~ リリアン株式会社! ~
「は~~~、疲れたぁ」
大きく息を吐き出し、よろけた足取りで社員食堂に辿り着いた。
会議と仕事が長引き、完全に昼食を取り損ねて、昼を大きく回ってようやく食事をとる時間が作れたのだが。
悲しいかな、社員食堂の営業時間はすでに終わっていた。
人気のない食堂をみつめ、カップラーメンでも買うかと項垂れる。社食は安くてボリュームがあるのだが、仕方ない。
そう思って踵を返しかけたところで。
「あー、祐麒、今頃きたのー? ちょっと遅いけれど、どうしよっかなー、サービスで作ってあげちゃおっかなー」
「あ、佐藤さん! お、お願いしますよー」
顔を見せたのは、社食のお姉さん、佐藤聖である。人懐こい笑顔を浮かべて、祐麒を手招きしている。
「何、どうしたのー? また蓉子や江利子に苛められていたんでしょう?」
「ち、違いますよ、俺の仕事が遅かっただけですから」
「まー、蓉子たちもね、祐麒のこと好きだから苛めているだけだからさー、怒らないでやってね」
人の話など聞いていないのか、笑いながらそんなことを言っている聖。
「そんじゃあ、ちょっと待っててね。まかないだけど、美味しいもの作ってあげるから」
「ああ、ありがとうございます、お願いします」
礼を言いながら、厨房の中に入り込む。外からは見えないが、小さいけれど食べられるスペースがある。
ここは、祐麒と聖の秘密の場所である。昼が遅くなったときや夜など、たまにこうして二人で食事をさせてもらう。
聖の料理の腕はもちろん立派なもので、社員食堂は人気があるのだ。
「いやー、美味しいっ! いつ食べても聖さんの料理は美味しいですねっ!」
まかないで出されたのは、残り物を使用しての特性炒飯とサラダ、そしてスープ。通常メニューに負けない美味しさだ。
「祐麒は食べっぷりもいいから、作る方も嬉しいよ。私を嫁に貰ってくれれば、毎日食べさせてあげるって言っているのになー」
「あはは」いつもの軽口に、笑うしかない祐麒。内心では実は、ドキドキしてはいるのだが。
「そしたら、毎晩デザートはア・タ・シ♪ なのに」
「ぶふーーーーーーっ!!!!」
「あ、祐麒、今想像したでしょ? いやーん、えっちー、でもあながち冗談でもないけど?」
顔を寄せてくる聖に、一人あたふたとする祐麒なのであった。
~ リリアン株式会社! ~
水野蓉子は若くして部長の座についていた。
実力主義の会社にしても、ここまで若い部長は他に例を見ないが、彼女の有能さなら当然ともいえる。
そんな彼女は、社員の憧れでもあった。
「水野部長、美人でスタイル良くて仕事もできて、厳しいけれど優しくて面倒見よくて、素敵よねー」
「でも、完璧すぎて近寄りがてーよ。俺、口説きたくても声かけらんねえもん」
「そこ、無駄口叩いていないで、今は決算期で一番重要な時期なんだからね」
蓉子の叱責を受けて、無言で仕事に取り組む社員たち。
「うぅ~、私、今日は彼氏とデートなのにー。残業、どうにかなりませんか部長?」
「仕事さえきちんと終わらせれば、問題ないでしょう?」泣きを入れてくる社員に、微笑んで一言。
女性社員は黙って仕事に向かう。蓉子もまた、自分の仕事を進める。管理職でありつつ、バリバリに現場の仕事もこなすのだ。
時間は流れていき、女性社員が泣きそうになったその時。蓉子が立ち上がり、その社員の元に行く。
「はい、あなた苦戦していた部分、少し手をいれておいたから。ここまであれば、月曜の午前中でも間にあうでしょう?」
「え……水野部長、い、いつの間に」「いいから、早くいかないと彼氏、帰っちゃうわよ。メールばかりしないようにね」
女性社員は、何度も頭を下げて会社を出て行った。そんな蓉子を、尊敬のまなざしで見つめる社員たち。
それからしばらくして、蓉子も仕事を片づけて会社を後にした。
「……やっぱ部長、すげぇな。出来すぎて怖いくらいだ。あー、あんな人に恋人とかいるのかね、話聞かないけれど」
「社長の愛人しているとか、社食のお姉さんとデキているとか噂はあるけれどなー」
そんな噂をされていることなど知らず、蓉子は早足で夜の街を歩き、やがて目的地に達して表情を緩める。
「ごめんなさい、遅くなっちゃって……ま、待ったでしょう?」職場では見せないような不安げな顔を見せる蓉子。
「いえ、部長が忙しいの知っていますし、全然待っていませんよ」笑って出迎えているのは、祐麒。
「うー、祐麒くん、だから外ではその『部長』っていうのは、やめてって言っているでしょう」拗ねた口調の蓉子。
「あ、すみません、蓉子さん」
「…………」
「えー、あ~、よ、蓉子ちゃん」
「はい、それじゃあ、行きましょうか」
少女のように微笑む蓉子。優秀で隙がないと言われている部長が見せる、女の子の一面を知っているのは祐麒だけ。
そんなことに、ニヤニヤとしてしまう祐麒なのであった。
~ リリアン株式会社! ~
「……全然ダメ、問題外ね、こんなのじゃ。出直してきてください」
「えっ!? あの、ど、どこが一体」持ってきた提案書を頭ごなしに否定されて、真っ青になる祐麒。
「教えて欲しいですか? まず、こちらの目的を理解されていますか? 私たちが求めているのは……」
その後、論理的に欠点を指摘され、完膚なきまでに叩きのめされてひたすら凹む祐麒。
客先のビルを出る足取りは、重い。隣を歩いている先輩も、暗い顔をしていた。
「うぅっ、相変わらず手強いな、加東さん。あーもう、これ以上どうしろっていうのよー!?」頭を抱えている。
「と、とにかく指摘された点を見直して、再度提案するしかないですよね。ええと、まずは」
「あーもうっ、あの女は鬼よ! 見たあの顔、あれ絶対ドSよ、私達をけちょんけちょんにして楽しんでいるのよ」
「いや、あちらも仕事ですし、別にそうと決まっているわけじゃあ」
「そうに決まっているでしょう、じゃなきゃあんなこと平気で言えるわけない!!」
取引先の加東景のことは皆が恐れている。怖いわけではない。優秀すぎて、跳ね返されるのだ。
泣かされた社員は数知れず、様々な呼び名で呼ばれている、恐るべき取引相手、なのだが。
目の前の景は、仕事の時と同じようにスーツでビシッと決めている。実は景に呼び出されていたのだ。場所は、個室居酒屋。
「単刀直入に言います。福沢くん……わ、私のものになりなさい!」
「…………へっ?」
真剣な顔で、前のめり気味にそういわれて、目が点になる祐麒。
「えーっと、い、今のは、その、まさかプロポーズですか?」
「ぷっ!? な、ななな、何、一足とびにそこまではっ!? や、やっぱりこういのは順序があって……て、違います!」
真っ赤になって憤慨する景だが、どこか迫力がない。
「スカウトです、スカウト。今の会社を辞めて、私の元に来ませんか、という」
「え、なんで、俺なんかを? 今日だって、散々ダメ出しを出されましたし、どうして……」首を傾げていると。
「ど、どうしても、だって、私のこと怖くないって、言ってくれたし……」小声で呟くように言う景。
「ああ、仕事で厳しいのと怖いのは別じゃないですか。加東さん、よく食事にも誘ってくれますし」
仕事で厳しいことを言われた後、よく食事に誘われる。いつもは仕事のことを説かれ、その後は徐々にくだけていく。
今日も同じだと思っていたら、予想外にスカウトの話が出て驚いていたのだ。
「と、とにかく考えてみて。で、ぷぷぷぷろぽーずの話はまたその後にでも……」
仕事の時は鬼かもしれないが、こうしてプライベートでは年上だけどどこか可愛らしいと感じる景なのであった。
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「おいおい聞いたかユキチ、なんでもこの会社の会長のお孫さんだかが、入ってくるらしいぜ」
出社途中に会った小林と話しながら歩いているうちに、そんなことを言われた。
なんでも海外に行っていたがこのたび日本に戻ってきて、教育の一つとして会社勤めをするとか。
「なんだよそれ、お嬢様のお守りをしろってのか? 現場のことも考えてほしいよなー」
「ところがさ、これがすんげー美人で、優秀で、おまけに年上らしいんだよ」
「それが?」
「馬鹿、そんなお嬢様を、部下としてこき使えるかもしれないんだぜ。超楽しみじゃね?」
「お前こそ馬鹿か、妄想はそれくらいにしてろ。お嬢様がそんな立場で働くわけ、ないだろ」
「ま、そりゃそーだよなー」乾いた笑いを浮かべる小林。
「でも、そういや一週間前にうちに綺麗な子が入ってきたぜ。小笠原祥子っつって、ちょっと天然だけど優秀でさ」
「……おまえ、今、なんつった?」
「だから、一週間前に入ってきた子が綺麗でさ。俺の下に今はついているんだけれど、なんかどこかずれていていさ」
「ばばばばか野郎お前、うちの会長の名前、知っているのか?」
「会長って……えーと、確か……小笠わら……って、え、うそ、マジでっ!?」
「マジだよ、て何、一週間も前からいるの!? 俺の情報網はどうした!?」
「そんなことより俺、すげー普通に接してた! てか命令したし、叱ったし、あー笑っちゃったりもしたよ!」
エクセルファイルを破壊したのを叱ったし、ちょっとした失敗を笑ってやった。仕事も遠慮なく出している。
プライドが高そうだったので、わざと『さっちん』なんて呼んだりもした。さーっと、血の気が引く。
「ユキチ……お前、終わったかも名」
「おはようございます、福沢さん」
「うわぁお!?」
そこへ、まさに張本人の祥子が現れて挨拶してきて文字通り飛び上がって驚く。小林も、祥子の美しさに驚いていた。
「お、おお、おはよう……ございます、小笠原さん」小林の話を聞いたから、口調が変わってしまった。
すると、祥子の表情が不機嫌そうなものに変わる。
「なんで敬語なんですか? いつもみたいに、『はよー、さっちん、今日も不機嫌そうだな、笑いなよ』と言わないんですか?」
言い訳しようとすると、「む~~っ」といった感じで口を尖らせ睨みつけてくる祥子。
「……おいユキチ、お前もしかしたら怪我の功名かもな。うまくすれば……おいおい、マジかよ!」
「は? 何を言って……おい小林、待てよ」祐麒の言葉を無視し、一人先に言ってしまう小林。
残されたのは、拗ねたようにむくれている祥子と、戸惑う祐麒。やがて祥子は、口を開いた。
「……いつもみたいに、呼んでください」
それが、本当の意味での祥子との始まりであった。
~ リリアン株式会社! ~
会社指定の産業医。まさか、そんなものにお世話になるとは思わなかった。
日々の忙しさのせいか、メンタルチェックにひっかかってしまい、やってきたというわけである。
「……なるほど、ちょっと残業のしすぎですね。少し休んだ方がいいですね」
白衣を着た美人女医なる存在を、祐麒は彼女で初めて知った。蟹名静は、間違いなく美人であった。
「もう、これで何回目ですか? ちょっとは自分の体のことを心配してください」
ため息をつく静。確かに、過去にも何度か来ているのだ。自分としては大丈夫だと思うのだが、会社の指示には従うしかない。
問診の結果、精神的には大丈夫だと太鼓判を押されるのだが、それでも何度も来いと言われている。
お蔭で、静とはいつの間にかなんとなく親しくなっていた。
「規則正しく食事をとり、睡眠をとり、休息をとってください。身の回りを世話してくれるような人はいませんか?」
「いやー、一人暮らしで、彼女もいないですから」
「そうですか……わかりました、それでは私がお世話しましょう」
「……はいぃ?」
「祐麒さん一人では頑張りすぎてしまう、さりとて抑えてくれるような人もいないのですから、ここは私が」
「冗談ですよね、静先生?」
「冗談で、こんなこと言えません……私では、不足ですか?」
うっすらと頬を桜色に染めながら、上目づかいで見上げてくる静。
「大丈夫です、夜のお相手も、その、はい。男性は、そういうので不安定になる方もいますから。特に年齢=彼女いない歴の」
「ちょっとちょっと、待ってください静先生! 大体、そんなので静先生はいいんですか? ただの患者の一人に」
「……ただの患者に、私がそのようなことを申し上げると思いますか?」
「え……静センセ……あの」しっとりと潤んだ瞳で迫ってくる静に、固まったように体が動かない。
そのまま、受診室のベッドにそっと押し倒され、静が上に乗ってきて……
「って、ちょっと待ちなさいそこのエロ医者っ! そこまでよ、福沢先輩から離れなさいっ!」
「そうよ、って、なななな何しているんですかーーーーっ!?」
飛び込んできたのは、後輩の乃梨子と可南子。祐麒と静の体勢を見るなり、叫びだす。
「あらあら、見つかっちゃいましたね。続きは、また今度ということで」
「ええい、エロ医者は追放よ、追放!」
「って、なんで乃梨子さんが怒っているんです? いつも福沢さんのことを……はっ、まさかやっぱり乃梨子さん」
「ちちち違う、別に、自分の先輩が性犯罪者になるとかいやなだけだからっ!」
途端に大騒ぎになる医務室なのであった。