薔薇の館で行われた、ささやかで和やかな山百合会のクリスマスパーティは終了した。高校生活最後のクリスマスパーティは、昨年までとはまた異なった雰囲気を呈していた。
去年よりも、一昨年よりも賑やかで和気藹々としたそれは、この秋から仲間入りした福沢祐巳という一年生の力が大きいように感じた。彼女は自分の孫、すなわち紅薔薇のつぼみの妹ということになる。彼女が、この薔薇の館に、山百合会に今までと違った温もりをもたらしてくれたのだ。
専属の(?)カメラマンがつくというのも異例のことだった。今までは、どこか一般の生徒には神聖不可侵のように思われていた薔薇の館の敷居が、それだけ低くなったということだろうか。
今年の山百合会メンバーは、紅薔薇さまである自分の目から見ても、歴代最強と思われるほどの美形揃いだから腕の揮い甲斐もあるというものだろう。
大人っぽさと少女っぽさが同居した不思議な空気をまとっている、どこか透明感のある美少女とでもいえる江利子。
日本人離れしたエキゾチックな顔立ちの聖。
もはや何も言うことのない、立ち居振る舞いといい、一般人とはかけはなれている美少女、妹でもある祥子。
すれ違う女性の多くが振り向くだろう、アイドル顔負けの"美少年"の容姿をした令。
妹にしたいナンバーワン、上級生から絶大な人気を持つ可憐で、でも性格は結構強気な由乃ちゃん。
学園でおそらく祥子と唯一、はることができるくらいの超美少女、清楚で汚れない独特のオーラを放っている志摩子。
そして、可愛らしく表情をころころと変える、きっと誰からも好かれる祐巳ちゃん。
ここまで個性的なメンバーが揃うというのは、ある意味奇跡ではないだろうか。そんな現山百合会メンバーの中で、唯一、自分だけがごく普通だろう。
外見だけでなく、中身も皆個性的で、飽きることもない。いろいろあったけれど、充実した三年間だったと間違いなく言い切れる。まだあと三ヶ月残っているが、無駄にしないように日々を過ごしていこう。
人のいなくなった薔薇の館。
パーティの後片付けは明日以降にまわして、みんな帰宅させた。せっかくのクリスマスイブ、姉妹や家族と過ごす時間は貴重だから、最低限の後始末だけして。飾りなどはつけておいても腐るわけではないし、問題ない。
祭りの後はさみしい。
ほんの小一時間ほど前まで皆で騒いでいただけに、尚更に感じるのかもしれない。
冷えてきた室内で一人、感傷に浸っていると。階段を軋ませながら上ってくる足音が耳に届いてきて、ビスケットの扉が開けられた。
「こんな寒いとこで何しるの、蓉子」
「そういう貴女こそどうしたの、江利子。令や由乃ちゃんと帰ったんじゃなかったの?」
「校門までね。でも、あの二人の邪魔しちゃ悪いし」
近くの椅子に鞄を置き、コートを脱ぐ江利子。しばらく部屋に落ち着くつもりなのだろうか。
「それに、忘れ物もあったし」
「忘れ物?」
思わず室内に視線を走らせる。
パーティの残骸があちらこちらに転がっているが、特に個人の物はなかったはずだ。先ほど一通り見て確かめたし、抜けはないはずだった。
きょろきょろとしている蓉子のことを見て、江利子がくすりと笑う。
「どこを探しているの。すぐそこにあるのに」
「え……?なによ、忘れ物って」
頬を膨らませ、軽く睨み付ける。
慣れているのか、全く臆することなく近づいてくる江利子。そして、顔を寄せてくる。目の前まで寄られて、思わず体を反らすようにして避けてしまう。美少女が間近に迫ってくるというのは、ある意味おそろしい。
「ちょっと……そんなに近づかなくても」
「分からない?忘れ物は蓉子、あなたよ」
「―――はあ?」
何を言っているのだろうか、江利子は。
「ま、正確には蓉子の気持ち、なんだけれど―――」
さらによくわからないことを呟いている。
さらさらの髪の毛をかきあげながら、江利子はそっと隣に体を移し、なぜか腰に手を回してきた。空いているもう片方の手は、蓉子の手を取る。
江利子の行動がよく分からないのはいつものことだが、今回のは何だろうか。今までにはないパターンだ。
「ねえ蓉子。蓉子は頭もよいし気も回るし、それに何より美人だからさぞかしモテるでしょう」
「何言っているのよ、私なんてごく平凡じゃない。それを言うなら、江利子の方がよっぽど男性に言い寄られるんじゃない」
「はあ?」
眉をひそめ、本気で不審そうな顔を見せる江利子。続いて盛大なため息をもらし、肩を落とす。
「蓉子ってば、本当に自分のことが分かっていないのね」
「な、何よ」
「私が、蓉子の魅力、分からせてあげようか?」
言いながら正面に回りこみ、右手を腰に回し、左手を頬に添えてくる江利子。すぐ目の前に江利子の濡れた瞳と桜色に艶めく唇が現れる。離れようとするが、逆に江利子の力は強くなり、抱きしめられるように引き寄せられる。江利子の豊かな胸がぎゅうぎゅうと押し付けられ、甘い吐息が鼻にかかる。
「江利子、いったい、どうしたの……」
頬を撫でる江利子の指が踊るように首筋まで降り、さらに襟元に滑り込み鎖骨を撫でる。
痺れるような震えが背筋を這い上がってきた。
「え、えり、こ……?」
思わず熱い息が漏れる。
ふざけているにしては、ちょっと度が過ぎていないだろうか。体に力が入らなくなる。
「……ちぇっ、邪魔が入ったか」
「え……」
ふっ、と江利子の体が不意に離れた。
と、ほぼ同時に部屋の扉が開いた。
「お待たせー、蓉子っ……て」
入り口の所で右手を上げたままの格好で、聖の動きが止まった。室内に立っている二人の友人、蓉子と江利子を交互に見て、顔をしかめた。
「なんで江利子がいるのさ」
「随分とご挨拶ね。そういう聖こそ、志摩子と帰ったんじゃなかったの」
「ちゃんと帰ったわよバス停まで。ちょっと思い出したことがあったから戻ってきただけよ」
「ほう、思い出したこと、ねえ」
江利子と聖は、いずれも不敵な笑みを浮かべて相手のことを見ている。やがて聖が江利子の腕を取り、部屋の隅に連れて行った。
「……ちょっと江利子、蓉子に何したのよ、顔赤くなっているじゃない?!」
「別にまだ何もしていないわよ。あなたが思うようなことは」
「まだって、私が来なかったらするつもりだったの?卒業するまで抜け駆けはなし、って約束、忘れたの?!」
「それはこっちの台詞よ。さっき入ってきたとき、『お待たせ』って言っていたわよね。何、約束していたってこと?」
「べ、別に約束するくらいいいじゃない」
「どうせクリスマスと誕生日を一緒に祝おう、とか言って誘って、いい雰囲気に持ち込んだら最後までいっちゃおう、とか考えていたんでしょう」
「なななななな、何言っているのよ。言っておくけれど、誕生日祝いに何かしたいっていってきたのは蓉子の方なんだからね」
「なっ……蓉子は優しいから、そこに付けこんだんじゃないの」
二人がこそこそと不毛な言い争いをしているのを、首をかしげながら見つめていた蓉子だったがやがて寂しそうにぽつりと呟いた。
「……なんか二人で、楽しそうね。私、お邪魔かしら」
その言葉に二人が慌てて顔を上げると、蓉子がうつむきながら片足で床にのの字を書いていた。
「そんなわけないじゃない、ごめんね、聖の馬鹿がちょっと」
「ちょっとって何よ、元はといえば江利子のせいでしょうが」
二人は蓉子に駆け寄り、右手に江利子が、左手に聖がしがみついた。左右に分かれた二人が蓉子を間にはさんで笑顔を浮かべながらにらみ合う。さながら大岡裁きのような様相を呈しているが、引っ張り合っているというよりはより一層、蓉子にくっつこうとしている聖と江利子。
「ちょっと二人とも、どうしたの?」
「えーと、ほら、こうしていると暖かいじゃない」
「そうそう。本当は二人で、ベッドの上で体を温めあいたいところだけど」
「面白い冗談言うじゃない、江利子」
「ふふふ、そうかしら」
火花を散らす二人。
しかし争いの火種となっている張本人は全く気がついていないようで。
「あ、ひょっとしてパーティには江利子も呼んでいたのね」
などと手をたたき、嬉しそうに微笑んでいる。
思わず、がっくりと頭をたれる両脇の二人。
「どうしたの二人とも、早く行きましょうよ。今日は聖の家でお泊まりなんでしょう?ピザをとって、ケーキを食べて、朝までおしゃべりしましょうか。三人でそういうのしたことなかったものね」
楽しそうに声を弾ませる。
一番大人っぽい薔薇さまが、一番子供のようにはしゃいでいる。はたしてこれがクリスマスの魔力なのか。
"一時休戦、ね―――"
聖と江利子は、視線で暗黙のうちに協定を結んだ。
せっかくの聖なる夜、二人の大好きな人がこんなにも嬉しそうな表情をしているのを、あえて陰らすこともない。
でも―――
そこで、またも二人はアイコンタクトを取った。
「どうしたのよ、聖、江利子―――?」
今日はクリスマス・イブ。
蓉子へのプレゼントにもなって、聖と江利子にとってもハッピーなものを。
「「蓉子」」
声が重なる。
誰よりも眩しい笑顔が向けられる。
"ハッピー・クリスマス♪"
「えっ?!」
―――ちゅっ♪―――
蓉子の両の頬に、同時に熱く柔らかい唇が押し付けられた。
瞬間、真っ赤に染まる蓉子の両頬。
「な、な、せせ聖っ?!え、えり、江利子っ?!」
慌てふためく蓉子がまた可愛らしくて。
そんな蓉子と、来年こそは二人きりのクリスマスを過ごそうと、聖と江利子は見えない火花を散らすけれども。
今年は、愛する紅薔薇さまのために。
三人で一緒に、楽しい聖なる夜を―――
おしまい