令ちゃんの様子がおかしいことに、由乃は気がついていた。
基本的に令ちゃんは素直だし、隠し事は苦手なタイプで、昔から何かあれば由乃はすぐに気がついた。
成長するにつれ、落ち着きも出て、子供じゃないわけだし全てをお互いに見せているわけでもないし、必要な嘘とかもあって、今ではなんでもかんでもわかるというわけではないけれど。それでも、やっぱり分かるときは分かる。特に、令ちゃん自身のことというよりも、どちらかというと由乃に深く関わることに関しては、分かりやすい。
心臓に病を抱えていたときもそうだった。
優しい令ちゃんが、由乃のために優しい嘘を何度もついてくれたことを知っている。その度に由乃は、むくれたり、怒ったり、理不尽なことを言って困らせたりしたのだが。
まあ、そんなわけで。
「……何があったのかしら、令ちゃん?」
「な、何かって、ナニ?」
ここは由乃の部屋。
受験勉強中の令ちゃんを無理矢理に呼び出して、尋問中というわけだ。令ちゃんはすました顔をしているけれど、わずかに動揺が見られる。
「しらばっくれても無駄よ。祐麒くんのことでしょ?」
カマをかけてみたのだが、見事に大当たりだったようで、令ちゃんの表情が強張る。まあ、今の由乃たちの間でホットな話題といえば、これくらいしかないのだけれど。
「いや、その……」
「令ちゃん。この前、話し合ったこと忘れたわけじゃないでしょう? そりゃ、嫌なら無理に話せとまでは言わないけれど……別に由乃は、何を聞いても怒らないよ」
この前、といっているのは、リリアン学園祭で祐麒くんを巡る出来事の後、令ちゃんと二人で一晩中語り明かした日の事。
色々なことを話した。今まで、何でも知っていると思ったけれど、お互いにまだまだ知らないことが沢山あって。
「祐麒くんと、何かあったの?」
「何かあったというか……なんかもう、私、わかんなくなっちゃって」
額を抑える令ちゃん。
そして、つらつらと話し出したことは、はっきりいって要領を得なくて、わけがわからなくて、何を言いたいんだか不明だったけれど、それでも確かに伝わってくるものはあって。
「そっか。令ちゃんは、やっぱり祐麒くんのことが好きなんだね」
不思議なことに、ごく自然にそう言うことができた。もっと、驚いたり、慌てたりするかと思っていたけれど、素直に由乃は受け止めていた。
「そう……なのかなぁ」
「そうだよ」
「わかんないんだ、自分でも。こういうの、初めてだから」
「間違いないって。私が言うんだから」
「私でも分からないのに、由乃には分かるんだね」
「分かるよ。だって、令ちゃんのことだもん」
自分のことは分からなくても、相手のことなら分かる。由乃と令ちゃんの間にだったら、そういうことだって沢山ある。むしろ、自分のことじゃないからこそ、よく分かる。
「令ちゃん、恋する少女の顔してる」
「や、やめてよ」
赤面して頬をおさえる令ちゃんは、いつもの凛々しい令ちゃんと異なり、間違いなく可愛かった。こんな表情をしているのはきっと、恋をしているからに違いない。
「でも……由乃はそれでいいの?」
少し落ち着いたところで、令ちゃんが聞いてきた。
いいの、とは勿論、祐麒くんのことだろう。
「由乃もさ……祐麒くんのこと、好きなんじゃないの?」
「うーん、どうなんだろう。私も、分からない」
好きか嫌いかと問われれば、好きな方に入るだろう。だけれども、それが恋愛感情なのかどうか、やっぱり分からない。令ちゃんと同じで、今までそういった経験がないから。
「でも、もしも私も祐麒くんのこと好きだったら、令ちゃんはどうする?」
それが一番の、懸念される事態。恋は人を狂わせる。どんなに仲が良かった二人でも、同じ人を好きになった途端に、険悪になるとか、喧嘩別れしたりなんて、本や雑誌でよく見ることだ。たとえ由乃と令ちゃんの二人だとしても、そうならないとは言い切れない。
だけど。
「そしたら……そうだね、勿論、負けないよ。たとえ、由乃が相手でもね」
「そうよね。私だっておんなじ。令ちゃんには負けないから」
誓ったのだ。
正々堂々と、恋の勝負を繰り広げようと。どのような結末になるか分からないけれど、戦うのだと。それくらいで壊れるような二人の絆ではないと、強い確信と信頼を抱いているからこそ、戦おうと。
でも、その前に。
「……私も、自分の気持ちを知らないとなぁ」
戦う以前の問題だ。
秋に、祐麒くんに感じたドキドキは、果たして本物だったのかどうか。
「ぼやぼやしていると、さっさと私がかっさらっちゃうよ?」
「臆病な令ちゃんに、そんなことできるわけないよ」
「あ、言ったわね」
笑顔で、拳を付き合わせる。
そうだ、まずは自分の気持ちを―――
そして、由乃は今また、花寺学院にて待ち伏せを敢行していた。
今回は、正門の真ん前で待ち構えるようなことはしていない。前回のときは、祐麒くんが出てくるまで随分と好奇の目を向けられたものだったから、それを避けるべく、目立たない場所から様子を窺う。
校門からは、ぞろぞろと黒い男子生徒達がはき出されてゆく。なんか、みんな同じような格好で、みんな同じように見えてしまうと思ったけれど、ひょっとすると反対に、リリアンの生徒もそんな風に見られているのだろうか。
「……ってゆうか、早く出てきなさいよ」
一人、文句を垂れる。
元来、待つのは性に合わないのだ。
じりじりと、焦れるような時間が流れること十数分。
「……何しているの、由乃さん?」
「うわぁっ?!」
振り返れば奴がいる。
そこには、きょとん、とした祐麒くんが立っていて。由乃は、びっくりしてドキドキしている心臓をおさえながら、口を尖らす。
「い、いきなり後ろから驚かせないでよ……ってゆうか、いつのまに? 正門から出てきたんじゃないの?」
「ああ、ちょっと用事があって、裏門からまわってきたんだ」
「あ、そう」
喋りながら、心を落ち着かせる。
そうだ、落ち着け。自分が何をしに、この寒い中、わざわざ花寺まで出張ってきたというのか。冷静に、自身の気持ちを確かめるためだ。
とりあえず、立ち話をするのも寒いので、並んで歩き出す。祐麒くんは、由乃が何をしに来たのか気になっているようだけれど、教えられるか、そんなこと。
ちらりと、隣を歩く祐麒くんに目を向けてみれば。
丁度、同じタイミングで由乃の顔に視線を向けた祐麒くんと目が合い、その瞳に思わずドキリとして、逸らすように顔を正面に向けなおす。
(あー、なんだこれ。なんで赤くなるのよっ! これじゃあ、私が意識していること丸分かりじゃない……!)
内心、一人で文句をこぼす。
しかし、こうしみると分かるのは、やっぱり自分は祐麒くんのことを少なからず意識しているということ。
好きなのかは分からないけれど、好意は確実に抱いている。
特別な美形というわけではないけれど、可愛らしい顔立ちに祐巳さんにも似た柔らかな表情。ちょっと優柔不断っぽいけど、優しいし便りにもなる、と思う。そして何より、一緒にいて肩がこらない。ごく自然体でいられるのは、祐麒くんから滲み出ている雰囲気のせいだろうか。
でも、そんなことを面と向かって言うわけもない。由乃は口をすぼませて、淡雪のごとく息を吐き出す。
「ここじゃあ寒いし、とりあえずどこか入ろうか」
当然のように言う。学校の帰り道、リリアンであれば寄り道は禁止されているのだけれど、花寺では異なるのか。さすがに、男子高校生に対し、わざわざ寄り道禁止なんて校則は出さないのだろう。
一応、他の生徒の目を考慮して、駅前から少し離れた場所のファーストフードに入り、席に着く。
由乃たちと同年齢くらいの男女グループも沢山いて、目立つことは無い。
それぞれ購入したドリンクとポテトを軽くつまんだところで。
「で、あの、今日はどうしたの?」
と、尋ねてくる祐麒くん。
困った。当然の質問ではあるが、特別説明できるような理由が無い。あまり深く考えずに突撃したから、会った後の展開も予測しておらず、いってしまえば、なせばなるという気持ちであったのだ。元々、悩むくらいなら行動してしまえというような性格なのだから。
どうするか。何か、良い理由はないだろうかとさり気なく店内に視線をめぐらせたところ、ちょうど目に入ってきたもの。
「クリスマスは、何してるの?」
「クリスマス? 特に何もないけど。由乃さんは?」
「私は、イブの日に山百合会のみんなでパーティがあるんだけれど」
「へえ、楽しそうだね」
「うん、お手製のケーキを食べて、ゲームをして。楽しいよ」
「クリスマスパーティか。さすがに、うちのメンバーだけでやるのも華がないしなぁ」
「あー、冬なのに暑苦しそうよね」
「まあね」
もう、クリスマスも近い。店内にはクリスマスフェアだの、特製パックだののポスターなどがべたべた貼られているし、トレイの上にも宣伝の紙が置かれている。
「そうだ、祐麒くん。特に用事ないなら、どこか遊びに行かない?」
「え、でもパーティがあるんじゃないの」
「イブはね。クリスマス当日なら、空いているし」
「うーんと」
「そうねえ、駅前に六時に集合ということでどうかな」
「それって、二人で、ってこと?」
「もちろん……」
と、そこまで言ったところで、自分がとんでもないことをさらりと口にしたことを理解した。
二人きりで遊びに行くなんてまるきりデートだし、しかもクリスマスの日だなんて、恋人同士みたいではないか。そうじゃなくても、何か特別な意味があるんじゃないかと思われても仕方が無い。
だけど、ここで今さら意見を翻しても不自然だし、何か意識しているととられるかもしれない。由乃は何気ない様子を取り続けることにした。
「べべ、別に、と、特別な意味があるわけじゃないからねっ」
不自然さ丸出しだった。
「や、あの……」
祐麒くんも、微妙に顔を赤くして、指で頬をかいていたりする。ちなみに由乃自身も、少しばかり赤くなっていると思われた。
が、あくまでも何でもない振りをして、強気で続ける。
「ちょうどね、食べたいケーキセットがあって。クリスマスまで限定の。すんごい美味しそうなのよ」
「へ、へえ」
「と、いうことでどう? さっきも言ったけれど、六時に駅前で」
なんか、当初の目論見と趣旨が異なってしまっているが、まあ良いか。
クリスマスにデートだなんて、なかなかロマンティックではないか。令ちゃんあたりが喜びそうなシチュエーションである。
「そうだね、ええと……」
祐麒くんは照れで体温が上昇しているのか、それとも単にフロア内が暑いのか、シャツのボタンを一つはずして手で扇いだ。
「―――あれ、祐麒くん。痣が出来ているよ」
「え?」
ちらりと見えた、赤い痕。
首を傾げる祐麒くんに対し、軽く身を乗り出して指差してみせる。
「ほら、ここ。首の付け根よりちょっと下の」
「いや、これは違うんだ。これは江利子さんに―――」
そこで、ハッと口をつぐむが、由乃が聞き逃すわけが無い。
「江利子さまに……?」
「いやいや、そう、これはなんか、変な虫にでも刺されたみたいで」
明らかに嘘をついているとしか思えない動揺。こんな冬の寒い時期に、どんな虫に刺されたというのだろう。
江利子さま。首筋の赤い痣。動揺する祐麒くん。
目まぐるしく回転する思考が、ある仮説に到達する。まさか、と思いながらも、その結論を否定できない。
「キスマーク……?」
ぽろりと、口からこぼれ落ちた言葉。
「ちがっ、これは江利子さんに無理矢理……いや、そ、そうじゃなくてっ」
顔を横に振るが、完全に自爆している。
そうか、アレは江利子さまにつけられたキスマークか……って、な、何をやっているんだ、あの女は?!
いや、それ以上に。
「いやらしい、そ、そんなコトしてるなんて、不潔よ!」
由乃自身も動転していた。キスマークということはなんだ、江利子さまと祐麒くんが、親しい仲になったというかむしろそれ以上というか。お、お、お、オトコとオンナの関係になったとでもいうのか。
想像して頭に熱が上り、怒りで頭に血が集まる。
「違う、こ、これは江利子さんが悪戯で」
「うるさい、黙れ、このエッチ! 変態!」
「うわ、由乃さん、ちょっと」
暴れ、騒ぎ出した由乃を止めようとするが、止まるわけもない。
「祐麒くんの、馬鹿ーーーーーーーーーーーーっ!!!!」
周囲の喧騒がぴたりと止まる。好奇の、驚嘆の、困惑の視線が突き刺さるのが分かったが、そんなの知ったことじゃない。
祐麒くんの頬を平手で叩き、由乃は足音も荒く店を飛び出した。
外に出てみれば、すっかり夜の帳は下りていて、周囲は闇に包まれていた。