~ 星の都へ ”Side-ミヤコ 幻想” ~
別に、何かを期待していたわけではなかった。
アイが亡くなった後、失ったものの大きさに私は倒れないようにすることにとにかく必死だった。
裏方から見る光は悪くなくて、アイが見せてくれた東京ドームの夢は眩しくて、その現実が一夜にして消え失せたことは、思った以上に私にも衝撃を与えていた。
アクアとルビーの二人を本当に自分の子供にしたいと思った気持ちの中に、私を支えてくれる何かが欲しかったから、という思いがゼロだったとは言えない。
二人の幼い子供を支えるフリをして、私自身の支えが欲しかったのだ。
アクアとルビー、二人が生まれた時から見守り、アイドル活動を続けるアイのかわりに二人の面倒を見て、二人と過ごした時間はむしろアイよりも長かっただろう。
自分の子供でもないのに。
アイドルが生んだ隠し子の子守りするために働いているわけじゃないのに。
そう思いつつも、一緒にいる時間が長くなれば愛情もわく。
だけど人間、それだけで血のつながっていない幼い子供を二人も見受けできるほど簡単じゃない。
だから私はその時、二人を見捨てられないという思いも確実にあったけれど、それと同じくらい痛みを共有できる相手を欲していたのだと思う。
それを壱護に求めなかったのは、きっと本能的に壱護では無理だと思ったから。
後になって考えてみれば、その時の決断は間違いでなかったといえるけれど、しばらくは苦しいことも多かった。
壱護がいなくなって、まさかの社長業をやることになって。マネージャーと経営者では求められることは全然違うわけで、責任の大きさも段違いで。
タレントや社員を食わせないといけない。
仕事をとってこなければいけない。
経理や財務に法務に、もちろん専門家に任せる部分はあれど、弱小事務所の社長なんてタレントがやらないことの殆どを見なければいけない。
休めば体力だけなら回復できても、精神的な疲労は回復できない。
そんな私の癒しであり活力の源となったのは、間違いなく子供たちの存在だった。
ぶっちゃけ、あの子たちがいなかったら、いくらアイの見せてくれた夢が諦めきれなかったといっても、芸能事務所の社長なんて投げ出していたかもしれない。
あの子たちがいたから、私は堅実に、臆病に、無茶や無謀や博打なことをせずにやってこられた。
だけど。
いつも仏頂面で、幼いころから何を考えているか分からなかった兄。
いつもニコニコしていて、人前では愚痴をこぼさない妹。
本当の親子といっていい時間を共に過ごしてきたのに、あの子達の心の奥底が、私には分からない。
私には素顔を見せてくれない。
「――だって私、本当の母親じゃないもの」
そんな愚痴をこぼせるのも、通い慣れたバーのマスターにだけ。
人には恵まれている方だと思っているけれど、それでも社長業も、母親も、孤独だ。
唯一、その孤独を分かち合えるはずのアイツは十年以上音沙汰もないし。
「こんなこと使い古された言葉だけど、血が繋がっていることが全てじゃないでしょ」
マスターが軽い口調で言ってくる。
「ていうか、血の繋がっている親子だって、お互いの考えていること分からない人なんて沢山いるわよ。うちの店にだってそういう愚痴言うお客さん、結構いるし」
「それは……そうかもだけど……」
そういう人が多くいると知ったところで、私自身の問題解決につながるわけではない。
まあ、こんな私みたいな女のもとで、グレることもなく育ってくれたことを喜ぶべきなのかもしれないけれど。
「だったら一度、子供たちに愚痴ってみたら?」
「それこそ、何を言っているのこの人は、って思われちゃうわよ」
「言い方がまずかったわね、ちゃんと向かい合って、思っていることを伝えてみたら?」
「そんなこと、今更出来ないわよ……」
「どうして? アクア君もルビーちゃんも、そこまで子供じゃないわよ」
「分かってる、そんなことくらい分かってるわ。そうじゃない、そうじゃ……」
頭を抱えて呟くように言う私を、マスターはなんとも言えない表情をして見つめている。
厄介な女だと分かっているけれど、この場所でくらいしか出せない姿だし、酔って悪さをしているわけでもないし、勘弁して欲しい。
私がしばらくうだうだしていると、やがてマスターが無言でカクテルを差し出してきた。
「マスター、私お酒は」
「一杯くらいいいでしょう、今度お店のメニューに加えようか考えているの、味見してくれる?」
マスターに言われて、目の前に置かれたカクテルグラスに目を向ける。
ごく薄く青みがかったような色味をしており、そっと匂いをかいでみればキャラウェイの香りがする。
一口、口をつけてみると、甘みと酸味の溶け合ったような味わい。割と好みだ。
「これ、なんていうの?」
「ポーラ・スターよ」
「……北極星、ね」
そう言われれば北極星のような味がする、って、北極星の味ってなんだろう。
「いいんじゃない、これ」
「そう、ありがと。ほら、いいお酒はいい人生につながるのよ。また愚痴なら聞いてあげるから、いつでも来なさい」
「――――うん、ありがとう」
言えることも言えないこともあるけれど。
せめて、言えることくらいはここで吐き出させてもらおう。
悩みがあろうと日々は流れていくし、仕事も待ってくれない。
本来、仕事に没頭している間は家族の悩みを忘れられそうだけど、仕事の中に家族の悩みが紛れているというのは何ともしがたい。
経営者として、母親として、どうしたらよいのか。
ルビーの夢は、私達が失った夢でもある。
母親としてルビーの夢を応援したいと思っているけれど、結局それって自分の夢を取り戻したいエゴを自分勝手に解釈しているだけじゃないかと思ったりして、混乱してくる。
昨日はコレで良いと思ったのに、今日になったら別の方が良いと思い、また明日になったら他の考えの方がよく思えてくる。
どんな偶然が、あのバーであのバカと再会して事務所で働かせることは約束させたけれど、それで問題がすべて解決するわけでもない。
ルビーのことだけが問題じゃないし、解決すべきことは山ほどあり、そして毎日のように新たな問題が生まれてくるのだから。
「社長、今日はもうこちらでやっておくので帰った方がいいですよ」
「――え?」
社員の一人に声をかけられて、驚いて振り返る。
「めっちゃ疲れた顔してますよ」
「そんなことないわよ、大体まだそんな遅い時間じゃあ」
「世間じゃ十分に遅い時間ですよ、いくら芸能事務所だからって、社員のためにも社長自らブラックな姿を見せちゃだめですよ」
正論を言われて思わず言葉に詰まる。
こんな風に気遣われるなんて初めてのことだった。それくらい、表情にも態度にも出てしまっているということだろうか。
「――分かったわ、今日はもう上がることにするわ」
どのみち、これ以上ここで唸っていたって仕方がないし、考えることは家でも出来る。
私は立ち上がり、帰宅する。
帰った私を、まさかの状況が待ち受けているとも知らずに。
「えっと、改めて誕生日おめでとう! ここまで私たちのことを愛して育ててくれて本当にありがとう……ミヤコママ!」
「誕生日おめでとう……その………………母……さん……」
一人で浴室の床に座り込んで頭を抱えてなお、ルビーとアクアの言葉が私の頭の中にひ響き渡る。
「……っ……ぅっ、あ、ぁああああっ……!!」
期待していたわけではなかった。
与えて欲しいと思っていたわけではなかった。
ただ、自分が縋っていただけだった。
だというのに、こんな言葉をかけられて、私は――
「あぁ……アイ、貴女が生きていたら、あの子達のこの言葉は、思いは、貴女が受け取っていたものだったのに……」
アイが生きていたら、私が決して得ることのできなかったもの。
アイが死んでいるから、私は今、あの子達から素敵なものを貰ってしまった。
アイが悪いわけでもなければ、私が悪いわけではないことも分かっている。
ましてや、あの子達が悪いなんてこと、あろうはずもない。
アイのことを忘れたわけでもなければ、アイへの愛情を失ったわけでもない。
それでも、私は――
「ごめんなさい、アイ……貴女がどれだけあの子達を愛していたか、あの子達がどれだけ貴女を愛しているか、私は知っているのに……私だって、あの子達を……っ」
私は力なく立ち上がり、浴室にある小さな窓を開けて夜空に目を向ける。
「……そろそろ、身支度して戻らないと、ね」
母親の顔に戻らないと。
例えお腹を痛めて産んだ子でなくても、アクアとルビーは私の子供だ。
「ふふっ……アクアのあんな顔、初めて見たわね……」
そうして笑った時、ふと、声が聞こえたような気がした。
“――何を悩んでいるの、ミヤコさん? 私もミヤコさんもルビーとアクアが大好き! 愛してる! それでいいじゃんっ”
都合の良い幻想。
アイは私の名前も憶えられていなかったのに。
それでも私はこうして幻想を抱いて生きていく。
それがあの日、息子と娘の手を取った、今の私の覚悟。