とある休日、桂さんと出かけた。ウィンドウショッピングをして、お茶して、ゲームセンターで遊んで、食事して。
まるっきり恋人同士のデートのようだけれど、実際にはそうではない。二人はつきあっているというわけではなく、現時点では仲の良い女の子の友達と遊びに来ているというだけだ。
「祐麒くん、どうしたの?」
「ん、なんでもないよ」
立ち止まっていた祐麒を呼ぶその姿は、どこからどう見ても普通の女の子。二人並んで歩いていたら、さて、どこからどう見ても普通のカップルに見えたりするのだろうか。
「それじゃあね、祐麒くん。今日は楽しかった」
いつの間にか、駅にたどり着いていた。
桂さんはここから徒歩で、祐麒は電車で帰ることになる。前までなら、ここで普通に別れていたけれど。
空を見上げれば既に日は沈み、暗くなっている。最近は物騒でもあるし、夜道を女の子一人で帰らせるのは心配である。だからごく自然に、家まで送っていくと申し出た。決してやましい心などない。
「え、大丈夫よ別に。これくらい」
「でも、やっぱり女の子の一人歩きは危険だし」
「でも悪いし」
「悪くない悪くない。桂さんみたいに可愛い子、きっと痴漢なら放っておかないし、もし桂さんに何かあったらと思うと俺……」
「え……そ、そんな」
周囲が暗かったからよくは分からなかったが、桂さんは赤くなって照れているようだった。こういう、こそばゆいような雰囲気というか、反応がまたたまらない。
「じゃ、じゃあ、お言葉に甘えて送ってってもらっちゃおうかな」
「おう、どんと任せて」
無事に護衛役を仰せつかい、夜の道をゆっくりと歩き始める。
たわいもないことを話しながら進んでゆくと、あっという間に時間は流れ去ってゆく。
そして三十分近く歩いただろうか。のんびりと歩いたせいもあるかもしれないが、それにしても随分と時間がかかっていないだろうか。
「桂さんの家って、ちなみにどの辺なのかな」
「あ、ごめんね遠くて」
「いや大丈夫、そういう意味じゃないし。それだけ桂さんと一緒に居られて嬉しいし」
「え、や、やだ、祐麒くんったら、からかわないでよー」
恥ずかしそうにしながらも、明るい笑顔を見せてくれる桂さん。
ああ、いかん。この空気がたまらない。きっと今の状態を色で表したら間違いなくピンク色であろう。
この雰囲気なら、ひょっとすると今日、何か進展でもあるのでは……などと、先ほど"恋人ではなない"と言ったことも都合よく忘れ、甘い妄想に浸っていると。
「あ、痛っ」
ぼーっとしていたせいか、暗くてよく分からなかったせいか、誰かと肩がぶつかってしまった。
「あ、す、すみません」
慌てて謝ると。
「あぁ?どこに目ェつけとんじゃ小僧」
一見して本物と分かる、どこぞの組に属しているようないかつい角刈りコワモテの兄さんが凄まじい形相で祐麒のことを見下ろしていた。
決して大きな声で怒鳴ったわけでもないのに言葉は重く、視線だけで祐麒の魂を吹き飛ばしてしまいそうにも思え、すぐにでも逃げ出してしまいたかったけれど。
すぐ後ろには桂さんがいる。
彼女一人を置いて逃げるわけにはいかないし、そんな格好悪い姿を見せるわけにも行かない。加えて言うなら、逃げたくても足がすくんで動けなかった。
「だ、だから謝ったじゃないですか……」
震える声で、懸命に抗う。
怖いけれど、視線を外したら駄目だ。正面から、相手の目を見る。
「言うじゃないか小僧。誰に物言ってるのか分かってんだろうな。無理すんな、彼女にエエ格好見せたいからって……」
と、強面の兄さんが祐麒の身体に触れんばかりに近寄ってきたところで。
「もう、そういうのはやめてって言っているでしょう、マサさん!」
「……え?」
意外な声が後ろから飛んできた。
しかし続いて、さらに意外な言葉が今度は目の前の兄さんの口から発せられた。
「え、あ、お嬢?!こ、これは失礼しやした!」
そして兄さんは、慌てて地に両膝をついて深々と頭を下げる。ほとんど土下座に近い格好である。
「え、お嬢、って……えええええっ?!」
驚く祐麒を尻目に、桂さんは腰に両手をあてて、跪いている兄さんを怒ったように見下ろしている。
「ちょっとぶつかっただけじゃない、祐麒くんも謝っているのに。どうしてそういう態度をとるの」
「も、申し訳ございませんっ!」
さらに頭を下げ、とうとう兄さんの額は地面についてしまった。
「また同じようことするようだと、もうマサさんとは口きいてあげないんだから」
「そ、そんな!反省しております、この通りっ!そちらの、ええと、ユウキさんもこの通り!許してくだせえ!」
祐麒の方に体を向け、またも頭を下げる。先ほどとは大違いの様相だったが、祐麒自身も事の成り行きについていけてなかった。
「ごめんね、祐麒くん。でもね、マサさんは顔はちょっと怖いけれど、普段はすごく優しいんだよ……少し短気で怒りっぽいけれど」
「で、ですからお嬢、それはもうこの通りマリアナ海溝より深く反省しておりますから」
「ぷっ、何、それ」
「…………」
ええと、なんでしょうかこれは。
マサさん、と呼ばれている明らかにその筋の人にしか見えない恐そうなお兄さんが、桂さんのことを"お嬢"なんて呼んでひたすら平身低頭で。
桂さんはそれを当然のように受け止めていて。
何となく首を曲げて横を見れば。
ひたすらに続く木の塀の内側に、大きな純和風の家が建っているのが見えて。そういえば、しばらく前からずっとこの塀に沿って歩いていたと思ったけれど、まさかここが?まさか、ねえ。
「あ、そうそう、私の家。ホントごめんね、門まで遠くて」
まさかが本当のことでしたよ。
錆付いてしまったかのような首を無理やり動かして、元の方向に戻す。
隣にいかつい兄さんを従えるようにして、桂さんは昼間と変わらない笑顔を見せていた。
「そうだ祐麒くん。お詫びといってはなんだけれど、少し上がっていかない?お茶くらい出すよ」
「ああ、それは是非!あ、しかし、おやっさんが……」
「おじいちゃんがどうかしたの?」
「お、お構いなく、お、俺、今日はもう失礼しますから」
本能的に危険を察知した。
心が警鐘を鳴らしたとでもいうのだろうか。とにかく、これ以上は踏み込んではいかないという思いが自然と沸き起こった。
ちょっと顔の角度を変えてみたらどっしりとした立派な門が見えて、さらに立派な看板があって、暗くて最初の文字は読めなかったけれど一番最後に書いてある漢字は……『組』に見えまして。
なんですか、『組』って。苗字ですか。苗字の最後が『組』という感じなのでしょうか。
叫びたいのをなんとかこらえて、ぎこちない動きで体を反転させる。
「帰っちゃうの?」
「ええハイ。もう遅いですし帰らせていただきます、ははは」
関わってはいけない。
「それじゃあもう遅いですし、あっしがそこまで送っていきやしょう」
「そうね、それじゃあマサさんお願い。またね、祐麒くん」
「う、うん……」
桂さんにこれ以上近づいては危険だ。
今後、少しずつ距離を開けていったほうがいいかもしれない。君子、危うきに近寄らずともいうし。
「……にいさん、お嬢を今後ともよろしくたのんまっせ」
「…………え」
「ここまでお嬢と仲良くなったんだ、当然、責任はとっていただけるんでしょうな」
「え、あ、ちょっと」
仲良くとか、責任とか言われても、まだキスどころか手だってつないだことないのに?!しかしそんな祐麒の思いなど無視してマサさんは熱く語る。
「お嬢を泣かせたり、捨てたりしたら……組のモンが地獄の四丁目までだって追いかけていきますからね」
「は、はいぃぃぃぃぃっ!も、もちろん、そ、そんなことしませんとも!」
「くうぅっ……あんなに小さかったお嬢が……あっしらのアイドルだったお嬢が……いつかこういう日がくるとは覚悟しておりやしたが、くっ……」
隣でマサさんは遠い目をして熱く語っている。その、いかつい顔には似合わない、意外とつぶらな瞳には光る滴があった。
「おっといけねえ、目から汗が」
「あがががががが……っ」
もはや言葉にならない。
何か、とんでもない列車に乗り込んでしまったような気がする。片道切符、止まることも戻ることも無い銀河鉄道。
桂さん、アナタハナニモノナンデスカーーーーーーーーーーーー?!!
祐麒の心の叫びは、誰にも届かない。
おしまい