ゴールデンウィークも終わりとなる五月前半の週末、とあるアパートの前に、三つの影が迫っていた。
「まったく祐麒のやつ、GWには帰ってくるっていっていたのに、どうしたのよ」
福沢祐巳は内心、少し怒っていた。
18年間、一緒に暮らしていた実の弟が、大学入学を契機に一人暮らしを始めた。別にブラザー・コンプレックスなどというつもりは毛頭もないが、やはり家族であるし心配もしていた。祐巳も新たに大学生活が始まり色々と慌ただしかったが、落ち着いてくると家にいる家族が一人少ないというのは、ちょっと寂しかった。
だから、GWに帰ってくると聞いた時は少し嬉しかった。
祐巳だって、祐麒が帰ってくるということを、それなりに楽しみにしていたのだ。新しい大学のことを聞いたり、一人暮らしの様子を聞いたり、母の作るご飯だって久しぶりだから楽しみにしているだろうし、だから祐巳だって、GWにどこか旅行に行こうか計画を諦めてまで、家にいた。それだというのに、肝心の祐麒は帰省せず、連絡もよこさない。どうしたのか聞いてみようとしても、連絡もなかなかつかず、ようやく連絡が取れたと思ったら、「すまん、ちょっと無理だ」で終わってしまった。
父なんかは、『便りの無いのは元気な証拠だ』とか言ってあまり気にしていない。そりゃまあ男の子だから、そこまで心配することはないのだろうけれど、一応、仲良し姉弟だった姉としては気になるわけでして。
そこで意を決した祐巳は、こうして、心強い仲間を引き連れて、いざ、祐麒の根城にやってきたというわけである。
「祐巳さん、根城って……」
右隣で相変わらずふわふわの髪の毛を揺らし、志摩子が苦笑いしている。
「男の子の部屋入るのって、初めて。うわ、なんかワクワクするー」
左隣では、お下げからストレートパーマに変えている由乃が目を輝かせている。
祐巳たち三人は仲良くリリアン女子大に進学し、今も変わらずに付き合いは続いている。
なぜ、三人で祐麒のアパートに来たかというと、実のところ祐巳が呼んだわけではなく、話をしたら二人ともついていきたいと言い出したのだ。由乃は完全に好奇心で、志摩子はどちらかというと由乃に引っ張られて、という感じではあるが。
「そんなこといって、志摩子さんだって興味あるでしょ? 男の子の一人暮らしって、どんなエッチな雑誌が部屋に転がっているかとか」
「そ、そんなことは……」
頬を赤らめながらも、完全には否定しない志摩子。本当に興味あるのだろうか。ちなみに祐巳は、祐麒の実家生活時代に『その手』の本を祐麒の部屋で発見したことはある。もちろん、見て見ぬフリだ。
三人でこの場にいない人間を肴にしながら、部屋を目指す。引越しのときに手伝いに来て以来だから、祐巳もまだ二度目の来訪である。引越しのときは、室内にはベッドとテレビと冷蔵庫くらいしかない寂しい状況だったが、果たして少しは家具も揃えたのか。あまりこだわりのない祐麒だし、お金だって余裕があるわけでもないだろうから、そうそう見違えていることもないだろうが。
「――でね、やっぱり私思うんだけれど、連絡が来ないとか、GWに帰ってこないっていうのは、彼女が出来たからだと思うの。ずっと部屋でいちゃいちゃしていたいのよ」
「そんな、決め付けるような」
「いいえ、もうこれしかないわね。それ以外に考えようが無いじゃない。ねえ祐巳さんどうする、部屋に入ったらいきなり祐麒くんの彼女がいて、挨拶なんかしてきたら」
「えっ、ええー、それはどうしたものやら」
あまり考えていなかったが、男女共学の大学で一人暮らし、全然ありえない、なんてことはなかった。
さて、もしも本当にそんな状況だったらどうしたものか、などと考えながら祐麒の部屋の前に辿り着く。
「隠し事できないように、いきなり乗り込んじゃえば?」
「駄目よ、由乃さん、親しき仲にも礼儀ありって。ちゃんとしないと」
「っていうか、今日、来ること言ってないんだよねー。もし、いなかったら二人ともごめんね」
「いいよ、いきなり訪ねて驚かせようって言い出したのは私だし。いなかったらいなかったで、適当に遊んで帰りましょう」
事前に連絡して、部屋の中を綺麗にして準備などされてもつまらない、ありのままの姿を見たい、などと言い出したのは由乃である。人の弟で楽しんでいるようだが、祐巳もまた賛同した。仮に恥しいものを祐巳や、全く関係ない由乃、志摩子の二人に観られたとしても、それはGWに帰ってこなかった報いである。
そうして、祐巳がいよいよインターフォンを押そうと指を置いたところで。
『ちょ、待って! やめてくれえぇっ!!』
いきなり、室内から悲痛な悲鳴が響き渡ってきた。
思わず、顔を見合わせる三人。
「い、今の声って、祐麒くんの声よね?」
「な、何だったの。え、ちょっと」
「まさか、強盗とかっ!?」
慌てて、ドアのノブに手をかける。
「ちょっと祐巳さん、危ないわよ。もしも本当に強盗だったとしたら」
「でも、放っとけないよ! 二人はここから離れて、警察に連絡を」
言いながらノブを捻るが、鍵がかかっているのかガチャガチャ音がするだけで、開く気配は無い。
すかさず祐巳は、鞄の中から合鍵を取り出した。両親に預けられていたものを、念のためにと持ってきていたのだ。
鍵を差し込んで開錠し、躊躇無く扉を開ける。幸いにも、内側からチェーンロック等はされていなかった。
「駄目だから、勘弁してくれっ!!」
祐麒の悲鳴が再び、奥から響いてくる。
「祐麒っ、どうしたの!? 大丈夫!?」
威嚇のつもりで、大きな声を出す。騒ぎ出せば、強盗といえども逃げ出すだろう。肩をならべるようにして由乃も中に足を踏み入れ、一歩後ろでは志摩子が携帯を片手に、いつでも警察に連絡を取れる体勢をとっている。
そして、室内に入り込んだ祐巳が見た光景は。
女子高校生が、祐麒に襲い掛かっている(ように見える)というものであった。後ろ姿であるが、白いブラウスの上からニットのベストをあわせて、チェックのミニスカートにニーハイソックスという格好。
祐巳の隣では由乃が、「おぅ、まさか本当に!?」とびっくりしているし、背後では志摩子が、「あらまぁ」と呟いている。
そして祐巳自身はといえば、当然、ショックを受けていた。まさか、高校生の女の子を部屋に引きずりいれていたなんて、両親に何と言えばいいものやら。
「祐麒ぃっ! あんた、一人暮らしはじめたからって、ハメ外しすぎてるんじゃないの!?」
「ゆ、祐巳っ!? な、なんでここに……って、わ、見るな、ちょっとまず」
祐巳が叫ぶと、ようやく気がついた祐麒が目を剥いてきた。同時に、背中を向けていた女子高校生の動きも止まる。
「え。祐巳ちゃん?」
と、振り向く。
するとあら不思議、どこかで見たような気がする顔。
「……って、え、江利子さま!?」
祐巳と由乃の声が重なる。
そう、なんと女子高校生に見えた後ろ姿は、祐巳たちもよく知るかつての黄薔薇様である、鳥居江利子であったのだ。
「え、えええええええええっ!!?」
誰のものともわからない、様々な意味での驚きの声が、室内に響き渡った。
そして。
「あら、祐巳お姉ちゃん。お久しぶり、ごきげんよう」
優雅に微笑みながら一礼する江利子。
由乃の予言は、ある意味で当たったのであった。
そんなひと悶着の後、室内には一人の男子と四人の女子が微妙な空気の中に佇んでいた。さほど広い部屋ではないので、祐巳たち三人はベッドの上に腰かけ、祐麒と江利子は床に座っているのだが。
「えっと……とりあえず状況を整理するために聞くけれど、祐麒と江利子さまって、別れたんじゃなかったっけ?」
祐麒と江利子の関係は、ごく内輪にだけは知られていた。簡単に言えば、リリアン、花寺の両生徒会メンバーだ。江利子は別に他の皆に知られても構わないようだったが、祐麒が必死に頼み込んで、他に漏れることを防いだのだ。
本当に付き合っていたのか祐巳は詳しいことは知らなかったが、実際、何度もデートしたり、福沢家に遊びに来たりもしたから、信じられないが本当のことだろうと思っていた。
それが、高校三年生のいつごろからだろうか、めっきりそういった様子が見られなくなった。忙しくなっただけかとも思ったが、ある日ふと祐麒に聞いてみると、こう答えたのだ。
「江利子さんとはもう終わったんだよ」
って。
だから、ああそうなんだと、祐巳は思っていたのだが。
「いやあねえ祐巳お姉ちゃん。祐麒くんが受験だから、ちょっと距離を置いていただけよ」
小首を傾げ、可愛らしくしれっと答える。
本当なのかと、視線で祐麒に問いかけるが、祐麒はなんともいいようのない表情で黙ったまま。
「それより江利子さま……その、『祐巳お姉ちゃん』はやめてくれませんか?」
「えーっ、どうして? 恋人のお姉さんなんだから、そう呼んでも。いずれはそう呼ぶことになるかもしれないんだし?」
冗談とも本気ともとれない江利子の口調に、志摩子が「まあ」とか言いながら頬を赤くする。
「その、いかがわしい格好はなんなんですか?」
次の質問は、由乃から。
「いかがわしいとは失礼ね、ちゃんと友人から借りた正式な制服なんだから。それにこれは、れっきとした祐麒くんのリクエストだし」
江利子の言葉に、三者三様の表情と視線が祐麒を貫くが、共通して言えることはどれも好意的とはいえないということ。
慌てて祐麒が言い訳する。
「違うっ! 『看護師と女子高校生とどっちがいい?』っていうわけ分からん二択だったんだ! だから俺はやむなく女子高校生を」
いったい、どういう状況に陥るとそのような二択になるのか、それを問いただしたい気もしたが、話が長くなりそうなのでやめておく。というか、あまり聞きたくない。そして、ナースと女子高校生なら、女子高校生を選ぶのか、弟よ。それはそれでどうかと思うのだが。
「それで、その格好で何をなさっていたのでしょうか」
三つ目の質問は、志摩子から。
その問いを耳にして、江利子は僅かに恥しそうに頬を赤くする。
「いやね、志摩子。そんなこと聞いてきて、答えは一つじゃない」
物凄く色っぽい表情と仕種で、そんな風に応じる江利子を見て、祐巳たち三人の方が真っ赤になる。
「ち、違う! 変な想像しないように! 変なことはしていないぞ!」
力いっぱい否定されても、信用できない。何せ部屋に入ったときに目にした光景が、アレだったのだから。
「だから違う、あれは江利ちゃんが、無理矢理に着替えを手伝おうとしてきて」
「なんか、それだけで十分にいやらしいと思うんだけど」
隣では、由乃と志摩子も「うんうん」と頷いている。
「さっきのは、江利ちゃんがふざけていただけで、そう、あとは普通にご飯作ってくれたり、掃除してくれたり、洗濯してくれたり」
「女子高校生プレイに突入したり」
「そうそう女子高校生プレイに……って、しないって!」
江利子の茶々に、ノリツッコミ。
完全に弄ばれているようだ。
「女子高校生ぷれいって、なんですか?」
「それはね志摩子、私が生徒で祐麒くんが先生役とか先輩役で、逆らうことのできない私に色々と要求を」
「しないから! 志摩子さんも信じないでくださいよっ!?」
「でも、その格好で料理させたり、掃除や洗濯させるだけで十分に変態的かと。祐麒くんって、そういう趣味だったんだぁ、うぁあ、見る目変わりそう」
本気で引いている由乃。
確かに、今の江利子の格好で家事をさせて、その姿を嬉しそうに眺めているというのは、ちょっとどうなのか。男性は、女の子の制服姿に欲情するとも聞くし、以前目にした祐麒の部屋にあった『その手』の本にも、『そーゆーの』は見受けられた。
心の中で理解しようと努力しても、いざ、実の弟が好むとなると話は別。しかも、本当に女子高校生とおつきあいしているならともかく、とっくに高校を卒業して二十歳も過ぎた女性に女子高校生の格好をさせるというのは、ちょっと。確かに江利子は見た目可愛らしくて、さほど無理があるわけではないが、女子高校生にしては色気が勝りすぎていないか。まして、お嬢様っぽいリリアンの制服に見慣れていた目に、今時のギャルっぽい女子高校生スタイルは、余計にエロティックに感じられる。下着が見えそうなミニスカ姿の江利子など、祐巳も初めて見るのだから。
「……頼む祐巳、一人でなんか勝手に納得しないでくれ」
疲れた表情でうなだれる祐麒。
「で、結局、江利子さまと今もお付き合いしているの?」
再度、重要なことを確認する。
「えーと、だから」
曖昧に口を濁す祐麒。
すると、江利子が何やら折りたたまれた紙を差し出してきた。何だろうと思いながらも受け取り、紙を広げてみると、それはどうやら学内新聞のようであった。そして、一面にでかでかと写真が掲載されていたのだが、なんとそこに写っているのは間違えようもなく祐麒と江利子の姿で。
しかも、祐麒はいわゆる『お姫様抱っこ』で江利子を抱きかかえ、二人は楽しそうに笑顔で向き合っている。
桜の花びらが二人を祝福するように舞っており、モノクロではあったけど、まるで映画のワンシーンのように素敵な写真だった。
横から覗いてきた由乃と志摩子も、声もなく見入っていた。
そして写真には、『ミス・キャンパスに恋人発覚!?』なんて大仰な見出しも一緒にくっついていた。この写真を見れば、誰だって二人が恋人同士だと思うだろう。それくらい、自然で素敵な絵だった。
「もう、大学内では公認よ」
江利子が自慢げに言う。こんな新聞が出回っているようでは、それも頷ける。
「素敵ですね、とてもお似合いだと思います」
にこにこと微笑み、二人の顔を見比べる志摩子。心から二人のことを祝福しているのだろう。江利子も、「ありがとう、志摩子」と素直に礼を口にする。
「ふーん……江利子さまが、ねえ」
あまり面白くなさそうなのは、由乃。高等部時代から江利子とやりあってきたから、素直には祝福できないのだろう。
「なあに、由乃ちゃん。人の幸せが、いやなのかしら」
「そういうわけではありませんけれど、はたして祐麒くんが幸せなのかと思いまして」
「あら、ひょっとしてヤキモチかしら?」
「そっ、そんなんじゃないですよ」
ぶんぶんと、両手をふる由乃。
「ほら、祐麒くんからも言ってあげて。私たちの関係を」
色っぽい流し目で、祐麒を見る。
つられるようにして、祐巳たち三人の視線も祐麒に向けられる。注目を一身に浴びた祐麒が、さて、何と答えるだろうかと注目をしているところで不意に、勢いよく玄関の扉が開いた。
「江利子先輩っ!!」
現れたのは、一人の女子高校生だった。
水色のブラウスで胸元にはリボン、スカートは紺のミニで、そしてハイソックス。
「抜けがけなんて卑怯です! 私がいない隙に祐麒くんにいやらしいことでもしていたんじゃないでしょうねっ」
「いやらしいことって、何かしら」
「この前、話していたようなことですよ。朝の男性の生理現象を……」
そこまで言いかけたところでようやく、動きが止まる。
「え……あれ、あれ、ゆゆ、祐巳さん? よっ、由乃さんに、志摩子さんまでっ!?」
物凄い剣幕で飛び込んできた女子高校生は、蔦子だった。あなたもですかと、祐巳は頭を抱えたくなった。
志摩子は目を丸くし、由乃はまたもヒき気味である。
「ちち違うのこれは、えーと、ちょっとした遊びというか」
「またまた、本気のくせに。こんな勝負パンツ履いてきてるくせに」
「ぎゃーーーっ! なななな何するんですかっ!」
真っ赤になってスカートの裾を抑えるが、めくりあげられた時に顔をのぞかせた下着は、確かに気合いが入っているように見えた。
祐麒も顔を赤くして、枕に顔を埋めている。
「せ、先輩といえども、もう許せないですからねっ」
「何よう、先輩らしく扱ってなんかくれていないじゃない。リリアンのときは、あんなに上級生を敬ってくれていたのに」
「敬いたくなるような行動をしないからじゃないですかっ!」
大きな声を出して、なんと蔦子は江利子に掴みかかっていった。江利子の上にのしかかり、お返しとばかりにスカートをめくり上げようとしている。下になった江利子も負けずと手をのばし、蔦子のブラウスのボタンが外れる。
いきなり展開され始めたキャットファイトに、唖然として声も出ないというか、まさか下級生が上級生に襲いかかるなんて思いもしなかったから、目の前の出来事が信じられないというか。
しかし、なんというかエロい。
二人とも下着がちらちら見てしまっているし、ブラウスがはだけてブラの肩ひもがはみ出していたり、おへそが見えていたり。
「祐麒、あんた……実は罪づくりなやつ?」
「聞かないでくれ……」
相変わらず、枕に顔を埋めるようにして突っ伏している。あまりに無責任だと思い、祐巳は無理矢理に祐麒の体を引き起こした。
「ちょっと祐麒、何とかしなさいよ」
「そうよ祐麒くん、あなたのせいでしょう」
由乃も加勢して、二人がかりで祐麒の背中を押し、騒乱のさ中に突き落とす。
「こんの、コスプレ変態っ!」
「なによ、蔦子ちゃんなんか、むっつりエロス眼鏡じゃないっ!」
「二人とも、や、やめ……ほばぁっ!!!」
江利子の爪と、蔦子の平手打ちが見事に祐麒にきまった。そして、もつれあうようにして床に倒れる。階下の住人からいい加減、文句がとんできそうだとのんきなことを考えながら三人の姿を見ると、とんでもないことになっていた。
祐麒は蔦子の太腿に顔を挟まれながら、下敷きにした江利子の乳を握りしめていた。
「きゃあん! ゆゆ、祐麒くん、そこは駄目ぇ」
「むぐぐっ……む、も」
「やぁん、変な刺激あたえないでっ」
床でのたうつ三人の姿を見ている方が恥ずかしくなってくる。由乃と志摩子も同じ思いのようで、気まずいような、でもなんか目を離すこともできないような、そんな感じで見入ってしまっている。
これじゃあ、帰省することができないのも仕方ないなと、祐巳は赤面しつつも納得して頷くのであった。
「……って、納得していないでどうにかしてくれーーっ!」
悲痛な叫びが今日もまた、響くのであった。
おしまい