修学旅行、それは高校生活の中でも最大のイベントである。祐麒達はまさに今、修学旅行に出かけるところでテンションも高くなっていた。
一人を除いて。
「うぅ……くっ」
もともと白い肌を更に白くさせて、むしろ青白くなった強張った表情で硬直している幼馴染の横顔を見て、祐麒はため息をつく。
「おいおい、少しは落ち着けよ。散々話しただろ、飛行機での事故なんて交通事故より遥かに確率が低いって」
「そ、そうかもしれないけれど、し、仕方ないでしょう」
家を出て集合するまで元気だった由乃であったが、空港で飛行機の搭乗時間が近づくにつれて口数が少なくなっていた。長い付き合いではあるが、まさか飛行機が怖いなんて、思ってもいなかった。
「由乃は、絶対にはしゃぐタイプだと思っていたんだけどなぁ」
そんな祐麒の言葉も耳に入っていないようで、座席で身を硬くしている由乃。
本来、座席も祐麒は小林の隣、由乃は蔦子と隣り合わせの予定だったのだが、由乃の様子のあまりのひどさに、蔦子から隣席を押し付けられたのだ。
「やっぱりこういうのは、長年連れ添った旦那様が隣にいた方が、落ち着くでしょう?」
などとにこやかに笑いながら。
普段だったら蔦子の言葉に顔を赤くしながら噛みつく由乃であるが、今日ばかりは余裕もないらしく、ただ唇を噛みしめて座っているだけ。
中学の修学旅行は新幹線だったし、由乃も今まで旅行は車か電車を使用するような場所しか行ったことがなく、飛行機は初めてとのこと。
「だからって、怖がり過ぎだろう。ちびるなよ?」
「う、ううう、うるさいわねっ」
声にも全く迫力がない。
「大丈夫だよ、由乃さん。心配いらないって」
由乃と反対側から声をかけてきたのは祐巳である。
転入してきたばかりの祐巳であるが、親しみやすい性格と天然さで、すんなりとクラスにも溶け込んでいた。
クラスメイト達は、これからの旅行に向けて楽しそうに騒いでいる。行先は沖縄、シーズンは少し過ぎたとはいえまだ気温は高く、海で泳ぐことだってできるかもしれない。泳げなくともシュノーケリングやマリンスポーツ、色々と楽しめることはある。
由乃一人だけ、沈んだ空気の中にいるというわけだ。
「ほらー、少しは静かにしなさい」
臨時で祐麒のクラスを受け持つことになった江利子が、面倒くさそうに生徒達を注意している。
やがて生徒達も全員着座し、CAからの各種説明を受けて、いよいよ飛行準備が整った。
「う……わわ、うわ……」
飛行機が動き出しただけで、情けない声を出す由乃。
「大丈夫だって、由乃」
「だ、駄目、やっぱり私、帰る……」
泣きそうな顔をして祐麒を見つめてくる由乃。今までそんな姿を見たことがないだけに驚かされるが、ドキッとするのも確か。
「馬鹿、今さらそんなん無理に決まってるだろ」
「だ、だって、私……」
「それに、由乃が帰っちまったら、俺がつまんないだろ」
「……え? な、何、それ」
滑走路に到着し、一旦、動きの止まる機体。
「とにかく」
祐麒は小さく息を吐き出す。
「――っ!」
小さく、由乃の体が震える。由乃が目を丸くして、祐麒を見る。
「こ、これで、少しは落ち着くだろ?」
全員着座していて誰にも見られはしないだろうと思うが、それでも注意深く静かに身じろぎするようにして、祐麒は由乃の小さな手を掴んだのだ。
「う……うん。あ、ありがと」
唸る飛行機の音に消されるような小さな声で言うと、由乃の方も恐る恐る祐麒の手を握り返してきた。
「あ、わ、私、汗が」
「ばーか、んなもん気にすんなよ、今さら」
緊張と恐怖によって強く握り締められていた手の平は、じんわりと汗ばんでいた。慌てて由乃は手を離そうとしたが、逃さずに手の平に収めてより強く握る。
「あ……うん、ありがと」
そうして。
飛行機は沖縄へと向けて離陸した。
十月だが、沖縄はまだまだ暑さが十分に残っており、半袖シャツでも全く問題ない。飛行機から降りた皆は、沖縄の醸し出す空気とでもいうか、雰囲気とでもいうかに盛り上がっている。
「いや~、修学旅行ではカップルがどんと誕生するもんだけど、既に出来上がっている二人にも影響するもんなのかねぇ」
「ど、どういう意味だよ、小林」
「あらぁ、分かっているんじゃないの、祐麒くん?」
小林と蔦子がにじり寄ってきて、にやにやと笑っている。
「飛行機の中から見せつけてくれますねぇ、お二人さん。仲良く手を繋いでいらしたものねぇ」
「くっ……!」
飛行機が無事に離陸した後、由乃も多少は落ち着いたし、他のクラスメイトの目もあるのでさすがに繋いでいた手は離した。しかし、着陸に向かう際、またも由乃が挙動不審に陥ったので、祐麒は再度由乃の手を掴んだ。それは別に良かったのだが、空港に着陸して席を立つ際にも手を繋いだままでいた、というか由乃が手を掴んできて離さない状態で、それを目撃されてしまったのだ。
お蔭で、先ほどから小林や蔦子にからかわれてばかりである。由乃も飛行機での緊張のせいか、反論する元気がないようだ。
「こら由乃、気合いいれなよ」
「うぅ~、蔦子、暑い」
背後から抱き着いてきた蔦子に、胡乱な瞳を向ける。
そんな由乃の耳元で、蔦子は囁く。
「修学旅行は絶好のチャンスでしょう、今更かもしれないけれど。私は由乃の味方だからね、うん」
「な、な、何の話よ」
「何って、あれよ、あれ」
と、蔦子が視線で示す先には、祐麒と仲良さそうに話をしている祐巳の姿。何がおかしいのか、笑いながら祐麒の腕を叩いたり肘でつついたりしている。
その様子を見て、なんともいえない表情をする由乃。
「あそこまであからさまなのも、ある意味凄いわよね。しかも、計算とかじゃなくて、あれ天然よ。だから憎めないんだけど、私は由乃の方の味方」
「ううぅっ」
「ほら、行ってきなって」
「きゃあっ!?」
蔦子に背中を押され、まろびでるようにして祐麒の前に立つ。
「ん、どうした由乃」
「あ、由乃さん、体の方もう大丈夫なの?」
「え、あ、うん、てか祐麒、あんた祐巳さんに近寄りすぎ!」
少し元気を取り戻し、祐麒や祐巳と話し始めた由乃を見て、蔦子は一息つく。親友の思いはずっと分かっている。今までは特に何もせず見守っていたし、特にそれで問題ないと思っていたけれど、祐巳の登場によってそうもいかなくなってきたのでは、とも思うようになった。
今までは、祐麒と由乃、そして令を含む三人を見て、間に割り込もうとする猛者はいなかった。いや、いなかったわけではないが、割り込めていなかった。だけど、祐巳はするりと入り込みつつある。いつまでも由乃だって安穏としていられないのだ。
それに。
「……いやいや、何を考えているの私。これで、いいんだって」
軽く頭を振り、変な考えを追い出す。
蔦子にとっては由乃との友情が最も大切で、損なうような行動や感情を持つことなんて出来るわけがないし、今まで思ったこともなかった。
それなのに。
楽しそうに話している由乃、祐麒、祐巳。
三人を見ていると、胸がちりちりと痛んだ。
初日は、空港に到着してからはホテルに向かう移動日で、途中で軽く観光をするだけにとどまっていた。
ホテルに到着すると、班毎に割り振られた部屋へと行ってからは夜ご飯まで短い時間だが自由行動となる。
由乃たちにあてがわれたのは結構な広さを持つ、六人部屋の和室だった。由乃と蔦子、祐巳の他に、真美、桂、逸絵が同室である。
「わー、結構いい部屋だね」
「畳の匂いがいいよねー」
窓から外の景色を眺めたり、部屋の中を色々探ってみたり、お茶請けに手を延ばしたり、まずは自分の荷物を整理したりと、各々がめいめいなことをしてはしゃいでいる。友人と一緒に旅行というのは、どうしてこうも楽しいものなのだろうか。
「ね、ね、蔦子、ホテル内探検に行こう!」
目をキラキラと輝かせて迫ってくる由乃に、蔦子は苦笑する。
制服から動きやすい格好に着替えて、部屋から外に出る。他の皆はまだ室内にいたが、そのうち出てくるだろう。由乃の勢いを考えると、とても待ってなどいられない。
ホテルはさすがリリアンが選んだ、と言いたくなるようなところで、綺麗だし、広いし、中を歩いて見て回っているだけでも結構楽しめそうである。
「売店行ってみよう、お土産見ておこう」
「まだ初日だっていうのに?」
「馬鹿ねー、今のうちにめぼしいものを見繕っておくんじゃない。時間を無駄にするわけにはいかないでしょう」
由乃の気分を表しているかのように、お下げがふわふわと揺れている。
盛り上がっている由乃を落ち着いて見ているように見えるが、蔦子だって内心ではやっぱり浮かれ気分である。ただ、それが表面に出づらいだけだ。由乃の後を追って売店の中に足を踏み入れようとしたところで。
「おーっす」
「あ、おす」
横から声をかけて振り向けば、やっぱりラフな格好に着替えた男子たちの姿が。考えることは皆同じということか。
「おーっ、すげー、何このTシャツ! 俺これ欲しい!」
早速、妙なご当地Tシャツを見つけて馬鹿騒ぎし始める男子を、呆れたような目で眺めつつ、祐麒に話しかける。
「ね、ね、祐麒くん」
「ん、どうかした?」
「夜とかさー、抜け出して由乃と二人きりにしてあげよっか?」
正直、由乃も祐麒も幼馴染が長すぎて、新しい一歩が踏み出せていない。だからこそ、修学旅行のような非日常的な時は、その関係性を変える絶好のチャンスなのである。とはいっても二人のこと、何か背中を押してあげないことにはどうにもならないだろうことも、簡単に想像がつくわけで。こうして親友のためにちょっとしたお節介をやいてやろうというわけだ。
令には申し訳ないけれど、蔦子はやっぱり由乃が第一なのである。
「馬鹿、何言ってんだよ、由乃となんていつも一緒にいるんだから、修学旅行までそんなことしていてどうするんだっての」
「うわ、これだから……あのねえ、いつも一緒にいたとしても、こういう旅行の時というのはまた別なものなのよ?」
頭を抱えたくなる。この、鈍感デリカシー欠如はどうしてくれようか。
そんな風に考えていると。
「それを言ったら、蔦子ともいつもとは別ってことか?」
「――――へっ?」
「でも、確かに……」
「え、え、何っ?」
やたらと熱い祐麒の視線が自分に向けられているのを感じ、身をすくませる。どうしたというのか、その祐麒の目線を追いかけてみると。
「蔦子、お前、少し開放的すぎやしないか?」
祐麒の目は、蔦子の胸元に注がれていた。
タンクトップのシャツを押し上げるようにしている胸、二つの膨らみが作り出す谷間を見つめているとしか思えない。
「もしかして、また大きくなったか? ってか、俺以外の男子の前で、そういう姿見せるなよな」
「えっ!? そ、それって、どういう意味……」
慌てて羽織っていたパーカのジッパーを上げて胸元を隠した蔦子は、祐麒の言葉の意味を図りかねて、ちらと祐麒を見上げる。目があい、急速に顔が熱くなる。顔だけじゃない、胸とか、下腹部のあたりとか、全身が熱を帯びていくように感じられる。いやいや、これはきっと沖縄の気候のせいだ。
ホテル内は空調が効いていて適度な気温が保たれているが、蔦子はそう思うことにした。
「ちょっと蔦子―っ、て、あれ、祐麒じゃない、いつの間に」
「おう」
由乃が祐麒に気が付き、祐麒も手を上げて応じる。
「とにかく、お前意外と無防備だから、気をつけろよ。胸元とか開けてよく扇いでいたりするだろ。あれ、目に毒だから」
それだけ言うと、祐麒は由乃が待つ売店の中へと入って行ってしまった。
残された蔦子は。
「…………って、それって祐麒くん、わ、私の見ていたってこと? せ、セクハラじゃない!!」
羞恥を、乱れる心を、怒りで隠す。
別に、祐麒は深い意味など持たずに発言しただけだ。そういうところがある男だ、分かっているはず。
蔦子は、言い聞かせるようにして、いつもと変わらぬ表情を繕いながら売店の中へと足を運んだ。
「ほらー、真美っち、さっさと突撃しなってー」
「で、でも桂ちゃん」
「私達、班が別になっちゃったんだから、こういう時に接しておかないと駄目だよ」
売店の片隅では、桂が真美の背中をぐいぐいと押して、真美はそれに抗うように体を硬直させて首を振っていた。
「チャンスなんだから、この旅行中に二人きりになって、押し倒しちゃえ! そんな状況になったら、祐麒くんだって辛抱たまらん! ってなるよ。既成事実作っちゃったほうが強いから」
「そそそ、そんなこと出来るわけないよー!」
けしかける桂の言葉に泣きそうな真美。
「もう、しょうがないなぁ。おーい、祐麒っくーん!」
「あわわわ、桂ちゃん!?」
おろおろする真美の腕に自分の腕を絡ますと、桂は強引に真美を引っ張って祐麒の方へと朗らかに歩いていく。細身に見えるけれど運動部、桂の力は結構強く、貧弱もやしっ子の真美は逆らうことなど出来ずにずるずると引きずられるしかない。
「ん、どうかした桂さん、山口さん」
朗らかに応じる祐麒。修学旅行という場のせいもあるが、桂の人見知りしない明るい人柄は、クラスの多くの男女と分け隔てなく接することを可能としているのだ。
「いやぁね、実は真美っちが、祐麒くんの『ちんすこう』をぱっくんしたいって言うから」
「ぶっ!!?」
「ひっ――――」
噴きだす祐麒、硬直する真美。
「い、いいい、言ってない、言ってないそんなことっ」
真っ赤になって超高速で首を横に振る真美。
「あ、違った、ごめんごめん、真美っちが是非祐麒くんの『ちん○すう』」
「わーわーわーわーっ!!!」
「あれ、また違っちゃった? そうそう、祐麒くんと『ちんすこう』を食べたいって」
堂々と下ネタをかましてくる、桂、恐ろしい子であった。
「も、もう、桂ちゃんはあっち行ってて!」
「はーい、はい」
耳まで赤くなった真美が桂の背中を押して退場させる。真美はぜーぜーと荒い息をつきながら、額に浮かび上がった汗を拭う。
「大丈夫、山口さん?」
「あ、うん、ごめん騒がしくて……って、ててて、ふふふ福沢くんっ!?」
何を今さら、とも思うが、祐麒の姿を見て再びっくりする真美。
「桂さんって、楽しいよね」
「う、うん、って、あの、さっきのは違うからっ。わ、私そんなこと言ってないから、したいって心の中で妄想はしても言ったりしないから!」
「うん、分かって……ん?」
「――ふぇ?」
自分の失言に気が付いて、血の気が引いて真っ青になったかと思うと、見下ろしてくる祐麒と目があって今度は首まで一気に赤くなる真美。
「し、し、し、失礼しま~~~っ※■&#▼!!!」
聞き取れない奇声をあげて、脱兎のごとく真美は逃げ去ってしまった。
「ちょっと祐麒、真美さん泣きそうな顔して走って行ったわよ。いったいどんなセクハラかましたのよ、え?」
「待て、なんだそれ、誤解だ!」
鬼の形相をした由乃が背後に佇んでいた。
「私もさっき、祐麒くんにセクハラ発言されて視姦されたわ」
「おい蔦子っ!?」
「ふふっ、これはお仕置き決定ね……」
鳴りもしない細い指を鳴らそうとして失敗する由乃。
「なんで俺~~~~っ!?」
祐麒の悲鳴がホテル内に響き、駆けつけてきた蓉子に説教をくらうのであった。
理不尽なことだと思いつつも嫌なことは忘れ、旅行を楽しむ。沖縄料理がふんだんにあしらわれた夕食を満足して終え、あてがわれた時間に風呂に入って一日の疲れと汗を洗い流す。
「あ、そうだ。俺風呂上りに『ホワイトゴーヤソーダ』飲むことに決めていたんだ。ちょっと買ってくるわ、あれ売ってる自販機、どこだっけ」
「物好きだな、小林……先行っているぞ」
明らかに失敗するだろうと思う飲み物を買いに行く小林を見送り、湯冷ましがてらにぶらぶらと歩く。女子も風呂だったようだが、微妙に時間がずれているのか、それとも女子の入浴時間が長めに設定されているのか、由乃たちの姿は見えず、歩いているのは他のクラスの女子だった。
見知った顔もいないので、一人で気まぐれに中庭の方に出てみた。夜とはいっても寒くはなく、半袖シャツ一枚でも問題ない。
夜でも散歩できるように灯りが幾つか点いているが、それでも光から離れれば随分と暗くなる。そんな暗がりに、ふと白い影を見つけて、すわ幽霊かと思わず身構える。
もちろん、幽霊なんかいるわけがなく、そこにいたのは人間で、単に庭に置かれていた石のようなものに腰掛けるように佇んでいただけなのだが。
「えっ……」
人影は、祐麒の出現に驚いたように振り向いた。
月明かりの下、浮かび上がったのは祐麒も知っている美少女。
「藤堂さん、どうしたのこんなところで」
「あ、福沢くん?」
不安そうな表情をしていた志摩子だったが、知っている人物だということを見てとって、安心したように表情を和らげる。
そして、立ち上がろうとして。
「――っ、藤堂さんっ!?」
ふらつき、倒れそうになるのを見て、咄嗟に祐麒はダッシュして背後から抱きかかえた。
「だ、大丈夫、どうしたの藤堂さんっ!?」
「ご、ごめんなさい。ちょっとお風呂、熱かったのに長く入っていたせいか、ちょっとのぼせちゃったみたいで、ここで涼んでいたんだけれど……」
見れば、志摩子の白い肌はピンク色に染まっていて、服を通しても肌の熱さが伝わってくるくらい。
ふわふわの髪の毛はしっとりとしていて、シャンプーの香りが鼻をつく。沖縄の綺麗な星空の下、志摩子の美貌は風呂上りという要素が加わって更に磨きがかかり、美しさだけでなく艶っぽさが倍加しているように感じられる。
「ふ、ふ、福沢さん……い、意外と大胆、なんですね」
「え……って、うあああああっ!!」
恥ずかしそうに小さな声で言う志摩子の目線の先を追うと、志摩子のボリューム豊かな胸に辿り着く。そして、その旨をしっかりと掴んでいる手。
志摩子を支えるために抱き着いた際、身体の前に回した手が志摩子の胸を掴んでいたのだ。シャツ一枚という薄着で、まるで手の平に吸い付いてくるような感触。弾力豊かで、手の平からこぼれそうなボリュームで、指が埋まるほど柔らかで。少し硬く感じられるのはおそらくブラジャー。
「ああああああ、ごごごごごごめん、す、すぐ、すぐにっ」
離そうとするが、あまりに魅力的で、くっついたように離れない。
そんな風に慌てる祐麒の手の甲に、そっと重なる小さな手。
「あの、私……まだちょっと湯あたりでくらくらするから、支えていてくれますか……このまま」
「え、ええっ、こ、このままっ!?」
「はい」
見上げてくる志摩子の顔は上気し、上目づかいに見つめてくる瞳は濡れそぼり、乱れたシャツの首周りから覗いて見える鎖骨の影、そして何より両手の平が掴んでいる物体。
このままでいて本当にいいのかと自問するが、理性と違う何かが離すことを拒絶する。
「え、えと、藤堂さん、お一人ですか?」
混乱してそんなことを口走る。
「はい、私、お友達が少なくて……ぼっちなんです。去年は、桂さんが一緒のクラスで仲良かったんですけれど、今年は離れてしまって」
「え、まさか、藤堂さんが」
びっくりする。綺麗で、頭も良くて、優しくて、誰からも慕われていると思っていた志摩子から、そんな言葉が出てくるなんて。
「あ、別にいじめられているとか、ハブられているとか、そういうわけではないんですよ? 修学旅行だって、一緒の班の子とは仲良くやっています。ただ、本当にお友達、といえる子は……」
沈む志摩子の表情。
でも、もしかしたらそういうものなのかもしれない。あまりに美人過ぎるというのは、同性の妬みをかうものだろう。男子からの人気も当然のように高いから、尚更か。
志摩子のような子でも、人知れず苦労しているのだなと改めて思う。
もっとも、背後から抱きついて胸を揉んでいる変質者にしか見えない今の状況では、どんな真面目なことを考えても無駄であったが。
「だから、自由行動のときも、ぼっちなんです……」
寂しそうに言う志摩子。これはフリか、フリなのか。
「えと、じゃ、じゃあ、もしよかったら俺たちと一緒に遊びます?」
「本当ですか? 福沢くんと二人でなんて……」
「え、あ、いや、俺たち」
「嬉しい……」
え、何コレ、いつの間にフラグ立ったのか。環境整備委員か。確かに、委員会の仕事では二人で活動することが多かった。とゆうか、他の委員は環境整備委員なんて真面目で面白味のない仕事はサボりがちで、一人で不器用かつ鈍くさく働く志摩子を見かねて、手伝っていたのだが。
「ああああのっ、そ、そろそろ戻らないと」
「――あ、眩暈が」
「うわわっ」
さらにぐったりと力が抜ける志摩子。ヤバい。なんかずっと触っている間に、ブラがずれてきているような気がする。明らかに、ブラからはみ出している肉を触っている部分が多くなっている。
「はぁ……ふぅっ……」
今まで以上に顔を赤らめ、もじもじする志摩子。その動きに刺激を受ける。
「……って、う、わっ」
手にばかり意識がいっていたが、当たり前のように下半身は大変なことになっていて、しかも抱きしめている志摩子のお尻に押し付ける形になっている。これ確実に志摩子は感づいているはずで、だから赤くなっているのだ。
嫌がって逃げようとしないのは、自力で立っていられないからか。しかし、腰を引けば力がうまく入らず、志摩子を支えられなくなるかもしれない。
「ご、ごめんなさい、私のせい……ですよね?」
「いやいやいや、藤堂さんのせいじゃない、悪いのは明らかに俺です、はい、ごめんなさい、スケベでごめんなさい、でも男って悲しい生き物なんですー!」
泣きたくなった。
だけど志摩子は、嫌な顔などしなかった。恥じらってはいるが。とゆうか、祐麒の方がいたたまれない。
どうする、どうやってこの状況を逃れるか、必死に考えていると。
「――そこに誰かいるのか?」
男の教師の声が聞こえて、慌てて身を離して距離を取る二人。
「なんだ、福沢こんな場所にいたのか。何しているんだ」
「す、すみません、ちょっと風呂上りに涼んでいて」
顔を見せたのは、別のクラス担任の教師だった。志摩子はいつの間にか暗がりに姿を隠したらしい。まあ、男女が一緒に居たら怪しまれるだけだし、その方がいいだろう。
「もう時間だぞ、さっさと戻れ」
「はい、すぐに」
ホテル内へと歩き出す教師の背中を追って、祐麒も歩き出すと、シャツの裾を引っ張られた。
志摩子が上目づかいに見てきていたが、まともに目を合わせられなくて顔を反らす。
「も、戻ろう、藤堂さん」
誤魔化すように背を向けると。
「……福沢くん」
拳を口元にあて、もう片方の手でシャツを握ってもじもじと恥じらいの仕種を見せながら、志摩子は。
「あの、だ、大丈夫? その……もし、私のせいだったら、私、責任を取った方がよいのかしら……」
なんてことを言ってきた。責任をとるって、意味が分かっているのか、この美少女は。どうやって責任を取るというのだ、まさか、先ほどまで手に乗っていたもので。
と、そこで妄想してしまった祐麒は頭に血が上り。
「し、失礼しまーーーーーーすっ!!!」
逃げ出してしまった。
残されたのは、星明りの下に佇む志摩子一人。
志摩子は軽く小首を傾げると。
「…………残念」
誰にも聞こえない声で、呟いたのであった。
おしまい