大きく一つ深呼吸をする。
身だしなみを改めてチェック。
夏で日差しはきつくて暑いけれど、だらしない格好は避け、きちんとしたシャツとチノをあわせてきた。
「そんなに緊張しないで大丈夫だよ。気楽に、気楽に。もっとラフな格好で全然問題なかったのに」
目の前では三奈子がポニーテールを揺らして微笑んでいる。
「そういわれても、そうもいかないものでして」
三奈子の背後に待ち構えているのは、築山家の玄関。
そう、今日はとうとう三奈子の家にご招待され、三奈子のご両親と対面することになっているのだ。
男が彼女を連れてくるのとは異なり、女の子が彼氏を連れてくるとなると相手の、特に男親の目が気になるものだ。大事な娘を預けるに足る相手なのかどうか、厳しい目で見つめてくるに決まっている。忘れそうになるが、三奈子だって高校生まではリリアンで育ってきたお嬢様、のはずなのだから。
「だからー、私は別にお嬢様なんかじゃないってば」
軽く笑いながら、玄関を開けて中に足を踏み入れる三奈子。
前にも入ったことはあるが、あの時は緊急事態であったし、三奈子の両親も不在であった。今日は、正式な客としてお邪魔するわけで緊張の度合いが異なる。
「お邪魔します」
「入って入ってー」
出来る限りおどおどしないよう、それでいて図々しくならないよう、そんな態度を心がけて三奈子の後に続いてリビングに入った。
「あら、いらっしゃい」
真っ先に目に入ったのは40代くらいの女性で、確実に三奈子の母親と思われる女性。髪の毛の色、目もと、口元が三奈子とよく似ていて、非常にちゃきちゃきとしていそうだという印象を抱いた。
「初めまして、お邪魔します」
「そんなにしゃちほこばらないでいいのよ。ほら、パパ、福沢君がきたわよ」
その一言に緊張する。
三奈子は一人娘だというし、そんな娘が連れてきた彼氏なんてものに良い気分のする父親は少ないだろう、そんな思いが祐麒にはあるから。
果たして、のっそりと現れたその父親は。
「……あぁ、君が福沢くんかい? 何もないけれど、ゆっくりしていってください」
「あ、は、はい……」
なんとも気の弱そうな、印象の薄い中年男性だった。
物腰も柔らかそうで、声も優しそうというか大人しそうで、先ほどの母親と比較してもあまり印象に残るようなタイプではない。
「祐麒くん、遠慮しないで、どーぞ」
三奈子に手を引かれ、リビングのソファに座らされる。正面には三奈子の両親。
「ほら三奈子、貴女が紹介するのでしょう」
「あ、う、うん」
母親に促され、照れたように頭をかく三奈子。
「うぅ、な、なんか恥ずかしいにゃぁ、こういうの」
照れ照れとしている三奈子が可愛いが、だらしない顔をするわけにはいかずに気を引き締める。
「えーと、私の両親です。それでね、パパ、ママ。こちらが私が今、お付き合いしている彼氏……福沢祐麒くん」
「ふ、福沢祐麒です。三奈子さんとお付き合いしています。よろしくお願いいたします」
ぺこりと頭を下げる。
「はい、よろしく。ふふ、やっと祐麒くんに会えたわ~」
「はい?」
顔をあげると、笑顔の母親が祐麒のことを見つめていた。
「だって三奈子ったら、もう何年も前から、『祐麒くんが、祐麒くんが』って嬉しそうに何度も何度も話すんだもの。いつになったら連れてくるのかしらって思って、もう二年近く経つのよ」
「ちょ、ちょっとママ、そんなには言ってないでしょ!?」
「言っていたわよ、自覚ないの? でも、こうして実物の祐麒くんを見ると、やっぱり可愛いって思うわね……あ、男の子に可愛いは失礼かしら」
「あ、い、いえ。あの、実物って」
「ああ、写メとかプリクラとかはさんざん見せてもらっていたから」
「そ、そうですか」
全く知らなかったので、恥ずかしくなる。
ちらりと隣の三奈子を見ると。
「うぅ~~~」
何やら顔を赤くして唸っていた。
「私が『彼氏なの?』って聞いても、『そうじゃないけど』って否定して、でも話題は祐麒くんのことばかりだし、ラブラブな写真ばっかり見せられるし、どうしてこんな天邪鬼なのかしらって思っていたのよ」
「もーっ、変なこと祐麒くんに吹き込まないでよっ」
あの三奈子が振り回されるとは、まさに彼女こそ三奈子の母親なのだと納得する。そして、そんな母娘の様子を穏やかな目で見守っている父親。きっと、こんな風に賑やかな三奈子たちには合っているのだろう。
「でも本当、三奈子に彼氏なんてねぇ。本当にできるのかしらって、ずっとパパと心配していたのよ、ねえ?」
と、それまで黙っていた父親に話を振る母親。
「えーっ? なんで、どーゆー意味?」
不満そうに口を尖らせる三奈子をみて、口元を緩める父親。
「祐麒くん」
「は、はいっ」
「きっと良く分かっていると思うけれど、三奈子はおっちょこちょいだし、暴走して周囲を振り回すし、落ち着きは無いし、ちょっとだらしないところもある」
「ちょ、ちょっとパパ、実の娘に対してそれは酷いんじゃない?」
三奈子が反論するが、それには目をちらりと向けるだけで父親は続ける。
「そんな三奈子の、どこを祐麒くんは好きになってくれたのかな」
「え…………」
「まあ、パパったら……私も聞きたいわぁ、祐麒くん」
もっとも大人しくて口数の少ない父親が、もっとも直球に切り込んできた。母親も相乗りしてきて、嬉しそうに祐麒のことを見つめてくる。
隣からはなんとも表現しづらい三奈子の視線が飛んできているのを感じるが、今は両親から目をそらすことが出来ない。穏やかな雰囲気ではあるものの、父親から放たれた問いだ、いい加減に答えてお茶を濁すなんて訳にはいかない。
「……確かに、仰る通り、三奈子さんにはいつも振り回されます」
「ちょっと祐麒くん、フォローなし!?」
「でも、それは三奈子さんがとってもバイタリティに溢れているからで、生命力に満ち溢れているっていうのが目で見ても分かるくらいで。そんな三奈子さんに振り回されているうちに、そんな風に毎日輝いている三奈子さんの側にずっと居たいって、思うようになったんです。あとそれに、三奈子さんに振り回されるのが好きみたいで。何が起こるか分からないから、いつも刺激的で、楽しいんです」
かつて中学時代、野球で怪我をして挫折したことがあった。諦めて、あとくされなく辞めたつもりではあったけれど、夏の甲子園の時期になるとどうしても思い出してしまっていた。
本当なら自分もあの場所にいたのではないか、実は頑張れば治すことが出来たのではないか、なんで自分は今こんな所にいるのだろう。そういう思いが、外に出そうとはしなくても自然と内に湧いてきていた。
だからだろうか、生徒会活動に熱中はしていたけれど、それでもどこかで空しくなる間隙があった。集中できなくて、本当の本気を注ぎ込めない自分を自覚していた。
そんな自分を振り回し、余計なことを考える暇を与えず、常に全力で突っ走る三奈子に出会った。三奈子といる間は、ネガティブなことを考えることはなかった。きっと、三奈子のプラス思考とでもいおうか、あるいは猪突猛進さ、無鉄砲さが祐麒には丁度良かったし、心地よかったのだ。
心のどこかではそう分かっていたのだろう、緊張はしたけれど思いのほかすんなりと答えることが出来たと、ほっとしていると。
「ちょ……ちょっとパパ、聞いた?」
「あ、うん」
三奈子の母が手で口元抑えながら懸命に何かを堪え、父がゆっくりと頷いている。そして隣を見てみると。
なぜか真っ赤になった三奈子がスカートの裾をぎゅっと握りしめて俯いていた。
「ちょっと三奈子、貴女すごい愛されているじゃない! ぷっ……あ、ごめんなさい祐麒くん、貴方が真剣に三奈子のことを思ってくれていて、母親としてこんなに嬉しいことはない……でも三奈子が、そうかぁ、ぷぷっ……」
喜んでいることに間違いはないが、なぜか母親は三奈子のことをちらちらと見ては笑いを堪えている。
「う……く…………」
そんな母親の視線に耐えるかのように身をぷるぷると震わせていた三奈子だったが、とうとう我慢できなくなったのか不意に立ち上がり。
「……ゆ、祐麒くんの、ばかーーーーっ!!!」
と、叫んでダッシュでリビングから出て行ってしまった。激しく階段を上がっていく足音だけが聞こえてきて、やがて勢いよく扉の閉まる音。
「え……俺っ!? ちょ、三奈子さん!?」
なぜ自分が怒鳴られねばならないのか分からず、とりあえず追いかけようと腰を浮かしかけたところで母親に止められる。
「ごめんなさいね祐麒くん、あれは照れているだけだから。多分、しばらくは顔を見せたくないと思うから、ちょっと私達とお話ししましょう……もっと、三奈子とのこと教えて欲しいわぁ、おばさん」
実の娘のことは放置し、好奇心に満ち溢れた表情で祐麒に向かう三奈子の母。まさに、三奈子の母親だと祐麒は内心で納得した。
三十分ほど話したところでようやく解放された。父親が止めてくれなかったら、まだまだ続きそうな感じだったのでほっとしている。
『そろそろ、三奈子の様子を見てきてくれるかい? あの子はあれで意地っ張りな所があるから、出てきづらいだろうし』
などと言われ、こうして三奈子の部屋まで訪れている。娘の部屋に男と二人きりにしても、不安にはならないのだろうか。
「えーっと、三奈子さん、入っても大丈夫ですか?」
軽くノックをすると、「どうぞ」という返事があったのでゆっくりと扉を開いていく。そーっと中を覗き込むように見ると、三奈子はベッドの上でクッションを抱いていて、入口にいる祐麒のことを見つめてきていた。
ちなみに部屋の中はといえば、前にきたときはぐちゃぐちゃの滅茶苦茶な状態に荒れていたけれど、さすがにそこまで酷くは無かった。せいぜい、衣服や書籍や紙類が適度に散らばっている程度だ。
余計なものを踏まないように注意しながら中に足を踏み入れる。
「あの、どうしたんですか、急に引きこもっちゃって?」
問いかけると、顔に押し付けていたクッションからくぐもった声で応答する。
「…………祐麒くんが、恥ずかしいこと言うからじゃない」
「え?」
「だーかーらー、祐麒くんがあんな、す~~~~んごいっ、恥ずかしいことを平気で言うからっ」
それだけ言うと、三奈子はぷいと顔をそらしてしまった。
「――――え、本当に恥ずかしがっていたんですか?」
無言でコクリ、と頷く三奈子。
「そ、そうだったんですか。いやでも、普段は三奈子さんの方がよほど恥ずかしい言動をしているかと」
「う、うっさいわねっ! 大体、祐麒くんこそ普段はあんなこと全然言わないくせにー。両親の前であんな風に言われたら、恥ずかしいに決まってるじゃん」
確かに恥ずかしいことを言ったとは思うが、言った祐麒よりも三奈子の方が恥ずかしがるとは想定していなかった。だが思い返してみれば、三奈子が福沢家に来たとき、嬉しそうに祐麒のことを両親に話すのを隣で聞いていた時は確かに、妙に気恥ずかしかった。そういうことなのだろうが、三奈子が人並みに恥ずかしがるということの方が不思議だったのだ。
「す、すみません。あの場は冗談言える雰囲気でもなかったし、三奈子さんのご両親に俺の気持ちを知ってもらう必要があるかなって」
「むぅ、私には普段、伝えようとしないくせに」
「いや、だってそっちの方が恥ずかしいじゃないですか」
「私は恥ずかしくないよ、いつも、祐麒くんに自分の気持ちをぶつけてるじゃーん」
ぶうぶうと文句を言って頬を膨らませる三奈子。確かに三奈子の言うとおりなのかもしれないが、本人を前にして素直な気持ちをぶつけるのは告白するのと同じくらい勇気が必要だし、人前で平気でそういうことをするのだって同じことで、そう簡単にはいかない。
(尚、大学の友人達に言わせれば、三奈子も祐麒もどっちもどっちだという意見で統一されるバカップルぶりをバッチリ発揮させているのだが)
「えと、じゃあどうすればいいんですか?」
「そんなこと、言わないと分からないの?」
珍しく完全に不貞腐れてしまっている三奈子。まあ、半分は照れくささもあるのだろうが。困った祐麒は、とりあえず宥めようとベッドの上の三奈子に近づこうと部屋の中を歩き出したところで、落ちていた紙に足を滑らせてつんのめってしまった。反射的にベッドに手をつき、特に大事なく冷や汗を拭おうとして。
「…………あ」
ベッドについた手が握ったものに、ふと視線を向けてみると、それは三奈子の下着であって。
「ちょ、やだーーーっ! 何、掴んでいるのよ祐麒くんっ!?」
「いやいや、こんなもの、そこらへんに置いている三奈子さんの方が悪いでしょうっ」
「こんなものって何よ、こんなものってー!!」
「そっちの問題ですかっ!?」
結局、せっかく三奈子の部屋に二人でいたというのにムードもへったくれもないのであった。
二人の喧嘩というよりもむしろイチャコラを終え、そうこうしているうちに夕食の時間になった。
夕食のテーブルでは三奈子とその母親がよく喋り、祐麒も適度に話し、父親は殆ど口を挟むことなく穏やかな表情で家族の団欒を眺めているといった感じだった。騒がしく賑やかで、楽しい食事の時間はあっという間に過ぎ去り、なぜか祐麒はリビングのソファで父親とさしで向かい合っていた。三奈子とその母親は、夕飯の片づけということで並んでキッチンで洗い物をしている。ただし、三奈子はあんまりお手伝いなどしていないのか、あまり手際が良いとはいえないらしく、時には悲鳴だか歓声だか分からない声が聞こえてくる。よく分かるのは、母娘の仲が良いということだ。
「祐麒くん、よかったら食べてくれ」
「あ、はい、いただきます」
テーブルの上に出されたピーナッツやチーズというおつまみ類に手を伸ばす。三奈子の父親は、ブランデーを口に運んでいた。
「……僕はあまりお酒は強くないんだけどね、娘が初めて彼氏を連れてきたお祝いにね。いいやつなんだよ、祐麒くんも飲むかい?」
「いえ、その、まだ未成年ですから」
「大学生ともなれば多少は飲むのだろう。ああ、それとも洋酒は苦手かな」
「あ、そ、それじゃあ、少しだけいただきます」
父親がいれてくれたブランデーを軽く口に含む。ストレートではなく、炭酸で割ってオレンジを入れたブランデースプリッツァーで、口当たりも良く飲みやすい。
「………………」
「………………」
何を話して良いか困った。かといっていつまでも無言でいるわけにもいかず、なんでもいいから話そうと口を開きかけたところで、父親の方が先に喋り出した。
「……三奈子のことを大事に思ってくれてありがとう」
「え? あ、はい、いえ」
「あの子はほら、ああいう子だから……大変だろう?」
「はい…………あっ、いえ、別にそんなことは、もう慣れましたし……って」
否定しようとしても肯定の言葉しか出てこず慌てるが、そんな祐麒を見て父親は穏やかに笑みを浮かべるだけだ。
「祐麒くんは、少しだけ僕が若いころに似ていてね」
「は?」
「京子さん……ああ、僕の妻のことだけど、彼女も若いころはあんな感じでね、僕もよく振り回されたものだ」
「はあ、なるほど……」
キッチンから聞こえてくる賑やかな声を耳にしていると、さもありなんという感じに想える。実際、この穏やかな父親より、明るい母親の血をより濃く譲り受けているだろうというのは分かる。
「だからね、三奈子みたいな子には、祐麒くんみたいな子がきっと合うと思う。まあ、感覚的なもので、論理的なものでは全くないけどね」
「いえ、でも嬉しいです。その、こちらに伺う前は、実は少し身構えていたんで。一人娘の彼氏っていうことで、きっとお父さんは厳しい目で見てくるだろうって」
「はは、いや僕だって大事な娘の彼氏だから、変な男だったら叩きかえすよ? でも、祐麒くんなら大丈夫だろうって思ったから……だから、良かったらこれからも三奈子のことをよろしく頼みたい。あんな子で、時には呆れ、愛想を尽かしたくなるかもしれないけど」
「そんな、とんでもない、こちらこそ三奈子さんに振られないようにしないとって思っていますから」
思いがけず真面目な話になってしまったが、父親の気持ちを聞くことが出来て嬉しかった。どうやら、父親の目から見て合格点を貰えているようだから。
「はい、男性陣、デザートですよー」
「ちょーっとパパ、祐麒くん、何二人でこそこそ話していたの? また、私のこと変な風に言っていたんじゃないでしょうね?」
三奈子と母親がアイスクリームを持ってやってきた。
祐麒は父親とちらりと目をあわせると。
「――男同士の話だよ」
「ですね」
そう言って軽く頷きあった。
「えーーーっ、何それっ、あやしーいー! ちょっと教えなさいよ祐麒くんっ!」
「わっ、ちょっと三奈子さん、やめ、ご両親の前、前っ!?」
ソファの横にやってくるなり、抱きつくようにしながら文句を言ってくる三奈子、そんな二人の姿を目を丸くして見ている父親、そして楽しそうに、興味深そうに見つめてくる母親。
二人の視線を感じながら、やっぱり三奈子の方がよほど恥ずかしいことを平気でやってくるじゃないか、そう思う祐麒だった。
帰り道、既に暗いし送らなくて良いと言っているのに、三奈子は駅までついてくると言う。そうすると、駅から家まで帰る三奈子が心配で、また送りたくなってしまうではないか。そう口にすると、「じゃあパパに迎えにきてもらうから」とのたまう三奈子。迷惑かけるだけで意味ないと思うが、苦笑する両親に見送られて結局、二人で歩いている。
「パパもママも祐麒くんのこと気に入ってくれたみたい、良かった~」
胸をなでおろす三奈子。
「俺は、三奈子さんが俺のことをそんなにご両親に話していたことに驚いたけど」
「そっ、そんなに言うほど話してはいないよ、普通だよ」
「普通って、どれくらいですか?」
「どれくらいって、えと、祐麒くんと会った日くらいかな?」
「いやそれ滅茶苦茶話しているじゃないですかっ!?」
高校時代はともかく、大学に入ってからは毎日のように顔をあわせているわけで。どんな情報が三奈子の両親に入っているかと思うと、一気に恥ずかしくなってくる。
「――駄目だった?」
「い、いいんですけど……」
これからは少し、三奈子と一緒の時の言動に気を付けようと思った。
「そ、それよかさ三奈子さん。少しは部屋、片づけといたらどうですか? 俺が来るって分かっていたわけで、少しくらい掃除しようとか思わなかったんですか?」
三奈子の部屋では結局、二人して片づけをして時間を過ごす羽目になってしまった。別に物凄く綺麗にしていろとは言わないが、最低限の整理整頓くらいしておいても良いのではないか。彼氏が尋ねてくるというのに。
「え~~、だってさぁ、あれが普段の私の部屋なんだもん。祐麒くんにはさ、普段の私を見て、知ってもらいたいから。そりゃ、ちょっと汚かったかもしれないけど、ビシーッと掃除して、ズバーッと片づけたってそんなの一時的なわけで全然私の部屋じゃないし」
「そうかもだけど」
「これからも、何度も私の部屋に来るかもしれないし、それにそのうち一緒に暮らしたりするようになったら、それが普通になるわけだし……それとも、それで私のことを嫌いになったりする?」
「そんなことはないですけれど…………って、あれ? 何か今、さらっと凄いこと言いました? 一緒に暮らすとか…………?」
「だってさ、同棲とか憧れない? 祐麒くんは、そういうのしたくない?」
「いや……したくないかと言われれば、したいですけど……」
あっけらかんと問われると、祐麒は照れながらも答える。
「あー、もしかしてえっちなこと考えているでしょ? 顔、赤くなってるよ」
「か、考えてませんよっ」
慌てて否定するが、三奈子はニヤニヤと笑って祐麒を見てきている。
「まあ、一緒に暮らすとかじゃなくても、一人暮らしとかはじめたら、きっと私の部屋なんてもっと酷いことになるだろうし、あ、でももしそれで祐麒くんが嫌いになるっていうなら、もうちょっとは片づけるように努力はするからっ、ね!?」
三奈子の言葉に、容易に想像できる。
きっと努力はするのだろうが、三奈子の部屋は汚いままだろう。笑いそうになる。
「…………そうですねぇ」
「ん、何?」
「どうせ三奈子さんが努力したところで、片付かないだろうなって」
「そ、そんなことないよー。ちょ、ちょっとはなるよ、ちょっとはね?」
「ええ。だから、そうなったら俺が片づけてあげますよ」
少し、照れながら言うと。
みるみるうちに三奈子の目が見開き、ちょっと焦り気味だった表情が歓喜の表情へと変わってゆく。
「――――うんっ! えへへー、祐麒くん、大好きーっ」
ぴょん、とジャンプして首に腕を回して抱きついてくる三奈子。
「ちょ、ちょっと、三奈子さんっ」
「ほらー、祐麒くんは? 気持ちをぶつけてって言ったじゃない」
「うう……」
「どうした、こら?」
三奈子の瞳に見つめられる。
こうなると、もう抵抗できないのは分かっている。祐麒は諦めて三奈子の腰に手を回して抱き寄せ。
「……俺だって、三奈子さんのこと大好きに決まっています」
「聞こえなーーい」
「大好きですよっ」
「ありがと、ちゅっ」
顔が寄せられ、唇が重なる。
ちなみにここは、まだ駅前に達していないとはいえ、それなりに人通りのある道のど真ん中である。
本人達に自覚はないが、どこに出しても迷惑極まりない、恥ずかしいことをしまくりのバカップルである。
「――――よしっ、これで気兼ねなく部屋を散らかせるぞっ」
「それとこれとは話が別ですからね!?」
「まあまあ、細かいことは気にしないの」
「もう、三奈子さんっ――」
仲良く手を繋ぎ、二人は駅へと向かって歩いてゆくのであった。
尚、当然のことながらこの帰り道の会話は三奈子の両親にその日の夜に伝わることになり、後に祐麒はのた打ち回るほど恥ずかしい目に合うのであるが、それはまた別の話――
おしまい