「うぅ、さすがにちょっと、食べ過ぎたかも」
マンションに戻ると、乃梨子はぽっこりと膨らんだお腹をさすりながら呟いた。
ファミレスで食べて空腹をしのぐことが出来たのは良いが、無理に詰め込み過ぎた。しかし、注文した以上、残すなんてできないという思いは一般人の性か。
部屋に入り、リリアンの制服を脱ぐと、いやでもお腹が目に入る。食べ終えたばかりということもあり、明らかに膨らんで見える。
「これはちょっと、ヤバい」
思わず口に出して言ってしまうほどだ。
「こんな風になったなんて、とてもアイツには言えな……って、そもそも言う必要ないし!?」
一人で呟き、一人でツッコミを入れる乃梨子。
部屋着に着替えてリビングに足を向けると、テーブルの上にはコンビニの袋。祐麒に買ってもらった、明日の朝食用のパンである。
「ふん」
掴んで、投げようとして、パンに罪はないしそもそも食べ物を投げるなんて罰当たりなことはできない。
翌朝、結局はそのパンを食べて乃梨子は登校した。
★
祐麒との誤解がとけたはずの翌日。
「乃梨子ちゃん」
名を呼ばれて振り返ってみれば。
「はい、なんでしょう、祥子さま」
祥子が麗しい姿を見せていた。周囲にいた一年生の女の子が憧憬のまなざしを送っている。変に騒ぎになっても嫌なので、移動して場所を変える。
「それで、どうかされましたか、祥子さま?」
何か用事であろうか。
まあ、用事がなければ祥子がわざわざ乃梨子の所に来るわけもないのだが。
「ええ、その、ちょっとね」
珍しく、祥子が煮え切らない感じである。いつも、祥子は基本的にハッキリと物事を言う。
自分に揺らぎがないというか、悪くいえば空気が読めない世間知らずというか。
「あの、ごめんなさいね。その、祐麒さんとのこと」
「え? あ、はい、えと、まあ別に」
きょとんとする乃梨子。
どうやら乃梨子と祐麒の関係を誤解していたことをわざわざ謝りに来てくれたようである。そのことなら昨日のうちに説明して理解してもらっていたのに、律儀なことである。
「別に、そんな、分かっていただけたのなら私は」
「そう言ってもらうと、とは思うけれど。それでも、言っておかなければと思って」
真剣な表情の祥子。この辺、どこまでも生真面目なのだろう。
「分かりました。それで、祥子さまの気が済むのであれば」
「気が済む? そうね、そういうことでもあるわね」
ほっそりとした指を形の良い顎にあて、軽く首を傾ける祥子。
烏の濡れ羽色のような髪がさらりと揺れる。
「乃梨子ちゃん」
「はい」
「私は別に、そのこと自体を否定するつもりはないわ」
「はい?」
「ただひとつ。乃梨子ちゃんあなた、ちゃんと避妊はしたのかしら?」
「…………はぁ!?」
「ごめんなさいね、私、そういうことに疎くて、この前、乃梨子ちゃんと皆が話しているのを聞いて、すぐに理解できなくて」
「い、いやいやいや、祥子さま!?」
おもわずぶっとびそうになる。
なんと祥子は、誤解がとけたとか以前に、最初の誤解を現在進行形でようやく理解したということらしかった。
「あの、私と祐麒さんはそういうこと、してませんからっ!」
「そう、なの?」
「そうですっ」
目を丸くする祥子。
「ちょっとちょっと祥子に乃梨子ちゃん、何を大きな声を出しているの」
「あら、令」
新たにまた姿を見せたのは令。祥子と乃梨子という組み合わせをみて、不思議そうな顔をしている。
「令、聞いて頂戴」
「なに?」
「乃梨子ちゃん、避妊していなかったのですって」
「なんでそうなるんですかっ!?」
「え、だって乃梨子ちゃん、『してません』って言ったじゃないの」
「言いましたけれど、それは意味が」
「えええっ、ちょ、乃梨子ちゃん、昨日の説明は嘘だったの!?」
「落ち着いてください令さまっ」
「乃梨子ちゃん、保健の授業でならったでしょう。避妊をするというのはとても大事なことで」
「分かっていますよ、それは!」
「そう、分かっていて、しなかったの。それだけの覚悟があるということね。わかったわ、いざという時は私に言いなさい。学校には内緒で、良いお医者様を紹介してあげるわ」
「いらないですからっ!」
「駄目だよ乃梨子ちゃん、そういうことを言ったら。祥子は乃梨子ちゃんの為を思って、ううん、乃梨子ちゃんだけじゃない。お腹の子のことを思って……ん、なんか乃梨子ちゃん、お腹が大きくない?」
乃梨子のお腹に触れてきた令が言う。
「あ、そ、それは」
あの日の夜からちょっと食が太くなったというか、胃袋が大きくなったのか、食べ過ぎの傾向が出てしまったのだ。そういうのが気恥ずかしくて思わず口ごもってしまうと。
「まあ、乃梨子ちゃん既に?」
「大丈夫、私達は乃梨子ちゃんの味方だからね、安心して!」
「だーかーらー、ちがいますからーーーーっ!!!」
結局、祥子と令の誤解をとくのにまた二日ほど要したのであった。
本当に誤解がとけたのか、その後の祥子の挙動を考えると怪しいものではあったが。
おしまい