<前編>
祐麒は思い悩んでいた。
知ってしまった、自分の気持ちを持て余していた。
果たして初恋はいつだったか、明確なことは覚えていない。おそらく、小学生の頃だと思うが、記憶は泡のようにはじけて消えてしまっていた。
男子校に通うようになると、あたりまえだけれども女子との接点などほとんどなく、唯一、女子と公然と仲良くなることのできる文化祭のイベントでも、自ら女の子に声をかけるほどの積極性は持ち合わせていなかった。
女の子に対する興味というものは同級生達並にはあると思うが、実際に行動に移すか移さないかという点では差があったし、男友達とつるんで遊んで馬鹿なことをしているのも楽しくて、特に文句もなかった。
だから、現実的には初めてなのかもしれなかった。
女の子のことを、本当の意味で好きになるということが。
少女の名は、島津由乃。
祐麒と同学年で、リリアン女学園の二年生。祐巳の親友であり、現在は黄薔薇のつぼみとして山百合会活動にいそしんでいる。剣道部に所属し、趣味はスポーツ観戦と時代劇小説を読むこと。
まるで少女漫画から抜け出してきたみたいな可憐な容姿をしていながら、実は勝ち気でイケイケな性格。
祐麒が知っているのは、この程度。
それでも、好きになることの障壁ではない。むしろ、今までに知らない彼女の新たな面を、もっと知りたいという欲求が強くなる。
気がつけば、由乃のことを考えている時間が多くなっている。
生まれてから十数年、女の子と付き合った経験など無いし、告白だってしたこともない。だから、今の気持ちが本当の恋なのか自分で確信を持つことが出来ないのだが、由乃のことを想うと、心が温かくなると同時に、どこか苦しくなる。
これを、恋と言わずに何といえばよいのか。
教室の机で頬杖をつき、一人で物思いに沈む。
これが同じ学校とかなら、彼女の姿を見ることも出来るし、何か理由をつけて会いに行くことも出来るかもしれない。
しかし、現実はそううまくいかず、学校は別々で、つながりもあるとはいえさほど強くも無い。
祐巳と仲が良い、生徒会活動でつながりがあるとはいえ、週に一度どころか月に一度だって会えるか分からない状態ではどうしようもない。
かといって、女子校に突入できるわけも無く、いきなり電話をかけるほどの度胸も持ち合わせておらず、我ながら情けないとは思いながらも手詰まり状態なのであった。
「なんだかユキチ、最近元気ないね」
アリスが心配そうな顔をして、のぞきこんでくる。
友人に相談したくても、出来ない。第一に気恥ずかしいし、男子校の友人で、彼女だっていないような相手にどう相談すればよいのか。
なんでもない、と応じて姿勢をただす。
もうすぐ、春を迎えようとしている。あっというまに三年生となり、受験などで慌ただしく過ぎ去ってゆけば、卒業など本当にすぐであろう。進路はまだ決まっていないが、別々の大学となってしまえば、由乃とのつながりも薄くなってしまうかもしれない。
受験勉強が本格化する前にどうにかしたいが、手が思い浮かばない。
そうこうするうちに時間は過ぎ、あっという間に放課後となり、生徒会室へと向かう。卒業する三年生を送るイベントに向け、それなりに忙しいのである。
廊下を歩きながら、祐麒は生徒手帳を取り出して開く。
目に入ってくるのは、一枚の写真。
花寺の学園祭のとき、たまたま由乃とツーショットで撮ってもらった写真には、祐麒と並んで男物の学生服を着てVサインをしている由乃の姿。
学園祭の頃はまだそれほど強く意識していなかったので、手元にある由乃の写真はこの一枚だけだった。どうして、あのときにもっと沢山の写真を買っておかなかったのかと、今さらながらに悔やまれる。
「おい、待てよユキチ」
後ろから小林の声と足音が聞こえ、生徒手帳を学生服の内ポケットに隠す。
しばらくすると、追いついてきた小林が、祐麒の肩をつかむと同時に口を開く。
「なあ、旅行の件、考えてくれたか」
問われて、無言で息を吐き出す。
小林の言う旅行の件とは、この春休みに遊びに行かないかという誘い。四月からは最上級生となり、受験生となる。夏休みも受験勉強に追われることがほぼ確定事項であり、遊ぶならこの春休みしかないというのが小林の言い分である。
内容についてはその通りだと納得できるのだが、旅行そのものの内容となると首を振らざるをえない。
「だから、無理に決まっているだろ。女の子達と一緒に旅行なんて」
肩をすくめてみせる。
そう、小林の提案は、その旅行メンバーには女子もいれようという大胆なもの。祐麒だって、女の子と旅行に行けるなら行きたいものだが。
「そこをなんとか、祐巳ちゃんなら気心知れているし、大丈夫じゃないのか」
生徒会活動でほんのちょっと一緒したことがあるだけで、何で気心が知れているというのか。祐麒は目を細めて小林を見つめ返す。
「無理無理、諦めろって」
「なんだよー、そんなに祐巳ちゃんを独り占めしたいのかよー」
「どこをどう受け取ったら、そうなるんだよっ」
生徒会室に入り、鞄を机の上に投げ捨てながら、少しだけ声を大きくする。先に来ていたアリスが、目を大きくして驚いている。
一方の小林は、全く怯んだ様子も見せず、むしろ笑みさえ浮かべて祐麒のことを見ている。
「俺は一般論を述べているのさ。はたから見れば、ユキチ、お前はただのシスコンだ。なあ、アリス?」
「え」
いきなり話を振られたアリスの動きが止まる。
祐麒もまた、アリスを見る。
「……そうなのか?」
問うと、アリスはなんともいえない曖昧な表情を見せて、言葉を濁す。その態度を見て、小林の言っていることが事実なのだと、祐麒は愕然とする。
「いくら祐巳ちゃんが可愛いとはいえ、生徒会長がシスコンじゃあ威厳もへったくれもないだろう。だからだな、そんな噂を払拭するためにも旅行だよ」
「なんでそうなる。大体、祐巳だってメンバーに入っちゃうじゃないか」
祐麒の反論にも、小林は涼しい顔。
足音もなく近寄ってきて、祐麒の耳元で祐麒にだけ聞こえる声で囁く。
「……祐巳ちゃん誘えば、当然、由乃さんも一緒に来るだろ?」
「なっ……おまっ、小林っ?」
思わず、声をあげそうになるのを手で抑える。室内には他にアリスしかいないが、それでも小林を部屋の隅に連れてゆき、声をひそめて問い詰める。
「どういう意味だよ」
「そのままの意味だけど。ユキチ、親友の俺が、気がつかないと思っているのか?」
小林の顔を見て、声をなくす。
鎌をかけているとか、適当に言っているというようには見えなかった。どうしてかは分からないが、確信を持って祐麒の気持ちを言い当てているのだ。
それでも、祐麒はあえて無視する。
このまま認めてしまうのは悔しいし、どことなく敗北感を受けるから。
「チャンスを作ってやろうってんじゃないか。俺をだしにしていいからさ」
「だけど、どっちにしろ泊りがけなんて許可が出るわけ無いだろ」
男が一緒だなんて聞いたら、良いところのお嬢さんであるリリアン生に、親の許可がおりるとは思えなかった。
「じゃ、日帰りならいいだろ?」
「それは……まあ、それなら大丈夫やもしれんが」
見知らぬ相手ならともかく、祐麒や小林とよく知った相手であるなら、日帰り程度の遊びでとやかく言われることはないだろう。
それでも躊躇ってしまうのは、ここで頷けば小林の言葉を肯定することになるのかと思うから。
「ま、どうしても嫌というなら仕方が無い。でも、俺は祐巳ちゃんたちを誘うからな。もしオーケーしてくれた場合、ユキチは呼ばないぞ」
「そ、それは」
男連中の中に祐麒がいるからこそ、女の子達も安心するはずだった。何せ、四月から正式に紅薔薇さまとなる福沢祐巳の実弟であるのだから。だが、仮に祐麒が同行しないことになったとしても、必ず拒否されるとも限らない。花寺学院の生徒会メンバーとは、それなりに知り合っているし、信頼も得られているのだから。
「さあ、どうする?」
小林の問いかけに、腕を組んで唸る祐麒。
悩むこと数十秒。いや、本当のところは悩むまでも無く結論は出ていたのだが、即答だけはささやかなプライドのせいでしたくなかったのだ。
「それでもOKしてくれる保証はないし」
「いざとなったら、俺も後押しするし」
「大体、どこへ行こうってんだよ」
「その辺は任せとけ、プランはきっちり詰める」
「……とりあえず、聞いてはみるけど」
「おー、よろしくな」
ささやかなプライドは、あっさりと潰れたのであった。
☆
由乃は思い悩んでいた。
何を悩んでいたかといえば、そりゃもちろん、祐麒のことである。
先日、紅薔薇の蕾であり親友でもある祐巳の家にお泊まりで遊びに行ったとき、偶然にも耳にしてしまったのだ。
祐麒の告白を。
いや、祐麒の部屋から聞こえてきた声を耳にしただけだから、正確には告白されたわけではないが。
だが確かに、「由乃のことが好き」だと言っていた。
まさか、あのタイミングで由乃が部屋の外に来ることを想定し、由乃のことをからかったなんてことはないだろう。
と、いうことはだ。
やはり、あの言葉は本心だった、と受け取るのが自然ではないだろうか。
「うあー」
奇妙な呻き声を発し、由乃はベッドの上でのたうつ。
何度も同じことを考えるが、たどりつく応えは同じであった。ただ恨めしいのは、直接に言われたわけではないということ。由乃がたどりついた答えと、祐麒の発した言葉の真意が果たしてイコールなのか、確実なことが言えない。
もっとも、真意が分かったところで、どうしたらよいのか分からないのは同じことなのだが。
結論が出るはずもなく、色々と悩んでいるうちに日は流れ、あっという間に三月に突入していた。
この頃になると、三年生を送る会や薔薇の館でのお別れ会、ホワイトデーに卒業式と、様々なイベントが待ち受けていて忙しない日々が続いていた。
そこで由乃は、良い解決手段を思いついた。
即ち、有耶無耶のうちに忘れてしまえ、という非常に大胆かつ豪快な手段であった。
福沢家訪問から随分と時間が経つものの、その後、祐麒から何か接触があったわけでもないし、花寺との交流もこの時期は特に無い。そもそも、直接に告白されたわけでもないし、今となっては、あれは寝ぼけた由乃が聞いた幻聴だったのではないかと、そんなことまで考えるようになっていた。
何のことは無い、普段は猪突猛進を見せる由乃であったが、自分が未経験の『恋愛』という領域には突然に臆病になったわけである。
だって今までそんなこと、考える余裕も時間もなかったし。
高校一年の途中まではずっと心臓に病を患っていて、恋どころか友達を作ることすらままならなかった。
手術を経て元気になってからは、今までやりたくても出来なかった部活動や学校の様々な行事、イベント、友達との遊びに夢中であった。
そしてこの先も、薔薇様となっての山百合会活動や、妹探し、大学受験と、濃密であろう一年が待ち構えている。
だからとりあえず忘れちまえ、というのは乱暴にしても、横に避けて置いておいてもいいんじゃないかと思ったわけだ。
一先ず問題を先送りにすることにより、ようやく心の平穏が得られたと思いはじめたある日のこと。
由乃が薔薇の館に足を踏み入れると、珍しい面々が揃っていた。
「あれ、どうしたのみんなして」
部屋に入ってきた由乃に、皆が目を向ける。
祐巳と志摩子は居ても当然として、蔦子と真美がいたのが意外だった。代わりに、というわけではないだろうが、乃梨子と瞳子の姿は見えなかった。
聞いてみればなんてことはない、『りりあんかわら版』の卒業記念号の打ち合わせのために集まっているとのこと。同じクラスだというのになぜ、由乃が知らなかったのかと憤慨しかけたが、放課後になってから不意に蔦子と真美が思い立ち、アポイントメントなしで押しかけてきたらしい。
卒業するお姉さまのためにということで、現二年生が中心となるそうで、乃梨子と瞳子は、今日は遠慮して帰宅したらしい。まあ、一時期のドタバタとした感じはなくなったから、今日くらいは二人がいなくても問題ないだろうとのこと。
そうならば、と由乃も加わっての女子五人で色々と話しているうちに、いつしか話題はかわら版から逸れていった。
「そういえばみんな、春休みは何か予定ある?」
そう切り出したのは、祐巳だった。
「まあ、取り立ててコレ、といったものはないけれど」
短い休みである。
由乃も、令と遊びに行こうと約束はしていたけれど、他には特に予定というものはなかった。
どうやら、他の皆も似たり寄ったりのようだった。
「それじゃあさ、皆でどこか遊びに行かない?」
「あ、それいいわね」
祐巳の提案に、由乃はいち早く食いついた。
皆とは仲良くしているが、一緒に遊びに行ったり、旅行に行ったりというのは実はあまりない。修学旅行と、先日の福沢家へのお泊まりくらいが関の山だった。
体が弱く、今までその手の経験が皆無だった由乃にとっては、それだけでも十分に楽しかったのだが、友達だけでどこかへ遊びに行くなんて、考えただけでも楽しくて仕方なかった。修学旅行とは違う、令と出かけるのとも異なる、友達との外出。春休みだから、ひょっとして泊りがけなんかで行く可能性もあるかもしれない。まだ何も決まっていないというのに、由乃の心は弾んでいた。
「そうね、楽しそうね」
「私も賛成」
他の皆も、賛成のようだった。
「じゃあ、どこに行こうかっ」
拳を握り締め、早速、検討に入ろうかと声をあげたところで。
「あ、ちょっと待って。実はこの話、私からの提案じゃなくて」
待ったをかける祐巳。
祐巳から言い出したのに、祐巳の提案ではないとはどういうことだろうかと、首を傾げると。
「花寺の小林くんたちがね、春休みにどこか一緒に遊びに行かないかって、誘ってくれているんだけれど」
「まあ」
上品に驚く志摩子。
真美と蔦子は、顔を見合わせている。
「たまにはいいんじゃない、そういうのも」
由乃は別に構わなかった。女の子同士の方が気は楽というのもあるが、男の子達が一緒というのも、それはそれで楽しそうだし。小林などであれば、さほど意識することなく遊ぶことも出来ると思う。
「人数が多いのも、賑やかで楽しそうよね」
「まあ……そういう経験をしておくのも、悪くは無いかもね」
皆も、特に嫌だということはないようだった。
相手が花寺学園の生徒会ということであれば、心配することもないだろうという思いが見てとれる。
と、そこまで考えたところで、由乃の頭の中で黄色信号が点滅した。
「……え、ちょっと待って。その、小林くんっていったけれど、他のメンバーは?」
問う。
すると祐巳は、指折り数え始めた。
「えっと、小林くん、アリス、高田くん、あとうちの祐麒かな、今のところ聞いた名前は」
中に祐麒の名前があるのは、当然といえば当然だった。失念していた由乃が、どうかしていたのだ。
しかし、最初に賛成を表明した身としては、今さら撤回するのも憚られるし、なぜかと理由を聞かれても答えられなどしない。
「それじゃあ、皆の意見もOKということで、とりあえず返事しておくね」
結局、由乃があうあうとしている間に、そんな感じで話はまとまってしまったのであった。
由乃がどうこう出来る間もなく、あっという間に約束の日はやってきた。本当は春休みにする予定だったのだが、どうしても日程があわなくて三学期最後の日曜日になっていた。メンバーはリリアンの五人は変わりなく、花寺も当初の予定通りの四人で、トータル九人というかなりの大所帯となった。
これではグループデートというか、合コンではないかという意見もあったが、お嬢様学校、お坊ちゃん学校の両校ではさほど派手なことにはなるまい。
どこに行くのかはとりまとめを買って出た小林にお任せで、実はまだ知らされていない。
「でも、それも困るのよねぇ」
行き先がわからなければ、どのような格好をしていけばよいのかも分からない。仕方なく由乃は、多少はアクティブなことにも対応できる、無難な服を選んだ。
親に声をかけて、家を出る。
今日まで色々と考えたし、文句がないわけでもなかったが、なんだかんだ言いつつ由乃は楽しみにしていた。祐麒のことだって、これだけ大人数で出かけるのであれば、意識することもないであろう。
だから、気楽な気持ちで待ち合わせ場所に行ったのだが。
これは、どういうことだろうか。
既に待ち合わせの時間を三十分も過ぎたというのに、待ち合わせ場所にいるのは、由乃と祐麒の二人だけ。
最初は少し焦ったが、世間話をしているうちに不安も杞憂に過ぎなかったのだなと思った。存外なことに、普通に話せたのだ。しかし、さすがに十分、二十分と過ぎると困ってくる。祐麒とのこともそうだが、状況が変だぞということになってきて。
祐麒は携帯電話を取り出して連絡をつけようとしているが、どうもうまいこと相手がつかまらないようだった。携帯電話を保有していない由乃は、手持ち無沙汰に祐麒の様子を見ることしかできなかった。
「あー、ちくしょうっ」
頭をかきながら、ちょっといらついたような表情で、祐麒は携帯電話を折りたたんで胸ポケットにしまった。
「どうだったの?」
「いや、その……さ、なんかみんな、来れないみたい」
「は?」
意味が分からなかった。
残りの七人が七人そろって、今日になっていきなり都合が悪くなったのか、はたまた体調でも崩したのか。
いやいや、そんなのあり得ない偶然だろう。
だとすると。
「えと……まさか」
目の前に立つ、祐麒を見上げる。
無言で頷く、祐麒。
「どうも俺達だけ、みたい」
「え……」
えええええーーーーーーーーーーっ!?
内心で、絶叫した。
そして、理解した。いくらなんでも、ここまでくれば由乃だって理解できる。
すなわち、由乃と祐麒の二人は、皆にはめられたのだ。
さてどうする、どうする。先ほどまで落ち着いていたのに、急速に混乱し始める。まさか皆にのせられるまま、祐麒と二人でデートなんて、できるか。きっと祐麒だって、同じように考えているに違いないと、様子をうかがってみる。
「これから、どうしようか?」
「ど、どうしようって、言われても」
困る。
「えっとさ、もし由乃さんさえ嫌じゃなければ、せっかく出てきたんだし、どこか行かない?」
「えっ」
しかしそれでは、うかうかと皆のドッキリに乗せられることになるではないか、と思っていると、由乃の気持ちを察したのか祐麒が続けてこう言った。
「だってさ、なんか悔しいじゃん、このまま帰るのも」
「でも、だからって乗せられるのもなんか……」
口を尖らせて、反論する。悔しいというか、恥しい。
だから煮え切らない態度をとっていると。
「あいつらにさ、由乃さんと俺がいなくて失敗だったと思わせるくらい、楽しんでやろうよ」
と、思いもかけないことを言われた。
確かに、ここで変に意識をして別れてしまうのは何か悔しいし、せっかく楽しみに来たのに勿体無い。
ならば、どうしたらよいだろうか。
「そうね、確かに、悔しいもんね」 頷き、周囲に目をはしらすと、すぐ近くに停まっていたバスが、そろそろ発車しようかとしているのが目に止まった。
「よっし、行こう、祐麒くんっ」
「えっ、うわっ??」
由乃は祐麒を引っ張り、まさに扉が閉じられようとしていたバスの運転手に向けて、手を振った。
閉まりかけた扉が再び開き、中に駆け込む二人。
扉はすぐに閉まり、バスは走り出す。
「どうしたの由乃さん、いきなり」
「ほら、万が一、私達のことを皆が後をつけてくるようなことがあると」
「ああ」
納得したように頷く祐麒。窓から後ろを見てみるが、特に知っている顔は見当たらなかった。
ほっと一息つき、祐麒と顔を見合わせてなんとなく笑う。
「とりあえず、座ろうか」
「そうだね……あ」
そこで初めて、二人で手を繋いでいたことに気がついた。祐麒も同様のようで、わずかに顔を赤らめて由乃のことを見つめていた。
一気に、顔が、かあっと熱くなる。
「あ、ほら、そこの席あいているよっ」
わざと少し大きな声を出し、座席に向かう流れで手を離した。バスの揺れにバランスを取りながら、座席につく。
隣に座る祐麒とは、もちろん触れ合うほどの距離。黙っていることには耐えられそうもないので、とにかく口を開いた。
「ところで、どこへ行く?」
「どこって言われても……このバス、どこ行き?」
「そういえば、どこ方面なのかしら」
「あれ、なんだ由乃さん、全然知らないで乗ったの?」
「そりゃそうよ、咄嗟だったんだから」
「それもそっか、えーとちょっと待って、このバスだと……」
「あ、私、ここ知ってる!」
停留所の名前を見て、どの辺を通っていくのか当たりをつけ、行き先を考える。由乃も追随して、知っている場所の名前を適当に挙げる。
行き先も考えない、行き当たりばったりというのも面白そうだ、そんな風にも思い始めている。
予想もしなかった二人のデートは、こうして始まったのであった。
後編につづく