十二月、寒さも随分と厳しくなってきた。保健室にも風邪やらなんやらで具合の悪くなった子がしばしばやってきている。悪化させるわけにはいかないから、保健室内には適度な空調が効いていてすごしやすい。
学園祭も終了すると、年度内の大きなイベントはほぼ終わったことになる。学園での大きなイベントは、あとは卒業式くらいか。クリスマスやバレンタインデーは盛り上がるかもしれないけれど、学園のイベントというわけではない。
「卒業……か」
その言葉の響きに、色々と考えることがある。
もちろん、祐麒のことだ。今のところ、祐麒の気持ちが変わる様子は見えない。無事に卒業した暁には、祐麒の気持ちに対して本気で返事をしないといけないのだ。どうするか、栄子の気持ちは一方に傾いているものの、それでもまだ邪魔しているものがあることも確かだ。
まあ、まだ時間はあるし、そもそも無事に大学に合格することが先決だ。浪人したら諦めると宣言したのは祐麒なのだから。
年が明ければ、本格的に受験が開始される。
祐麒は今頃、懸命にラストスパートをかけているところだろうか。
と、そんな風に考えていた栄子だったが。
「――保科先生、俺、合格しましたよっ!!」
喜色満面に、保健室にやってきた祐麒が言い放った。
突然の訪問、正門の警備員から内線がかかってきたときは、「またか、今回はなんだ」と思ったのだが、保健室に入ってきて他に誰もいないことを確かめると、祐麒はそう告げてきたのだ。
「…………は?」
目を丸くする栄子。
「推薦入学ですっ。希望していた大学の、見事に決まって……」
「…………」
「あ、推薦って言っても、志望レベルを落としてとりあえず受かれば、というわけじゃないですよ。普段の勉強も頑張って、ちゃんと希望していた大学に受かったんです」
祐麒が口にした大学名は、確かに有名で偏差値も結構高いところで、実際に祐麒が前から第一志望だと話していた大学だった。
喜ばしいことなのだろうが、つい先ほどまで、受験はまだ年明けてからだと考えていただけに、ちょっと気持ちが追い付かない。
「そ、そうか。それは、おめでとう」
とりあえず、ようやくのことでそれだけを口にする。
「はい、ありがとうございます」
「そ、そうか。合格、したのか……」
となると、後は無事に卒業するのを待つのみ。今さら、卒業できないなんてことはほぼないだろう。
驚き、焦りもしたが、やはり嬉しさがこみあげてくる。今まで祐麒と色々と話して、接してきているわけで、付き合い云々は抜きにしても合格してもらいたいと思っていたから。
「良かった……な。うん」
気持ちが落ち着いてきて、ようやく自然と笑みを見せることが出来た。
「とりあえず今日は、それを真っ先に報告したくて来ちゃいました。すみません」
笑いながら頭を下げる祐麒。
「それじゃ、俺はこれで。突然押しかけてご迷惑おかけしてすみませんでした」
「あ、もう帰るのか?」
「はい、ご迷惑かけるわけにいきませんし、卒業するまではわきまえますよ」
合格したからだろうか、どこか自信に満ちた表情で出て行こうとする祐麒。
「ま、待て」
声をかけて押しとどめる栄子。
「はい、なんですか。あ、そうか、俺一人じゃ帰れないんでしたっけね」
頭をかいて笑う祐麒を見て。
「合格祝い……してやろう、特別に」
顔が熱くなるのを感じながら、そう口にしていた。なんで、祐麒から求めてきているわけでもないのに、自分からそんなことを言ってしまったのか。これは単に、大学合格祝いとしてで深い意味はないと、内心で言い訳をする。
「え、それって……もしかして」
驚く祐麒をよそに、栄子はつかつかと扉まで歩き、外に顔を出して廊下に誰もいないことを確認してから、扉の外側に『外出中』のプレートを貼ってから鍵をかける。続いて、前にキスした時のようにカーテンを閉じる。
「本当に、特別、だからな」
「は、はい……ありがとうございます」
祐麒に肩をつかまれたところで、ハッとする。
「ま、待て」
「?」
「私からの祝いだと言っただろう。だから……今日は、私からしてやる」
いつも、なんだかんだと祐麒に主導権を握られている。そのままでは年上の女性としてよくないと、そんなことを勢いで口にする。
「とりあえず……そ、そこに座れ」
そのままでは届かないので、保健室に設置してある腰掛けに祐麒を座らせる。今度は低くなりすぎたので栄子も隣に腰を下ろし、その後、腰掛けに膝をついて少し自らの顔の位置を高くして祐麒の顔を両手で挟んでこちらを向かせる。
「い、行くぞ。目を、瞑れ」
「は、はいっ」
顔を赤くした祐麒がギュっと目を閉じる。緊張している様子が栄子にも伝わってくる。
栄子は左手を祐麒の右肩に置き、右手を頬に添え、ゆっくりと顔を近づけていってキスをした。
軽く押し付けた後、離す。
祐麒はまだ、目を瞑っている。
もう一度、重ねる。今度は少し強めに。
離しかけて、前にキスした時に舌を入れられたことを思い出すと、栄子は思い切って舌を出して祐麒の唇を舐めてみた。
「ぺろっ……ちゅ……」
ぴくりと、祐麒が体を震わすのが分かった。その反応がなんだかおかしくて、そして可愛く思えて更に舌で舐め、おそるおそる唇を割り入って中に侵入してみる。
前回のお返しに、栄子の方から歯や歯茎などをチロチロと舐め、舌を押し付ける。他人の口の中を舐めるなんて衛生的にどうだろうか、なんてどうでも良いことが脳裏に浮かびつつも止められない。
しばし、舌を絡めるディープキスをくりかわし、そっと口を離す。唇に付着した唾液を舌で舐めとり、わずかに上気した顔で祐麒を見つめる。
「え、えーこちゃん……」
「ん……」
何気なく視線を下に向けると。
盛り上がった股間が目に入った。
「ちょ……な、何してるんだ、それはっ!」
「し、仕方ないじゃないですか。そんな、好きな女性からキスされて、胸を押しつけられたら、自然とそうなっちゃったんですからっ」
あたふたと、赤面しながら言い訳のように口を開く。
「え……?」
と、そこでようやく気が付く。
祐麒にキスをするため身を寄せていたのだが、そのせいで腕に胸を押しつける形となっていたことに。室内は暖かいため上着は脱いでブラウスの格好、さほど大きくない栄子の胸といえど、感触を受けるには十分だろう。
「私の……せいなのか?」
「す、すみません、しばらくしたら落ち着くと思いますので」
恥ずかしそうに手で股間を押さえる祐麒。
栄子も顔を赤らめて目をそらす。男性器が勃起することくらい栄子だって知っていたが、こうしてズボン越しとはいえ直接に大きくなった様子を見るのは初めてだった。あれが、栄子のことを想い、感じて大きくなったものだと思うと、途端に栄子自身も恥ずかしい気になってくる。だけど同時に、祐麒が本当に栄子のことを女として意識して見ているという証拠でもあり、嬉しい気持ちもないではない。
と、そこでまたしても気が付く。
二人きりの保健室、祐麒は発情してあんな状態になっていて、実はとても危険な状況なのではないかと。
祐麒はまだ鎮まらないのか、股間をおさえ前かがみの格好で座ったままだが、もしもこの場で襲われたら栄子の細腕では敵わない。
そろりと、祐麒から身を離すように動く。
すると、動きに気付かれたか祐麒が栄子の方を向いた。どきりとして息をのむ栄子。
「あ……もしかしてえーこちゃん、俺に襲われるとか思いました?」
「え、いや」
「う、ショックだな。いくら興奮したっていっても、約束を破るようなこと、しませんよ。せっかく今まで我慢してきて、あと三か月くらいの辛抱なのに全てを無にするようなこと。まあでも、こんな状態を見せて説得力がないのも確かですけれど」
なんともいえない表情で肩を落とす祐麒を見て、栄子はしまったと思った。今しがたの栄子の行動は、祐麒のことを信用していないと言ったのと同然だと。大きくしてしまったのは確かだが、祐麒は懸命に抑えて元に戻そうとしていたし、そもそも今日は栄子の方からキスするなんて言い出しているのだ。
「――す、すまない、祐麒。私が悪かった」
頭を下げる栄子を見て、祐麒の方が逆に驚いて目を丸くする。
「そんな、別に謝らないでくださいよ」
「いや、私が悪かった。生徒のことを信用しなければならないのに、私は」
「そこまで深刻にならなくても……」
「そうは言うが、やはりすまん」
がっくりと項垂れる栄子を見て、祐麒は。
「…………ふぁ?」
無意識のうちに、そんな栄子の頭に手を置いていた。栄子が間の抜けた声をだし、顔を上げる。
「俺も、すみません。その、なんか」
気恥ずかしくて、自分でもよくわからずに謝ると、祐麒は栄子の柔らかな黒髪をわしゃわしゃと軽く撫でた。
「ばっ…………馬鹿者、な、何をしている。わ、私を幾つだと思っているんだ、それなのに、こんな頭を撫でるなんて……っ」
真っ赤になって憤慨して見上げてくる栄子だが、逃げる様子はない。
「えと、嫌、ですか?」
「い、嫌というわけではないが、その、なんだ……」
「俺がしたいんです。すみませんが、少しだけ俺の我が儘につきあってくれませんか?」
「む? そ、そうなのか……ま、まあ、たまには年下の我が儘を許してやるのも大人というものだしな……少しくらいなら……」
「ありがとうございます」
指の間に髪の毛を通して梳くように撫でる。実際、栄子の頭を撫でていると祐麒自身も不思議と心地よいような気がしてくる。まあそれ以上に、撫でられてぼーっとしている栄子の表情がなんとも心がくすぐられている、というのが大きいが。
黙って栄子の頭を撫で続けること数十秒ほどして、びくりと栄子の体が震えた。
「――い、い、いつまで撫でているつもりだっ」
ばたばたと立ち上がる栄子。
「えーと、すみません」
ぺこりと頭を下げると、栄子は決まり悪そうな顔をして祐麒のことを見て、わざとらしく咳払いをした。
「もう、満足しただろう? ほら、そろそろ帰れ」
「えと」
「だから、準備が出来たらさっさと出て行け」
照れ隠しではないが、わざとつっけんどんに言い放ち、出口へと足を向ける。
「あの、えーこちゃん」
扉を開けようと手をかけたところで、声をかけられて動きを止める。何を言われようと、これ以上のことをするつもりはないとの意思を込めた瞳で振り返る。
「クリスマス・イブは、空いていますか?」
「えっ? えぇと……どうだったかな。クリスマス付近といえど、教職は忙しいからな」
「その、出来れば会って欲しいんですけれど……忙しければ、少しの時間だけでも」
「そう、言われてもだな」
嘘だった。
忙しいのは本当だが、クリスマス・イブの夕方からと翌日までは何も予定を入れないようにして空けていた。こんな風にして、祐麒から誘いがくるのではないかという予想をしていたから。
だけど、そんなことを祐麒に知られたらまた調子に乗るかもしれないから、あえて忙しいフリをして見せる。そう簡単に、祐麒に踊らされはしないぞと思う。
「そうですか……それじゃあ、仕方ないですね。無理言って、すみません」
すると祐麒は、申し訳なさそうに弱い笑みを浮かべて頭を下げた。
「な……」
鞄を手に取ると、栄子の横を歩いて扉を開け廊下に足を踏み出す。
「ちょっ、ちょっと待て!」
慌てて呼び止める。
「そんな簡単に、諦めるのか?」
「諦めたくないですけど、仕事の邪魔をするわけにはいかないですし」
「……こんな風にいきなり訪ねてきて、今さらそれを言うか……」
「はい?」
「いやっ、だから、忙しいのは確かだが絶対に無理かどうかはまだ分からんということだ。もしかしたら、時間がとれるかもしれない。それでは、駄目か?」
ちらりと、祐麒の様子を見る。
もし、そんなんじゃ駄目だと断られたらどうしようかと、実は内心では少しオドオドしているが見せるわけにはいかない。だが、本当は予定を空けているなんて恥ずかしくて言えるわけもないし、散々焦らしているくせにやっぱりその気があるんじゃないか、なんて思われるのも情けないし。
でも、一応は付き合っているわけだし、大事な日を空けておくのは普通のことなんじゃないかと思ったりもする。
様々な思いを抱えながら訊いてみたのだが。
「本当ですかっ!? はい、それで十分です! もし少しでも時間がとれたら、会ってくれると嬉しいです。何時でも構いませんから!」
と、子犬が尻尾をぶんぶんと振るような喜びようを見せ、安堵する。
「馬鹿者、そんな遅い時間に高校生を呼んだりはしない。常識の範囲の時間だ」
自分は夜から翌日まで予定を空けているというのに変な話ではあるのだが、栄子はそのことには気が付いていない。
「はい、楽しみに待っています!」
なんのてらいもない純粋な笑顔を向けられると、向けられた栄子の方がなんだか気恥ずかしくなって、それを誤魔化すかのように咳払いをする。
「あんまり楽しみにしていると、当日になってガッカリするかもしれないぞ」
「それでも、当日までの間は先生と会えることを考えて楽しめますから、いいんです」
「…………好きにするがいい」
素っ気なく顔を背けながらも。
そんなことを言われて内心では嬉しく思ってしまう栄子であった。
おしまい