<前編>
大学の近くで一人暮らしをしている友人のアパートにあがりこみ、狭い部屋で缶ビール片手にくだらない話をしたり、ゲームをしたり。大学生らしいといえば大学生らしい状況の中に、祐麒は身を置いていた。
男ばかりが集まっていれば、いつしか異性の話に向かっていくのもごく自然のことでる。仲間うちに、話のネタに持って来い、の人間がいればなおさらというものであろう。
「あー、俺も彼女ほしい! 合コンない?」
「先輩に頼んでおこうか。先輩の彼女、星女らしいからさ」
「いいね、俺も参加したい」
「つーかさ、今度こそ決行しようぜ。ソープ行こう」
たいして広くもない部屋に、むさくるしい男だけが五人も詰め込まれて、まだ夏前だというのに暑いくらいに感じられる。
祐麒はテレビの画面に向かい、友人の一人と対戦ゲームに興じていたのだが。
「ユキチー、そんなゲームいいから、色々と聞きたいことは山ほどあるんだからな!」
「うわ、馬鹿、やめろって」
背後から首を絞められ、抵抗もむなしく自由を奪われてしまい、あっさりと対戦を終わらされてしまう。
ゲームコントローラを置き、体の向きを変える。
「いったい、なんだよ」
「わかってるくせに。鳥居先輩とのこと、もういい加減に教えろよ」
そう、祐麒と江利子がつきあっていると大学に広まってすぐに、当り前のように周囲から質問と嫉妬と羨望に包まれた。大学にまだ入学したばかりだというのに、祐麒は既に学内の有名人になっていた。何せ、ミス・キャンパスの恋人ということなのだから。
「おっ、この子、超可愛い。スタイルもいいし、良くね?」
一人が声をあげ、皆の視線がそちらに集まる。そいつが見ていたのは、健康な成年男子が読むような雑誌で、可愛らしい顔をした女の子が、淫らなことをしている姿が写し出されている。
「いいじゃん、この子、新人? 胸もいい形してるし、エロい視線がいいな」
「どうよ、ユキチ。鳥居先輩と」
覗き込む。
脳裏に江利子の姿が浮かぶ。
「江利ちゃんの方がいい。胸もこの子より大きいし」
「え、マジで? 鳥居先輩、結構、細くないか」
「ああ、江利ちゃん着やせするから。胸だって70のEだし」
「え? 何それ」
慌てて口をおさえる。
おもわず下着のサイズを口にしてしまったが、普通の男が女性ものの下着のサイズなんか言われてわかるはずがない。悲しいかな、祐麒が知っているのは女装してバイトをしていた経験からである。
「つか、いいよなー。や、やっぱりさ、女の子の中って気持ちいいの?」
「おまっ、なんてこと聞くんだよ?」
「いいじゃんか、教えてくれよ」
問われて、江利子の体のことが瞬時に記憶の引き出しから飛び出てくる。抱きしめたときの細さ、それでいて体はおそろしいほどに柔らかく、いつまでも包み込まれていたくなる。江利子の胸も、お腹も、お尻も、太腿も、感じられる全てが、ただ触れているだけで幸せになるあの感触。
「……そりゃ、滅茶苦茶気持ちいいけど」
赤面しながら、そう、口にする。
「くっそ、臆面もなく! 俺も早く童貞捨ててー!」
「あ、いや、気持ちいいっていっても、別にそういう」
「うう、分かってはいたけれど、聞くとすげー悔しい! とゆうか羨ましい!」
酒も入っているせいか、テンションも高くなっている。祐麒の言い訳など聞こうともせず、男たちは泣き、嘆き、怒っている。
確かに、女性の、いや江利子の体は柔らかくて、それこそ天に昇るほど気持ちが良いと断言できる。しかし、実際に祐麒は、江利子と男女の仲になっているわけではないのだ。今まで、そういう機会は何度もあったはずだけれど、なぜか一線を越えることはなかった。
美人で、スタイルがよくて、性格も少し困ったところはあるけれど、欠点というほどではない。
祐麒さえその気になれば、江利子と結ばれていてもおかしくなかった。だけど、どうしても最後の一歩を踏みとどまっていた。色々と間が悪かったり、邪魔が入ったりというのがあったことも事実だが、そうでない時も沢山あったのに。
「とりあえずユキチ、おまえは今日、飲めるだけ飲ます。そして、鳥居先輩とのことを包み隠さず俺らに教えろ!」
「アホか! なんで江利ちゃんのことをお前らに話さなきゃならないんだ。江利ちゃんだって、自分の恥ずかしいことをお前らに知られたいわけないだろ」
「は、恥ずかしいようなことをしているのか!? てか、普通に『江利ちゃん』とか言っているのがむかつくんじゃー!」
「どうしろってんだ!」
今さら、自分も女性経験がないとも言えない。いや、祐麒だけのことを考えれば言っても別に構わないとは思っているのだが、江利子のことを考えると簡単に口にするわけにもいかない。
何せ、江利子とはつきあっていることになっているし、しかも実は高校時代からつきあっているということも周囲に知られてしまった。現実とは異なるのだが、今や大学内では公然の事実だし、江利子と祐麒も否定をしていない。
色々な男に告白されたり、つきまとわれたりしていた江利子にとっては丁度良いことだったし、弱みを握られている祐麒も断ることができない。
そして、そんな状態でもし、祐麒が江利子を抱いたことがないと言ったら、それはむしろ江利子に失礼なのではないだろうか。ずっと付き合っていて何もしないというのは、江利子に魅力がないととらえられないだろうか。そんなことを考えてしまうから。
「――で、鳥居先輩とはどういうプレイをするんだ?」
「だから、そんなこと言えるかって!」
そういう発言が、周囲に余計な刺激を与えてしまうことに気付かず、江利子との関係を知らず知らずのうちに周りに広めていくことになる祐麒であった。
☆
大学の女の友人たちとの飲み会は、飲み屋といいながら個室で、結構な趣のある場所だった。作りのせいか、周囲の席からの声というものもあまり聞こえず、逆に自分たちとしても周りを気にせずに話すことができるのはありがたかった。
メンバーは、江利子を含めて五人。皆、同じ大学だけれども、学科は全員が同じというわけではなく、友達の友達という感じで気が合う人間が集まった結果である。
男子がいない状況で女子が五人集まり、周囲も気にする必要がないとなれば、話の内容も自然と大胆になっていくもの。
初めはごく当たり障りのない話をしていたが、やがて話題は男子の話、恋愛の話へと発展していく。
江利子も、決してその手の話が嫌いというわけではない。リリアン女学院時代は、女子だらけという環境ではあったが、逆にあまりその手の話題が挙がることはなかったし、挙がったとしても具体的なお付き合い、恋愛の話ではなく、憧れとか理想とかいったレベルでしかなかった。お嬢様学校であり、純粋培養のお嬢様が多く集う中で、男女交際といったものが他校に比較して圧倒的に少なかったのは、おそらく事実なのだろう。
だから、大学に入ってからその手の話を聞くのは非常に刺激的だったし、面白かった。江利子が今まで知らなかった世界を、周囲の友人たちは教えてくれるのだから。
「――おおーっ、ついにエッチしたの、比奈っち!?」
そんな言葉とともに、一人に視線が集まる。視線を集めているのはもちろん比奈、ウエイブヘアーが特徴的な、ごく普通の女子大生。
「どうだった、どうだった?」
「痛かった? 初めて入ってきたときの感想なんかどうぞー!」
「や、やだなあもう、みんな知っていることでしょう?」
顔を赤くしながら、困ったような表情の比奈だが、それでも嬉しそうなのは好きな相手と結ばれたことを、仲間たちが喜んでくれているのがわかるからだろう。
冷やかしたり、はやしたてたり、いじったりしているけれど、きちんと心がこもっているから嫌なことではない。比奈だって、だから文句を言うことなく、嫌がるわけでなく、恥ずかしがりながらも答えているのだろう。
「良かったじゃん、あまり痛くなかったんでしょ? あたしなんか、死ぬかと思ったもん、だってこんなぶっといのが、こんな小さい穴にどうやって入るのよって。裂けたと思ったわ、アレは」
「へー、私なんか、『あれ、いつの間に入ったの?』って感じだったよ」
「羨ましいな、痛くない方がいいよね」
「でも、そのせいで逆に初めてじゃないんじゃないかって疑われてさ、血が出ていたから信じてもらえたけれどー」
赤裸々な初体験トークなどが繰り広げられると、興味が湧くとともに気恥ずかしさも感じてしまう。
「や、でも目出度いわね」
ビールを呷りながら、桜子が口の端をあげて笑う。
「これで目出度く、あたしたち全員、非処女になったってことで」
え、と思わず内心で呻いてしまう。
「そうねえ、比奈っち奥手だし男運ないし、大学卒業するまでにできるかー、って心配していたんだけどね」
瑞希がまた、からかうように笑う。
「そうだよー、心配してたんだよー」
緩い声で肩をすくめる麻奈。一番の童顔でどう見たって高校生くらいの容姿にしか見えないのに、男性経験が一番先だというのだから、分からないものである。
「でも、一番、人が悪いのは江利ちゃんでしょう。何、ずっと隠していたの?」
「え、何が?」
いきなり話をふられて、少しばかり驚く。
「年下のカレ、祐麒くんのことに決まっているじゃない。聞けば、高校の頃から付き合っていたって言うじゃない、もー」
「ホント、全然、男っ気ないと思っていたけど、あれはブラフだったか」
「ま、その顔と体で男がいないわけないとは思ってたけれどね」
祐麒のことに話がいき、またかと思う。仕方ないとはいえ、噂が広まり、はては祐麒にお姫様抱っこをされている姿を大学新聞に掲載なんかされて、友人たちが黙っているはずもなかった。というか、そう思わせるようにしかけたのだが、何せ、大学に入ってからずっと話していなかったし、知らせてもいなかったのだから色々言われるのも当然で。
ちなみに、以前この友人たちが店に遊びに来た時に、バイト中の祐麒と顔を合わせていたことがあるのだが、気が付いている友人はいないようだった。
「初デートのその日にラブホ行ったんでしょ? なかなか積極的な高一男子ね」
「てゆうか、あたしがショックだったよ。江利ちゃんは処女仲間だと思っていたからさ」
「あはは」
笑うが、内心は複雑である。色々と突っ込まれて、追及されて、祐麒とのエピソードを色々と友人たちに伝えたのだが、初デートの話をして当たり前だけどエッチをしたと思われた。
「で、江利ちゃんは初めての時、どうだった? 一人だけだんまりとか、ずるいじゃん」
「え? あ、うん、そうね」
思い出すふりをするも、非常に困る。何せ経験していないのだから。素直に白状できる雰囲気でもなく、黙っていられる感じでもなく、仕方なく口を開く。
「……えと、私は、凄く痛かったけれど、それ以上に嬉しかったかな。一つになれたっていう嬉しい痛みっていう感じで」
「江利ちゃん、かわいいなぁ」
「乙女~っ」
実際のところ、どうなのだろうと考えてみたところで想像もできるわけない。さすがにどういう行為なのかくらいは分かるが、痛いとか気持ち良いとか、全く考えられない。
「でもさ、リリアンだし、凄いお嬢様だと思っていたけれど、騙されていたわ~。コスプレに着衣にSMかぁ」
「江利ちゃんが、っていうよりも福沢君の趣味でしょう? 江利ちゃん、調教されちゃっているって話じゃない」
なぜか、そんな風に思われてしまっていた。確かに、勘違いされてもおかしくないようなエピソードを話しはしたのだが、完全にこの四人の友人には江利子と祐麒がそういう関係だと信じられ、江利子としても否定する機会を失ってしまっていた。
実際には、まだロスト・ヴァージンどころか、キスだってしていないというのに。
「よし、今日は比奈っちのために、あたしたちが男を悦ばせるテクニックを色々と教えてあげようじゃない」
「お、お手柔らかに。ま、まずは初級者向けのからでお願い」
基本的にポーカーフェイスが得意な江利子は、友人たちの大胆な会話を耳にしても表情を変えずに保つことができる。結果こうして、色々と友人たちから情報を仕入れていく。
しかし、それはそれで辛いものである。
何せ、友人達が話しているのがHなことだというのは話の流れでなんとなく分かるものの、それぞれの単語の意味が、さっぱり分からないのだから。
「――ね、ね、江利ちゃんさ、福沢君に※#るも仕込まれて、※#るえっちもしちゃったって話、本当?」
「え? あ、まあ、うん」
言葉の意味も分からずに頷くと。
「ええーーーっ、うそ、マジで!? で、どうだった? あんなの痛いだけじゃないの」
「あたし、絶対にそんなのヤダけど」
「……私、少しだけ興味あるかも。ね、ね、江利ちゃん、どんな感じなの?」
「うそ、やだ桜子、ヘンターイ!」
「そんなこと言ったら、江利ちゃんはどうなるのよー」
「江利ちゃんは、彼氏の福沢君がそういう趣味で、福沢君に調教されてるんだから仕方ないじゃない」
「いやいやいや、それもおかしいでしょう!?」
姦しく、楽しいお喋りは止まる様相も見せない。
どうやらこの後は性の話に終始しそうで、江利子としては祐麒とのことが変に話が広がっていくことに、そこはかとない不安を覚えるのであった。
お店を変えて二件目でもアルコールを重ねていく。途中、どこかの大学生らしき集団に声をかけられたが、桜子と瑞希が辛辣な毒舌を放って追い払う。あまり過激なことをいうと、余計な刺激を与えてプライドを傷つけ、相手が激発するという恐れもあるのだが、比奈と麻奈がゆるキャラなので、間に入ることで相手の毒気も抜けてしまうというよくできたコンビネーションである。
いつしか時間も遅くなり、腕時計の針を確かめて江利子は立ち上がった。
「あれ、江利ちゃん、帰っちゃうのー?」
「どうせ今からじゃ、電車まにあわないでしょ。一緒にオール行こうよ」
酔っぱらった麻奈と桜子が抱き合いながら、江利子を引き留めてくる。
「ごめんなさい、私、これから……」
なんとなく気恥ずかしくて口を濁すと。
「あー、分かった! 祐麒クンところ行くんだ」
比奈が手を叩く。
すると瑞希が下品な笑いを張りつかせて、指さしてくる。
「違うよ比奈っち、祐麒クンの上でイクんだよ、これから、キジョーイでこう、ね」
「やだ、瑞希ちゃん、えっちー!」
とか言いながらも、比奈はケラケラと笑っている。
「もう、勝手なことばかり言って。とにかく私、行くから」
下品に囃し立てる友人たちの声を背に受けて、店の外に出る。若い女の子があんな格好をさらして心配にもなるが、彼女たちに共通することは、とにかくアルコールに強いということ。
酔っ払ってハイにはなるけれど、いずれも正気を失うことはないし、どこかで冷静な部分もあるから変な男たちに引っ掛かるということもないことを、江利子は今までの付き合いで知っていた。
時間を確認し、最寄りの駅まで早足で向かい、終電の一本前に乗り込む。電車に揺られること十数分、目的の駅に到着し、夜風にあたりながらゆっくりと歩き出す。梅雨も終わりかけ、夜とはいってもさほど涼しさを感じなくなってきている。
しかし、と、江利子は思う。
まさか、今の仲間内で非経験者が自分だけになってしまうとは。別に、そのこと自体を恥ずかしいとか、嫌だとか感じているわけではない。ただ、本当は未経験なのに、経験済だと思われていることが、嫌なのだ。そしてそれ以上に、真実をきちんと話そうとしない自分が、関係をはっきりさせない自分が、嫌だった。
「……でも、いつまでもはっきりしてくれない、祐麒くんもいけないわよね」
声に出して、怒ってみせる。
何度も際どい時はあったし、どうなってもおかしくないシチュエーションだってあった。四月に再会して以降、祐麒が一人暮らしを始めたということもあり、機会はさらに増えたはずである。実際、江利子だって何度も部屋に行っているし、そのうち何回かは泊まったことだってある。
それにも関わらず、何事もないというのはどういうことか。同じ部屋で一夜を共にして、手を出してこないのは失礼ではないのか。まあ、それが祐麒の良いところでもあるというのは、分かっているけれど。
しかし、過去のことを色々と思いだすと、物凄く恥ずかしくなってくる。というのも、なぜか祐麒には恥ずかしいところをよく見られたから。初めてのデートのときの失態に始まり、間が悪いというか、なぜこのタイミングで、ということが多い。親兄弟にも、親友にも見せられないような痴態、醜態を見られているのだ。
そんな姿を晒しているのだから、責任をとってほしいものである。
だけど。
眼鏡をかけた、祐麒と同学年の女の子、武嶋蔦子。まさか蔦子まで同じ大学に入ってくるとは、そして、祐麒を間に挟むことになろうとは。
蔦子が現れてから、今まで異なる感情が江利子の中に生まれてきていた。江利子にとって、無視をすることのできない感情が。
「そろそろ、ねえ……」
呟くような声は、静かな住宅街の闇に吸いこまれ、消えてゆく。
祐麒の住むアパートは、もう目と鼻の先だった。