どうして、こんなことになってしまったのだろう。祐巳は、頭を抱えた。
朝方に一年生の子が二人、亡くなった。午前中には一年生が一人、三年生が二人、やはり亡くなっている。もしかしたら犠牲者は更に増えているのかもしれない。
幾らこんな悪趣味なゲームに放り込まれたからといって、本当に殺し合いが展開されるだなんて思っていなかった。リリアンというお嬢様学校で、多くの生徒が知り合いという状況で、相手を殺さないと生き残れないからといって、まさか、と。
だけど、現実は異なっていた。
少なくとも何人かは、同じ学園の仲間に手をかけているのだ。悪夢という以外に、何と表現すれば良いのか。
だけど、だからといってもう諦めてしまったわけではない。一人だったら挫けてしまうかもしれないけれど、仲間がいる。全員が全員、同級生を、先輩を、後輩を、殺したいなどと思っているわけがないのだから。
「――そうそう、ほら祐巳ちゃん、こういうときでも笑顔を忘れずに」
と、祐巳の頭を撫でて人懐こい笑みを浮かべるのは、佐藤聖。
聖と出くわしたのはお昼の放送が終わった後のこと。メモを取っていたところ、不意に背後から現れた聖に心臓が止まりそうなほど驚いたものだが、聖は昔と変わらない笑顔と態度で祐巳を安心させてくれた。
これからどうするのかと聖に問いかけたところ、聖は驚きの発言をした。
「このゲームの仕掛け人達をぶっ倒してやろう」
というもの。
首輪や禁止エリア、放送といったものを考えるに、必ずこのテーマパーク内に専用の施設があり、そこでリリアンの生徒達の動きを見張っているはず。そして、それらを制御している人間もいるはず。そいつらをどうにか倒して、この胸糞悪いゲームから脱出しようというのが聖の考えだった。
もちろん、そんな簡単にいくとは思えない。相手だってその辺のことは警戒しているだろうし、そもそも攻撃するにしたって武器もない。特別な能力などもたないごく普通の女子高校生が、一体何ができるというのだろうか。
それでも、聖は言う。
「だからってさ、あいつらの思うとおりに仲間内で殺し合いなんて、嫌じゃん。精一杯、足掻いて逆らって反抗してさ、あいつらを驚かせてやりたいじゃない」
強がりなのかもしれない。
それでも聖は笑顔を見せている。
だから祐巳も、無理やりにでも笑うことにした。
「……とはいっても、具体的にどうするか、考えないとね」
建物の陰に身を隠しつつ、二人並んで頭を捻る。
祐巳に支給されたのはロザリオで、何ら役に立つものではない。一方で聖に支給された武器はといえば。
「それって……爆弾、ですか? ば、爆発とかしませんか」
「起爆スイッチを押さない限りは大丈夫みたいだけど、慎重に扱うにこしたことはないね」
リュックの中から取り出した塊を、神妙な顔つきで見つめる。説明書も同梱されていたので確認すると、遠隔操作で起爆するタイプの爆弾らしい。与えられた武器の中でも破壊力はぴか一かもしれないが、支給されているのは二つだけなので、使いどころが難しいかもしれない。いくら爆弾とはいえ、何十メートルもの範囲を吹き飛ばすようなものではないし、実際にどれくらいの威力があるかは、試してみないと具体的に想像することも難しい。
「でもこれ、どうします? まさか、誰かに対してなんて、使わないですよね」
対人兵器として使うなんて、祐巳には想像することも出来なかった。
聖も同じだと信じたい。
いや、信じている。
少なくとも、出会ってから今まで不穏な発言や態度を見せていないし、好戦的な態度もみられない。
万が一、聖が『その気』になっていたとしたら、祐巳を攻撃する機会など幾らでもあっただろうし、そもそも大好きな先輩を疑いたくなんかなかった。先ほどの発言にもあったとおり、聖はこんな悪夢の世界をやっつけようとしているのだ。
ただ、そのためには今の状況ではあまりに心細すぎる。
「ねえ聖さま、私、考えたんですけれど」
「ん、何を?」
リュックの荷物を再確認して整理している聖は、水を一口含んで祐巳に目を向ける。
「仲間を増やしませんか?」
それは、祐巳がずっと考えていたこと。
一人一人は力の弱い女の子だとしても、仲間が増えて集団となれば、それだけ力も増えるし何か良い知恵が浮かんでくるかもしれない。一人では抗うのも難しいかもしれないが、何人もいればどうにかなるかもしれない。
更に言えば、仲間がいれば心強い。一人では怖くて行動できなくても、仲間がいれば勇気が湧いてくる。現に今、祐巳は聖が一緒にいることで非常に気持ちが強くなっているし、元気も出ているし、希望も持てるような気さえする。
考えてみれば、前紅薔薇様の蓉子は頭脳明晰で強力なリーダーシップを持ち、前黄薔薇様の江利子は大抵のことは何でもこなすオールラウンダー、令は剣道部のエースで運動神経抜群だし、祥子だった頭も良ければ運動神経も悪くない。
他にも色々いるけれど、やはり山百合会の先輩達は非常に優秀で頼りになる。皆が集まれば、怖いものなどない気がする。
元々、このプログラムが開始された時から考えていたことだが、いざ実際に仲間が一人出来たところで、より現実味を帯びてきたというか、力が湧き上がってきたというか。
「そう……うん、そうだね」
しかし、聖の返事はさほど色よいものではなかった。
不安に思い、聖を見上げる。
「聖さまは、反対ですか?」
「反対というかね、本当に信頼できるなら、いいんだけど」
「それなら大丈夫ですよ、だって皆、山百合会の仲間じゃないですか!」
「でもさ、言いたくはないけれど、既に何人もの犠牲者が出ている。実際に、その気になっているのが何人かはいるってことなんだよ」
真剣な聖の表情に、祐巳は何か言い返し立ったけれど何も口にできなかった。それは、祐巳だって当然わかっていること。
「――でも、まさか皆に限って」
「私だって信じたいけどさ、こんな状況で、信じられなくなってもおかしくないじゃない」
聖の言葉に反論することが出来ないのは、やはり心のどこかで祐巳も同じことを思ってしまっているからだろう。
しゅん、と落ち込む祐巳の頭を、わしゃわしゃと撫でる聖。
「まあ、それでもこうして祐巳ちゃんと出会えたことは僥倖だし、仲間も増やせるなら増やすにこしたことはないよね。信頼できる仲間が多い方がいいことは確かだし」
祐巳に向けてウィンクしてみせる聖。
そんな聖に、祐巳もまた気力が湧き上がってくる。強い気持ちが生まれてくる。
「とりあえず、場所を変えようか」
「動いた方がいいですか?」
「うーん、ここだと角度によって丸見えの場所があるんだよね。だから、私も祐巳ちゃんを見つけられたんだけれど、危険でしょう?」
「そ、そうですね」
頷く祐巳。
どこを目指すのかと尋ねると、このテーマパークの玄関口である、ワールドターミナルとのこと。他のアトラクションが集まっている場所と異なり、色々な店があるから色々なものがあるし、このテーマパークを管理しているような制御室もあるはずだからという。
「危険だけど、行くよ。いいね?」
「はい」
どこにいても安全なことなどない。ならば、生き残るために、皆を助けられる方法を探し求めて努力していかねば、絶対に後悔する。今まで何をしたら良いのか分からず、動くことも出来なかったが、やることがあれば目標に目がけて邁進するのみ。頼りっぱなしというのはよくないが、祐巳は頼もしい先輩の横顔を見つめた。
「……信頼できる仲間がいれば、いいんだけどね」
「え、何か言いました?」
小声で呟くように言った聖の言葉は、よく聞き取れなかった。
聖は、祐巳を見つめて不敵に微笑んでみせる。
「さあ行こうか、祐巳ちゃん。私と祐巳ちゃんの、愛の逃避行だ」
「な、何を言っているんですかっ」
「あははっ、さ、静かにね」
笑いをおさめ、音も立てずに歩き出した聖を追い、祐巳も動き出した。
☆
時刻は既に十五時を過ぎ、また新たに進入禁止エリアが広がった。
乃梨子と静は、克美に襲撃されたファンタジーランドから、ウォーターゲートへと移動をしていた。
足にダメージを受けた静ではあったが、骨にまでは異常がなさそうなこともあり、痛みはあるものの歩くくらいなら問題ないくらいにはなっていた。
「この辺は気を付けないと、危険ですね」
適度に身を隠せそうな場所を見繕い、今は体を休めている。乃梨子は地図を確認し、自分たちの現在位置を頭に叩き込む。ウォーターゲートは禁止エリアとなった区画が三つと最も多いため、移動にも慎重を期さねばならない。
実際の園内は地図のように線引きなどされていないので、ある程度感覚に頼るしかないが、逃げ回っているうちに禁止エリアに踏み込んでいた、なんて馬鹿なことにだけはならないようにしたい。
休息をとりながら、乃梨子は改めて静の状態を確認することにした。断りを入れてから静のスカートを捲りあげていくと、艶めかしい太ももが徐々に露わになってくる。本来であれば綺麗な脚も、今は汚れ、何よりも痛々しい痣が消えることなく残っている。
「何か、処置した方がいいのかな……でも、私じゃ良く分からないし」
冷やしたり、湿布を貼ったりした方がよいのだろうか。乃梨子は手を伸ばし、そっと太ももを撫でるようにして痣の方に這わせていく。
「あ、あの、乃梨子さん……」
おそるおそる、といった感じの静の声を受けて顔を上げると、ほんのりと赤面している静と目があう。
次いで視線を下ろすと、捲りあげたスカートの下、ピンク色のパンティと、そのパンティに触れようかという自分の手。
「あ、わっ、すみませんっ」
急いで手をひっこめ、スカートの裾を元に戻す。
「つ、つい」
つい何だというのだ。
乃梨子は誤魔化すように、静のリュックに視線を移す。
「あ、と、そうだ。中、確認させてもらいますね」
ここまで逃げることに夢中で、静の武器を確認できないでいたのだ。静が何も言わないのでそのままリュックの中を確認すると、何やら棒のような筒のようなものが出てきた。乃梨子のリュックには入っていないもので、それが支給された武器だとしか考えられなかったが、何なのか分からない。
首を傾げていると、教えてくれたのは静だった。
「それは、吹き矢よ」
「ふ……吹き矢?」
これはまた、予測できない武器だった。そして、役に立ちそうもない武器でもある。銃器類が支給されていることが分かっている中、吹き矢で対抗しようというのは無理がある。威力にしても、射程距離にしても、命中精度にしても。
それでも一応、使用する矢がどのようなものか確認するべく、リュックから取り出してつまんでみようとした。
「待って乃梨子さん、触らないで」
しかし、触れようとする前に静に止められた。
「その矢、毒が塗られているから」
「えっ!?」
慌てて指をひっこめる。
「刺さって死んじゃうような毒ではないようだけど、それでも体の自由を奪うくらいは威力があるらしいの」
「毒……か」
弱そうな武器でも、侮れないということか。この戦いにおいては、破壊力というよりも、相手の動きさえ封じてしまえば良いのだから、充分に脅威になる武器だった。
「あ、でもこれなら?」
静を見ると、無言で頷いていた。
そう、相手を殺したくない側にとっては、殺すほどの威力はないが、動きは封じ込められる毒の吹き矢というのは、ある意味良いかもしれない。銃では、当たり所が悪ければ死んでしまうだろうが、吹き矢なら当てさえすればよくて、尚且つ命も奪わない。ためらいなく放つことができるのだ。
もっとも、衣服に包まれている場所では効果がないから、難易度自体は非常に高いかもしれないが。
色々考えて、それでも落ち込みそうになる。例え殺さないで済んだとして、毒で身動きの取れなくなった相手をどうすればよいのか。置き去りにすれば誰かに攻撃されるかもしれない、さりとて連れて行く余裕があるとも思えない。攻撃せざるをえなかったということは、必要だと判断した相手であって、仲良く一緒に頑張ろうなんて方向に進めるとも思えない。
今頃、志摩子はどうしているだろうかと乃梨子は思いをはせる。志摩子は運動神経もよくないし、性格だっておっとりとしているし、とてもではないがこのような状況下で無事に逃げ延びられるようなキャラクターではないと思う。それでも、今のところ放送で名前が呼ばれていないのだから無事なのだろうが、だからといって不安がなくなるわけもないい。
「志摩子さんのことが、心配?」
静の声に、考えていることを見透かされたような気がして、思わずまじまじと静の顔を見てしまった。
「口に出して言っていたわよ?」
「あ……そ、そうですか」
可笑しそうに口元を緩める静に、恥ずかしくなって顔を俯ける。そう簡単に自分の内心など見せることはなかったのに、気付かぬうちに言葉にしてしまうとは、少し弱気になっているのかもしれない。
「心配よね……あ、私、志摩子さんと文通しているのよ」
「はい、聞いています」
「やきもち、妬いちゃう?」
「そ、そんなことはないですけれど……静さまってどんな方なんだろうって、気にはなりました。静さまも災難ですね、留学先にいれば、こんなことに巻き込まれずに済んだのに」
「そう……ね」
乃梨子の言葉に、静はただそう返答した。
短い返事の中に、一体どれだけの思いが込められているのだろうか。乃梨子は詳しくは知らないが、それでも静の歌声は素晴らしく、声楽のためにイタリアへ留学していることくらいは知っている。
決して楽ではない道を選び、それでも明るい未来を目指して努力し続けている。勿論、他の生徒達だって大なり小なり思いがあり、将来があるわけで、それに軽い重いという差を簡単につけられるものではないことくらい、理解しているつもりだ。
それでも、他の人より生きる価値があるのでは、なんてことが少し頭をよぎってしまう。
「なんとか、したいわね」
呟く静。
「乃梨子さんのような若い子達の命が無駄に散っていくなんて、酷過ぎる。なんとか、乃梨子さんだけでも助けられるといいのだけれど……」
「ちょっと静さま、何、弱気なこと言っているんですか? 皆で助かるんですよ、もちろん、静さまも」
元気づけるように手を握って言うと、静はきょとんとして乃梨子のことを見つめ返してきた。
「……あら、私と一緒にいるのは、いざという時は私を盾に出来るからじゃなかったのかしら?」
「はぅっ……」
自分が口にしたことを逆手に取られて皮肉めいたことを言われ、言葉に詰まる。
「も、もちろん、そうですよ。でも、私だって皆無事に戻れればいいと思っているんですから」
「そうね、乃梨子さんには、私の『はじめて』を奪った責任をとってもらう必要もあるものね」
「ま、またそのネタですか……し、静さまだって私の『はじめて』を」
「私は、責任をとるつもり、あるわよ?」
「え……?」
静を見れば、真剣な顔をして乃梨子のことを見つめてきている。
理解した。
これは、『約束』だ。ともに生きて元の世界に、こんな異常な世界ではない優しい世界に生きて帰ろうという約束。
「分かりました……私も、責任、取ります」
「必ず、よ」
腕を上げ、小指を立てる静。
乃梨子は黙って自分の小指を絡ませる。
こんな約束が、どれだけ効果をもたらすのかなんて分からない。それでも、生きている限り忘れることはない。苦しくて、辛くて、諦めそうになっても、この小指の感触はきっと忘れない。唇に感じた温もりを思い出す。
ゆっくりと、小指を離す。
濡れた瞳が、乃梨子をとらえる。
「……じゃあ、戻ったら私の本当の初めて、もらってね」
「いっ? いや、さ、さすがにそれは」
本気なのかどうなのか、静は艶然と微笑んで見せ、そんな静を見て乃梨子はどぎまぎしつつ顔を赤らめる。
極限状態でそんなことをしている場合じゃないのは分かっているが、気持ちというものは簡単にコントロールできるものではない。
自分には志摩子がいるというのに、静にときめきつつある自分がいる。いや、これは映画とかで有名なつり橋効果というやつだ。こんな状態だからこそ、二人きりでいると変な気持ちになってくるのだ、しっかりしなければ。
どうにか頭の中のスイッチを切り替えようとしたとき。
「――――え?」
いつの間に近寄っていたのか、すぐ目の前に人影があった。
【残り 22人】