<前編>
夜の繁華街の中で、祐麒は同世代の少女三人と肩を並べていた。
いずれも三奈子の友人で、大学に入る前に三奈子を通して知り合って、大学に入ってからは、こうしてたまに一緒に遊んだりもする仲となった。
安奈は、見た目は金髪ウェイブヘアで目立つが、別に外人ではないし、中身も外見ほど派手ではない。適度に今風の、明るい女性。
ショートボブに八重歯がチャームポイントなのが、一番小柄な蘭子。グループの中では一番真面目で、それ故に気苦労するタイプである。
170cmは確実に超える長身、そして長い黒髪ストレートが雅。いつも何を考えているか分からず、何気にエロ発言と肉体的セクハラを仕掛けてくることが多い。
「そんじゃ、あたし達で次の店探してくるから、待ってて。見つけたら電話するから」
気さくに言い放って、安奈と雅はするりするりと人の波に紛れて消えていく。残された祐麒に向けて、蘭子が苦笑する。
「ごめんね、なんか強引に連れてきちゃって」
「いえ、楽しいですよ」
三人娘の飲み会に参加した祐麒。もとい、安奈と雅に強引に連れてこられたという方が正しい。三奈子にも声をかけていたのだが、三奈子は何やら用事があって参加できないと断られてしまったのだとか。
よって祐麒は、三人の女子の中に巻き込まれるようにして、肩身の狭い思いをしていたわけである。もっとも、三奈子が参加したところで、四人の女子に囲まれるだけのことではあるのだが。
「今日は三奈がいない分、大変だったでしょう」
三奈子がいないだけに、安奈も雅も、ついでに蘭子も、あけすけに三奈子と祐麒のことについて突っ込んだ質問をしてくるのだ。
祐麒としてはそれなりに正直に答えているのだが、安奈も雅も納得しないらしく、しつこく絡んでくる。要は、祐麒と三奈子のイチャイチャエロトークを聞きたいらしい。蘭子だけは一人、恥しそうにしているが、興味がないわけではないらしく、聞き耳は立てているし、積極的に止めようとまではしてこない。
「安奈たち、まだお店見つからないのかな」
「週末ですからね」
会社員、学生の集団、カップル、店の呼びこみ、様々な人が入り乱れている繁華街の中で立ち尽くす格好の祐麒。
隣の蘭子は、少し落ち着かない様子で、それでも上級生として気を使っているのか、祐麒に話しかけてくる。
「え、え~と、大学には、もう慣れた?」
「はい、お陰様で。蘭子さん達にもよくしてもらってますし」
「そう? むしろ引っ張り回してごめんねー」
「引っ張り回されるのには、慣れていますから」
言いながら、笑う。
本当に、この二年間でどれだけ引っ張り回されたか。引っ張り回され王選手権があれば、二連覇は堅いのではないかと思ってしまう。
「あはは、それって三奈子……あれ、三奈子?」
不審そうに目をひそめる蘭子。
その視線の先を祐麒も追ってみる。
「あれっ、確かに、三奈子さん……?」
「え、だけど、あれって」
そう、その姿は間違いなく三奈子だった。祐麒が見間違えるわけもない。
蘭子と祐麒がそろって疑問符を浮かべたのは、三奈子に付随する諸々の事柄に対してである。
まず服装が普段と随分と異なる。一言で片づけるならば、随分とめかしこんでいる。繁華街の中で浮かないくらいの綺麗な服装に、いつもより少し濃い目の化粧。幾分か大人びて見える。
さらに決定的なのが、隣にいる男。
スーツをさりげなく着こなし、青年実業家とでもいう風貌で、三奈子に対して微笑みかけている。三奈子もまた笑顔で応じ、とても仲睦まじく見える。
二人は寄り添うようにして、繁華街の奥へと消えていった。
あまりの出来ごとに祐麒は声もなく、蘭子もまたどう声をかけて良いものかわからず、気まずそうにしている。
「ええと……今のは、って、わ、電話っ。あ、安奈からだ」
いきなり鳴り出した携帯電話の呼び出し音に、あたふたと応対する蘭子。
祐麒はただ声もなく三奈子が消えていった方角を見ていることしかできなかった。
「……うん、わかった、それじゃあ行くから待ってて……と、とにかく、安奈たちのところに行こうか、祐麒くん」
無理に明るく声を出す蘭子に引っ張られるようにして、安奈達が待っている次の店へと移動する。
店に行くと、いきなり様子の変わった祐麒に対し、安奈と雅が心配してか、それとも興味本位か、色々と訊ねてきた。祐麒は機械的に、ただ事実を答える。
「ええっ、マジそれ? 三奈子が、嘘じゃなく?」
「それは、スクープ」
「なに、相手はイケメンだった? 何系? ホスト系?」
「ちょ、ちょっと安奈、やめなよ、悪いよ」
盛り上がって身を乗り出してくる安奈を、どうにか抑えようとする蘭子。
一方の祐麒はいまだ、心がどこか浮ついている感じだった。
「まあまあ、まだ何かあったと決まったわけじゃないし」
「でも、その二人が向かったという方角は、ホテル街よ」
「ああああもう雅ったら、なんでそういうこと言うのよっ!」
三人は、三奈子のことを聞いても、いつもと変わらずに祐麒と接してきた(蘭子は一人、祐麒に気を遣っていたが) 下手に変な同情や心配をされるより、余程そのほうが祐麒としても楽だった。
心配されたりしたら、逆に感化されて、祐麒も一気に気持ちがおかしくなりそうだったから。
「知らない男と一緒に歩いていた、ってだけじゃあ、何ともいえないしね。兄弟とか、先輩とか、色々と考えられるし」
「三奈子は一人っ子だし、女子校育ちだから昔の先輩という線もないわ」
「し、親戚の人とか、ねえっ?」
「……蘭子さん、そんなに気を遣ってもらわなくても、大丈夫ですから」
祐麒を気にする蘭子の様子に、逆に祐麒の方が申し訳なくなり、苦笑いする。
「でもでも~祐麒くん。あんまり安心していちゃいけないよ。ちゃんと捕まえていないと、本当に逃げられちゃうかもよ?」
「そう、肝心なのは、捕まえた後の方……鞭と飴をね」
ぼそりと呟き、ギムレットを口に含む雅。
「はは、は……」
目の前に置かれたジントニックのグラスを見つめながら、祐麒は愛想笑いのようなものを浮かべることしかできなかった。
三奈子が見知らぬ男と一緒に歩いているのを見かけた日から土日を挟んでの週明け、祐麒は三奈子と一緒に歩いていた。
いつも通り、どちらともなく誘い合わせて、一緒に過ごす。いつからかそんなことが当たり前になっていた。
街に出かけることが多いが、公園に行くこともあるし、行く先も決めずに歩くこともある。この四月からは大学内をぶらつく、なんていう選択肢も増えた。
どこに行っても、三奈子と一緒なら楽しかったし、時間が経つのなんてあっという間だった。
だというのに今日は、どこか足と心が重い。当然、先週末の夜に繁華街で見かけた三奈子のことが原因だった。
こうして一緒に歩いてお喋りをしていても、三奈子は週末のことを話してくれない。それはそうだ、別に祐麒に教えなければいけないということではない。祐麒だって三奈子に話していないことなんて沢山あるし、お互いに全てをさらさなければいけない、なんて決まりはないのだから。
三奈子が祐麒に話さないのであれば、それは三奈子が、祐麒には話す必要はないと、あるいは話すほどのことではないと判断したのだろう。
だがしかし。
祐麒が納得できるかというのは、また別の問題。あの男は何者なのか、三奈子とはどういう関係なのか、安奈達からの誘いを断ってまで会いたいと思うほどの仲なのか。はっきり言ってしまえば、嫉妬である。今まで祐麒は、そのような気持ちを感じたことはなかった。それは、三奈子に祐麒以外の男の影など見えなかったからだし、自分に少なからぬ好意を寄せてくれているだろうという思いがあったから。
「それでね、蘭子ったらー」
三奈子の言葉が耳から滑り落ちる。
どれだけ祐麒が思おうと、それは単なる思い込みかもしれないのだ。告白もせず、正式に付き合っていると宣言しているわけでもなく、いわば祐麒と三奈子の仲は、ものすごく近くに見えて、実は非常に離れやすいものでもあるわけで。
「……ちょっと祐麒くん、聞いている?」
ひょいっと、三奈子の顔が目の前に現れる。
ちょっとだけ怒ったような顔をして、でもすぐに心配そうな表情をする。
「何か、あったの?」
「別に、何もないですよ。ちょっと寝不足なだけで」
笑ってごまかす。
何かあったのは、三奈子の方ではないのか。あの男の人とはどういう関係なのか、聞きたいけれど、口に出せない。何を言われるか分からないし、最悪のことを考えると怖くなるから。祐麒は初めて、恋愛漫画の登場人物の気持ちが分かったような気がした。怖いから、訊くことができないのだと。
女々しい思考回路にはまっていく自分が嫌なのに、止めることが出来ない。
「そう? うーん」
腕を組み、首をひねる三奈子。
何とか三奈子の追及をかわそうと、あまり意識しないようにしようと心がける。三奈子がいつものように引っ張り回してくれれば、余計なことを考える余裕もないだろう。
そう思っていたら。
「お姉さま?」
「えっ?」
三奈子が立ち止まり、ぴくりと体を震わせる。
どうしたのだろうと思って見てみると、少し前方にいる女性が、三奈子とそして祐麒のことを交互に見ていた。
どこかで見たことのある顔だと思った。
前髪を七三くらいで分けた、祐麒と同年代の少女。
「ま、まままま、真美っ?」
突如として、挙動が怪しくなりはじめる三奈子。
目の前にやってきた少女が、ぺこりと頭を下げてきた。その後の自己紹介を聞いて、リリアン時代の三奈子の妹で、新聞部の部長だった山口真美だということを思い出した。祐麒も、花寺の生徒会長として取材を受けたりしたこともあったが、接点がそれほど多いわけではないので、忘れていた。
三奈子からも話は聞いていて、それなりにどういう女の子かイメージも頭の中にあったが、実物とはなかなか結びついていなかったのだ。
祐麒と同学年で、今は祐巳達とともにリリアン女子大に通っているはず。
「ひ、久しぶりね真美」
「本当ですよお姉さま。卒業してから、なかなか連絡もなかったし」
「卒業したんだから、それが普通でしょう」
「そうですか? まあ、その辺はとりあえず置いておくとして」
真美が祐麒の方に目を向ける。
「お姉さまと祐麒さんは、ご一緒だったんですか? とゆうか、お姉さまと祐麒さんが知り合いだったなんて」
質問されたことを、祐麒は意外に思った。真美のことは話にも出てきていたし、祐麒のことは当然、真美にも伝わっていると思っていたのだ。リリアンの姉妹制度における、姉と妹の結びつきの強さを考えたら、それがごく当たり前のことに思えたが、そうでもなかったらしい。
「え、あ、うん、同じ大学の後輩なの」
「へえ、そんな偶然もあるものなんですね」
間違ってはいないのだが、三奈子の答えにどこかがっかりしていた。まるで、大学で初めて出会ったみたいに聞こえるし、単なる先輩、後輩の関係でしかないと聞こえる。関係についてはそうなのかもしれないが、お互いが高校生の時から続いている仲だというのに、その関係を否定されたように感じるのだ。
「同じサークルかなんかなんですか?」
「そうそう、そーゆーこと」
「…………」
無言で、真美が三奈子を見つめると、三奈子はどこか落ち着かない様子で、横を向いたり、髪の毛をいじったりしている。
真美の目が祐麒の方を向く。
何かを問いかけるような瞳だったが、どうしたものか良く分からない祐麒は、ただ受け止めることしかできない。
「あ~、あ、ごめん、私、ちょっと用事を思い出しちゃった。ごめんね真美、祐麒くん、それじゃあっ」
「え、あっ、三奈子さん?」
止める間もなく、三奈子はせわしない足取りで、そそくさとどこかへ行ってしまった。取り残され、困ったように顔を見合わせる真美と祐麒。
「あのー、一体、どうしたんでしょうか、三奈子さんは」
「さあ、あの人は昔から、挙動不審なところがありましたから」
姉に対して、何とも辛辣な言葉を吐く真美。
「ただ……」
と言って、祐麒を見据えてくる、七三の下の瞳。
「何か?」
「いえ、別に。それでは、失礼いたします」
ぺこりと頭を下げて、真美もまた去ってゆく。
取り残される形となった祐麒は、一つため息をつき、仕方なく帰宅するのであった。
そんなこんなで、三奈子との仲が悪くなったわけではないが、なんとなく微妙な距離感があるように思い始めてきた。祐麒がそう受けているだけだという気もするが、一度、そのように思ってしまうと、なかなか止められなくなる。ただ一回、知らない男と歩いているのを見かけただけだし、知り合いに見られたときに妙な態度を取られただけだというのに。
「……いや、それでも結構、落ち込むなぁ」
今までに無かったことだけに、気になるのか。
「どうしたの福沢くん、浮かない顔して」
「い、いや別に」
加えて面倒なのが、最近になって同級生である雪代沙紀が、何かと祐麒に声をかけてくるようになったこと。いや、同級生の女の子だし、仲良くする分には全く問題ないのだが、今の状況だと、少しばかり手に余る。祐麒はそこまで器用ではないのだ。
「ほら、早く行かないと、学食いっぱいになっちゃうよ」
足取りの重い祐麒の腕を掴み、引っ張っていこうとする沙紀。
「雪代さん、ちょっと、あまりそう、くっつくのは」
暗に、これではまるで腕を組んでいるみたいに見られてしまうと言いたいのだが、沙紀は気にした様子もない。祐麒も、無理に振りほどくほど非情にもなれず、困ってしまう。
「ごめん、迷惑? でも福沢くん、今付き合っている彼女とかは、いないんでしょう?」
「まあ、そうだけど――あっ」
立ち止まる。
「み、三奈子さん」
三奈子がいた。
目が、祐麒と沙紀をとらえ、さらに沙紀に掴まれた祐麒の腕へと動いていく。何てタイミングが悪いんだと内心で焦り、慌てて腕を離そうとしたのだが、沙紀は更に力をこめて掴んできて、離れようとしなかった。むしろ、距離を縮めて祐麒の体に密着せんばかりの勢いである。
そんな祐麒を見て、だが三奈子は、にっこりと笑った。
「同級生のお友達?」
「ああ、はい、そうです」
「はじめまして、雪代沙紀です。ええと……築山先輩、ですよね?」
「あら、私のこと、知っているの?」
「ええ、だって昨年度の準・ミスキャンパスですよね。それに、大学新聞も読ませていただきました。とても面白い記事でした」
如才なく応じる沙紀。
「二人はこれから、学食?」
「はい、一緒にご飯を食べる約束をしていたので」
「そう。それじゃあ、早く行かないと席、埋まっちゃうよ。それじゃあまたね、祐麒くん」
「あっ、み、三奈子さん?」
祐麒の脇をすり抜けるようにして、三奈子はいつもと変わらぬ様子で学食とは反対方向へと歩いて行ってしまった。
普段通りだということが、祐麒にはショックだった。他の女の子と一緒に、しかも腕を掴まれ体を近づけたような状態で、仲良く昼食を食べに行くところを見られたというのに、三奈子は全く変わらなかったのだ。
そこまで考えて、祐麒はさらに落ち込んだ。
今回は半ば強引にだが、自分だってこうして、三奈子以外の女の子と一緒に行動することはある。自分一人だけ、三奈子のことをどうこう言えるわけがないのだ。
「さ、行こうよ、本当にもう席ないかもよ。ああそうだ、今度、お弁当作ってきてあげるから、中庭にでもいって食べようか」
沙紀に引かれて、食堂へと入っていくと、何人かの目が注がれるのを感じた。沙紀は物凄い美少女というわけではないのだが、いわゆる『男ウケ』をする容姿をしているので、同学年の男子に、それなりに人気があるらしいのだ。
「うちの大学、学食が美味しいのは、当たりだったよねー」
「そうだね」
中身のない返事をしながら、祐麒はますます混乱する心を持て余す。
そんな感じで幾日が過ぎたある日、新たな事件が起こった。
クラスの飲み会に参加した祐麒だったが、翌朝、沙紀と二人、全裸でベッドの上に並んでいる、なんて状況で目を覚ましたのだ。