晴れて始まった大学生活。
大きな希望、ちょっとの不安、そういったものに包まれて足を踏み入れたキャンパスはやっぱり新鮮で、毎日なにかしら発見があるような、そんな気がする。
同じ学部、同じ学科ではそれなりに親しくなりつつある友達も出来始め、まだお互いのことは良くわからなくとも、なんとなくうまくやっていけそうかな、友人関係を構築していけそうかな、という感触はある。この辺、ずっとリリアン内で持ち上がりだった真美は、実に久しぶりに経験する感覚だった。
新聞部という所属柄、取材やインタビューと称して色々な人に接する機会はあったから、人と話すのにそこまで物怖じすることはないと思っていたが、それも部活動だと思えばこそだったのかもしれない。友人関係を築こうとしたとき、思いのほか自分がうまいこと喋ることが出来ないのに気が付かされた。
ずっと気の合う仲の良い友人たちと付き合ってきたから、新たな関係を築くのに緊張しているというのもあるだろうが、もう一つの大きな要因として、周囲は色々な高校からやってきた様々な人たち、即ちリリアン女学園の高等部に所属していた子達とは随分と違う、というのがある。ましてや男子の友達など、すぐに出来そうもない。
こういう時、姉の三奈子であったら物怖じすることなく、さくさくと親しくなっていけるのだろうなと、強心臓を羨ましく思ったりもする。
まあ、今はとりあえずそのことはさておき。
「――――つ、典さぁ~~~~んっ!!」
「ちょっ、どうしたのよ真美さん? 何かあったの、イジメ?」
大学が始まってしばらく経った四月の半ば、典を呼び出した真美はいきなり泣きついた。
当然、面食らう典。
「ち、違うんです。そうじゃなくて……」
ぷるぷると肩を震わせ俯いていた真美は、意を決したように顔をあげ、典に向けて思いのたけをぶちまけた。
「しゅ…………周囲の女の子が皆、なんか、凄いお洒落なんですけど…………」
「………………は?」
「だ、だから、周りの女の子が皆、お化粧とか、洋服とか、なんか凄くお洒落というか、私が一人あか抜けていないというか」
「そう? 考え過ぎじゃないの。今日のシャツとジャケット可愛いと思うけど」
「ほ……他にないのが……というか、服のローテーションが……ローテの谷間が……というか谷間ばっかりになるんですけど…………」
喫茶店のテーブルにごつんと額をつけ、ぶつぶつと呟き続ける真美を、呆れたように見下ろす典。
いやでも完全に失念していたというか、思い当たらなかったというか、高校生までは当然のように制服だったし、予備校生の時もそこまで服に気を遣うことも無かったし必要もなかった。
しかし大学生になった今、毎日が私服なのが当然で、お化粧だって普通に皆しているし、とにかく真美は気が付いてしまったのだ。
その手のことに、あまり気を遣っていないことに。
もちろん洋服はそれなりに持っているが、周囲のキラキラしている他の女子大生と比べてしまうと、着て行けるモノは限られてきて、そうすると一週間ローテするのも厳しいような状況。
一度、自分が駄目だと思ってしまうと、他の子からも『ダサい』とか『田舎くさい』とか思われているんじゃないかと被害妄想も激しくなってきて、追いつめられてきた真美は同じ大学に通う仲間であり友人であり恋敵である典に泣きついたというわけである。
「……考え過ぎだと思うけど」
ふぅ、とため息をついて髪を指で梳く典。
「つ、典さんはお洒落さんだからそんなこと言えるんですよ。今日だってなんですか、いつの間にかお化粧だって……」
「化粧っていうほどじゃないでしょ、これくらい。ナチュラルメイクよ」
そうは言うものの、整った顔立ちをしているからこそ余裕を見せられるわけで、真美のような童顔でお子様体型を持っている身としてみれば、本気で悩んでいるのだ。だって、普段の格好をして女子大生の間に混じっていると、中学生くらいに間違われかねない。
「若く見られていいじゃない。それに真美さん、そうゆうの似合っているし、無理する必要ないと思うけど」
「でもでもっ!」
「あー、分かったわよ、私がよく使っている安くて可愛い服売っている店あるから、一緒に行きましょうか?」
「ほ、本当ですか典さんっ!? さすが心の友っ」
がしっと典の手を両手でしっかりと握る。
「都合が良いわね。私達、ライバルでしょ」
「ですけど、ですけど、私が望むのは『親友』と書いて『ライバル』なので」
「…………恥ずかしいこと、平気で言うのね、真美さんって」
真美の手を解きながら言う典の頬は、少しだけ赤くなっている。
「ま、いいわ。私も『ライバル』の真美さんがあまりにもダサくてショボい格好ばかりしているようじゃ、嫌だしね」
「そうですよ…………って、や、やっぱり典さんも私のこと、そんな風に思っていたんですかっ!?」
「あー、ほらほら、さっそく行きましょうよ」
「え、ちょっと典さんっ!?」
賑やかに喫茶店を出てゆく女子大生の二人。
その後、典に連れられて行った店は確かに可愛い服が安価で売られていて、そこで真美は何点か購入していった。その際、単品で見るのではなく、他の服との組み合わせで様々なコーディネートができるようにと、典が見立ててくれたものを主に選んだ。真美だってそのくらいは分かっているつもりだったが、典のセンス、見立ての方が遥かに良かった。この辺はもしかしたら演劇をやっているためなのかもしれない。
ついでにメイクの仕方も教わり、お礼に夜ご飯をご馳走した。
「ふーっ、今日は満足の一日でした」
「良かったわね、これで祐麒くんにアタックできるわね」
「そうですね……って、そ、そーゆーわけじゃっ」
「あら、しないの?」
「そうゆうわけでもなくてっ! てゆーか典さん、い、今、祐麒さんのこと、『祐麒くん』って言いました? 言いましたよねっ!?」
詰め寄ると、典は苦笑しながら口を開く。
「だって、同じ学年、同い年で『さん』付けで呼ぶのって何か変じゃない。祐麒くんも別に、嫌がっていなかったし」
「そ、そんな。い、いつの間にか典さんに大きなリードを許していたなんて……」
頭を抱える真美だったが、耳にした典はぷっと噴き出した。
「あのね真美さん、こんなのリードしたなんてうちに入らないわよ。大体、他の女の子なんてもっと大胆にアプローチするわよ」
「そうなんだ……って、え、それって祐麒さんに言い寄る女の子がいるってこと!?」
「あ~~、まあ、ほら、祐麒くん、普通に格好いいじゃない。優しくて親しみやすさもあるから、目をつけてる女の子もね、いないわけじゃないでしょ」
言われてみれば、そうかもしれない。ライバルは典だけだなんて考えていたけれど、周囲には綺麗で可愛い女子大生がいっぱいいるわけで、祐麒が好みのタイプという子だっているだろう。
「だけど、まあ、とりあえず心配はないんじゃないかな。私と真美さん以外は」
「え、ど、どうしてですか?」
「それは、まあ、置いておいて。そういえば真美さんはサークルとか、何か入るの? やっぱり新聞部?」
「そうですねえ、その可能性が高いですね」
テニスやらフットサルやら、他に人気が高く大学生が好みそうな(?)サークルというのも考えはしたけれど、運動音痴の真美にその類のサークルは絶対的に無理だし、ノリ的にも難しそうだ。文化系のどこかに所属するか、あるいは何も所属しないというのも一つの手か、なんて考えていたりもする。
「典さんこそ、演劇部ですか?」
「ううん、私は大学ではどこにも入らない」
「えっ!? そ、そうなんですか」
「ええ。でも、そのかわり」
典は大学に通うのと並行して、シナリオスクールに通うということらしい。役者としてではなく、脚本家を目指しているということを、真美は初めて聞いた。
「正直、役者としてはそこまで才能ないと思うっていうのと、高校の時に脚本に携わって、その面白さと難しさに一気にとらわれちゃったのよね」
話す典は、少しばかり照れくさそうにしながらも、とても良い表情をしているように真美には見えた。
「この大学を志望したのも、その辺のコネが強いっていうのも一つの理由なの。まあ、脚本家なんて狭き門だって分かっているけれど、やる前から諦めるわけにはいかないからね」
「そうだったんですね……うぅ、それに比べて私なんて、あんまり将来のこと考えていませんでした」
「馬鹿ね、それを見つけるために大学に入ったんでしょう。私だって、四年間のうちにまた方向性変わるかもしれないし」
「典さん……前から思っていたんですけど、典さんって、めっちゃくちゃいい人ですよね」
「なっ……そ、そんなことないわよっ。私、結構意地悪なんだから」
「あれ、照れているんですか?」
「照れてない、真美さんが私のこといい人なんていうから……私、祐麒くんのこと奪おうとしているのよ」
「それは、好きになったら仕方ないじゃないですか。そういうことじゃなくてですね」
「はいはい、もう遅いんだし、帰りましょう」
思いがけない典の弱点(?)を掴み、真美はほくほく顔で帰宅した。
早速、典のおすすめコーディネートで足取りも軽く真美は大学へと向かった。化粧の方は軽めにしておいたけれど、それだけでも随分と気持ちも変わるものである。
「――あ、祐麒さん」
運気も良くなってきたのか、広いキャンパス内でなかなか見かけることも少なかった祐麒の姿を見つけ、しかも一人で歩いているようで、喜んで声をかける。友人達と一緒にいるときでは、さすがに声はかけづらいのだ。
「真美さん、なんか久しぶりな気がするね。同じ大学にいるけれど、なかなか会わないものだね」
「そうですね。講義の方はどうですか?」
歩きながら、互いの近況なんかを話し合う。こういう、他愛もないような会話をすることも、真美にとっては特別なことに感じられるくらい大切なことだ。
「――そういえばさ、俺、アルバイトをしようと思っているんだ」
「アルバイト。いいですね、何をするんですか?」
「色々と探したんだけどね、結局はあそこに」
「あそこ?」
軽く首を傾ける。
すると、祐麒が小さく笑う。
「……ケーキ屋さん」
「あ…………」
右手の人差指を立てて答えた祐麒の言葉に、真美は思わず口を開けてしまう。
それは、真美と祐麒の距離を近づけてくれたあのお店に違いないから。去年は浪人生ということもあって、寄ることも無かったし、クリスマスもバレンタインも関係ない感じだったので記憶の奥の方に入り込んでしまっていた。
「あのお店、売るだけじゃなくて、喫茶店にもなっていたじゃない。主にそこのフロア担当として、プラス、力仕事とかその他雑用」
大学生になったら真美も何かアルバイトを始めようとは思っていたが、既に祐麒は働き先まで決めていた。
先日の典といい、何か一人だけ出遅れているようで焦りを覚える。
「それで、その店なんだけど。面接のとき、おじさん……オーナーに言われたんだけど」
「は、はい」
「オーナーの奥さん、いるじゃない」
「いますね、仲の良いおしどり夫婦ですよね」
思い出すのは、協力してケーキを作り、デコレーションし、店を切り盛りしている姿。
「その奥さんが膝を悪くしちゃって、立ち仕事が厳しくなったんだって」
「え、大変じゃないですかっ」
「うん。だから、誰かもう一人、アルバイトが欲しいなぁって言っていた」
「そうなんですか、大変ですね」
「………………」
「………………?」
「えーと、あの、さ」
と、そこでようやくハッとする。
もしかして先ほどの祐麒の発言は、遠回しに真美もアルバイトはどうかと誘ってくれていたのではなかろうかと。
慌てて隣の祐麒に顔を向けると。
「もしよかったらさ、真美さん、どうかと思って。ほら、臨時でアルバイトに入ったこともあって、おじさんとも気心知れているから安心だろうし」
結局、真美が言う前に祐麒の方から告げられてしまい、羞恥で顔を朱に染める。ちなみに俯いてしまい気が付かなかったが、祐麒もこの時、少しばかり頬を赤くしていた。
「どうかな。あ、真美さんの都合もあるだろうし、無理にってわけじゃないよ、勿論」
「いえ、だっ、大丈夫です! むしろ私も何かアルバイトをしたいと思っていたので、ありがたいくらいですっ。あ、でも、もしかして既に誰か申し込んでいたら」
「それは大丈夫、俺が待ってもらうよう頼んでいたから」
もしかしてそれは、真美に一緒にアルバイトに入って欲しいから頼んでくれていたのだろうかと、ちょっとばかりドキドキして祐麒に目を向けてみる。
「ほ、ほらっ、俺も真美さんだったら前に一緒にバイトしたことあるしさ」
「あ、そそっ、そうですよねっ」
全く知らない新しい人と働くよりも、知っている人が一緒の方が気楽に決まっている。そうそう都合の良いことはないと納得しつつも、どこか残念に思っている自分がいることにも気が付いて、そんな風に考えるのはとても贅沢なことだと慌てて自分を戒める。
祐麒と一緒にアルバイト出来るだけでも素晴らしいことではないか。大学ではなかなか会う時間を作れないけれど、それを補ってもしかしたら余りあるかもしれない。バイト終了後に軽くお茶したり、夜遅いから送ってもらったり、まさかとは思うけれどそのまま良い雰囲気になったり。
「えへへへ、いいかも……」
「真美さん?」
「あっ、ご、ごめんなさい、あの今日にでも早速、ケーキ屋さんに行って申し込みますね」
「うん、良かった。駄目だって言われたら、店長になんて言われるか分かったもんじゃないから」
「そうなんですか? おじさん、そんな意地悪な人じゃないですけど」
むしろ優しくて、昔から真美にも良くしてくれていた。
真美が首を傾げていると、祐麒はどこかきまり悪そうに髪の毛をかきつつ口を開く。
「とにかく、OKということで良かったよ。それじゃあ、アルバイトが始まったらよろしくね」
「はい。あ、今日の結果、決まったらメールしますね」
講義もあるので別れなければならないのが残念だったけれど、アルバイトが始まれば一緒に居られる時間も増えるし、気分は上々だった。講義が終わって大学の帰りにケーキ屋に寄ると、店長のおじさんはあっさりと採用を決めてくれた。まだ履歴書も書いていなければ、面接もしていないというのに。
「真美ちゃんに対してそんなの今さらだしね」
優しく笑いながらおじさんはそう言った。
シフトも教えてもらい、さっそく明日からお店に入ることになった。もちろん、祐麒も同じ時間帯にシフトに入っている。
夜には祐麒にメールをして、ウキウキ気分で翌日大学に足を運ぶ真美。アルバイトの時間が待ち遠しいと思いながら午前中の講義を終えてお昼休み、さて今日はどうしようかと考えていると、同じ学科の子に声をかけられて一緒に食べることになった。今まで殆ど話したことも無い、少し派手な感じの女の子達で真美とは合わないかなと思っていただけに意外だったが、気分も良かったので断ることも無くランチをともにすることにした。
「――山口さんて、意外と積極的なんだね」
食事を始めてしばらくしてから、茶髪ロングヘアの莉々子が真美に話を振ってきたが、その意味が分からずパスタを食べる手を止める真美。
「そうそう、今日はその話を聞きたくて声をかけたんだけど。何せ、かなみも狙っていたからね」
「ちょっと風吹、そーゆーあんただって、イイかもしれないって言っていたじゃない」
活動的なショートヘアの風吹、キャラメルブラウンの髪を再度ポニーにしているかなみ、三人の女の子が真美を見つめてくる。
「え、えと、なんのこと、かな?」
「またまた~、昨日、見たんだから。男の子と二人で仲良さそうに話しているところ」
「なっ……」
言われて、それが祐麒とのことだと気が付いて顔が熱くなる。一方、反応した真美を見て勢いづく三人の女子。色々と囃し立て、尋ねてくるのを、どうにか受けて流そうとする真美。女の子だし、色恋の話が好きなのは分かるけれど、まさか自分の身に降りかかってくるとは思わなかったのだ。
「でも、山口さんが略奪愛をしかけるとは、本当に意外だったよね」
「だ、だから私はそんな…………って、略奪?」
「でしょ? だって、あ、ちょうどほら」
と、学食の窓の外を指さす風吹。外にもたくさんの学生がいるわけだが、風吹の指先を目で追いかけてみると、真美のよく見知った男女が並んで歩いている姿。
「あの二人付き合っているんでしょ? それを横から奪おうってんだから、略奪愛以外の何物でもないでしょう」
「つきあ…………って、ええーーーーっ!?」
「福沢くん、カッコ可愛くて好みなんだけど、高城さんも綺麗で並んでいるとお似合いなんよね」
「学科違うのに、いっつも一緒にいるよね」
「まあでも、あたしらは同じ学科のよしみで山口さんを応援するから、かなみの分も頑張ってね」
と、この後も三人に色々と言われたが、真美は全く覚えていなかった。それくらい、衝撃が強かったから。
「――ちょちょちょっと典さん、祐麒さんと付き合っているって、どういうことなんですかっ!?」
「ああ。その噂ね。なんか、いつの間にかそんな話が広まったみたいね」
講義が終わってから会えるよう典をメールで呼び出して問いただすと、あっさりとそんな風に言ってきた。
「真美さんなら知っているでしょう、別に付き合っているわけじゃないって。告白するときとか、うまくいったりしたら、報告するって約束じゃない」
「だ、だけど、いつも一緒に居て、お似合いだって……」
「一般教養で一緒にはいるけれど……まあ校舎も同じだし、他に知り合いいなかったからお昼も一緒に食べて、その流れが今も続いているのはあるかもしれないけど」
だからといって、それだけで二人が付き合っているなんて話になるとは思えない、真美がそう言うと、もう一つ裏話があるらしい。何かといえば、入学して早々に典が男子に告白されたらしいのだが、他に特別な人がいるからと断ったせいで祐麒がその「特別な人」と思われたとか。
「まあ、そういうことが積み重なって、広まっていくうちに尾ひれがついたみたい。でも、今言ったように事実じゃないから安心して」
「あ、安心なんかできるわけ、ないじゃないですかぁ」
むしろ泣きたい気分である。周囲の噂などで固められ、いつの間にか噂が真実になってもおかしくない。特に典は実際に祐麒のことを好きなのだから、あとは祐麒が周囲の空気に感化されたら。
「考えていてもしようがないでしょう、こればかりは。それより、そろそろアルバイトの時間じゃないの? 初日から遅刻していいの」
「あ、そ、そうだった!」
典に言われて時間を確認し、慌てて別れを告げてバイト先に向かうと、なぜか典も一緒になってついてくる。
「噂のケーキの味を知りたいから」
「そ、そんなこといって、祐麒さんに会いに来るのでは」
「それも、もちろんあるけれど、ケーキのほうが一番よ。お客様なんだから、丁寧に扱って頂戴ね」
どうもいいようにあしらわれている気がするが、とにかく今は時間がない。ギリギリでバイト先に駆け込み、着替えてバイトを開始する。一応、前にお手伝いをしたことはあるので、要領は分かっているつもりだ。
「それじゃあ真美さん、今日からよろしくね」
「は、はい、こちらこそよろしくお願いしますっ」
同じくバイトに入った祐麒にぺこりと頭を下げる。顔をあげると、ケーキ屋の制服に着替えた祐麒の姿が目に入り、思わずぽーっとなる。
「――もしもし店員さーん、注文お願いしたいんですけど」
そこに、呆れたような典の声がかかって我に返る。
「もう、しっかりしてよね真美さん。そんなんで大丈夫なの?」
「だ、大丈夫ですよ、今はちょっと油断しただけで……で、でも、祐麒さんの制服姿、格好いいと思いません?」
「それは同意」
典と顔を寄せ合い、うんうんと頷き合うこの辺は同士だ。
とまあ、こんな感じで(?)バイト初日をどうにか無事に過ごし、心地よい疲労感に包まれた閉店後の店内、掃除を終えたところでようやく手が空いた。祐麒と一緒にバイトなんて浮かれていたものの、実際に働いている間は二人で話す時間なんて殆どないのだ。
「お疲れ様、真美さん。疲れてない、大丈夫?」
「お疲れ様です。そうですね、仕事中はちょっと疲れましたけど」
「本当? 途中で疲れたら、言ってくれれば手伝うから休憩とかしてね」
「ありがとうございます、でも大丈夫です。仕事中に疲れた時は、祐麒さんを見たら元気が出て疲れなんて吹っ飛んじゃいますから」
心配させないようにするつもりで、そんなことを言って笑う真美だったが。
「…………え。えと、それって」
祐麒の反応を見て、自分がとんでもないことを発言してしまったことに気が付き、恥ずかしさで頭の中がパニックに陥る。
「い、いえっ、今のはあのっ! そ、そう、一生懸命働いている祐麒さんの姿を見たら、疲れている場合なんかじゃないって思えてまた元気出さなきゃって思って、だから疲れなんか吹っ飛ばしちゃえってそういう意味でっ」
赤くなる頬っぺたを両手で抑えつつ、必死で言い募ると。
「そ……そう、いや、実は俺も仕事中に疲れたら、真美さんの働く姿を見て頑張ろうって思ったりしたんだ」
思いがけず祐麒の方からもそんな言葉を聞いて、真美も驚く。
「そ、そうなんですか……な、なんか恥ずかしいです、私なんかノロいし、仕事だってまだ板についていないのに」
「そんなことないよ、仕事はまだ慣れていないかもしれないけれど、制服はよく似合っていて可愛いし、だから俺も真美さんを見て」
「え?」
「あっ! いや、その」
今、祐麒は真美の制服姿を「可愛い」と言ったのか。だとしたら物凄く嬉しいが、単に店の制服が可愛いと言っただけかもしれないし、一人早とちりで勘違いしたら恥ずかしいし、どう反応したらよいかも分からず黙って祐麒を見上げると、目があった祐麒は僅かに顔を赤らめて落ち着かない様子で髪の毛を弄っていたりする。
もう一度、聞きたい。いや、真意を知りたい。だけど聞くのが怖い。
静かな閉店後の店内、自分の心臓の鼓動の音がやたらと大きく聞こえる。
「――いい加減に二人でラブコメるのやめてくれない、新人さん?」
「うわっ!?」
「きゃあっ!?」
見つめ合っていたところ、不意に横から現れたバイトの先輩である玉川咲夜に声をかけられて飛び上がらんばかりに驚く真美と祐麒の二人。
「すすすすみませんっ、ゴミ出しに行ってきます!」
慌てて逃げ出すように行ってしまう祐麒。残された真美は、咲夜を前にして固まってしまう。
「………………ふぅっ。店長から聞いてはいたけれど、初日から見せられるとねぇ。ま、お似合いの二人とは思うけど」
しばらく真美を見つめていた咲夜だったが、やがてため息を吐いて言った。
真美は咲夜の言葉にきょとんとしていたが。
「え……あ、あのっ、店長から何を聞いていたんですかっ!?」
「まあまあ、何だっていいじゃない。とにかく、仕事に支障がないようにはしてね、お二人さん? まったく、独り身のあたしには辛いのに、店長ったら……」
「ちょ、ちょっと、玉川さん!? て、店長はいったい何を!?」
幾ら尋ねても教えてくれない咲夜。
家に帰ってからも色々なことが気になってしまう真美。
大学内での典と祐麒の噂。
店長が祐麒や咲夜に言った何か。
咲夜が真美と祐麒のことをどう思っているのか。
そして何より祐麒が言いかけた言葉と、「可愛い」の一言。
「はううううぅっっ」
ベッドの上でごろごろと転がって頭を抱える。
アルバイトで体は疲れているはずなのに、なかなかに眠れない夜を過ごすことになる真美なのであった。
おしまい