年の瀬も迫ったところで、栄子は実家へと帰省した。実家といっても都内なのだが、少し田舎にあるので帰るとなると意外と時間がかかるのが曲者だ。
バスに乗って実家に帰ると、すでに他の家族はそろっていた。栄子の家族は両親と祖父母、弟が一人と妹が二人という大人数で、弟が長男として実家に残っている。お盆と正月には家族全員が集まるのだが、それぞれ連れ添いや子供も連れてくるから、それはもう大人数で大変な騒ぎになるのが通例である。金持ちというわけではないが、敷地面積だけは広くて部屋もある家だからこそ集まれるものである。
そうして家族で大晦日を越え、除夜の鐘を聞き、三が日に入る。家族で初詣に行く、なんていう習慣は無く、大量のおせち料理と地酒を用意しての大宴会に突入することになる。栄子の家系は全般的に酒に強く、だらしなく酔っぱらう姿はあまり見られない。但し、妹の旦那たちはそれぞれ酒に弱く、夜になるとうつらうつらし始める。子供たちはお腹いっぱいになり、お年玉も貰うと部屋を移動して勝手に遊び始め、疲れると気ままに眠ってしまう。
騒がしいけれどどこか落ち着く、そんな実家だった。
そのように正月らしいまったりとした雰囲気が続いていたのだが、それが変わったのは二日目の夜のことだった。
料理は当然おせち料理の残りで、テレビは惰性で流しているもののさほど興味をそそられるものもなく、だらだらとお酒を飲んでいるというある意味贅沢ともいえる時間。話題もそろろろ一回りしようというところで、その空隙を埋めようとするかのように飛び出した、末の妹からの一言。
「――栄子姉ちゃん、まだ結婚しないの?」
それまでの弛緩した空気が微妙に変化したように思えた。
「ちょ……ほら幸花、アンタまた飲みすぎじゃないの?」
「えー、そんなことないよ」
母親にたしなめられ、不満そうな声をあげる幸花。
そう、栄子に関する結婚の話題である。それは二十代の半ば頃からは毎年のように言われ続けていたことであり、三十を超えた頃から話題に触れられなくなったどころか、近づいていくと無理やりにでも逸らそうという意図が見え見えの話題であった。
二つ下の妹は大学を卒業して早々に結婚し既に二人の子持ち、六つ下の末の妹は三年前に結婚して一昨年に第一子を設けた。四つ年下の弟も昨年に結婚して待望の赤ん坊が奥さんのお腹にいるという状況。即ち、長女でありながら栄子ただ一人だけが独身を貫いているというわけだ。
当初こそ親から口うるさく言われたものだが、他の子供達が子宝に恵まれて沢山の孫がいるためなのか、栄子に対して結婚を押し付けるような発言はなくなっていた。というかむしろ、気遣うような態度を取られるようになっていた。
別に、結婚しないことで後ろめたいとか、駄目だとか、そんなことを栄子自身は思っていない。このご時世、珍しいことでもないわけだし、焦って相手を見つけようとして全滅とかそういうわけではなく、仕事が充実していて忙しくそういう機会がなかったというだけなのだから。
そう思いつつ、なんだか腫れ物にでも触るように扱われると腹が立つものであるが、だからといって自分から話題にするのも変な話だし、皆にあわせるようにしていた。
だが、こうしてお酒が入ると時に誰かの口からぽろっと漏れてしまうこともある。そうすると、そのたびに両親が気をつかうような言葉をかけてくるのだ。
「まあ、今は働く女性が多いし、そういう人生を選ぶ女性も多いみたいじゃないか。聞くところによると、角の三沢さんの家の娘さんも……」
穏やかな表情で父親がフォローをいれてくるが、何とも言いようのない気持ちを内心に押し隠しているのが分かる。
長女である栄子が未だ結婚していないことに対する葛藤、この界隈は都内といいつつ田舎なので、世間体的な部分を気にするところもまだまだあるのだろう。町内会や近所づきあいは昔から濃い地域なのだ。だが、だからといって栄子を追いつめても悪いし、実際に今時の世の中は晩婚化が進み四十代で初産を迎える女性も増えている。栄子以外の子供たちは結婚して孫もいるしまあ良いか、という思いも嘘ではないのだろう。
「あ~、そうそう、栄子姉さん、幸花の言うことなんて気にすることないって」
次女の霧がまたそんなことを言いながら酒を注いでくるが、「気にするな」と言っている時点で皆が気にしているということに気が付かないのか。注がれた日本酒を半分ほどぐびりと喉に流し込み、無言で三女の幸花をねめつける。
「な、なによぅ、下手に気をつかわれる方が栄子姉ちゃんの性格的に嫌だと思ったからさ、なんでもない風に言ったのにー」
「こら、だから幸花……」
「霧姉ちゃん、気ぃ遣いすぎなんだって」
「だって、幸花だって知っているでしょう? 栄子姉さん、学生時代から彼氏がいないって……今まで」
次女の霧とは高校も同じで、栄子が三年の時に霧が一年生だった。そして霧は一年生の時からモテて彼氏も作っていた。当時はそこまで妹に対し劣等感を抱いていなかったが、改めて思い返すとなんとなく癪に障る。
「ねぇ、栄子姉ちゃんって男の人と付き合ったことあるのかなぁ?」
「さ、さぁ……でも、さすがにないことは無いんじゃない? あの歳で……」
「でもさ、そういう話、あたし耳にしたことないんだけど」
「大学卒業してからは家も離れたし、私たちが知らないだけで何かあったかもしれないじゃない」
霧と幸花はヒソヒソと小声で話しているが、丸聞こえである。
「わ……私だって、別に、何もないわけじゃない」 さすがに腹にきて、思わずそう口走る栄子。
思いがけない栄子の言葉を聞いて、二人の妹はきょとんとした顔をして。
「まあ~、そうだよね、あはは」
「うん、そりゃそうよね」
と、明らかに信じていない口調と表情で愛想笑いをしてきた。確かに、妹達とはある程度定期的に連絡を取りつつ、栄子自身の恋愛話をしたことはない。常に、二人の妹の恋愛について聞く立場だった。
「い、今だって、そ、そ、そういう人くらい」
毎年毎年、心配され、言われっぱなしで言い返すことの出来なかった栄子。去年の正月も既に祐麒とは出会っていたがそこまでの関係ではなかったし、栄子も口にする気もなかったし、その手の話題は避けられて話す機会もなかった。
しかし、今年は。
「あー、うん、分かってるって」
今まで男っ気のなかった姉に変化などあるわけなかろうと断定しきっている妹達。報告も何もしていなかったのは確かで、だって相手は高校生でこの後どうなるかなんて全く分からない状況だから。
だけど。
「だから、ホントだって。いるんだから、ちゃんと!」
これまでの悔しさもあり、少し強めに言うと。
「分かったって…………って、え、栄子姉ちゃん、本当に?」
「あれ、栄子姉さん、顔赤っ!? って、もしかして本当なの?」
「アンタら、どれだけ私のこと馬鹿にしているんだ。だから、本当だと……」
と、そこまで口にしたところで。
「え、何、栄子あんたいい人が見つかったの!?」
「どこの誰なんだ?」
「姉ちゃんにもやっと春がきたのかー」
両親と弟まで食いついてきた。
「うわ、栄子姉ちゃんのこの手の話、初めてっ。ね、どんな人なの彼氏さんは?」
家族に迫られ、いくら悔しかったからとはいえ、とんでもないことを口にしてしまったとようやく悟る。どれだけ問われようと、いくらなんでも相手が高校生だなんて言えるわけがない。
「いや、それは……その、なんだ」
家族達の連続の質問にも、もごもごと口を噤んではっきりしたことを言い返せないでいると、家族はとんでもないことを言ってきた。
「ちょっと栄子、アンタまさか見栄はって嘘ついているんじゃないでしょうね」
「それか、今まで見つからなかったから焦ってロクでもない男を捕まえちゃったとか?」
そんな言葉を耳にして、また頭がカーッとなる。
「う、嘘なんかじゃないしロクでもない男でもないっ! ちゃ、ちゃんと私のことを本気で考えてくれていて、結婚を前提とした交際を申し込まれてっ……!」
「えーっ!? そうなの、栄子姉さんも結婚かぁ」
「本当か、おい母さん、赤飯だ!」
「ちょっとお父さん、既に目出度い食べ物ばかりじゃない。でも、栄子もついにねぇ、心配していたけれど、良かったわぁ」
わいわいと騒ぎ出す一同を見て、慌てだす栄子。
「ちょ、ちょっと待って! だ、だからって結婚すると決まったわけじゃないし、その、申し込まれただけで」
「えー、何、嫌なの?」
「嫌……というわけでは、ないけど」
「なんなのよー、やっぱり何か駄目なの? 顔とか、性格とか、収入とか、どれか」
「そっ、そんなことはないっ。顔は整っていると思うし、男にしては可愛いと思うし、性格だって真面目だし、確かに若くて収入は……なんだ、でも将来性はあると思うぞ」
「えっ、若いってもしかして年下なの? 栄子姉さんが? 意外~~っ」
「年下っていくつくらい下なの? 職業は? 出身校は?」
「いくつくらいと言われても……職業は……(将来は)設計事務所? 学校は、花寺で…………」
「へーっ、花寺学院大学卒ってことは、実は結構いいところのお坊ちゃんとか? やるじゃん、姉ちゃん」
「あ、いや……」
栄子自身は嘘をついているわけではないと思っているが、なんだか家族の頭の中で勝手な相手の像が出来上がっているような気がして、栄子はいたたまれなくなってくる。
「それだけの条件で、なんで即答しないの? 何かあるの?」
しげしげと覗きこんでくる幸花の顔をまともに見つめ返すことが出来ず、俯いてモジモジしながら口を開く。
「想定外だったっていうのと、あと、ちょっと約束とかもあって、答えは待ってもらうことにしていて」
「いつ?」
「さ、三月……」
「でもまー、答えはもう決まっているんでしょ、栄子姉さんの顔を見る限りさ」
霧に言われ、顔をあげる。
「本当、姉ちゃんのこんな乙女顔が見られるなんて」
弟の言葉に目を見開く。
「本当に、じいちゃんばあちゃんも元気なうちで良かったわぁ」
既に早い床に入っている祖父母の名前まで出される。
これでは完全に、栄子が結婚する雰囲気に突入してしまっている。というか、家族達の間では確定事項のようになってしまっている。
「ちょっと皆、だから、まだこれは……」
「栄子ももういい年なんだから、子供を産むにしても早い方が良いし、この際デキ婚でもいいわよ」
「でっ……そんなことは、しないって」
「栄子、今度その人、うちに連れてきなさいよ」
「お母さん、だから、気が」
「何よ、私達には紹介できないような人なの?」
「そんなことないって言っているでしょ!? 祐麒はそんなだらしない男じゃないっ」
「へー、ユウキさんって言うんだ、相手の人?」
「あぅっ……!」
墓穴を次々と掘っていく栄子。
いつもはクールな姉の狼狽する姿が珍しいやら可愛いやらで、妹達も栄子を弄るのを止められない。
「写メとかないの栄子姉ちゃん?」
「ぜ、絶対に見せないからな!」
「あ、あるんだ。よし幸花、私が抑えるからアンタ、姉さんの携帯を……」
「いくら姉妹といっても、それはプライベートの侵害だぞっ!?」
「霧、幸花、やめなさい。焦らなくても、春には家に連れてきてくれるんだから」
既成事実にされてしまっている。
どうにかしないと、なんて思っていると、握りしめていた携帯が突然鳴りだして驚き、落としてしまう。栄子が拾う前に、ちょうど目の前に転がってきたせいで幸花が画面を目にしてしまう。
「ん? 『福沢祐麒』……あーっ、栄子姉ちゃん、彼氏から電話だよ!」
「ばばば、馬鹿者っ!」
這うようにして転がった携帯をキャッチし、急いで耳に押し付ける。
「――な、なんだ? どうしたんだこんなお正月から…………あ、ああ、明けましておめでとう…………え、声が聞きたかっただけ? ば、ば、馬鹿者っ、そんな下らないことでわざわざ正月から電話などしてくるなっ! 私は別に声など…………いやっ、別に聞きたくないという意味ではないぞ? ん、分かっている、初詣はだから週末の…………待ち合わせ時間を決めていなかった? そんなのメールで良いだろうが、何、晴れ着を着てきてほしい? そんなもん持っていない! あ……と、とにかくもう切るぞ、他に何かあったらメールしろ…………ったく」
突然の通話を終え、ふと気が付くと。
やたらとニマニマした顔で栄子のことを見ている家族達。
「栄子姉ちゃん、ラブラブですなぁ……彼氏、声が聞きたくてわざわざ電話してきたん?」
「尻に敷いているんだね、やっぱ年下だから?」
「デレている姉ちゃん……貴重だ」
「ななな、何を勝手に人の電話を盗み聞きしている!? 大体、私はデレてなどいない」
「いや盗み聞きって、皆のいるところで話しはじめた栄子姉さんが悪いでしょ」
「晴れ着だったら、家にあるから持っていきなさい。アンタなら一人で着付けできるでしょう?」
「う、う、うぅ…………」
家族に愛情をもって弄られ、真っ赤になって呻く栄子。
翌日の三日には祖父母、さらに弟の嫁や妹の旦那たちにまで当然のように知られ、家族全体で祝福ムードになってしまった。
今さら嘘だとも言えず、そもそも嘘というわけでもないし、質問に対して回答するたびに墓穴を掘り、追い込まれていく栄子。
そうして帰宅する頃には。
「――それじゃあ栄子、GWは開けておくから、彼氏によろしくね」
「私達もGWはこっち来るから、うーん、楽しみー」
「い……いや、あんまり期待されても…………ほ、ほら、別れているかもしれないし」
「何言っているの、昨日の夜だって布団の中で何回もメールしてニヤニヤしていたくせに」
「にっ、ニヤニヤなどしていない! とゆうか、何で知っている!?」
「栄子姉さんが、こんなに分かりやすいとは思わなかったわー、私も」
「くうぅ……」
今までは彼氏がおらず結婚していないことで気をつかわれ情けなくも悔しい思いをしてきたが、彼氏がいると思いがけず告白してしまっても、結局のところいいように遊ばれて悔しい思いをして帰ることになる栄子だった。
もちろん、家族の皆は栄子の幸せを喜んでのことではあるのだが、後ろめたい気持ちのある栄子はそう受け取ることが出来ないのだった。
おしまい