クリスマスが過ぎると街は一気に年末年始の雰囲気へと一変する。赤と緑の乱舞していた華やかな感じから、どこか少しだけ昔に戻ったような、でものんびりしているわけではなく忙しないような、不思議な状態になっている。だけど、それが決して不自然ではなく、むしろ年末の空気だと自然に感じられる。
二学期の終業式も終わり、生徒会も仕事納めとなった乃梨子は、そんな街の年末の匂いを受けながら帰宅した。
部屋着に着替え、読書やネットサーフィンをしているうちに夜となり、残り物で少し遅めの夕食を済ませたところで董子が帰ってきた。
「お帰りなさい、夜ご飯は?」
「今日は大丈夫、軽くワインでも飲みたいかな」
「こんな時間から飲んで大丈夫なの?」
「平気平気、明日から休みだしね」
「あ、そうか」
休暇を使用して少し早めの年末年始休みに突入する董子は、長期休暇を活かしてヨーロッパ旅行に出立する予定となっていたのだ。
「明日から家を空けるから、その間は乃梨子も好きなように使っていいからね。この前みたいにお泊まりでも」
「別に祐麒さんなんか呼ばないし」
「あら、あたしはこの前遊びに来た瞳子ちゃん、可南子ちゃんのことを言ったんだけど」
「ぐぅっ……」
かぁっと頬が熱くなる。
またしても単純な手に引っかかってしまったが、"この前"といわれればつい数日間のクリスマスのことだと思うに決まっているではないか。いや、董子は乃梨子がそう考えることを見越して言ってきたのだろうが。
「まあ、彼も高校生だし頻繁に泊まりはまずいよね。昼間でもあたしいないから、そこは好きなだけイチャついて良いから」
「いい加減にして、大体、私だって明日から家に帰るし」
「あら、そうなの?」
学校も終わり、特に遊びの予定も立てているわけでもない。一人が苦になるタイプでもないから残っていてもいいのだが、家事全般をこなさなくてはいけない、食費がかかるなどを考えると、実家に戻った方が良いと考えたのだ。夏休みも生徒会の活動などでこちらに残っている期間の方が長かったし、家族のことも考えれば年末年始くらい実家でのんびりしようと思った。
そんなわけで董子のマンションに戻ってくるのは始業式の前日でいいかと考えていたのだが、それが変わったのは志摩子からのメールだった。
「し、し、志摩子さんの晴れ着姿、絶対に見たい!」
初詣に誘われただけでも絶対に行きたいと思ったが、更に加えて着物を着るというのだから、これを乃梨子が見逃そうと思うはずがない。
かくして乃梨子は急遽、董子のマンションへと戻る日程を早めたのであった。
「うわー、凄い、志摩子さん、綺麗!!」
「ふふ、ありがとう。乃梨子もよく似合っているわよ」
志摩子に言われると、自然と頬が緩んでしまう。
初詣は志摩子と乃梨子だけでなく、山百合会の他のメンバーも一緒である。そして乃梨子たちに着物を貸してくれ、着付けまでしてくれたのはもちろん、小笠原家である。
祥子、令、志摩子、祐巳、由乃と立ち並ぶと、まさに豪華絢爛な美女ぞろい。特に祥子と志摩子の二人が並ぼうものなら、畏れ多いと感じてしまうくらいである。
また令ときたら、女性物の着物を着ているにも関わらず相変わらず美少年にしか見えず、由乃と腕を組んで歩いている姿は男女カップルとしか思えない。
「はぁ、それに比べたら私なんかおまけみたいなもんだよね」
別に自嘲でもなくそう思う。自分が不細工だとは思わないが、美少女だとも思わない、ごく普通の女子高校生なのだから。
「ん~、乃梨子ちゃん、何か忘れて無い?」
「祐巳さまも、とても可愛らしいですよ」
「ありがとう、って、後輩に可愛らしいって言われるのはどうなんだろう」
苦笑いする祐巳だが、童顔で晴れ着姿も可愛いとしか言いようがない。
「それにしても凄い人ね。三が日を過ぎれば空いているのではなかったのかしら?」
と、露骨に眉をひそめて嫌そうな顔をしている祥子。正真正銘のお嬢様だから、こんな混雑している場所に足を運んでくるのは乃梨子にとっても意外だった。
「これでも三が日に比べたら人も少ないんですよ。お姉さま、だから無理されることはないと」
「無理なんかしていないわ……だって来ないと祐巳の晴れ着姿を間近で堪能できないじゃない……」
後半は呟くような声だったので、すぐ横にいた乃梨子にしか聞こえなかったようだ。ちらと祥子の方を見ると、やや興奮した面持ちで着物姿の祐巳のことを凝視していた。気付かないふりをした方が賢明だろうと乃梨子は判断した。
「さあ、行きましょう。人が多いからはぐれないようにね」
背の高い令を先頭に、いざ神社の本殿へと向けて歩き出す一行であったが。
「……ごめんなさい、私に構わず皆は行ってちょうだい」
「すみません、私、お姉さまを連れて戻ります」
案の定というべきか、人波に揉まれて気分を悪くした祥子は、本殿に辿り着く前に引き返すこととなってしまった。
四人となって再び本殿を目指す。人が多いので、もし離れ離れになってしまった場合の待ち合わせ場所を決めておく。
まあ、いくら人が多いからといってそう簡単にはぐれるようなことはないだろう、そう思っていたが甘かった。特に由乃が真っ直ぐ本殿に向かおうとせず、途中に何かあるとそちらに興味が惹かれて動きが変わる。
姉である令、同級生の友人である志摩子を引っ張って動かれ、気が付いたら乃梨子は一人になっていた。
しばし周囲を確認していたが見当たらない。令の背が高いといっても女子としてはであり、男の人も多い中では目立つほどでもない。一つため息をつくと、乃梨子は諦めて待ち合わせ場所へと向かった。
待ち合わせの場所に到着して誰かいないかと見回していると、ふと目が合った。
「え、祐麒さん?」
「………………二条さん?」
そこに立っていたのは間違いなく祐麒だった。首を傾げつつも近づいていく。
「なんですか、返事に随分と間がありましたけど、私がいたらそんなに変ですか」
「そんなこと言ってないだろ。それよりどうしたの二条さん、一人で初詣?」
「そういう祐麒さんこそ、おひとりのようですけれど?」
「違うよ、さっきまで生徒会の連中と一緒だったんだけどこの人込みだろ、はぐれちゃってさ、それで最初に指定していた待ち合わせ場所に来て待っているの」
「……へえ、奇遇ですね。実は私も同じなんです」
返事をしつつ、"まさか"という思いと、"もしや"という考えが交錯する。
「凄い偶然だね」
果たして祐麒の方はそのようなことを感じていないのか、ごく普通に驚いた様子である。まあ確かに初詣で人は多く、この場所は待ち合わせとしても分かりやすいから他にも人待ちの様子に見える参拝客の姿も多い。決してありえなくはないのかもしれないが、同日の同時間帯にリリアンと花寺の生徒会が初詣に来て、同じタイミングではぐれるとか偶然が続き過ぎではないだろうか。
企まれたのではないかと乃梨子の脳は思考する。
「――うぅ、さむっ」
しかし、その思考は寒さによって集中力を途切れさせられる。群衆の中を歩いている時は感じなかったが、こうして立ち止まっていると冷たい風が突き刺さって一月の寒気を改めて感じさせられる。
両手を軽くこすりあわせるようにして息を吹きかけていると、目の前にひょいと差し出された茶碗。
顔をあげると祐麒と目が合った。
「お汁粉、体、あったまるよ」
「な、なんのつもりですか。別にご馳走してもらう理由もありませんけれど」
と言いつつ、温かそうな湯気と甘い香りは非常にそそられる。
「いや、ほら、この前お世話になったお礼というか」
祐麒の言う"この前"というのがクリスマスのことだとさすがに明確に分かり、乃梨子は赤面しそうになるのを必死に堪える。といって堪えられるものでもないので、お汁粉の茶碗を受け取ってそそくさと顔をそらす。
「じゃあ、ありがたく頂きます。祐麒さんの分はないんですか?」
「俺は、甘酒もらったから」
そうして二人で近くにあったベンチに腰を下ろし、祐麒は甘酒を、乃梨子はお汁粉を口にする。
お汁粉は温かくて甘くて、寒さに震えていた身には堪らなく美味であった。
二人で特に会話をすることもなく、時にお汁粉を啜る音だけが響くが、気まずいというわけでもなくだからといって良い空気でもなく、微妙な時間を過ごす。
「まったく、電波が繋がらないわけでもないのに、誰も返信しないってなんだよ」
祐麒は先ほどから何度かスマホを確認しているが、友人達と連絡はついていないようだった。乃梨子も先ほどこっそり確認してみたが、やはり何のメッセージもなかった。
やがてすっかりお汁粉も食べ終えて一服し、せっかく温まった体も徐々に冷えかけてきた頃、祐麒が立ち上がった。
「このままここにずっといても仕方ないし、もうお参りに行っちゃわない?」
「うえっ? それって、私と二人でですか」
人差し指で祐麒と乃梨子自身を交互に指して確認すると、祐麒は頭をかきながら頷く。
「ここにいても寒いだけじゃない。無理にとは言わないけど」
見下ろされて、乃梨子は。
「……まあ、確かに待っていても無駄そうですし、だったら一緒に行ってもいいですよ。祐麒さんでもナンパ避けくらいにはなってもらえそうですし」
「は? だから別に無理にとは言わないって言っているじゃん」
「はいはい、分かりました。一緒に行ってあげますから」
「なんだよ、もう」
乃梨子もベンチから腰を浮かせると、人の群れに混じって二人で本殿を目指して歩き出す。
ゆっくり、じりじりするような歩みでようやく参拝を済ませると、なんとなく流れでおみくじを引いた。乃梨子は小吉、祐麒は末吉だった。
「小吉と末吉って、どっちの方が良いんだっけ?」
「小吉ですよ、ふふん」
「あ、何その勝ち誇った顔!」
「いえ、実際に勝っていますから」
「重要なのは書かれている内容だろう、どうだったの、それは」
「えーとですね」
お御籤に視線を落とすと、目に入ってきたのは。
『恋愛:隣にいる人が最良。逃すこと無いように』
「――っ!?」
慌てて手の平の中に握り込んで隠す。
「え、何々、何が書いてあったの?」
「別にいいじゃないですか、それより祐麒さんはどうだったんですか?」
「俺はほら、こんな感じ」
特にためらいもなく乃梨子にお御籤を見せる祐麒。
渡された紙を見てみる中、やはり目がいってしまったのは恋愛運で。
『恋愛:待ち人は近くにいる。誠意を尽くすべし』
これはどうとらえるべきだろうか、そんな風に考えていると。
「ま、お御籤とか占いなんて、後から考えればどうとでも受け止められるし、気の持ちようだよね。こういうのを受けて、前向きに行動しなさいってことでしょ。良いことが書いてあるとそりゃ気分は良いけど。二条さんも、占いとか信じなさそうなタイプだよね」
「そ、そうですね、勿論、占いとか非論理的です」
「じゃあ、二条さんのも見せてくれていいじゃん」
「それとこれとは、話は別です!」
乃梨子の籤を見ようと手を伸ばしてくる祐麒、その腕をかわして籤を守ろうとする乃梨子。
そんな二人を目の前で見ることになった巫女のお姉さんは。
(ああ、いつまでも二人でイチャイチャして見せつけてないで早いところどこか行きなさいよ)
と思っていた。
結局、仲間達と合流できないまま神社を出たところで祐麒がスマホを見て苦々しい顔をした。
「あいつら、結局どこか遊びに行っちゃったみたい。なんだよ、俺を置いて」
「はぁ……それは、なんというか」
と、そこで乃梨子のスマホにチャットアプリのメッセージが届いた。今さらになってと思いつつも見てみると。
『私達は先に帰っているから、頑張ってね!』(由乃)
『乃梨子、ふぁいとよ』(志摩子)
『乃梨子ちゃん、色々とよろしくねー』(祐巳)
「…………あ・の・ひ・と・達~~~~っ」
スマホを握り締めて唸る。
やはり、最初から仕組まれていたことだったのだ。
「どうしたの二条さん。スマホ、壊れちゃうよ」
「なんでもないです! ああもう、志摩子さんとははぐれちゃうし、足は痛いし、酷い一日ですよ、まったく」
慣れない下駄で足が痛いとかベタすぎるけれど、つい愚痴を言わずにはいられなかった。
「え、大丈夫? えーと」
「いえ、おんぶとかいらないですよ? 我慢できないほどじゃないですから」
当たり前だがそんな恥ずかしい事できるわけがない。
それでも祐麒は明らかに歩くペースを落として、乃梨子にあわせて歩くようになった。ペースがゆっくりになったことで少し楽にはなったが、痛みが消えるわけではない。むしろ時間が経つごとに酷くなっていく。
「祐麒さん、別にもういいですよ」
「明らかに辛そうじゃん。放っておけないって、送っていくよ。あ、もちろんマンション前までで帰るから」
乃梨子が顔をしかめながら歩くのを見て心配なのだろう、家まで送ると言ってきかない祐麒。乃梨子としては言い争う方が面倒なので、勝手についてくるのに任せることにした。
途中で休みながらだったせいか、マンションに到着する頃には夕方になっていた。
「ありがとうございました、ここまで来ればもう大丈夫です」
エントランスの前で祐麒に頭を下げる。実際、途中で腕につかまらせてもらったりと、祐麒が一緒で助かったのは事実だった。
「あ、待って二条さん」
中に入ろうとしたところで呼び止められ、足の痛みをこらえて振り返る。
「なんですか。まだ、何かありますか」
「えーとさ、言い忘れていたことがあって」
「はあ……?」
訝し気に祐麒のことを見ると。
祐麒は頬を指でかき、やや照れたような表情で口を開いた。
「今日の最初さ、返事するのに時間がかかったのは別に二条さんがいることを変に思ったわけじゃなくてさ、ほら、今日は着物姿だったから、いつもと違っていて」
「――ああ」
発言した乃梨子すら忘れかけていたことを今になって言いだすとは、律儀なんだか細かいのだか。別に本気でどうこう思って乃梨子も言ったわけではない、ただなんとなく、祐麒を前にすると憎まれ口が出てしまうのだ。
だから祐麒も気にしなくて良いのに。
そう思う乃梨子であったが。
「着物姿、すごく良く似合ってて綺麗だから本当に二条さんかって思っちゃったんだ。それだけ、だから」
「…………は」
「それじゃ、また。足、お大事にっ」
右手をあげると、踵を返して駆け足で去っていってしまう祐麒。
乃梨子はその後ろ姿が夕闇に消えてゆくのを見つめてから。
「は…………はあぁぁぁぁっ!? そ、それだけって、な、なんっ、なんで、ここでそんなこと、言う…………っ」
口をぱくぱくさせ、それ以上は何も言うことが出来ず、足の痛みも忘れて立ち尽くす乃梨子。顔が物凄い勢いで熱くなっていて、この場に誰もいなくて良かったと思った。
……ちなみに、たまたまビルの管理人さんが目撃しており、「若い人はいいねえ」などと呟きつつ日報に事を記載していたのを、乃梨子も祐麒も知る由は無かった。
三学期の始業式の前日、準備のため山百合会の面々はリリアン女学園にいた。
登校した乃梨子を待ち受けていたのは、何やらニヨニヨした由乃、祐巳、志摩子のトリオだった。
「乃梨子ちゃーん、この前の初詣はごめんね、あの後で待ち合わせ場所に行ったんだけど、もう乃梨子ちゃんいなかったから」
「はあ……そうですか。別に、いいですけど」
どこかわざとらしく謝ってきた由乃に対し、どんよりとした目を向ける乃梨子。
「そう? そうよね、乃梨子ちゃんも楽しんでいたようだし」
「何のことですか? 皆さんが来られなかったので、私は一人で帰っただけですけど」
由乃たちの企みなのだろうが、別に祐麒と一緒だったと言う必要はない。見られたわけではないし、知らぬ存ぜぬを通せばよいのである。
「あら、そうだったの? でも乃梨子、これは……」
「なに、志摩子さ……って、なんですかこれぇっ!?」
志摩子に見せられたスマホの画面には、祐麒と着物姿の乃梨子が二人並んでいるところ、またお御籤を仲良く見せ合っている(ように見える)画像が表示されていた。
「な、あ、後をつけていたんですかっ!?」
「ほらさっき、待ち合わせ場所に行ったらいなかったって言ったじゃない。それで諦めてお御籤を買いに行ったら、たまたま乃梨子ちゃんの姿が見えて」
「うわ、絶対、ゼッタイに嘘でしょうそれ、最初から狙っていましたね!?」
赤面しつつ由乃を指さすも、由乃はどこ吹く風である。
「いやぁ、まさか私達と"わざと"はぐれて、それで祐麒くんと待ち合わせするとか、乃梨子ちゃんもやるわねー」
両手を横に広げてひらひらさせて見せる由乃。
冷静に考えれば滅茶苦茶な論理、わざわざ山百合会の初詣にあわせてリスクを負って祐麒と会う必要性はないのだが、頭に血が上った乃梨子はそれに気が付かない。
「祐麒もね、晴れ着姿の乃梨子ちゃん可愛かったって」
「嘘っ、祐麒さん、祐巳さまにまでわざわざそんなこと言ったんですか!?」
「…………へぇ、祐麒ったら、本当にそんなこと言ったんだぁ」
にまにま笑い出す祐巳に、また引っかけられたと気が付いたが後の祭り。
「なるほど、祐麒くん、ちゃんと乃梨子ちゃんの着物姿褒めたんだ、偉いわね」
「良かったわね乃梨子、祐麒さんに可愛いって言ってもらえたのね」
「違っ、志摩子さん、可愛いじゃなくて綺麗だって、って違くて違くてっ!!」
真っ赤になりながら腕をぶんぶんと振り回し否定するが、そんな乃梨子を見つめる三対の目は生温い。
「恥ずかしがる乃梨子も、可愛いわ」
「ち、違うのにぃ」
目を充血させ、ぷるぷると震える乃梨子を見て、志摩子達はさらに優しげな表情をするのであった。
つづく?