで明るい室内にいたためか、カーテンも閉じられた室内は本当に真っ暗で、目の前に何があるのかすらわからないくらいだ。
どこかに懐中電灯か何か無かっただろうかと、慌てて動きだそうとして。
「――きゃっ」
「わ、と、大丈夫?」
祐麒にぶつかってしまった。
頬が祐麒の胸にあたり、肩を掴まれて顔が熱くなる。何を焦って醜態をさらしているのか、停電でお互いの姿が見えなくてむしろ良かったと思える。
「す、すみません」
「あ、ほら、危ないから」
急いで離れようとするところを抑えられる。これでは乃梨子一人が慌て怯えているようで悔しくなる。
「ブレーカーが落ちただけ、とかじゃないよね。とりあえず確認しようか」
そういう祐麒に促されて確認するもやはり停電であるようで、カーテンを開けて外を見ると近所の家々からも明かりが消えていた。
「参ったね、これは」
もしもこれが実家ならば、時間も遅いしあとはもう布団にくるまって寝てしまえと割り切ることも出来るかもしれないが、祐麒がいるからそうはいかない。帰ろうにも電車は止まっているし、辺りは停電で真っ暗、どちらもいつ復旧するか分からない中で雪は衰えることなく降り続いている。
停電で電化製品も止まってしまい、既に部屋が冷えてきて寒くなってきている。
「し……仕方ないですね、今日はもう、泊まっていってください。董子さんの部屋がありますから、私はそちらで寝ます。祐麒さんは私の部屋を使ってください」
「……ありがとう」
ここで下手に祐麒が何か言ってこなくて良かったと息を小さく吐き出す。普段、自分が使用しているベッドを使わせるのは、そりゃあ滅茶苦茶恥ずかしいに決まっているが、だからといって家主である董子の部屋を使わせるわけにもいかない。緊急事態なのだからお互いに割り切るしかないのだ。
普段から整理してはいるが、祐麒を通す前に一応室内を闇の中で片付けてから案内する。エアコンを入れていなかった室内は震えそうになるくらいの冷気が忍び込んでおり、さっさと毛布に包まれたくなる。
「それじゃあ、私は董子さんの部屋で休みますから」
「うん、おやすみ」
「おやすみなさい」
平静を装って扉を閉め、ふぅ、と息を吐いてから董子の部屋の前へとゆっくり移動する。
「――――あれ」
しかし、すぐに気が付いた。
「うわっ、う、嘘っ!?」
「――――どうかしたの、二条さん」
異変を察したのか、閉じたばかりの乃梨子の部屋の扉が開き、祐麒が顔を覗かせて声をかけてきた。
乃梨子は無言で震えている。
「董子さん……自分の部屋、鍵をかけているんだった……」
ごつん、と額を扉にぶつける。
乃梨子を信じていないとかそういうことではないだろうが、董子の部屋の扉は外からも鍵がかけられるようになっているのだ。
当たり前だがこれでは董子の部屋に入ることは出来ず、董子のベッドは使用できない。寝るだけならリビングのソファも使用できるが毛布がなく、エアコンもきいていない場所で毛布もなく一晩を過ごすのは厳しい。
「二条さん、俺はリビングで大丈夫だから。コートもあるし」
「大丈夫なわけないでしょう、あんなところで一晩過ごしたら風邪を引くに決まっています、いくら祐麒さんでも」
「でも、他にどうしようも」
「妥協案です、これでどうでしょうか」
乃梨子はもそもそと毛布を引き寄せると、背を壁に寄りかからせて体育座りをした上から体を毛布で覆う。毛布の長さを考えれば、もう一人くらい横に並んでも体を覆うことが出来る。
「――いいの?」
「変なことさえしなければ」
「誓ってしません。それじゃあ……」
そっと、乃梨子の隣に入り込む祐麒。
近すぎると体が触れ合ってしまう、だけど遠すぎると隙間も出来るし毛布からもはみ出しそうになって寒くなる。
微妙な距離を保ってどうにか落ち着きをみせる。
「これからどうする?」
「寝たら祐麒さんに襲われそうですから、今夜は起きていることにします。一日くらい徹夜したところで大丈夫なんですから。でもそうですね、朝まで長いですから何か話でもしてくださいよ。面白い話」
「要求してくるくせに図々しいね。いいよ、その代わり俺の次は二条さんだからね」
そうして。
明け方になって寝落ちするまで、二人して取り留めもない話をしたのであった。
「クリスマスの日、祐麒ってば帰ってこなくてお泊まりだったの!」
「それって乃梨子ちゃんのお家にってことよね? うわー、ちょっと、ねえ乃梨子ちゃん、ど、どうだったの? あたし達がお膳立てしてあげたお蔭でもあるんだから、教えてくれてもいいわよね」
翌日。
志摩子に呼び出されて足を向けた先には祐巳と由乃も一緒にいて、目を輝かせ、頬をほんのり赤くしながらも身を乗り出してそんなことを言ってきた。
「な……な、何を言っているんですか。べ、別に何も、なかったですよ」
「あ、どもった。これは何かありましたね、由乃さん」
「ええ、間違いありませんわ、祐巳さん」
迂闊だった、当たり前だが祐麒が帰らないことは、祐巳には筒抜けなのだった。
「た……確かに、祐麒様は泊まりましたけれど、電車が止まっていましたし、停電もあって仕方なかったからです」
慌てることはない、それは両方とも事実なのだし、妥当な理由だと理解してもらえるはず。
「えー、確かにそうだけど、確か一時間くらいで電車は動きだしたよ。それに、困る人が多いから昨日は終電も遅くまで臨時に引き延ばして動いていたよ」
「そうそう、停電だって一時間くらいで復旧していたけれど?」
「え……っ」
祐巳と由乃の言葉に思わず詰まる。それが事実なら祐麒だって電車で帰れたし、エアコンを入れてリビングで暖かくして過ごすこともできたはずだったが、気が付かなかった。
「停電の後は、すぐベッドに行っちゃったから……」
「え、ええっ!? ベッドって……」
「乃梨子ちゃん、やっぱり!」
「え、あ、ちちち違いますっ! 確かに私の部屋のベッドの上で一晩過ごしましたけれど、何もなかったですし」
「いやいや、ベッドの上で一晩って」
「本当に何も――」
他愛もない話をしていただけだ。そりゃ確かに、目が覚めた時二人寄り添って互いにもたれかかるようになり、祐麒の肩を枕にしていたというのはあるけれど。
ふと朝のことを思い出すと、頬が熱くなってくる。
「そんな真っ赤な顔して、説得力ないからね。そうか、乃梨子ちゃんが……その、で、ど、どうだったの?」
「どうだったのって、由乃さんちょっと」
「何よ、祐巳さんは興味ないの?」
「ですから、違うんですってば!」
言い訳しようとすればするほど余計なことを口走ってしまうが、さすがに今回のことを黙ったまま受け流すわけにはいかない。せめて志摩子にだけは分かってもらいたくて顔を向けると、志摩子はおだやかな笑みを浮かべながら乃梨子を見つめ。
「――おめでとう、乃梨子」
と一言だけ告げ、それを耳にした乃梨子は力が抜けて膝をついてしまったのであった。
誤解のとけぬまま、今度は光から電話が入った。
「……もしもし?」
『何よ、いきなりそのやる気のない声は。どうしたの?』
「ちょっと疲れて、寝不足で……明け方まで殆ど眠れなくて」
『――ああ、そういうこと。頑張ったんだ』
「ん? まあ、頑張ったといえば頑張ったけれど……」
『腰は大丈夫?』
「ちょっと痛いかも……」
何せずっと同じ姿勢でいたのだ、身体の節々がこわばっている。
『あはは、だから忠告したじゃない。でも、それを忘れちゃうくらい、頑張っちゃったんだ、まあラブラブでいいじゃん。ってか、優等生ってタガが外れるとエロエロになっちゃうものかね? まさか乃梨子がそんなねー』
「ちょっと待って光、あんた何を言って……」
『だから昨夜、彼氏と一晩中ヤッていたんでしょ?』
「なっ……なんで!?」
『ん、あれ、お泊まりしたんじゃないの?』
「そ、それは、確かに泊まったけれど、あくまでそれは」
『ああごめん、あたしもう行かないと。どんな感じだったのかは今度教えてね、んじゃ』
「ちょ、光、だから誤解……って、もう切れてるし!」
頭が痛くなることばかりである。
そうして眠気とともに頭を抱えてマンションに戻ると、帰宅していた董子が出迎えてくれた。
「乃梨子、あんた、昨夜はどうしたんだい?」
「どうしたって、何が?」
「何がって、祐麒くん、泊まったんだろう? それなのに、なんで……」
渋い表情をする董子。
祐麒が泊まった形跡は、確かに料理のあととか、使用した食器とか、そういったものを見れば分かるだろう。だけど、もともと許可してきたのは董子ではなかったか。それともあれはほんの冗談のつもりで、まさか本当に泊めるとまでは思っていなかったのか。
「……仕方ないじゃない、外に出すのも可愛そうだし」
「だからって、まさか中に」
「入れたけど、しようがないじゃない」
あの大雪で外に追い出すのは非情だろう。あの時点では電車だって動いていなかったわけだし。
「……はぁ。若いし、気持ちは分かるけれど、あとで泣くのは女なんだよ」
「はぁ…………え、何が?」
しょぼしょぼする目を擦る乃梨子に対し、董子が何かを突き出すようにして見せてきた。
「まあさ、ゴム付けない時点で中だろうが外だろうが変わらないのは確かだけれどね。でもね、避妊もせずに中に許しちゃうなんて、あんたはまだ高校生なんだよ。安全日だったのかもしれないけれど、絶対なんてないんだからね」
それは、董子が買ってくれていた避妊具だった。
「ち……ち、ちがーーーーーーーーーーう!!!!」
絶叫しても時すでに遅し。
乃梨子と祐麒に対する誤解は、既にどうしようもないほど進展してしまったのであった。
つづく?