三奈子と別れた後、そのまま教室に戻ろうかと最初は思ったものの、このままついでにどこか遊んでふらついていきたくなった祐麒は、目についた体育館の方へと足を向けた。体育館では演劇部やコーラス部、ブラスバンド部などが発表を行っているはずで、タイミングが良ければ何か面白い演目でもやっているかもしれない。
そう思って体育館に向かっていくと、次第に人の気配が少なくなっていく。体育館の裏側から向かう形になっており、そちらには何もなくて模擬店やイベントなども行われる場所ではないので、わざわざ誰もやって来やしないのだろう。祐麒はしばしばこの裏道のような場所から裏門へ抜けることがあり、無意識のうちに歩いていたのだろう。
その途中に、古ぼけた倉庫がある。体育倉庫として以前は使われていたのだが、古くて狭くもなったので、今では使わなくなった機材などが置かれているだけのはずである。そんな倉庫に近づくと、中から人の声が聞こえたような気がした。
「……はぁっ…………んっ……」
小さな声だがどうも女性のようで、しかもなんだか息が乱れてやや艶めかしくも聞き取れる。まさか学園祭が開催されている中、しけこんでいやらしいことをしている生徒でもいるのだろうか。いや、浮かれ気分だからこそ羽目を外す者がいるのかもしれない、それはけしからんと思った祐麒は、気配を殺して倉庫へと近づいていった。小さな窓が一つあるだけだが、ボロい倉庫で鍵がかからないことは知っている。そっと、音を立てずに窓をあけてこっそり中を覗き込む祐麒。
「――は、あ、もう駄目、勘弁して。こんな、恥ずかしい」
女性の声、汗を流しながら激しく動き、呼吸を乱して喘ぐ。
「はぁっ、んっ…………」
その光景に、祐麒は息をのんで見入る。
「…………あっ、くっ」
「……ほら、もっと腰を入れて」
「そんなこといったって、もう限界……はぁっ」
「だらしないわね、まったく」
「っていうか、この格好が嫌なんだってば!」
倉庫の中には妙齢の美女が二人、しかもなぜか白いブラウスに赤いチェックのネクタイをして上にベスト、ネクタイとお揃いの赤いチェックのミニスカートという、リリアンの制服とはかけ離れたいわゆる『アイドル衣装』のようなものを身に着けている。
「ほら、もう一回いくわよ佐藤先生」
「やっぱりやめようよー、景さん」
「仕方ないじゃない、じゃんけんで負けたんだから」
音楽が流れ出す。
聖はいやいやながらも景の隣に立つ。二人の衣装は良く見れば色違いで、聖の方は赤というよりも濃い目のピンク色だ。
「始まるわよ、ほら、ここからターンタターン」
音楽にあわせてステップを踏み、踊る姿はまさしくテレビでも人気のアイドルグループのもの。
どうやら今年の教師代表の出し物は、加東景、佐藤聖、二人の教師によるオンステージということのようだ。
毎年、教師からのサプライズ演目があり、確か去年は蓉子と江利子でコントが繰り広げられ、生真面目な蓉子が練ったらしいネタに、シュールな笑いが生徒達の間に蔓延したが、今年はまた随分と路線が異なっている。
「しかし……」
ごくり、と唾をのみ込む祐麒。
二人の踊りはなかなかさまになっており、結構な練習を積んだというのがわかるのだが、それ以上に目が釘付けになるのは揺れるミニスカート、そして揺れる聖の乳であった。
これだけの色気を振り撒かれたら、男子生徒からの惜しみない歓声と、そしてPTAからの苦言が山のようにきそうだが。
ひらり、ひらりと裾の舞い上がるスカート、くるりと一回転してポーズを取る景、ジャンプして着地する聖、その度にチラ見えするスカートの下の下着。見せパンだと分かっていてもドキドキを抑えられないのは男の性である。
曲が終わり、最後のポーズを終えて息を整える二人。
「大分、揃うようになったわね」
「真面目すぎだよ景さんは。ここまでやる?」
「やった挙句に失敗とかしたくないのよ。どうせやるなら、ちゃんとしないと」
「そうかもだけど、だからって普通のパンツはやめた方がいいんじゃない?」
と、景のスカートを無造作に捲り上げる聖。その下に現れたのは、真面目な景ではあるがなぜかイメージ通り黒のパンツ。
「きゃあっ!? な、何するのよっ」
あわててスカートを手で抑える景を、聖はへらへらと笑って見ている。
「いや、だってこのスカートじゃ絶対に見えるじゃん。こういうとき、あたしみたいに見せパンを穿くものなんだって」
言いながら自分のスカートを捲ってみせる聖。
「…………へぇ。見せパンって、そんなにセクシーなんだ?」
「ん? そんなわけ…………って、間違えてたぁっ!?」
聖のスカートの下は、レースデザインのローズピンクショーツだった。
「いや、間違える普通? てっきり、衣装とあわせた色の下着にしてきたんだと思ったわ」
「そんなわけないしっ。あーもう、やっぱこの衣装やめようよ」
「……そうね、お互い今の下着じゃ駄目だものね。キュロットの方にしましょうか。時間がないから早く着替えましょう」
窓から覗き見ていた祐麒に取ってみれば、見せパンツだと思っていた景と聖のパンツが実は普通のパンツで、それだけで鼻血モノだったというのに。
「……っしょ」
無造作にスカートを脱ぐ景。前屈みになり、窓から見ている祐麒にお尻を突き出す格好となっており、ブラックのパンツに包まれた小ぶりで締まったお尻が目に飛び込んでくる。
聖は上衣の方から脱ぎにかかっており、ベストとブラウスを脱ぐとブラジャーに包まれた豊満な胸が惜しげもなくさらされる。
二人とも、祐麒がいるなど思ってもいないから大胆に脱いでいるのだ。
今、祐麒がいることがバレたらヤバい、そういうときに限ってお役奥は発生する。
「――っくしゅ!!」
くしゃみが出てしまった。口を手で抑えるが遅い。
「――え?」
「誰だっ!?」
二人の目が窓に向けられると、思い切り目と目があってしまう。顔も見られ、このまま逃げても後で捕まることは必至、というか二人の視線とオーラにあてられたのか、足がその場に縫い付けられたかのように動かない。
「――あら福沢くん、まさか君が覗きをするなんて、ねえ」
にっこりと微笑む景がむしろ怖い。下半身はパンツ丸出しだが。
「ふ……ふふ……見られたからには生きて返すわけには」
いや、この後体育館で多くの生徒達に見せるつもりだったんだろうと突っ込みたいが、口にはできなかった。
「どうする佐藤先生、覗きをするような悪い子にはお仕置きをしないと」
「そうね……あ、そうだ、いいこと思いついた!」
そう言って祐麒を見る聖の目は、面白いおもちゃを見つけた子供のように輝いていた。
★
「――なあなあ、聞いたか? 体育館でのステージの話」
「ああ、加東先生と佐藤先生のアイドル衣装でのライブだろ。そんなんやっていたんなら俺も見に行けば良かった」
「それもあるけれど、それだけじゃない。謎の美少女のことだよ」
学園祭初日も終盤に差し掛かった頃、周囲を歩く生徒達の口からそのような話題がちらほら出ているのを耳にする。
「あんな可愛い子、うちの学校にいたっけ?」
「なんか、あたしも保護欲そそられちゃった。可愛かったー!」
「えっと、"ユキちゃん"だっけ? 先生たちのライブにいたの」
どうやら体育館でのステージの出し物に飛び入り参加があったらしいが、その美少女のことが噂になっているようだった。沢山の生徒が観に来ていたというのに、誰も知っている者がいないということで、もしかして本物のアイドルの卵がドッキリ的に来たのではないかとか、いやずっと病気で登校できていなかった子がやって来たのだとか、適当な話が色々と出てきているらしい。
「ふーん、そんなことがあったんだ。誰なんだろうね、謎の美少女とは気になるな」
「スクープを逃しちゃった、残念……」
「でもさぁ、実際は言うほど美少女じゃなかったり……あっ」
「どうしたの、桂さん?」
「おーい、祐麒くーん!」
いきなり廊下を走り出し、数多い生徒やお客もなんのその、合間を縫うようにすいすい進んで突進した先にいた祐麒に笑顔を向けるのは桂。
「え、なに、どうしたの桂さん?」
「どうしたって、見かけたから声かけただけ。クラスメイトなんだし、駄目なの?」
「いや、驚いただけ、いきなり走ってくるから。どうかしたの?」
「桂ちゃん、待ってよ、足速いよ~」
と、こちらは桂のようにすいすいとはいかず、むしろ色々な人にぶつかりそうになるのを必死に避けつつ、どんくさい感じでようやくやってきた真美。
「早く早く真美さんってば」
「あぅ……って、わ、福沢くん!?」
「山口さんも一緒だったんだ。二人は仲良いよね」
「あ、う、うん……」
途端に顔が赤くなり、もじもじし始める真美。
「そーいえば祐麒くん、体育館での佐藤先生達のステージに謎の美少女が出たって噂、聞いた?」
「えっ!? いや、えと、そうなの?」
なぜか、微妙に挙動不審になる祐麒。
もしや、その謎の美少女とやらにときめいてメモリあってしまった、なんてことがと疑いを抱く桂。
「祐麒くんは見ていないの? 実は一目惚れしちゃったりしちゃったんじゃないの?」
「そんなわけないしっ! ありえないから」
「ふーん、ってことはやっぱり見たんだね。どうだった、噂されているくらい、可愛かったの?」
「いやいや、そんなわけないし」
「なんかあやしいなぁ、目が泳いでいるし、ねぇ真美さん?」
「…………そんなに、可愛い子だったの?」
「だから違うって、それならよっぽど桂さんと山口さんの方が可愛いし」
「――――え」
「うわはぁーっ、さらりと言うねぇ祐麒くんってばー」
祐麒の言葉に硬直し頬を朱に染める真美、桂はふざけたような口調でばしばし祐麒の腕を叩くが、やっぱりほんのりと顔が赤くなっているように見える。
「真美さん、祐麒くんが可愛いだって、良かったねぇ」
「で、でも、最初に言われたのは桂ちゃんだし、きっと私なんて桂ちゃんのついでだよぅ」
うりうりと肘で真美のわき腹をつつく桂、真美は身をもじもじと捩らせつつ小声で自信なく反論する。
「そんなことないって、真美さんはこんな可愛いんだから、くすぐった時の声なんかもう、堪らんって感じで」
「ひぁんっ、や、くすぐっ……あーん、やめてよー」
背後から真美に抱き着くと、わき腹を、太腿をくすぐり、首筋に息を吹きかける桂。くすぐられて身を捩り、笑いと涙をこらえつつ可愛らしい悲鳴をあげる真美。微笑ましい中にも揺れるスカートの裾から伸びる太ももとか、たまに聞こえる喘ぎ声とか、微妙にそそられるところもあるようで、祐麒の視線がちらちらと向けられてくるのを感じる。
「ほら、ここか、ここがええのんかー? うりうりー」
「桂ちゃん、だめだってー、うわん」
しばらくしてようやく離すと、桂は満ち足りたような表情をして肌もつやつやしており、一方で真美は息も絶え絶えで首筋に汗を光らせ、それがちょっと色気を出していた。
「……で、結局、謎の美少女は謎のままだったの?」
「よくわからないけれど、そういうことかな……」
「ふーん、残念……あれっ、祐麒くん、口紅ついてない?」
「えっ!?」
桂に指摘され、慌てて口もとを手の甲で拭う祐麒。すると確かに、微かに手の甲にうっすらと赤い色が付着したように見える。
「ええっ、口に口紅って、ま、まさか、誰かとキキキキキキススススススっ」
「落ち着いて真美さんっ。事実はいかに、祐麒くんっ?」
ずずいと、透明のマイクをつきつける桂。
「あ、いや、さっきゲームで負けて罰ゲームで口紅で落書きされたから、それが落ちきっていなかったんじゃないかな」
「誰かとキスしたわけではない?」
「してないし、そんな相手もいないって」
笑って否定する祐麒の姿はごく自然なものに見え、嘘をついているとは思えなかった。
「――よかったね真美さん、相手はいないって」
「う、うん」
「え、なんで山口さんが良かったの?」
「あわわっ、な、なんでもないですっ」
ばたばたと落ち着きなく手を振る真美の姿に首を傾げる祐麒だったが、それ以上つっこむことはせず話題を変える。
「二人はこれからどこか見て回るの?」
「うん、今日の仕事は終わったからね、まだ少し時間あるから。良かったら祐麒くんも一緒に行かない?」
桂がごく自然に誘いの言葉をかけると、真美が桂の腕をギュっと握りしめつつ、じっと祐麒に視線を向ける。
「そうだなぁ、それじゃあ一緒に――」
祐麒がそう言いかけ、真美が表情を輝かせると。
「……あーっ、やっと祐麒見つけた! いつまでゴミ出しに時間かけてんのよ、サボっていたんでしょ!」
「げ! 由乃」
目を向ければ廊下の先で腰に両手を当てて目を吊り上げている由乃の姿があった。細い体ながら態度はでかく、ずんずんと廊下を歩いて近づいてきて祐麒達の前で立ち止まる。
「何、真美さんと桂さんをナンパしてたの?」
ジト目で祐麒を睨みつける由乃。
「えーと、まあ、そんなとこかな」
「何よ、サボって女の子に声かけるとかいい度胸じゃないっ」
頬を膨らませて怒る由乃の目が、「どこまで本当かしら」といった感じで祐麒と真美達に交互に向けられる。
「由乃さん、そんなんじゃないから。たまたまここで会って、ちょっと話していただけだから」
正妻(?)である由乃に向けて祐麒の誤解を解くべく、急いで説明する真美。祐麒がどう思おうが、周囲からしたらそういう目で見ているのだ。例え真美の想いがあろうとも、真美自身もそう考えてしまっているし、それが不思議と自然であって嫌な気持ちがしないのだ。
「本当に? 祐麒に無理矢理言わされていない、真美さん」
「なんでそうなるんだよ、大体、由乃に俺の行動を制限する権利なんてないんだし」
「何よそれ、あたしは祐麒が――」
いつものように言い合う二人を見て桂は苦笑いし、一方で真美は毎度のことならが内心で思う。
由乃がやきもちをやいて、心配だからあれだけ口うるさく言うのだし、こうして探しに来るのだということがどうして分からないのだろうかと。
幼馴染で赤ん坊のころから一緒に育ったというから、近すぎるというのが逆に分からなくさせているのか。
「――ほら、そういうわけだから、早いところ教室戻るわよ。最後のひと稼ぎなんだから」
「はいはい、分かりましたよ」
「はい、は一回でしょ」
お約束のようなやり取りをすませ、落ち着くべきところに落ち着く、阿吽の呼吸のようで羨ましくは思うけれど、それが似合ってしまう二人なのだ。
「真美さん、このままじゃ祐麒くん連れられていっちゃうよ、いいの?」
「……うん、実際、シフトに入っているのは間違いないしね」
素直に頷く真美に、友人である桂は歯噛みする。この辺の謙虚さというか押しの弱さというかが歯がゆいが、それが良いところでもあるのだ。
「沢山お話しできたし、満足」
「ううぅ、そんな健気な真美さんが好きだわさ~っ」
「もう、桂ちゃんったら」
女の友情を深める二人。
その一方で。
「…………はぁ」
真美達と別れて教室に向かう途中、なぜかいきなり元気を失って肩を落とし、あからさまなため息を吐き出す由乃を見て、祐麒は目を丸くする。
「あぁ、自己嫌悪……」
「どうしたんだ、由乃」
呼びかけると、どんよりとした表情で祐麒に目を向けてくる。
しかしすぐに顔を背けたかと思うと、がしがしと髪の毛をかきむしり、その場に蹲ってしまった。
「あぁもう、あたしって嫌な性格……そっか、真美さんて、そうだったんだ……」
「だからどうしたんだよ。由乃が我が儘なのは今に始まったことじゃないだろ」
いつもの口調でそう言ってみたが、由乃はいつもと違う雰囲気で祐麒を見上げている。
「……なんでもないわよ、このロクデナシ」
「なんでいきなりそうなるんだよっ、たく」
由乃から意味不明な悪口を言われるのはいつものことだが、なぜか今回に限っていえばいつものように元気もなければ勢いもない。体力のない由乃のことだ、もしかしたら学園祭を一日力入れて楽しみ過ぎて疲れているのかもしれない。いつもと異なると調子が狂う、どうしたものかと思っていると。
「――――あーもうっ、変に考え込むのはやめやめっ! あ、あたしはただ、サボっていた祐麒を呼びに来ただけ、正当な理由なんだからっ」
今度はいきなり大きな声を上げたかと思うと、勢いよく立ち上がる。
「あ、ばか、そんなことすると」
「って、あ、わ……」
勢いがよすぎて、案の定立ちくらみを起こした由乃の体が揺らぐ。
「だから、考えなしに行動するなよな」
「え…………あ……」
ふらつき、後ろにぐらりとバランスを崩しかけた由乃の体を祐麒が支えている。首を捻って顔を向けてきた由乃と至近距離で目があうと、由乃のその大きな瞳がさらに見開かれ、ついで頬が徐々に赤みを帯びてくる。
「ばっ……ばかっ、か、考えなしは祐麒の方じゃんっ!」
身を捻って体を離す由乃だが、立ちくらみが完全におさまっていないのかヨロヨロといった感じだ。
「もう……ほんっと、信じらんない……」
口を尖らせつつ、ぶつぶつと何か言っている由乃。祐麒にとっては慣れていることだが、相変わらず何を考えているか分からないし、行動予測が不能だと思った。
「ん~~っ…………もういいわ、とりあえず教室に戻るわよ」
「戻ろうとしていたのに、いきなりしゃがみ込んだのはお前だろ」
「はいはい、あたしが悪うございました」
「はい、は一回だろ」
やり返すと。
「はーい、ほら行きましょう」
「俺に言っておいて、自分はそれかよ……」
隣に肩を並べ歩き出す。
歩幅、歩くスピードはいつも通り由乃にあわせて。
こうして、学園祭初日は幕を閉じる。
謎の美少女"ユキ"という伝説を残して――
おしまい