『終幕』
全ては、仕組まれていたことだった。
まさか瞳子だけでなく、演劇部員全員がグルになって典と祐麒をはめていただなんて、そんなの分かりっこなかった。
「すみません、でも、決まったのは直前のことなんですよ?」
現部長が頭を下げてきたが、あまり申し訳なさそうな表情ではなかった。
とんでもないアクシデントで幕を下ろし、好評だったのか良く分からないがとにかく凄い熱狂と怒号のようなものに包まれて舞台を降りて後、祐麒と典は教師に呼び出されて色々と質問攻めにあっていた。
校内の発表会で多くの生徒、教師の前で公開接吻をした。しかも、祐麒は男である。どれだけ叱咤されるかと思ったが、演劇部員が全員押しかけてきて自分達のせいだと頭を下げたこと、そして典の方からあれはハプニングであり意図的なものではないと擁護があって、どうにか厳重注意で解放されたのだ。
「……嘘ばっかり。急であんな風にドレスが準備できるものですか」
ふてくされている典。
「申し訳ありませんでした、典さま」
典の前では、瞳子が頭を下げていた。
真っ直ぐとしっかり立っており、足を痛めている様子は微塵もない。足を痛めているふりをした瞳子、そんな瞳子を心配する演技をしていた他の部員達。まさか典の目まで出し抜いていたとは、さすがレベルの高い演劇部の部員達である。
「あなた達、今までで一番、上手な演技だったんじゃないかしら」
「いやー、私達もそう思っているんですよ」
典の皮肉も通じず、苦笑いしている部員達。
ちらりと典の方を見ると、たまたま視線があって、互いになんとなく気まずくなってすぐに目をそらす。
「なんで、こんなことをしたのよ」
口を尖らせ、怒ったように言う典だが、傍から見ると拗ねているようにしか感じられない。大人っぽい典が見せる子供っぽさに、少し胸がざわめく。 「典さまが悪いんですよ」
「私が? なんで」
瞳子に言われて、目を丸くする典。
そんな典を見て、くすりと意地悪そうな笑みを浮かべる瞳子。
「典さまが嫌な嘘をつかれるからです」
「嫌な嘘……?」
「もう、分かっていらしているんではないですか? 前に典さま、祐麒さまにこんなことを言いましたよね。 『福沢さんは、瞳子ちゃんを私から奪っていくんですね』って」
「!?」
瞳子の言葉を聞いて、体を痙攣させるように震わす典。
「瞳子ちゃん、あなた、聞いて……」
「あれは、嘘ですよね。典さまは本当は、『私に祐麒さまを奪われる』、そう思っていたんですよね」
「なっ……!」
珍しく、典の顔色が変わる。
「そ、そんなこと」
言いながら目が祐麒に向けられる。と、今度は先ほどと変わり、いきなり顔を赤らめた。落ち着かない様子で顔を背け、でもまた祐麒の方にちらりと目を向けたかと思うと、目を丸くしてまたそっぽを向く。
「典さま、可愛い……」
「あんな表情もされるのね、典さま」
部員達がざわつく。
典が醜態を見せることなど今までになかったのだろう、それだけにきっと新鮮なのだ。
「そんな心配される必要などないですのに……ねえ、祐麒さま?」
急に話を振られ、反応できずに瞳子を見返すと、瞳子は優しい微笑みを浮かべていた。まるで全てを見透かしているかのような。
室内を見回すと、他の部員達も注目している。
こんな状況の中で思っていることを口にするほど、大した度胸など持ち合わせていないはずなのだけれど。
「そう、ですね」
座っていた椅子から立ち上がり、典の方に足を進める。驚いた表情を見せる典だが、硬直してしまったようにピクリとも動かない。ただ、近づいてくる祐麒の姿を、目を見張って見つめるだけ。
「高城さん」
「は、はいっ」
「高城さんはなぜ、高城さんなんですか?」
「は?」
静まり返る室内。
だけど、しばらくして。
「……今のって、『ロミオとジュリエット』の台詞の引用ですよね?」
「えーっと、ということは?」
「え、何々、どういうことですか」
ざわつく部員達。
「いやですわね皆さん、それくらい、分かりますでしょう?」
そんな中、瞳子がそう一言告げると。
さすが女子高校生、黄色い声がこだまする。
どんな拷問だと、熱くなる頬を手で抑えながら典を見てみれば。
短い付き合いとはいえ、それなりに濃い時間を過ごしてきた中でも見たことがない、ぽかんとした表情をして、祐麒のことを見上げていた。
「し、信じられないわ、本当に!」
大きな声ではないが、はっきりと聞こえる大きさで怒りをぶつけてくる典。とはいっても本気で怒っているわけではないのは明瞭で、全く怖さを感じない。
瞳子をはじめとする他の部員達から追い出されるように学校を後にした。祐麒を送っていってやれと、本来の立場と逆のことを言われてのものだ。
夕暮れ時の道をゆっくりと歩きながら、明日はきっと大変なことになっているかもしれないと考える。花寺も、リリアンも、同じかもしれない。何せ大勢の生徒達の前で、公の場で、あんなことになってしまったのだ。
横を歩く典に、ちらりと目を向ける。
「……なんですか」
盗み見たつもりだが、あっさりとばれてしまい正面に目を向ける。祐麒だって恥しいことには変わりなく、学校を出る前からずっとまともに典のことを見られていない。
「いえ、その……あ」
「ん」
なんとなく歩を進めていたのだが、気がつくと小さな公園の前に来ていた。そこは、初めて典を見かけたあの公園だった。二人は無言で、それでも示し合わせたかのように公園の中に足を踏み入れる。
「あの時……見られていたんですよね」
ブランコを見る典。
「あの日の私は、確かに泣いていたのかもしれない。あの日は、瞳子ちゃんが……」
そこで、口を噤む。
何があの日に典に起きたのかは分からない。
だから、口にしたのは全く違うことだった。
「そういえば舞台で、瞳子ちゃんに何を言われてあんなに慌てていたんですか?」
祐麒にはよく聞こえなかったが、瞳子が何かを口にして、それを聞いて典が驚いて身を起したのは明らかだ。
舞台の上だというのに、演じている最中だというのに、それを忘れるような事を言われたのか。
「それは……」
「それは?」
「……って、言うわけないでしょう、う~~っ」
睨まれて唸られた。
本気でちょっと怖くなって、逃げるようにしてブランコに腰を下ろした。あの日、典のいたブランコに。
錆びた音を立てるブランコは、驚くほどに小さく、低かった。ブランコに乗るなんていつ以来だろうかと考えていると、ふと影が差した。
「ねえ、福沢さん」
前に立った典が、ショートの髪の毛を指でいじりながら、どこか気恥しそうに立っていた。夕日を浴びて、頬がオレンジ色に染まっている。
左足のつま先が地面を弄っている。
不満そうに頬を膨らませ、口を尖らせ、だけど困ったような瞳で祐麒のことを見る。
そんな典が可愛くて、照れるように地を蹴ってブランコを揺らす。
「――あんなのがファーストキスだなんて、酷すぎます」
「そっ! ……れは、申し訳ないと思うけれど」
公衆の面前で、しかも歯と歯が激しく衝突したことくらいしか印象になく、唇の柔らかな感触など殆ど記憶にない。祐麒とて、あれが初めてというのはちょっと、と思う。
「だから、その、や、やり直しを要求する」
「はぁ、そうですか……って、はぁ!?」
驚きの声をあげる祐麒を無視し、キィキィと金属が軋む音をBGMに典は口を開いた。
何かを決心したように真剣な表情で、ほんのりと顔を赤くして、典らしい通る声で言うのだ。
ゆっくりと、身を屈めながら。
「――福沢さん、福沢さん。どうして貴方は――――」
おしまい