我に返ったとき、私の上にはお姉さまが重なるようにして乗っていた。二人とも汗ばんでじっとりとしていたが、不思議と不快ではなかった。
ごろん、と私の体の上から落ちるようにして、お姉さまは私の横に移動する。
体は温まり(むしろ熱くなりすぎた)、色々なものを吐き出したせいか、随分と私の心も落ち着いてきていた。
「江利子」
仰向けのまま横に視線だけを向けると、お姉さまは手で頭を支える横寝姿で、わずかに上から私のことを見下ろしていた。
「可愛かったわよ」
「……謝りはしないんですか」
「謝るくらいなら最初からやらないわよ。それに、最終的には江利子も同意の上で寝たはずよ」
くすりと笑うお姉さまの手が、お腹の上に置かれた。手の平から体温がじわりと伝わってきて心地よい。
部屋の暗さにもすっかり慣れ、今では電気がついているのと変わらないくらい、はっきりと室内の様子が、お姉さまの表情が分かる。
「―――私は、紅薔薇さまや白薔薇さまのように、出来たお姉さまではないから」
「……え?」
お腹の上を動くお姉さまの手は、やがて私の胸に移動する。無意識の動きなのだろうか、感じるというよりは、ただくすぐったかった。
「あなたを慰めようとか、励まそうとか、元気づけようとかは思わない」
「強引に身体を求めたくらいですからね」
茶化すように言ったけれど、お姉さまの表情はごく真剣なものだった。
吊り上がった切れ長の目の光は、静かに輝いて見える。
「あなたは聖ちゃんに負けた、と言っていた。でもそれは、本当かしら?」
「え―――それは、確かに」
どうしようもない事実だった。蓉子は聖を選んだ。冷たい体を抱きかかえながら、一人で聖を待つ蓉子。そして、白薔薇さまに連れてこられたのだとしても、聖は蓉子のところに戻っていったのだ。たとえ聖が蓉子を選んでいるわけではないとしても、私には意味がなかった。
蓉子が、誰を選んだかが全てだから。
そういった意味では、私は完膚なきまでに敗北したのだ。それなのに、お姉さまの言葉に激しく動揺する自分がいた。
「『負けた』―――それは、戦いの場にきちんと姿を見せたときにだけ、使うことのできる言葉よ。江利子。あなたは本当に、戦ったの?」
お姉さまの言葉に、息が詰まりそうになる。
あなたは本当に、戦ったの?
私は、私は―――
「―――私はっ!!」
ベッドに手をついて、上半身を起こす。
お姉さまは姿勢を変えず、今度は逆に上から覗き込む格好となった私の顔を、下から見上げながら口を開く。
「蓉子ちゃんに、ちゃんとあなたの気持ちを伝えたの?」
「――――――」
答えられない。
「どれくらい蓉子ちゃんのことを好きでいるのか、蓉子ちゃんに見せたのかしら?」
「――――――」
私には、答えることができない。
「……もう一度聞くわ、江利子。"あなたは本当に、戦ったの?"」
「――――――っ」
答えられないことが、全てを語っていた。
下から、お姉さまは真っ直ぐに私のことを見つめている。目をそらしたいのに、とらわれてしまったかのように身動きできず、瞳を見続ける。
「江利子、あなたは何でも出来る。勉強も、スポーツも、芸術も、それ以外のことも何でもできる。でも、どれも最高点を見ることはできない。あなたは何でもできるけれど、自分自身の限界点まで見えてしまう。だから、物事に対して無気力になっている。そうよね、結果が見えてしまっているんですもの。私にはあなたの気持ちは分からないけれど、想像することはできる。私にしたら、羨ましい限りだけれど」
淡々と、お姉さまは語る。
そうだ、私は昔からなんでも出来た。でも同時に、どこまでいけるかも分かった。そして、「他のことは出来ないけれど、それだけは出来る」人は私をあっさりと越えていく。なんでも出来るといいながら、私は何も出来なかった。いや、何も本気で取り組もうとしなかったのだ。
「そんな考えが、あなたに染み付いている……でも、それは言い訳ね。あなただって分かっていたはずよ。人を想う気持ちに限界なんかない。結果の分かっている恋愛なんて、ないのよ。だって、人の気持ちは変わるものだから」
「―――う」
「だけどあなたは、本気で頑張れなかった。今までの考え方が染み付いていたせいか、本気で蓉子ちゃんにぶつかっていけなかった。どれだけ蓉子ちゃんのことを好きなのか、伝えることもせずに、ただ結果を見て負けたと言っているのではなくて? 気持ちに限界を決めて、聖ちゃんはそんなあなたの限界をあっさりと超えていく存在だと勝手に決め付けて、負けた理由にして。本当は、戦いの舞台にすら上がっていなかったのに」
「……うっ、く……」
一言一句が鋭く、私が身に纏ったちんけな鎧を貫いてゆく。
出来たお姉さまじゃない、なんて嘘だ。
こんなにも、私の醜い心の奥底を把握しているというのに。
「もちろん今のは、私が勝手にそう思ったというだけ。違うのならば、そう言ってちょうだい」
「……うっ、うあああああああああぁぁぁぁっっ!!!!」
弾けた。
心の中の留め金が、今まで必死におさえてきたのに、あっさりと弾け飛んでしまった。
「分かって……分かって、いたんです。私は、何もしてこなかった。蓉子に、想いを告げることもっ……!」
頭を抱える。
口から迸る悲鳴のごとき声は、自分のものだろうか。
「お姉さまの言うとおり、私は逃げていただけ……っ、うあ、あ、よ、蓉子が、私を選んでくれないことが怖くて……聖を選ぶことが怖くて……だから負けたときのダメージが少なくなるように……ひっ」
馬鹿だった。ダメージが少なくなることなんて、あるはずがなかったのに。私は何かと理由をつけて、逃げ回っていたのだ。目の前のささやかな幸福しか見えないフリをして。いつかは壊れる儚い幸せと知りながら。
「伝えることすら…………ひっ……で、できなかった……!」
お姉さまが言っていた通り、気持ちに限界点なんかどこにもない、誰にも決められないのに、いつもと同じように私は自分の終着点を決めたつもりになって。いつものように、私の限界をあっさりと超える存在がいるものだということにして。
いつの間に私は、一生懸命になることすら出来なくなっていたのだろう。
『自分の限界点が分かる』ことと、『一生懸命に全力を尽くす』ことはイコールでもなんでもないというのに。
「……わた、わたしはっ…………うっく、あ、はぁ……人を好きになることすら、人を好きになる気持ちすら……本気を注げなかった……!!」
熱い滴がぼろぼろと頬を伝い、流れ落ちる。
吐きそうになり、口元を抑える。
「うあっ……うあああぁ、うああああああああああぁぁっっ!!!」
悔しかった。情けなかった。私は自分が何も出来なかったくせにお姉さまに縋りつく、とんだ甘ちゃんだった。
今ほど、自分自身が不甲斐なく、どうしようもない人間だと思ったことはなかった。
私はただ、感情の赴くままに泣き、叫び、嗚咽を漏らすだけだった。
「―――少しは、落ち着いたかしら」
しばらくして、お姉さまの声が耳に入り私は顔を上げた。上半身を起こしたお姉さまが、私と同じ高さの視線で正面から見つめていた。
「は、はい……、す、すみませんでした……」
目をこすり、返事をする。
涙だけではなく、鼻水やら涎やらで、私の顔はとんでもないことになっていた。
「もう……しようがないわね」
「ひぃゃあっ?!お、お姉さまっ?!」
そんな私の汚れた顔を、舌で舐め始めたのだ。
「動かないで、綺麗にしてあげてるんだから」
「ど、動物じゃないんですから……」
それでもしばらくは、舐められるがままでいた。私の顔を動き回る、生暖かいお姉さまの舌の感触が、くすぐったくも心地よかった。
「……全て吐き出して、すっきりしたかしら」
「そう……ですね」
今まで、分かっていたけれど無意識下に置いていた自分の嫌いな部分が剥き出しにされて、自己嫌悪をさらけだして、確かに少しは心が楽になっていた。
もっとも、だからといって蓉子のことを割り切れるわけではない。むしろ、自分の心情を赤裸々にしてしまった今、蓉子に対する想いは、後悔や自己嫌悪が掛け合わされて何倍にも膨れ上がっていた。
しかし今更、どうすればよいというのだろうか。現実は、発生してしまった事実は変えられないのだ。
それなのにお姉さまは。
「さて、それじゃあ反省もしたことだし、次こそは間違えないようにしないとね」
などと、明るく言ってきた。
意味がわからず、次とは何かと私が聞き返すと、お姉さまは眉をひそめ口をとがらせて私にデコピンをした。
「イタっ!……な、何をするんですか?」
「もう、何、じゃないわよ。今度こそ蓉子ちゃんにちゃーんと自分の気持ちを伝えなさいよって言ってんじゃない」
「え……でも、蓉子はもう……」
額を押さえながら反論しようとすると。
「別に聖ちゃんと実際にどうにかなったわけじゃないのでしょう?江利子の気持ちだって伝えていないわけだし」
「でも蓉子の想いは……」
「馬鹿ねえ、人の気持ちは変わるものだって、さっき言ったでしょう?たとえ今は江利子の方を向いていなくても、振り向かせちゃえばいいのよ」
「そう……なんですか?」
「ああもうっ!全然わかってないんじゃないの?!だから、自分で勝手に限界を決めるんじゃないっての。誰にも負けない、『蓉子ちゃん好き好きエナジー』をぶつけて、なんなら強引にでもかっさらっちゃいなさい。本当に好きなんだったら」
私は唖然とした。
そういう考えをしてもいいのか、困惑する。
「……少なくとも、後悔はしてほしくないのよ。私と同じ道歩んだら、黄薔薇姉妹はなんて馬鹿なのかって思っちゃうし」
「え……同じ、って、お姉さま?」
びっくりしてお姉さまの顔を見ると。
寂しげな表情で、窓の外に視線を向けて。
「……紅薔薇さまに、ね。あ、今の紅薔薇さまじゃないわよ、去年卒業された方ね。伝えられなかった。悔しいなぁ。後悔してるよ」
全く、知らなかった。そんな想いを持っていたなんて。
余計なお世話と知りつつ、私は口を開かずにはいられなかった。
「あの、今からでも……」
「あ、いいのよ」
しかしお姉さまは、あっけらかんと笑って。
「実は今はもっと、好きな子が出来ちゃって」
「……惚れっぽいだけですか」
「あ、ちなみに残念ながら江利子じゃないから。江利子は現在のところ、次点ね」
「次点を抱いたんですか……?」
「今日は江利子が一番。それにクリスマスは特別な日だし」
「意味分かりません……なんか、ほんの数時間で、今まで知らなかったお姉さまの色んな面を知った気がします……」
「やっぱり、肌を合わせると一番理解できるのかしらね、へへ」
「ヘンタイだと言われていた意味も、分かりましたし」
ため息をつきながらそう言うと。
お姉さまはきょとんとした顔で、私のことを見た。
「あら、私のヘンタイなところなんか、まだほとんど見せてないわよ」
「……へ?」
次の瞬間、とてつもなくイヤな笑顔を浮かべるお姉さま。
「……それは、これから、たっぷりと見せてあげるところだから」
「え、ちょ、ちょっと、あの……ええっ?!」
「うふふ……夜はまだまだ長いわよ、江利子?」
「いえ、その、もう……くしゅんっ!」
「ほら、冷えてきたんでしょう?また、すぐに熱くしてあげるからっ」
私に抱きついてくるお姉さま。
「いえ、もうけっこ……んぐっ……んっ!」
反論しようにも、すぐに口を塞がれる。
「ふふ、抵抗しても無駄よ。江利子の弱いところはもう分かっちゃったんだから~」
今、この瞬間だけ。
私は、このヒトを姉としたことを後悔した。
夜が明けて、25日も夕方に差し掛かっていた。
「……お、ねえさま……んっ……そ、そろそろ、ご両親……」
「ああ、今日は二人とも泊りがけだって書きおきがあったから大丈夫。明日の朝まで、まだたっぷり時間あるわよ」
「ひああぁっ、くぅぅっ……ん」
結局、25日から26日の午前中まで、私とお姉さまはわずかな食事と仮眠の時間を除いて、ひたすら体を重ねていた。
お姉さまが寝ている間に逃げ出したかったのだが、文字通り私は足腰が立たなくて身動きが取れなかったのだ。
「……はぁっ……はっ…………ん、あ……」
息も絶え絶えに、まさに私は瀕死状態でベッドに横たわっていた。隣ではお姉さまが、後片付けをしている。
「あー……さすがにこのシーツ、捨てないとダメかしら。洗ってもダメそうね……江利子ったら、色々とおいたしちゃうから」
「……お、おねえさまの……せいじゃないですかっ……!!」
力なく、私は叫ぶ。
もう、私の身体でお姉さまの唇が触れていない場所はない。
あそこどころか、あんなところまで……舌や指を……思い出すだけで羞恥で体が熱くなる。 「だって恥ずかしがる江利子が可愛いんだもの。特に粗相しちゃったときと、後ろを指でいじっている時の顔とか」
「ぅぅぅぅぅぅぅぅぅっ」
涙目になる。
「うふふ、江利子の……美味しかった」
「お姉さまっ!!!」
私は、お姉さまは本当にヘンタイだと、心の底から思うようになっていた。
一体、どのようなヘンタイさ加減だったのかは、私自身の名誉のためにここでは伏せておきたいと思う。いや、もう十分にお姉さま自身の口から言われているような気はするが。
それでも、私は懸命に首を横に振る。
「……なによぅ、江利子だって最終的には結構、悦んで、感じていたじゃ……」
「おねえさまっ!!」
そう、私もヘンタイなのか?と思ってしまいそうだったから―――
その8へつづく