どうも最近、妙なことになっている。
妙なこと、というのは、祐麒とリリアン女学園一年生の二条乃梨子が親しく付き合っていると、仲間内で思われているということ。ここでいう仲間内というのは、リリアンの山百合会メンバーと、花寺生徒会のメンバーである。しかも、仲間達は生ぬるい目で祐麒たちのことを見守っているようで、それがまた苛立たしい。
現実には、何一つそんな事実はないというのに。
いったいなぜ、乃梨子とつきあうだなんてことになるのか。別に、乃梨子のことが特別に嫌いというわけではない。容姿だって、まあ、悪くは無い。だけど、素直じゃない性格や反抗的な態度、小憎らしい表情や仕種を見せ付けられて穏やかでいられるほど、祐麒だって完全に人間が出来ているわけではないのだ。
大体この前、乃梨子の体調が悪かったときだって、祐麒が色々と面倒をみたというのに、その後特に改まって礼を言われた記憶も無い。別に、礼を言われるためにしたわけではないけれど、そういう時くらい素直に礼を言うものではないか。そう、人として、ごくあたりまえのことを出来ないのは、その人の器の小ささを示しているのではないか。
一人、訳の分からないことを考えながら学校の正門を出たところで、祐麒はいいようのない殺気を感じた。
慌てて周囲に視線を巡らせてみるが、同じように帰宅しようとしている花寺の生徒くらいしか見当たらず、特におかしな雰囲気は無い。祐麒に視線を向けてきている者もいない。
単に気のせいかと思い、再び歩き出す。
しかし、歩き出してしばらくすると、また視線のようなものを感じる。立ち止まり、振り返ってみるものの、やはり特に変化は感じられない。
結局、バスに乗り込むまで誰かの視線のようなものを感じたが、その正体は分からずじまいなのであった。
そんなことがあったということもすっかり忘れた数日後、今度は帰宅のためのバスを降りた駅で、何やら妙な気配を感じた。
さりげなく周囲の様子をうかがってみるが、駅前ということで人の数も多く、とりたてて変な様子も見られない。
おしゃべりしながら楽しそうに歩いている女子高生の集団、買い物帰りなのか大きな荷物を手に提げている主婦、スーツ姿のサラリーマン、退屈そうな顔をしてだべっているチーマーっぽい連中、ティッシュ配りのおにいちゃん。いつも見かけるような、変わりのない光景が目の前に広がっているだけである。何が祐麒の琴線に触れたのか、わからなかった。
いくら考えたところで分かるわけもなく、祐麒はさっさと気分を切り替えて帰ることにした。
そしてまた数日後。
同じように、どこからか見られている気がした。さすがに三度目ともなると、気味も悪いしこのまま放っておこうという気にもならない。あまり周囲に注意を払っている様子を見せると、謎の相手も用心するだろうと考え、できるかぎりさりげなさを装い、あやしい人間がいないかを探る。
駅前で人が多いせいか、なかなか怪しいと思われる人の姿も見つけられないというか、考えようによっては誰もが怪しく感じられてしまう。ゆっくりと歩き、少しずつ人が少ない方に向かってゆく。それでも、祐麒に向けられる視線はまだ消えない。祐麒に感づかれていることに、相手のほうはまだ気が付いていないのだろう。
しかし、このように後をつけられるようなことを果たして自分がしたのだろうかと自問するが、何も思い浮かばない。本やゲームで探偵なんてものの存在は知っているが、実際に自分が探偵に何かを探られるとも思えない。もっとも、祐麒に感づかれるくらいだから、プロだとも思えないが。
考えながら歩いているうちに、一番人の多いアーケード街のはずれのほうまでやってきていた。まだ人は多いが、それでも中心部分に比べればかなり密度は薄くなっている。
とある店の前でショーウィンドウの中に目を向けながら、静かに周囲の気配を探ることに集中していく。
神経が研ぎ澄まされていくのが分かる。自分をマークしている人物の気配を感じる。そう、それはすぐそこに。
素早く右を向くと、そこには見たことのない女の子が立っていた。
「――っ!?」
いきなり祐麒が振り向いたためか、女の子はびっくりしたように目を見開いていた。同じ年くらいだろうか、なぜそんな少女に目をつけられなくてはならないのか、どんな裏があるのか、祐麒は知りたかった。
「あの、君はいったい――」
「え、はい?」
祐麒から逃れるかのように、一歩、後ろに下がる女の子。
逃がすまいと腕を伸ばそうとしたところ。
「こっちです、馬鹿!」
何者かに前触れもなく後頭部を叩かれた。
「痛っ! な、なんだっ」
頭を手で押さえながら体を反転させる。
「なんだ、じゃないですよ、変態ですかあなたは?」
するとそこには、なぜか怒った顔をした少女が。
「え、に、二条さん?」
おかっぱの少女は、腰に左手を腰にあて、右手をあげて祐麒のことを強い目つきで見据えていた。
乃梨子の登場に驚いているうちに、もう一人の女の子はどこかへ逃げて行ってしまった。声もなくその後ろ姿を見送っていると、呆れたような声がかけられた。
「まったく……性犯罪者にでもなりたいんですか? いきなり見ず知らずの女の子を捕まえようとして」
祐麒にしてみればそのようなつもりはないのだが、傍から見ればそのようにとらえられるのだろうか。しかし、見張られていた謎を解くためには捕まえて聞くしかなかったのだ。その機会は、失われた。
「鋭いんだか、鈍いんだか、この人は……」
何やら呟いている乃梨子。
そんな乃梨子を見て、ふと思う。
「そういや、二条さんは何でここに?」
「え! そそ、それは、偶然、偶然に決まっているじゃないですか。全く、勝手に変な勘違いしないでくださいよね」
「は? 変な勘違いって?」
「な、なんでもないです! 馬鹿!」
腕を組み、そっぽを向いて怒っている乃梨子を見て、祐麒は首をひねらざるを得ない。何がそこまで乃梨子を不機嫌にしているのか。確かに、乃梨子との相性は悪いのかもしれないが、会うだけでここまで不機嫌になられるというのは、祐麒だって面白くない。
「ま、いいや。じゃ、俺はこれで」
「ちょ、ちょっと待ったぁ!」
と、これ以上に険悪な雰囲気になってもたまらないので、さっさと別れようとしたのだが、思いもかけずに呼び止められた。しかも、ちょっと待ったコールだ。
見れば、口にした乃梨子の方が赤面している。さすがに今の発言は恥しかったようだ。コホン、と誤魔化すように咳払いを一つしてから、改めて口を開く。
「奇遇ですが、ある意味ちょうどよかったです。ええと、その、さすがに借りを作りっぱなしというのは私のポリシーにも反しますし」
小さな声で言っているので、微妙に聞き取りにくい。「え、なんだって?」と、耳に手をあてて聞き返すと。
「だから、この前のお礼をしてあげますって言っているんです」
お礼をしようというのに、なぜそんなに怒ったようで、居丈高なのか理解できない。まあ、嫌な相手に礼をしなくてはならないのだから、そんなものかもしれない。祐麒だって、嫌いな相手に礼をしなくてはならなくなったら、愉快な気持ちではいられないだろう。
「とりあえず、この前は空腹のときに食事を助けてもらいましたから、そのお返しをしてさしあげます」
祐麒がお礼をされる立場のはずなのに、なぜか乃梨子の方が偉そうな感じで言われて、少し腹の立った祐麒は、ちょっとだけ意地悪をしてやろうと思った。
「それって、何かおごってくれるってこと?」
「ええ、お好きなものを言ってください」
そこで祐麒は、わざとらしく鼻で笑った。案の定、乃梨子がむっとした表情をする。
「何がおかしいんですか」
「いや、どうせお礼をしてもらうなら、手作りとかのほうが嬉しいなと思って」
「なっ……!」
言葉をつまらせる乃梨子。
この前の時にも感じたことだが、どうやら思ったとおり、乃梨子は料理があまり得意ではないらしい。拳を握りしめ、うつむいて立ち尽くしている。
あまり苛めるのも悪いので、この辺で満足して祐麒はフォローをいれる。
「まあ、そういうのは冗」
「わ、わかりました。作ればよいのでしょう?」
「……え?」
しかし、乃梨子から返ってきたのは、思いもかけない言葉だった。
「さあ、それじゃあ何が食べたいか言ってください。あ、それとも私が料理できないんだろうとか思っているんですか?」
「つ、作ってくれるの?」
「祐麒さんが言ったんじゃないですか。ええ、いいですとも。ご馳走してあげようじゃないですか」
「……そ、そう。さすがリリアン生、料理もお手の物ってことなのかな」
「も、もちろんです。驚かないで下さいよ、私の料理で」
「そりゃあ、楽しみだ」
祐麒と乃梨子は、お互いに微妙に顔を引き攣らせながら、微笑みあうのであった。
そして、なんかとんでもないシチュエーションになっていた。
二人ともそろって意地っ張りなのか、引くわけにもいかないのか、乃梨子の手料理を食べるという方向に話は進んでいた。じゃあ、いざ何を作ろうかということになって、何がいいかすぐに思い浮かばず、とりあえず買い物しながら決めようということになり。
今、スーパーの中を歩いているわけなのだが。
ちらりと横を見ると、わずかに頬を赤くした乃梨子が、祐麒と視線をあわせないようにしながら歩く姿が目に入る。
お互い、学校帰りの制服姿で、祐麒は手にスーパーの買い物かごを手に提げ、二人並んで売場を物色している姿は、まるで仲良く夕飯の買い物に来たカップルのように見られるんじゃないかと思うわけで。
当然、祐麒が気がつくくらいだから乃梨子だって分かっているだろうし、だからこそ微妙な表情をしているのだろうが。
それにもかかわらず、お互いにそのことを言い出せないのは、口にしてしまうと自分が意識しているとバラしているようなもので、先に言った方が負け、みたいな意識を持っているからだろう。
「……で、何を買うの?」
右のほうを向きながら、祐麒が問う。
「……何か、食べたい物ありますか?」
左のほうを向きながら、乃梨子が答える。
なんとも微妙な空気の中を、二人はゆっくりと歩く。青果コーナーをぐるりと見回すが、普段、スーパーに買い物に来ることなどほとんど無い祐麒は、何がお買い得なのか、安いのか高いのかも判断がつかない。
「じゃあ、肉じゃがでいいですか」
「ああ、肉じゃがね、うん、いいんじゃないかな」
なんとも家庭的な料理名が出てきた。ひょっとしたら、家庭科の授業で実際に料理でもしたのかもしれない。
作るものさえ決まれば、材料選びもスムーズにいく。肉じゃがであれば、買わなければいけない材料に困ることもない。じゃがいも、玉ねぎ、人参を手に取り、物色する。
「じゃがいもって、何個くらい買えばいいの?」
「二個くらいかと」
「ふーん。あれ、それ何買うの?」
「何って、糸こんにゃくですけど。肉じゃがといえば糸こんにゃくでしょう?」
おかっぱの髪の毛を揺らし、「何言ってるんですか?」とでもいいたそうな表情で、首を傾げてくる乃梨子。
「いやいや、しらたきじゃないの?」
福沢家では昔からしらたきである。
しかし乃梨子は糸こんにゃくを譲る気はなく、さらに続いて、さやいんげんを手にとった。
「え、いんげんなんていれるの?」
ちなみに福沢家で入れるものといえば、グリーンピースである。
「もう、いちいち口をはさまないでください。私が作るんですから」
「そうかもしれないけど、ウチでいつも食べているのと違うから、ちょっと思っただけじゃない」
「細かいなぁ。そんなんじゃモテませんよ」
「何ぃ?」
「なんですか?」
と、ついついにらみ合い状態に突入しかけたところで。
通りかかった買い物中の主婦が、くすくすと笑いながら横目で二人のことを見ていることに気がついた。
さらに別の主婦二人組が、「あら、かわいいカップルね」なんてことを小声で言っているのが耳に入ってきて。
ほぼ同時に、顔を赤くする祐麒と乃梨子なのであった。
恥ずかしい買い物を終え、ビニール袋を手に提げながら、並んで乃梨子のマンションに向かう。
例えば大学生や社会人になって、一人暮しなんかはじめて、彼女ができたりしたら、こんな風に夕飯の買い物を一緒にして、彼女が自分のために料理を作ってくれる、なんてシチュエーションを想像したことがないわけではない。しかしまさか、こんな風にして似たような状況になるとは思いもしなかった。
彼女でもなんでもないし、単にお礼ということで作ってくれるだけだし、一人暮らしのアパートというわけでもないし。
しかしよく考えれば、女の子一人の部屋であることに変わりはないわけで。そんな場所で二人きりで、手料理をごちそうしてもらえるというのは、世間的にはかなり美味しい立場なのではないだろうか。
乃梨子の横顔を盗み見る。
こうして口を閉じて静かにしていれば、整った顔立ちで、なかなかに可愛いといえなくもないのだが。
「何、人の顔見ているんですか。いやらしいことでも考えていたんでしょう、あー、寒気がします」
口を開けば、こんな憎まれ口ばかり。
「は、何言っているのさ。自意識過剰なんじゃないの」
売り言葉に買い言葉、こうなるともう、お互い止めようもなくなる。
「気づいていないんですか、さっきからいやらしい目つきで私のこと見て。変なことでも考えているんでしょう」
「そんなわけないだろ、二条さんを見て、何を考えろって言うのさ」
「ご自身の胸に聞いてみたらどうです?」
「そういう二条さんこそどうなのさ。そもそも、二人きりなのに俺を家にあげようとしているのは、二条さんじゃん」
「はぁ? 祐麒さんが私の手料理をどうしても食べたいって言ったんじゃないですか」
「だからって簡単に家にあげるなんて、あ、ひょっとして二条さん俺のこと」
「何、夢物語言っているんですか。なんで私が」
半笑いで、肩をすくめてみせる乃梨子。そしていつの間にか、乃梨子のマンションの前にたどりついていた。
さすがにこれほど言い合って、ぬけぬけと部屋にあがるのもどうかと思うのだったが。
「……まあ、お礼はお礼ですから。とりあえずどうぞ」
ふん、と鼻をならして、マンションのエントランスに足を踏み入れる。
「部屋に入れたからって、変な気、起こさないでくださいよ」
「起こすか!」
斜め下を向きながら、それでも乃梨子の後を追いかける。
初めて入る女の子の家に、実はドキドキしている。とはいっても、別に乃梨子の部屋に入るわけではない。リビングに通され、ソファに座らされる。
「それじゃあ、さっそく作りますから、テレビでも観て待っていてください」
制服の上からエプロンを身につけて、乃梨子はリビングとつながっているキッチンに入っていく。
テレビのリモコンをつけてみる。ちょうど、夕方のニュースが流れていた。そういえば、家に電話をしていないが、ここで家に連絡をいれるのもどうかと思い、携帯電話を取り出したものの、結局はそのまま鞄の中に放り込む。
キッチンに目を向けると、乃梨子はじゃがいもを洗っていた。リビングとキッチンの間はカウンターで仕切られており、料理をしているとちょうど、リビングのほうを体が向くことになる。
乃梨子の料理する姿が気になり、そわそわして落ち着かない。ニュースキャスターも、何を言っているのかよくわからない。
仕方なくベランダの方に目を向けてギョッとする。レースのカーテン越しに見える洗濯物は、下着ではないだろうか。白、ピンク、水色、といった小さな布切れがぶら下がっているのが目に入り、慌てて見なかったふりをする。
「どうしたんですか?」
「え、いや」
あまりに焦ったため、なぜか立ち上がってしまっていた。ごまかすように、祐麒はキッチンへ歩いてゆく。
「ちゃんと、料理できるのかと思って。手伝おうか?」
「じゃあ、じゃがいもの皮をむいてください」
手にしたじゃがいもを突き出してくる乃梨子。
まさか本当に手伝わされるとは思っていたので、おもわず面食らうが、ここで拒否するわけにもいかずじゃがいもを受け取る。続いて包丁も受け取り、仕方なく皮むきを始める。
「……不器用ですねー」
しばらく祐麒の皮むきを見てから、乃梨子は呟いた。
「そういう二条さんはどうなのさ。人に押し付けたのは、自分ができないからじゃないの」
「失礼な」
祐麒の言葉にカチンときたのか、乃梨子はもう一つのじゃがいもを手に取り、皮をむきはじめる。
負けてなるものかと、祐麒も皮むきを続ける。
そしてむき終わった二つのじゃがいもを見て、お互いにどっちの方が上手に剥けたかを主張しあう。
なんだかんだと言い合いながら、二人で料理を進める。やれ材料のいれる順番が違うだの、やれみりんと醤油の量が多いだの、お互いの意見を主張して、しかも二人とも譲ろうとしない。
「もー、私が料理作るんだから、祐麒さんはそっちで座ってて」
料理の終盤には、とうとうキッチンから追い出されてしまった。仕方なく祐麒はリビングに戻り、リビングテーブルに座って待つ。
いい匂いが、キッチンから漂ってくる。
だいたい、肉じゃがはそうそう失敗するようなものでもない。祐麒はテーブルの上を簡単に片して、待つこと十分ほど。
「お待たせしました」
キッチンから乃梨子が料理を持って出てきて、祐麒の前に皿を置く。わずかに前かがみになった乃梨子の顔が近付き、黒髪のかかる白い首筋が目の前にきて、驚く。ついつい、目が、そのきめ細やかな肌に吸い寄せられる。
「さ、どうぞ」
乃梨子の声に我に返ると、いつの間にかテーブルの上に料理が綺麗に並べられ、正面の席に乃梨子が座っていた。
さらに、肉じゃがだけかと思っていたのに、白いご飯に味噌汁、きんぴらごぼうが並べられていた。
「さすがに、肉じゃがだけというのもどうかと思ったので」
「いつの間に」
「いただきます」
「い、いただきます」
手を合わせてから箸を手に取り、まずは当然のように肉じゃがに箸を伸ばす。視線を感じるが、無視して口に運ぶ。甘く煮込まれた熱々のじゃがいもが、口の中で崩れて味が一気に広がっていく。
「……うまい」
口にした瞬間。
自然と笑顔が広がる乃梨子を見て、胸が高鳴る。
しかし一瞬後には、いつも通りの素っ気ない表情に戻っている乃梨子。果たして、祐麒が目にした笑顔は幻だったのかと疑いたくなる。
「ま、まあ、俺が手伝って味付けしたようなものだし、当然か」
「味付けをしたのは私じゃないですか」
「醤油の量を調整したのは俺じゃなかった?」
「私が指示した通りにいれただけでしょ」
「いつの間に味噌汁なんか作ったの?」
「インスタントです」
「きんぴらは」
「昨日の残り」
「二条さんの手作りは肉じゃがだけか」
「……文句、あります?」
「いやいや、美味しいよ、肉じゃが。きっといい奥さんになれる」
乃梨子の箸の動きが止まる。
口にして、祐麒も「しまった」と思った。帰り道にスーパーに寄って一緒に買い物をして、家に帰って制服のままエプロン姿で一緒に料理をして、その料理の内容が肉じゃがなんて家庭的なもので、ご飯と味噌汁なんかで二人でテーブルを囲ってと、なんかまるで新婚というか、付き合っている彼氏彼女みたいな状況だと、心の奥では分かっていたのだ。
「へ、変な意味はないから、変に汲み取らないでくれよ」
「な、なんのことやら。本当に祐麒さん、自意識過剰なんじゃ?」
「なんだと?」
「なんですか?」
こうして結局、なぜかお互いに色々と言い合うことになってしまうのだが。
不思議とそれが、心地よく感じるのであった。
祐麒が帰宅し、乃梨子はぐったりとソファに寝転がった。
結局、祐麒はご飯をきれいに平らげ、後片付けまで手伝ってから帰って行った。本当に、何を血迷って家にあげて、手料理なんかご馳走してしまったのか。変に意地を張らず、適当にファミレスかなんかで食事を奢ればよかったのに。
いやいや、と乃梨子は頭をふる。
一緒に食事しているところを下手に目撃でもされたら、またとんでもないことになる。それに比べれば、家で食事をするのであれば誰に見られることもない。そう、自分に言い聞かせて納得しようとする。
それにしても。
「……『うまい』だって。褒めるならもっと他に褒めようがあるんじゃないの?」
文句を言いながら天井を見上げる。
「おいしいなんて、当り前じゃない」
家庭科で作ったばかりだし、そうそう失敗しようもないし。
だけど確かに、授業で作ったものよりも、随分とおいしいように感じた。作り方は基本的に同じだったはずなのに、なぜか。まさか、本当に祐麒の適当な味付けが功を奏したとでも言うのだろうか。
得意げな顔をする祐麒の姿が思い浮かび、慌てて打ち消す。
「ふん、バーカ」
誰もいない空間に向かって、あかんべえ。
リビングにはまだ、ほんのりと香ばしい匂いが残っていた。
おしまい