下着ショップの次からはまともなショッピングになったので、胸を撫で下ろした。とはいっても、相変わらず聖にからかわれ、振り回されていることには変わらない。
それでも、とても楽しかった。女性とショッピングということで、デートの前は不安もあったのだが、杞憂に終わりそうである。やっぱり、好きな女性と一緒にいるということは、それだけで楽しいのだ。
衣類や雑貨を見て回った後、フードコートにて休憩をとることにした。さすがに人で賑わっているが、どうにか三人分の座席を確保する。
「いや、でもどうかね祐麒、おねーさんたちとのデートは」
たこ焼きを食べながら、聖が尋ねてくる。
「た、楽しいです、とても」
「そうかそうか、正直でよろしい。で、どちらのおねーさんの方が好みかね?」
「ちょ、ちょっと聖さんっ」
「もう、またそうやってからかって」
人懐っこい笑みを浮かべつつも、聖はしょっちゅう祐麒のことをいじってくる。そのたびに祐麒は、どう答えたらよいのか、どう反応したらよいのか困ってしまう。
誤魔化すように祐麒は、手元のタンドリーチキンサンドを手に取り、口に持っていこうとしたところで。
「あー、ちょっと待って祐麒、こっち向いて」
「は?」
聖に呼び止められ顔を向けたところで、丸くて熱い塊が口の前に差し出された。
「はい、あーん」
拒絶する間もなく、口の中に押し込まれる。
「えっ、あ、熱っ!? あ、ふぁっ、あふっ」
「あははははっ、何言っているの?」
まだ十分な熱を持っていたたこ焼きを口の中に入れられ、熱さに翻弄される。吐き出すわけにもいかず、必死で口の中で熱を冷まし、舌を火傷しそうになりながらようやくのことで飲み込む。
「はい、んじゃ次はカトーさんの番ね」
祐麒が抗議しようと口を開く前に、先手を打って聖が景を促す。
「はぁ? なんで、私が」
「デートで食事といえば、定番のパターンじゃない」
「そんなのフィクションの中の話でしょう、現実には恥ずかしくてできないわよ。佐藤さんがやってあげたんだから、いいじゃない」
「私がやったんだから、カトーさんもやらないと駄目ってこと。ほら、何せ三人でデートしているんだから」
にこにこと笑いながらプレッシャーをかけてくる聖に対し、景は諦めたように大きく息を吐き出し、たい焼きをちぎって祐麒の方に向ける。
「台詞も言わなきゃだめー」
「…………はい、あーん」
わずかに照れを含みながらたい焼きを差し出してくる景に、祐麒の動きが止まる。先ほどの聖は、考える前に物を口の中に押し込まれてしまったが、今回は祐麒がその気にならなければ先には進まない。
非常に魅力的なことではあるのだが、景が「あーん」してくれているという状況が信じられず、思考は停止し景とたい焼きをただ交互に見ることしか出来ないでいた。
「ちょ、ちょっと祐麒クン、もうさっさと済ませちゃいなさいよ、こっちだって恥ずかしいんだから」
反応しない祐麒に業を煮やしたのか、景がせっついてくるが、その表情は先ほどよりも恥じらい成分が多くなっており、余計に祐麒の鼓動を速くさせる。
やばい、可愛い、などと内心で思っていた祐麒だったが、反対側からの聖のいやらしい視線を感じて、ようやく我に返る。
「え、えと、それじゃああの、お願いします」
口を開くと、景の手が少し伸びて口の中にたい焼きを押し込んでくれた。受け止め、口を閉じる。
「――きゃっ」
「あ、す、すみませんっ」
口を閉じたとき、タイミングが少しずれて景の指先を少しだけ唇で挟んでしまい、驚いた景が小さな悲鳴をあげた。急いで顔を離したが、祐麒の唇にも景の指の感触は確実に残されており、口の中のたい焼きの味よりも、唇に残された景の指先の柔らかさばかりを強烈に感じる。気付かれないように舌で軽く唇を舐めてみる。もちろん味などわからないのだが、それでも少しだけ酸っぱいような気がした。
「ああもう、恥ずかしいじゃない」
フードコートには多くの人がおり、別に祐麒達のことになど注目していないのだが、それでも付近にいることに変わりはないわけで、そのうちの何人かはチラチラと祐麒達の方を見ているように思えた。男女が「あーん」しているだけでも、ある意味注目されるというのに、カップルではなく女性が二人なのだから注目度は更に増す。
「ほっほっほ、初々しいのう二人とも」
「馬鹿なこと言ってないの。まったく……」
肩をすくめてみせる景。
すぐに何事もなかったように食事を続ける景にとっては、本当に何でもないことなのかもしれないが、祐麒にとってはもちろん事情が異なる。
「あはは、祐麒、顔が真っ赤だよ」
「ほ、ほっといてくださいよ」
言葉に出されて余計に恥ずかしくなり、俯くようにしてサンドウィッチを貪るようにして食べる。頬に景の視線を感じ、余計に落ち着かなくなってしまう。
その後も、どんな羞恥プレイだと思ってしまうようなことを繰り返しながら食事を終え、デートを続ける。
聖が不意にカラオケに行きたいと言い出したのでカラオケボックスに行き、景が意外とロックな女性だということに驚いた。
カラオケから出たら外は既に暗くなっていたので、飲み屋へと直行した。デートということでお洒落なイタリアン、とまではいかなくてもレストラン的な場所を考えていた祐麒としては意表を突かれた。
「いやいや、こういうところでざっくばらんに話した方が盛り上がるでしょう」
「あなたはお酒を飲みたいだけでしょう」
笑う聖を、冷たい目で見据えている景だが、聖から注がれた日本酒に口をつけるのに嫌な素振りも見せていない。
「お二人とも、ペース早くないですか?」
「何よー、そんなこといってないで祐麒も飲め、ほれ」
「いや、あの、ちょっ……」
藪蛇であった。
口当たりの良い日本酒で、お酒に慣れていない祐麒にも飲みやすかったが、それだけに非常に危険である。
「また佐藤さん、高校生にお酒飲ませて……」
「大丈夫だって、祐麒が酔い潰れたらカトーさんが優しく介抱してあげればいいじゃない」
いい加減なことを言ってけしかけてくる聖を、景は軽くあしらう。二人の関係、バランスは、横から見てもとても良いものに感じられた。
まあ、二人から一方的にいじられる祐麒としてみれば大変だが、それですらも嬉しく感じてしまうのは、やはり男だからだろうか、それとも相手が相手だからだろうか。
楽しい時間はあっという間に過ぎ去るもので、夜も遅くなり店を出ることにしたのだが、その頃にはすっかり景が酔い潰れていた。
途中から、聖と祐麒でかわるがわる景に酌をしていたのがこたえたのだろう。聖の目つきが意図することをくみ取った祐麒だが、なんとなく逆らえずに景に酒を勧め続けてしまった。
「さあ祐麒、男の見せ場だよ」
二人で景を両脇から支えて店を出たところで、聖がそんなことを言ってきた。
「なんですか、それ」
「決まっているでしょう、ほら、さっさとする」
「え、ちょっと、あの、うわっ!?」
文句など言う間もなく、いつの間にか景を背負わされる格好になっていた。腰に力を入れて立ち上がる。細身の景はさほど重くないとも思えるが、意識のない人間を背負うというのは予想以上に重かった。さらに、ずれ落ちたり、後ろにひっくり返らないようかなり前かがみになる必要があり、腰への負担が半端ない。
「男の子でしょう、しっかりしろー」
「い、言うのは楽ですけれどね……」
横で無責任に応援している聖を引き攣った笑みで見る。
「ああ、それとも男の子だから、かな?」
いやらしい笑みを浮かべて祐麒を見つめる聖。
「そんなに前かがみにならなきゃ歩けないのは~、なぜかな?」
「な、なぜって聖さん、これはね」
「カトーさんのおっぱい、当たっているでしょう? いひひ、まあ、当ててんだけどね」
「ちょっ! せ、聖さんっ!」
声を大きくするが、迫力はない。
聖の言うとおり、完全に脱力しておぶさってきている景の胸が押し付けられているのが、背中に感じられる。
決して大きいというわけではないが、それでも十分な柔らかさが布地越しにも伝わってくるのが分かる。
おまけに、首筋に景の寝息がかかり、それがまた拍車をかけてくる。
「昼、腕組んだ時に残念そうだったからね、どう、嬉しいかね少年」
「ま、まさか、これを狙ってあんなに加東さんに飲ませたとか、ですか、っと」
ずり落ちそうになる景を、なんとか体勢を直して持ちこたえる。
「このままじゃあ、家まで送っていくのも大変でしょう。祐麒、なんなら近くのホテルにでも行っちゃえば?」
「ななな、何を言っているんですかっ!? そ、そんなことできるわけないでしょうが」
「なんで? 祐麒、加東さんのことが好きなんでしょう」
あっさりと、そんなことを尋ねてくる。
再度、景を背負いあげる。
夏はもうとっくに終わったというのに、額から汗がしたたり落ちてくる。
「男と一緒に居て、こんなになるまで飲み潰れちゃうってことは、介抱されても良いってことでしょう」
「んな無茶苦茶な、ガンガン飲ませたのは俺らじゃないですか。それに、俺たちを信用してくれているってことでしょう」
「ふーん、好きだってことは、否定しないんだ?」
「……だったら尚更、酔いつぶれている時に手を出すなんて卑怯なこと、できるわけないじゃないですか」
祐麒もお酒が入って気が強くなっていたのだろうか、むくれながらも聖の言葉を肯定するようなことを言ってしまった。
「へえ~、やっぱりそうなんだ。で、カトーさんは祐麒のことどう思ってるの?」
「っ!?」
聖が景に尋ね、思わず心臓が止まるかと思った。
完全に寝ていると思っていたが、まさか知らないうちに目をさまし、意識が戻っていたのだろうか。
だとすると、先ほどの祐麒の言葉を聞かれてしまったのか。こんな状態、お酒が入って寄っている時の告白を聞かれるなんて、最悪だった。
様子を探るように、おそるおそる顔を後ろに背けてみる。
「……って、う、わっ!?」
知らず背筋が伸びていき、背中に乗っていた景の身体が後ろにのけぞって倒れそうになる。慌てて姿勢を前かがみにすると同時に、後ろから聖が景の身体を支えてどうにか惨事を避けることができた。
どう見ても、景の意識が戻っているようには見えなかった。
聖にからかわれていたと知り、睨みつけようとするが、恥ずかしさの方が先だってうまいこと出来なかった。
仕方なく、無言で歩くことにした。むしろ段々、喋るのも辛くなってきた。
「さて、と、それじゃあどうしよっか。本当にカトーさん起きないし、タクシーにするか」
それならば最初からそうしてくれと言いたいが、良い思いをしてもいるので言えなかった。何せ今も、体力的に辛くなってきたとはいえ、景と密着状態なのだから。
どうにかタクシー乗り場まで辿り着き、聖と協力して景をタクシーの座席に押し込む。
「さて、と。それじゃあまたね、祐麒」
「え?」
「いやごめん、カトーさんの下宿さ、男子禁制だから。万が一見とがめられて、勘違いされてカトーさんが追い出されでもしたら、困るでしょ?」
そう言われては、何も言い返せない。
ここまで苦労して背負ってきて、結局のところ送ることすらできないというのはどうなのだろうか。景の下宿先を知りたかったとか、そのような下世話な話では、決してない。
祐麒の不満が顔に出ていたのだろうか、聖が苦笑しながら手を立て、頭を下げる。
「だから、ごめんてー。今度さ、埋め合わせするから」
と、言ってくるものの、どうにも聖の言葉は信用できない気がしてしまう。
顔をしかめる祐麒を見て、後部座席に入りかけていた聖が一旦車から出てきて、祐麒の耳に口を寄せた。
「今度、カトーさんのスリーサイズ、聞いてきといてあげるからさ」
「なっ、何を言っているんですか!?」
「あれ、知りたくない?」
「しっ……知りた……って、そうじゃなくて、そういうことは自分で分かるようにしますからっ」
「ほっほう、それはなかなか大胆な。つまりぃ、カトーさんの裸体を自由に調べることができるような関係になると、そういうことかねキミ?」
「そっ、そんなことは、言ってません!」
顔が熱くなる。
我ながら、大胆なことを口にしてしまった。
そして同時に、聖の言葉と共に先ほどまで背負っていた景の身体の感触を思い出す。景のスリーサイズ、果たしてどれくらいなのであろうかと、自然と妄想が広がっていく。頭の中に浮かび上がるのは、綺麗な白い肌に今日のデートで購入した下着を身に着け、少し恥じらうような表情を浮かべながらベッドに横たわる景の姿。
ブラに包まれ小さくも形良い谷間の作られた胸、なだらかな曲線を帯びている腹部を伝い、ちょんとした可愛らしいお臍を通り、ショーツに包まれた小ぶりなお尻。すらりと伸びた脚。
「祐麒、ちょっと大丈夫? トリップしてないでさ」
「…………はっ!?」
キョロキョロと周囲に首を振ると、いつの間にか聖はタクシーの後部座席に収まっており、呆れたように祐麒のことを見上げていた。
「それじゃ、今日は楽しかったよ。カトーさんもね、楽しんでいたよ、それは間違いない」
手をひらひらとふる聖。
「……それから、埋め合わせ、楽しみにしといて」
最後にニヤリとニヒルな笑みを口元に浮かべて、タクシーのドアは閉まった。
ゆっくりと動き出したタクシーが、夜の道路へと姿を消していくのを、祐麒はただ見送る。
完全に見えなくなってから踵を返し、駅へと向かう。
なんだかんだと色々とあったが、物凄く良い一日であることは確かだった。
景の私服姿は綺麗だったし、腕を組んで、景の下着を選んで、食事では食べさせてもらい、カラオケでは一緒に歌ったり狭い室内で手や腕が触れ合ったり、最後にはおんぶして景を感じることが出来て。
聖は埋め合わせなどと言っていたが、実際に祐麒としてみれば不満など何もなかった。
「また会いたいけど、とりあえずはメールからかなぁ……」
と、そこで重要なことに気が付いた。
聖とも景とも、連絡先もメールアドレスも交換していないということに。
「しまった……」
これでは、自ら連絡をつけることが出来ない。
聖が埋め合わせをするといっていたが、そもそも酔っぱらっていたわけだしどこまで信憑性があるのか疑わしい。仮に本気だったとして、翌日には忘れているかもしれないし、遥か先のことかもしれない。とてもではないが、そんなに待てそうもないし、不確かな事に望みを託したくなかった。
電車の中、窓ガラスに目を向ける。
窓に映った自分の姿に重なるようにして、景の姿を思い浮かんで見える。
「――――よし」
電話やメールアドレスを知らないからといって、連絡がつけられないとか見つけることが出来ないとかいうわけではない。
景はリリアン女子大に通っているわけで、大学の正門の前で待っていれば、きっといつかは会うことができるはず。
祐麒も学校があるから、ずっと待っていることができるわけではないが、一日で駄目なら二日、三日と続ければよいだけのこと。
心の中で、決意を固める。
いつ以来であろうか、気持ちがこんなにも燃え上がっているのを感じるのは。
車窓の向こうに流れゆく黒い街並みを見つめながら、祐麒は景を想っていた。
第四話に続く