<前編>
彼女と別れてから一年、桜の舞い散る季節にそれはやってきた。
「……ってゆうか、よくもまあ、いけしゃあしゃあと招待できるものよね」
私はアップにしたせいで涼しくなった首筋を手で撫ぜながら、一人毒づいた。
常々、女性しか愛せない、なんて言っていたくせに、私と別れてから一年であっさりと結婚するなんて。しかも、相手は年下でまだ大学生だという。付け加えるなら、祐巳ちゃんの弟さんだというのだから驚きだ。
私をこちらの世界に引きずり込んでおきながら、自分はさっさと男と結婚してしまうなんて、どういうつもりだ。おまけに結婚式にまで呼ぶなんて、神経がどうかしているとしか思えない。
別れた恋人を呼ぶなんて。
式で、幸せな笑顔を浮かべていた彼女。
外国人のような顔立ちとスタイルは、ウェディングドレスに映えてとても綺麗だった。
「あー、ちくしょー!」
絶対に、泣かないと決めていたのに。
嫌味なくらい満面の笑顔で送り出してやるつもりだったのに。
あの、幸福に満ち溢れた顔を見たら、とてもじゃないけれどそんなこと出来なくて。胸が軋むように痛んで。もう、一年も経って、とっくに吹っ切れていたはずなのに、私にとってはやはり彼女はそれだけ大きい存在だったのだ。
「二次会なんて来るんじゃなかった……」
参加したものの、いたたまれなくなり逃げるようにしてトイレに駆け込んだ。
便座に腰を下ろし、目尻に涙を湛えている自分が情けない。
「ああもう……!」
水を流すと同時に、鼻をかむ。
いつまでもトイレにこもっているわけにもいかず、私は扉を開けて出た。
「あ……」
出ると、一人の女性と目があった。ブラックのレース使いワンピースに身を包んだ彼女もきっと、二次会の出席者だろう。
慌てて、目をそらす。
(あー、見られたかなー)
涙の跡は、消えていないだろう。
こんな情けない姿、おいそれと人に見せられるものではない。私はさっさと手を洗い、洗面所を出ようとした。
「あの」
しかしそんな私を、彼女は引きとめた。
女性は、美しかった。
黒い髪は軽く背中にかかるくらいで緩やかにウェーブをし、目元は涼やか、薄い唇は色っぽく、スタイルも良い。
彼女に限らず、式や二次会の出席者の女性のレベルは高い。新郎の友人達も、目をぎらぎらさせて女性陣を見つめていた。
「失礼ですが、加東さんでしょうか」
「え、あ、はい。そうですけれど、貴女は……?」
「失礼しました。私、蟹名静と申します」
彼女は私のことを知っているようだったが、私としたら初めて聞く名前だった。
「すみません、どこかで会ったことありましたっけ?」
「いえ、初めてだと思います。私が加東さんのことを知っていたのは……」
そこで彼女は、言いにくそうに口を濁す。
私は、ぴんときた。
「あー、別にそんな気をつかわなくてもいいわよ。私が佐藤さんと付き合っていたってこと、聞いたんでしょう?」
髪の毛を抑えながら、無言で頷く静さん。
付き合い始めて最初の頃は隠していたものの、半同棲状態となってからは、ごく自然と親しい人には知られてしまった。
静さんが知っているということは、きっとリリアンの関係者なのだろうと予測したが、やはりそれは的中していた。
「……聖さまの、一年後輩でした」
その口調、声色、表情から、私は察した。
「ひょっとして、貴女も佐藤さんの……」
「……お慕い、申しておりました」
悲しげに、呟く。
「そっか……本当にひどいわよね、あの人。高校時代と大学時代の恋人を、自分の結婚式に呼ぶなんてさ」
「あ、いえ、私は違うんです」
「え」
「私の、一方的な片思いでした」
「…………」
かける言葉は見つからなかった。
静さんの横顔は、悲しくも美しかった。よく見れば、彼女の目も充血し、どこか腫れぼったかった。
「……ねえ、静さん」
「はい」
「良かったら、抜け出してどこかで飲みなおさない?二人でさ、さんざん佐藤さんの悪口でも言い合いましょうよ」
私はことさら明るく言ってみせた。
すると。
「……いいですね、それ」
と、素敵な笑顔を浮かべて髪の毛を揺らした。
「本当にもう、ひどいわよねー。人をレズビアンにしておいてさ、私はそれまで、ヘテロだったのに」
「本当に? 最初からじゃなかったんですか?」
「違うわよ。あの人に逢ってから」
私と静さんは近くのバーに入り、佐藤さんの悪口を肴に飲みなおしていた。
私の人生観というか、恋愛感はまさに佐藤さんによって180度変えられたといっても過言ではないだろう。
佐藤さんと仲良くなり、いつの間にか恋愛感情を覚え、身体を重ねるようになり、今や私は、女性しか愛せない立派な同性愛者となっていた。そのこと自体について文句を言うつもりはないし、後悔もしていないが。
だけど、やっぱり納得いかない部分があるのは当然で。
「静さんはどうだったの?」
「私ですか? 私はそうですね、自覚したのは小学生の時でした」
「随分と早いのね」
「そうですね……周りの女の子の友達が、格好いい先生や同級生の男の子のことを、目を輝かせて話していたのに、私はそんな同級生の女の子のことばかり見ていました。初恋は、音楽の先生、もちろん女性でした」
淀むことも、ためらうこともなく話す。
お互いのことをよく知らないことが良かったのか、私たちは自分たちのことを特にわだかまりもなく話していた。
「私は……女の人を好きになったのは、本当に佐藤さんがはじめてね」
血のような色をしたワインを喉に流し込みながら、グラスを見つめる。お酒が好きで、よくワインも飲んだ、などとつい感傷にひたりそうになる。
「今、聖さまのこと考えていたでしょう?」
「う、わかった?」
「そりゃ、もう」
「ああ……もう、とっくにふっきているつもりだったのになぁ。でも、やっぱり吹っ切れていないのかな、佐藤さんと別れてから新しい彼女も出来ないし」
「私も……吹っ切らないと」
ふうっ、と息を吐いて、静さんは琥珀色のカクテルに口をつける。
「今日はとことんまで飲みたいところね……良かったら静さん、つきあってくれない?」
「ええ、喜んで。聖さまに言いたいことは、積もるほどありますから」
言いながらカクテルを一気に飲み干す静さんの目元は、赤くなっていた。
その後、バーで引き続き佐藤さんの悪口に花を咲かせ、それなりの量のお酒を飲んだ私たちが外に出ると、当然のごとく周囲は闇に包まれていた。終電の時間まではまだ余裕はあったけれど、明日は互いに特に用事もないということだったので、私は静さんを部屋に誘った。部屋に戻ればまだお酒はあるし、時間を気にすることも無い。
私は大学を出た後に、都内の別の場所で部屋を借りている。タクシーをつかまえて乗ること二十分ばかりで部屋に到着する。
「ちょっと、散らかっているけれど」
中に入り、とりあえず彼女をソファーに座らせる。
私はショールだけその辺に投げ捨て、キッチンに向かい、冷蔵庫からミネラルウォーターを出してコップに注ぐ。
「とりあえず、お口直しに」
「ありがとう」
テーブルの上に置いたコップを手にすると、一気に飲み干す静さん。今日、会って話していて分かったけれど、彼女はなかなかに豪快なところがある。そして、お酒が好き。
「それじゃ、とっておきを出しましょうか」
笑いながら、ワインの瓶を手に取る。
以前、佐藤さんの親友であるという鳥居江利子さんから頂いた逸品。今まで飲む機会がなく置いておいたのだが、今日こそ開けるのにふさわしいような気がした。
封をはがし、コルクを抜くと、芳醇で、どこか渋みのある香気が漂ってくる。
ワイングラスに注がれた真紅に揺れる液体を見つめながら、私は口を開く。
「それじゃ、改めて乾杯」
「ええ、佐藤聖というろくでなしの人生に」
「あは。まったくだわ」
グラスが軽くぶつかりあい、高く乾いた音を響かせる。
―――せいぜい幸せになっちまえ、佐藤聖の大馬鹿野郎!
後編につづく