その日は学校帰り、一人で街に出ていた。だって日出実ちゃん、部活動があるからって一緒に来てくれないんだもん。「真美さまがー、真美さまがー」って、事あるごとに言うからちょっと嫉妬するけれど、親友というポジションは揺るぎないものだし、日出実ちゃんとのラブラブちゅー写真もあることだし、素敵な先輩に憧れるというのも分かるから大目に見てあげるのだ。
本当は一人で街に出歩きたくはない。なぜなら、男の人に声をかけられることが、二人の時よりも多くなるから。一人で暇しているように見えるのだろうか。でも今日は、あたしが定期購読しているファッション雑誌の発売日。え、別にそれくらい休日にでも買いに来ればよいって? いやいや、読みたいと思ったときに手元にないことが嫌だから、思い立ったら行動あるのみなのだ。
そういうわけで、街で新作の服を見て、アイスクリームを食べて、ゲームセンターでクレーンゲームをやって、危うく雑誌を買うお金がなくなりそうになって慌てて購入し、それでお小遣いも寂しくなってきたので帰ろうかなとふらふら歩いていると。
前方に、お姉ちゃんらしき人が見えたような気がして、立ち止まる。お姉ちゃんの大学から家に帰る途中の乗換駅だから、帰りがけに買い物に降りるというのは珍しい話ではないけど、こうして実際に見かけることもあるんだなー、なんて思う。
こっそりと近づいて後ろから驚かし、ついでに何か奢ってもらっちゃおうかな、なんて都合のよいことを考えながら歩み寄っていく。
「――――あ」
だけど、近くによって気が付いた。お姉ちゃんは一人ではなく、どうやら友達らしき人と一緒にいるらしいことに。
あのお姉ちゃんに、まさか帰りに一緒に寄り道して遊んでくれるような友達がいること自体、あたしには驚きだった。高校卒業するまで、真面目一筋で面白味など何もないような人だったから。
誰だろうと思って更に近づいてみて、あたしは驚いた。
お姉ちゃんの隣を歩いているのは、お姉ちゃんの同級生にしてライバルだったはずの、鳥居江利子さま、即ち前黄薔薇さまだったから。
ライバルといっても、実際にお互いに口に出して宣言したわけではないだろうけれど、とにかくそんな二人が仲良さそうに歩いているのだからびっくりである。江利子さまは遠くから見ても美しく目立って見えるけれど、隣のお姉ちゃんは地味で存在が隠されているんじゃないだろうか。
他の人と一緒ではせびることもできないな、なんて思いつつ再び目を向けてようく見てみると、なんと、二人は手を繋いで歩いていることに気が付いた。
「え……な、ちょっと、どういうこと?」
思わず、独り言ちる。
いや、お姉ちゃんだって大学生ともなれば社交性を身に付けて仲良くなる友達ができたっておかしくない。相手が高校からの知り合いというならなおさらだけど、確か江利子さまは美術系の大学に進んだはずで、お姉ちゃんとは全く違う大学。となると、わざわざ会っているということ。
それだって、決して無いことではない。手を繋いでいるのも、仲の良い女の子同士だったら十分にあり得ることで、事実、あたしも日出実ちゃんと手を繋いで歩いたりすることだってある。だから、不思議なことはないはずなのに。
それら全てのことが混じり合うと、なぜだか胸がチクチクと針で刺されたかのような痛みを覚える。
別に、お姉ちゃんになんかやきもちやいたりするはずないのに、こんなのおかしい。
ちらりと目を向ける。
楽しそう。あんな風に笑って話をするお姉ちゃんなんか、見たこと無い。
あ、近い近い、顔が凄く近い、見つめ合って何か雰囲気があやしい。こんな人の往来のある場所でキスなんてしないだろうけれど、もしかして人が少ない場所ではキスしたりもするのだろうか。
お姉ちゃんが江利子さまとキスするシーンを思い浮かべて、慌てて打ち消す。なんだか、凄く嫌な気持ちになったから。
「うう、変なの……って、あ、しまった、見失っちゃった!?」
人も多いしお店も多いから、どこに行ったか分からくなってしまった。ぴょんぴょんとその場で飛び跳ねて遠くまで探してみようとしたけれど、うん、人目もあるし邪魔だからやめた。
結局、再びお姉ちゃんを見つけることは出来ず、あたしは一人でとぼとぼと帰宅した。
そしてお姉ちゃんは、夜になるまで帰ってこなかった。ご飯も外で食べてきたみたいだし、ちょっぴりお酒も飲んでいるみたいだった。
大学生ともなればそれくらい普通なのかもしれないけれど、なんだか嫌だ。
「笙子、お土産買ってきたよ」
「…………いらない、そんなのっ」
ぶう、と頬を膨らませてソファから立ち上がり、お姉ちゃんの横を通ってリビングから出ていこうとする。
「どうしたの、何で不機嫌なの?」
「別に、なんでもないもん」
だけど、意外なことにお姉ちゃんはあたしの手首を掴んで、出ていこうとするのを止めてきた。
「――離してよっ!!」
そう言った後、自分で自分の声の大きさにびっくりした。
お姉ちゃんも驚いたようで、眼鏡の下の瞳をぱちくりさせている。
あたしは自分が大声を出したことが恥ずかしくなって、でも今さらどうすることも出来なくて、とりあえず今の顔を見られたくなくて背ける。
「……ごめんね、何か怒らせちゃったかしら」
するりと、お姉ちゃんの手が離れる。
別にお姉ちゃんが悪いわけじゃない、ただ、良くわからないけれどむしゃくしゃするあたしの心がいけないんだ。
「…………っ」
口に出してそんなことも言えず、無言で、足早に階段を上っていくと、リビングの方から「どうしたの、喧嘩したの?」というお母さんの声が聞こえてきた。お姉ちゃんがなんて答えるのか気になったけれど、怖くもあってわざと足音を立てて急いで自分の部屋に逃げ込んだ。
ベッドに倒れ込み、あたしは自己嫌悪で転げまわった。
「ううぅ~~っ」
「ど、どうしたの笙子さんっ!? 酷い隈が出来ているわよ」
翌日学校に行くと、教室で日出実ちゃんにさっそく言われてしまった。
「ちょっと寝付けなかっただけ。大丈夫」
笑ってみせるけれど、素直には安心してくれないみたい。
確かに寝不足ではあるけれど、自己嫌悪でむしゃくしゃしていたので気分転換しようと漫画を読み始めたら、うっかりはまってしまって最初から最後の方まで読み進め、気が付いたらこんな時間に! という感じなので、恥ずかしくて人には言えない。でもでも、もとをただせばお姉ちゃんのせいなんだから。
「せっかくの可愛い笙子さんの顔が」
「あーん、日出実ちゃん、慰めて~」
「ちょっとこら、ここは学校なんだから」
「いいじゃん、今さらぁ。あたしと日出実ちゃんが仲良しなのは、皆だって知っていることだし、同級生なんだし」
「そうなんだけど……ぁ」
日出実ちゃんが気まずそうな顔をしたので、どうしたのかと思いその視線の先を追ってみれば、そこには相変わらず鉄面皮をした乃梨子ちゃんが、冷たい目であたしと日出実ちゃんのことを見つめてきていた。
「ごきげんよー、乃梨子さん」
「…………ごきげんよう」
一応、挨拶は返してくれたけれど、目をそらされてしまった。
「相変わらず、なんかクールだね乃梨子さんは」
「うん……でも、なんか、いつもと違くない?」
「え? どのへんが?」
「具体的に聞かれると困るんだけど、なんとなく」
確かにいつもと同じようなんだけれども、どこか違って、その瞳からは悲しげな波動を感じたのだ。
授業中も、いつもと変わらずに真面目に聞いて、先生にあてられても当たり前のように正解を答えて、優等生そのものだ。
なんだけど、それでもあたしにはいつもと違って見えた。
「――ま、だからって、あたしが何かできるわけでもないんだけどね」
「ん、何がどうしたの、しょこたん?」
お昼休み、日出実ちゃんと二人でお弁当を裏庭で食べていた。ここは生徒があまり来ないスポットで、実際に風景もしょぼくて何もない場所だけど、周囲をあまり気にしなくて良いという点もある。
だからお弁当のおかずを日出実ちゃんと「あーん」させあったり、愛称で呼んだりしても大丈夫。
「別に、なんでもない、なんでもない」
食べ終えたお弁当をしまいつつ、携帯を取り出して画面を表示させる。学園内では使用禁止だけれど、お昼休みだし周りに人はいないし、いいよね。
「ねーねー日出実ちゃん、これ、見てみて」
「え、なに? って、これこの前のプリクラじゃない」
「そうそう、良く撮れているよねー」
見せたのは、プリクラで撮った日出実ちゃんとちゅーしている写真。二人とも可愛く撮れていると思ったし、さらに画像加工してラブラブ感いっぱいにしてある。
「ちょ、こんな写真を待ち受けにしていたら、まずいでしょー」
「今だけ、すぐに変えるから。だってこれ、日出実ちゃんがラブリーだしっ」
「やだもー、恥ずかしいってば」
携帯を奪おうとする日出実ちゃんの手から逃れるよう、あたしも高々と腕をあげて逃げる。すると。
「…………あ」
顔をあげると、そこには乃梨子ちゃん。その視線は、携帯の画面へと向けられていた。慌てて隠す。
「あ、ちっ、違うよこれは!? ほら、キスプリ、仲の良い友達同士ならしてるって、ねえ日出実ちゃんっ!?」
「えっ!? う、うん、そうそう。だから私たちは」
「――――別に」
ぼそりと呟き、興味なさそうな、何か人を見下したような感じでさっさか歩いて行ってしまう乃梨子ちゃん。
しまった、近づいていたことに全く気付かなかったし、そのせいで日出実ちゃんとのキス写真を見られてしまった。乃梨子ちゃん、誤解していないと良いんだけれど。
と、そう考えて首を傾げる。
なんで、乃梨子ちゃんに誤解されたらまずいなんて思い、こんなにも焦っているのだろうか。
「気配、感じなかったものね。びっくりしたね」
「う、うん……」
「ほらもー、だから、待ち受けにしたらダメって言ったのに」
「あはっ、ご、ごめんね、すぐ変更するから」
そう言って画像を変えながら、やっぱり違和感を抱く。いつもの乃梨子ちゃんとどこかが違うようだと。
思いつつも何もしようがなく、一週間が過ぎて週末のお休みになった。でも、せっかくの週末だというのに空の模様は怪しく、夕方から夜にかけては雨が降りそう。特に予定はないし、家でごろごろしていることにした。
「お母さん、お姉ちゃんは?」
「克美なら、大学の図書館に行くって言っていたけれど」
「ふーん」
「ちゃんと謝って仲直りしなさいよ?」
「なんで、あたしが悪いって決めつけるのよー」
あの日以来、お姉ちゃんとはバツが悪くて話せていない。お母さんの言う通り、あたし自身のせいだとは分かっているんだけれど、素直になれない。
午後になると、お母さんが出かけて行った。今日はお父さんとデートなんだって。仲が良いのはいいことだけど、あたしは一人でお留守番じゃあテンションも上がらない。そのうち空が暗くなってきて、雨が降り出した。気温も下がって、肌寒ささえ感じるくらいになってきて、あたしはパーカを着た。
雑誌を読んでゴロゴロしていると、やがて玄関が開く気配。お姉ちゃんが帰ってきたのだろう、顔を合わすのもなんか気まずいので部屋に戻ろうかと思ったのだが。
「――――笙子、いる? ちょっと、バスタオル持ってきてくれない?」
傘を持っていかなかったのだろうか、玄関の方からそんなことを言われ、仕方なく洗面所に行ってバスタオルを手に取る。
まあ、これもきっかけかと、とことこ歩いていくと。
「――ああ、ほら笙子、早くして」
玄関には濡れ鼠になったお姉ちゃん。
「……え?」
「何しているの、突っ立ってないでバスタオル貸して、風邪ひいちゃうでしょ」
「な、なんで乃梨子ちゃんがっ!?」
お姉ちゃんに抱きかかえられるようにして、やっぱりびしょびしょに雨で濡れた乃梨子ちゃんが玄関先に立っていた。
訳が分からなかったけれど、ガタガタ震えて顔色も真っ青だし、何はともあれ濡れた体をどうにかしないとと、バスタオルを渡す。
自分のことは置いておいて、お姉ちゃんは乃梨子ちゃんをバスタオルでくるむようにして拭いてあげるけれど、それでどうにかなるとは思えない。
「お姉ちゃん、シャワー浴びた方がいいんじゃない?」
「――そうね。ほら大丈夫、乃梨子ちゃん? 歩けるかしら」
まだ濡れたままの乃梨子ちゃんを家にあげる。床が濡れてしまうとか気にしている場合じゃない。
「笙子、悪いけれど彼女のために何か着替えを用意してくれる? 私はお風呂場に連れていくから」
「う、うん、わかった」
頷くと、急いで部屋へと戻り、クローゼットをあけて着替えを準備する。とはいえ、何が良いだろうか。それに乃梨子ちゃんだけではない、お姉ちゃんもびしょ濡れだったから、お姉ちゃんの着替えも持っていった方が良いだろう。
お姉ちゃんの部屋に入って服を探し、下着を選ぼうとして意外と大胆な下着を目にして赤くなる。いつの間にこんな下着を購入していたのだろう、なんて余計なことを考えているとちょっと遅くなってしまった。
着替えを両手に洗面所に入る。
「お姉ちゃん、着替え持ってきたよ」
『――ありがとう、置いておいて』
「うん」
着替えを置き、ほっと一息ついて洗面所から出て、リビングのソファに腰を下ろす。一体全体、乃梨子ちゃんはどうしたというのだろうか。そもそも、お姉ちゃんはいつの間に乃梨子ちゃんのことを知っていたのか。
「…………っていうか、い、一緒にお風呂入っていた!?」
さらりと流してしまったが、明らかにお姉ちゃんと乃梨子ちゃんは一緒に浴室の中に入っていた。
「え、嘘、もしかして……」
シャワーから熱い湯が出て湯気の立ち上る浴室内に、裸身の克美と乃梨子。湯を浴びて、乃梨子の肌は艶を取り戻してゆく。
「すみません、ご迷惑をおかけして……」
「いいのよ、乃梨子ちゃん。迷惑だなんて思ってないわ」
「あっ……?」
背後から克美に抱きしめられ、身を固くする乃梨子。
「あ、あの、胸があたって……」
「当てているのよ……小さくてごめんなさいね」
「そ、そんなこと言って……あ、あっ」
乃梨子の体の前に回された克美の手がお腹をさすり、ゆっくりと上がっていき乳房の下にくる。
「あの、駄目です克美さま……あっ」
身を逃れようとした乃梨子だが、身を捩ったところ、逆に今度は二人で正面から向き合う形になる。克美はゆっくりと、そのまま体を近づけて乃梨子の背中に腕をまわして抱き寄せる。
「乃梨子ちゃんのおっぱい、柔らかい……」
「あ、駄目です克美さま、そんな、こすっちゃぁ……はぁっ」
胸と胸を押し付け合い、その先端同士がこすれ合う。乃梨子は頬を赤くする。
そのまま壁に乃梨子の体を押し付けると、克美は乃梨子の脚の間に自分の足を入れて乃梨子が逃げられなくする。
「冷えたからだ……私が温めてあげるから……」
「はぁっ……あ、むしろ、熱いです、克美さま……あ、あぁっ」
「あら、どうしたの乃梨子ちゃん、エッチな子ね。どこが熱くなっちゃってるのかしら……」
「――な、なんてことになっていたらどうしよおおおおっ!?」
と、最近ガールズラブなレディースコミックを読んでいる笙子は無駄に妄想爆発し、二人がシャワー浴びている間も落ち着かなかった。
シャワーから出てくると、二人とも随分と顔色は良くなっていたけれど、乃梨子ちゃんは相変わらず生気のない表情をしていて心配になる。
そのままうちで夜ご飯を一緒に食べて、お母さんたちが帰ってきたので友達が遊びに来たと説明する。両親を前にしたときは、乃梨子ちゃんは硬いながらも少し笑顔を見せ、丁寧に挨拶をして親に心配をかけないようにした。
「――笙子」
挨拶を終えた乃梨子ちゃんを一足先にあたしの部屋に行ってもらった後、お姉ちゃんに呼び止められた。
「乃梨子ちゃん、まだ不安定みたいだから、よろしくね。今夜は一緒に寝てあげて」
「う、うん……そういえばお姉ちゃん、なんで乃梨子ちゃんのこと知ってるの?」
「なんでって、笙子が写真見せて教えてくれたんじゃない、前に。この子が優等生で可愛げのない乃梨子ちゃんだって」
「え、あ、そうだっけ? あはは……」
「とにかく、可愛げがなかろうが、彼女は今傷ついている。理由は分からない。でも、そういうときは」
「うん、わかった、あたしに任せて! 寂しくないようにしてあげれば良いんだよね?」
「えーと……うん、まあ、それがいいかもね、笙子だったら」
「? 何が?」
「なんでもない。ほら、乃梨子ちゃんを一人にしないで」
「はーい」
トタトタと階段をあがっていく。
こうして思いがけず、乃梨子ちゃんはあたしの家に、あたしの部屋に泊まっていくこととなったのだ。