<後編>
GWに入る直前のある日、祐麒は走っていた。朝は早いが天気も良く、夏はまだ先なのに、こうして走っていると汗ばんでしまうくらいなのは、はたして地球温暖化のせいなのか、単に運動しているからか。そんなことはとりあえず置いておいて、祐麒は足を動かす。
午前中の早い時間帯のためか、まだ人の姿はそれほど多く見られない。祐麒は気持ち、スピードをあげて駆けてゆく。
そうして、とあるT字路にさしかかったとき、右の道から不意に人が飛び出してきた。
速度もあげており、油断していた祐麒は、避けられないと思った。ぶつかる、と思ったその瞬間、祐麒はつんのめるようにして前方に転がっていた。勢いがついていたので、とりあえず頭をかばうようにして回転し、ダメージを軽減。
何箇所か擦りむいたようだが、大きな怪我はしていないようで一安心しつつ顔をあげると、少し離れた場所から祐麒の様子をうかがう人影。どうやら、突っ込んできた祐麒をさらりとかわしたようで、いきなりであったことを考えるとなかなかの運動神経だ、などと考える。
「――大丈夫ですか?」
「あ、うん、なんとか……って、あれ?」
そこに立っていたのは、女の子だった。祐麒よりはいくらか年下か、少し幼い顔立ちに見える。黒い髪の毛を額の真ん中あたりから綺麗に左右にわけ、形の良いおでこが顔をのぞかせている。
どこかで見かけたことがある、と思った。
「君、前にどこかで……」
「一昔前のナンパですか?」
「いや、そうじゃなくて! 確かに……って、その声と口調」
「――ああ、この前の変質者さん?」
「だから、俺は変質者じゃないから!」
言いつつ立ち上がる。
目の前にいる少女はそう、半月ほど前に出会った、剣道少女だった。あのときは学校の制服で、今は私服で雰囲気が違うから、すぐには分からなかったのだ。クロップドパンツとシャツにパーカというスタイルは、リリアンのおっとりしたワンピースの制服とは随分と異なる。
「……まったく、今度は衝突ですか? また古典的な」
少女は、生ぬるい目つきで祐麒のことを見つめてきている。
「またよくわからないことを……って、こんなことしている場合じゃなかった」
祐麒は本来の目的を思い出した。
すると、祐麒の言葉を耳にして、少女が目を見張る。そして、次の瞬間には駆け出していた。逃げるのかと思ったが、そうではないらしいとピンときた。祐麒もすぐに、少女の後を追って走り出した。
何かというと、今日は国民的人気を誇るゲームソフト最新作の発売日だった。予約をするのが確実だったが、当初祐麒は、今一つ興味をそそられず、そのため予約もいれなかった。しかし発売日が近付き、徐々に周囲も盛り上がり、情報がいろいろ出てくると、やっぱり欲しいと思ってくる。一度欲しいと思いだすと、その願望は強くなる一方で、だけど既に予約は締め切られているし、いまさらになって予約もどうかという変なプライド。
ということで、発売日当日に買いに行くことにした。向かうのは、都内の量販店ではなく、最近、比較的近くに進出してきた電気ショップ。昔と違って、初回出荷本数も多いだろうし、今はゲームの再販も早いし、そこまで焦らなくても購入できるとは思うのだが、こういうのは流行りもの、やはり早く手にしてプレイしたいというミーハー根性も多分にある。
果たして、行列がどれくらいできるのか予測もつかないが、万が一にも買いそびれたら嫌だから、なるべく早くに到着しようと思っているのだが。
どうやら、前を走る女の子も同じ目的なのではないかと予測する。向かっている方向が同じだし、なんとなくそんな感じがした。
体力的に祐麒の方が足は速いが、先ほど転倒したことで少し足が痛い。それでも追いついて女の子の横に並ぶと、祐麒に気がついた女の子は少しペースを上げる。むっとして祐麒も足を速めて再び並ぶ。ちらりと祐麒の方を向いた女の子と、目があう。明らかに年下の女の子に負けていられないという、男としての意味のない意地が働く。女の子は女の子で、負けず嫌いのようで、ペースを落とす様子も見られない。
初めは、祐麒の方が体格と元々の足の速さでリードをとったが、疲れでペースが落ちてくると女の子が先に行く。女の子は運動でもしているのか、ほとんど変わらないペースで走り続ける。
苦しくなる祐麒だが、それでも、とにかく意地で女の子から一歩ほど遅れた位置で走り続けていく。
負けてたまるかと、なぜかムキになって。
そうして今、祐麒はゲームソフトの待ち行列に並んでいるわけなのだが。隣には、共に走ってきた女の子が立っている。結局、一歩分のリードを保ったまま、女の子の方が先に店に到着したのだ。
店には、既に数十人の行列が出来ていた。これくらいの人数なら、充分に手にすることができるだろうと内心で考えていると。
「……ちなみに、あと一人となったら、私の方が先ですからね」
隣の女の子が、内心を見透かすように言った。
「わ、分かってるよ」
一歩とはいえ、先に到着したのは女の子の方なのだから、その権利はある。分かってはいるが、そう口に改めて出されると、微妙な気持ちになる。しかし負けた祐麒としては、何を言っても説得力もないし、情けないことなので、ただ口を閉ざす。
気分を改めて時間を確認してみれば、開店まではまだ結構な時間がある。祐麒は鞄の中から、時間潰しのために持ってきた携帯ゲーム機を取り出して、電源を入れた。
プレイするのは野球のゲーム。世の中がどれほど変化していこうが、やっぱり野球だよな、なんて思っていると。
隣に立っていた女の子が、背負っていた可愛らしいリュックを肩からはずし、中から取り出したのはやっぱり携帯ゲーム機。しかも驚いたことに、画面に表示されたのは祐麒と同じゲームのものだった。人気もあり売れているとはいえ、女の子が野球のゲームを携帯機でプレイするとは思わなかった。
祐麒が見つめていることに気づいたのか、顔をあげる女の子。自然と、口を開いていた。
「……対戦、する?」
と。
信じられないことに、彼女は強かった。祐麒もそれなりにやりこんでいるゲームだが、良い勝負を繰り広げる。手を抜いているわけでもなく、また手を抜かれているわけでもなく、本気でお互いを負かそうとする。同じくらいか、ちょっと上くらいの相手と勝負をするのが一番、楽しいと思うが、そう言う点ではお互い、非常に良い相手であった。3番勝負は1勝1敗のまま3戦目に入り、その3戦目もサヨナラゲームというものであった。
「ああっ、くっそー! マジかよ!?」
「いえー! 勝利っ!」
無情にもセンターとライトの間を抜けてゆく打球、ホームに帰るランナー。興奮しておもわず、二人とも大きな声を出してしまい、周囲の視線を感じて、慌てて口をおさえる。
「んふふ、私の勝ちですね。 『また』 」
にやり、と得意げな表情をしてみせる。店までの駆けっこに続いて、ゲームでも負けて連敗となってしまった。
「くそっ、リベンジを……」
「あ、でもそろそろ売り出すみたいですよ」
いつの間にか開店近くの時間となっており、店のシャッターの前に店員らしき人が出てきていた。
「なんか、こういう瞬間がワクワクしますね」
「あ、分かる気がする」
携帯ゲーム機を鞄にしまいながら、同意するように頷く。こういうのもある意味お祭りであり、そして大概、お祭りというのは準備している時が一番楽しかったりする。
こうしてゲームを手にするまでの時間が、最も心が弾む時間なのかもしれない。
それから待つことしばし、開店する。店員の誘導に従って、順番に購入してゆく客。一昔前は、人気ゲームソフトを手に入れるために色々と混乱も起きていたようだけれど、今はそんなこともない。女の子に引き続き、祐麒も無事にソフトを購入する。
「よし、それじゃあさっそく帰ってプレイしようか」
と、律儀にも祐麒が購入するのを待ってくれていた女の子に言うと。
「帰る前に、することがあるんじゃないですか?」
「……覚えていたか、当然」
女の子が、笹を奪われたジャイアントパンダのような目で見上げてきている。実は先ほどのゲームのときに賭けをしていて、負けた方がハンバーガーを奢ることになっていたのだ。
「ああ、約束は約束だ、仕方ない、ご馳走するよ」
店のすぐ近くにあるファーストフードに入る。まあ、祐麒も朝早くにパンを食べてきただけなので、まだ昼までには時間があるけれどお腹は空いていた。早い昼飯だと思えばいいかと、考えることにする。
「えと、ホットチキンバーガーのセットで、セットはグリーンサラダとオレンジジュースでお願いします」
「ええっ、ちょっと待って! セットは約束していないよ!?」
「サヨナラ勝ちの場合、オプションとしてセットがつけられるんです」
「いや、聞いていないし」
「でもほら、勝負前に見せた『nanaルールブック』の第3章の項番5にちゃんと記載されていますよ?」
「……本当だ」
彼女が取り出した紙を見て、思わずうめく。確かに勝負の前に見せられたが、冗談半分でしか見ていなかった。当たり前だ、なんでわざわざそんなローカルルールを持ち歩いていると思うものか。
「保険とかで、説明をよく読まずに契約して失敗するタイプですか?」
「違う違う、あーもう、仕方ないなぁ。てゆうかさ、この歳で保険とかまだ入らないから」
そんなやり取りをしていたら、レジのお姉さんに笑われてしまい、思わず赤面する。
「それじゃあ私、先に二階に行って、席をとっていますね」
「ああ、うん、よろしく」
少女はリュックを揺らし、足取りも軽やかに階段をのぼっていく。
祐麒はため息をついて。
「海老カツバーガーのセットで」
と、注文するのであった。
トレイに飲み物とサイドメニュー、そして番号札を乗せて二階にあがると、禁煙席に座っている女の子の姿を見つけ、歩いて行く。
「お待たせ」
「ありがとうございます。無料で食べられるというのは、ありがたいですね」
「……そりゃどうも」
ゲームを買うだけの予定が、余計な出費である。
コーラを一口飲み、正面の女の子に視線を向けると、彼女はグリーンサラダの豆にフォークを指しているところだった。
「ところで君、ナナちゃん、っていうの?」
「お、なぜそう思いましたか」
「だって、『nanaルールブック』だろ? 普通はそう思う」
「なるほど、ただのぼんやりさんではないようですね。しかし、人に尋ねるときはまず自分からではないでしょうか。ましてや相手が女の子であるなら……」
「あー、分かりました、すみません、俺は福沢祐麒。高校一年」
「……有馬菜々、中学二年です」
「しかしさ、俺が言うのもなんだけど、見ず知らずの男と一緒にいるなんて、大丈夫なの?」
「一応、この前と今日で、おそらく変質者や安手のナンパとは違うと判断しました」
「そりゃ、どうも」
裏を読むに、祐麒のことを人畜無害だと認識したということだ。年下の女の子に冷静に言われて多少なりとも頭にくるかと思ったが、その手の感情は全く湧き上がってこなかった。むしろある意味、清々しい。菜々の言葉、口調には、飾ったところがなく、真っすぐで清涼な雰囲気を感じるからかもしれない。
「それにしても、前回に続き今回も、見事にお約束的なことを仕掛けてきますね。ひょっとして本当に、フラグを立てようとしているのですか?」
「あの、言っている意味がわからないんだけど?」
「分からないなら、それでいいです」
説明することもなく、菜々はオレンジジュースをストローでちゅうちゅうと吸う。
妙なことになったものだと思う。先日、竹刀で叩かれた女の子とこうして向き合ってお茶するなど、予想などできるはずもなかった。
しかし、と祐麒は考える。こうして二人きりでファーストフードで食事をするなんて、これはまるでデートみたいではないかと。もちろん、祐麒も菜々もそんな意識はないのだが、シチュエーション的にはそう指摘されても仕方がないもので。見れば、菜々はなかなかに整った顔立ちをしている。今の私服姿だと、制服のときよりもさらに幼く見えて、とても中学二年生には見えず、もっと年下に見える。
「……なにげに物凄く失礼なこと言いますね」
「えっ、もしかして俺、口にしていた?」
「ええ、思い切り。とても中学二年には見えないくらい幼い容姿だとか」
眉をひそめ、あまり表情は変わらないが、どことなく不機嫌そうに見える。ひょっとしたら、気にしていたのかもしれない。何か声をかけるべきかと思ったが、そこでタイミングよくハンバーガーが運ばれてきて、雰囲気が少し和む。
二人して、ハンバーガーとサイドメニューとドリンクを、黙々と食していく。先ほどの容姿の件から、なんとなく話の糸口がつかめず、口を開くことができなかった。祐麒はさっさと食べ終わってしまい、ゆるゆるとドリンクだけを口にする。菜々は口も小さくてなかなか食べ進まず、まだ半分といったところだ。
「……こーゆーときは、女の子の食べるペースにあわせるべきですよ? そんなんじゃ、モテませんよ?」
不意に言われて見てみれば、昼寝を邪魔されたトドのような目をして見つめてきている菜々。
「そ、そうか。そうだよね。ごめん」
確かにこれでは、菜々を急かせるようにとられてしまうかもしれない。菜々の指摘に、素直に頭を下げる。
そしてまた、沈黙。女の子で、しかも相手は中学生で、何を話題にしていいか分からない。行列にいるときは、ゲームをしていたから話題に困ることもなかったのだが。
「……そういや、ゲーム好きなんだね。結構、やりこんでいるよね」
ゲームの話題をふればよいことにきがついた。当たり前だ、ゲームが好きだからこそ、わざわざ女の子一人で行列に並ぶのだろうし、祐麒と対等に対戦することができるのだ。
「はい、好きです。今日の対戦は……楽しかったです。周りには、そういう対戦ができる友達がいないもので」
案の定、話にのってきた。それも、表情はあまり変わらないけれど少し嬉しそうに。なんとなくだけれど、菜々の気持ちも分かる。今やゲームをするのに男も女も関係ないが、それでも男の方が多いだろうし、野球ゲームならなおさらだ。加えて、菜々のあの腕では、ちょっとかじった程度では相手にもならないだろう。
祐麒だって、負けてしまったけれど、今日の対戦は物凄く楽しかったのだ。
「じゃあ、また今度、対戦しようよ」
だから、そう口にしていた。
純粋に、また対戦したいと思ったのだ。
しかし、菜々は。
「またって、いつ、どうやってですか?」
「それは、まあ、おいおい決めればいいじゃない。ああそうだ、俺の連絡先を教えておこうか?」
鞄からメモ用紙を取り出し、携帯電話の番号とメールアドレスを記入する。
「……それで、私の連絡先を手に入れようというわけですか?」
ちょっとばかり警戒心もあらわに、訊いてきた。
「ええっ!? ち、違うよ、俺も純粋に菜々ちゃんとの対戦が楽しかったから。それにほら、負けたままじゃ悔しいし、リベンジしたいし」
「ふーーーん」
まったく信用していない口調と目。
「本当、ホント! だってほら、菜々ちゃんの連絡先も知るつもりなら、赤外線でデータやりとりすれば済む話じゃない。それをわざわざこうして手書きでだね」
驚くくらい必死になって、どうにか納得してもらおうとする。実際、そんな下心があったわけではないし、女の子に変な誤解をされたままではいられない。
すると。
「……ぷっ。分かりました」
不意に菜々が、口元をおさえて笑いだした。
「え?」
「信用してあげます。とゆうか、あまりの狼狽っぷりがおかしくて、とてもそんな計算ができるようにも思えませんし」
「そ、そう」
嬉しいやら情けないやら。二つも年下の、中学生の女の子にこんな風にあしらわれてしまうとは。しかしまあ、この年ごろは女の子の方が男よりずっと精神的にも肉体的にも成熟しているというし、中学生とはいえしっかりしているのだろう。その点、確かに男なんていうのは、精神的にはまだまだ子供である。まあ、菜々の方も、肉体的な部分は置いておくとして。
「……なんか、また今、ものすごく失礼なこと、考えていませんでした?」
「な、なんのこと? ま、まさか」
「すーぐ、顔に出るんですよね」
手で顔を隠すが、そんなことをしたら菜々の言葉を認めたも同然だということに気がつく。見れば、菜々はまた笑っている。
「あ、あんまり年上の男をからかうもんじゃないな。男は俺みたいな紳士ばかりじゃないんだから」
「紳士……」
「そこは深く考えない」
「はーい」
くすくすと笑われる。
嫌な気分ではないが、年上として、男としてのプライドもあり、祐麒も笑うわけにはいかない。不貞腐れたように頬杖をつき、横を向く。この態度自体、幼いものだと思うものの、他にどうすればよいのかも分からなかった。
そんな祐麒を見た菜々だが、いきなり手をのばしてきて、祐麒が連絡先を記入したメモを素早く取った。
なんだ、と思って菜々の方を見ると。
左右両手の人差し指と中指でメモをはさんで首の前あたり広げ、わずかに顔を斜め下に向けてから上目づかいで祐麒のことを見上げ。
「――これで、私はいつでも好きなときに祐麒さんを呼び出すことができるんですね?」
と、口元をわずかに緩めた。
「――――っ!?」
その台詞と仕草が、胸の中心を貫く。
一気に心臓の鼓動が速くなり、顔が熱くなってきて再び顔をそむける。菜々は特に何かを意識して発言した様子はないが、なんとまあ、殺し文句に殺し仕種か。幼い容姿などは関係ない、ただ一人の女の子として、意識してしまった。
菜々は祐麒の様子など知らず、メモをリュックの中にしまいこんでいる。そんな姿だけ見ると、ものすごく幼く見えるのだが。
「とりあえず、気が向いたらメールはしますね。電話番号は、ちょっとまだ、教えられません」
「それは構わないけれど、菜々ちゃん、リリアンだよね? うちの姉もリリアンだから、聞けば分かるかも……あああうそうそ、そんなことまでしない、しません!」
みるみるうちに表情が厳しくなるのを見て、慌てて否定する。
「あまり余計なこと、言わない方が良いと思いますよ」
「心にとどめておきます」
「それがよいでしょう」
おごそかに言う菜々だったが、口元にパン屑がついているので、少し格好付かない。紙ナプキンで口をぬぐい、綺麗にしてから両手をあわせる。
「ごちそうさまでした」
ぺこりと、一礼。つられるように頭を下げる。
「ゲームを買っただけでなく、思いがけずご馳走になって、今日は良い日でした」
「こっちは思いがけない出費だよ」
そう言いつつも、決して悪いことではないと思ってもいた。これで、菜々とのラインがつながったと思えば、安いものである。
「……あれ?」
思わず、呟く。
そんな風に考えていた自分に、驚いて。
自分は、菜々と繋がりかけた線を消したくないのだろうか。偶然に知り合ったこの少女との関係を、この先も続けていきたいと思っているのだろうか。だからこそ、そんな風に考えたのか。
脳裏に浮かぶのは、先ほどの台詞と、仕種。また、鼓動がわずかに早まる。
「どうか、したんですか?」
いきなり動きを止め、何やら考えこみだした祐麒をみて、怪訝そうな顔をする菜々。
「いや、なんでもないんだ。出ようか」
「はあ」
鞄を手に立ち上がり、店を出る。
来た道を並んで、無言で戻っていく。
駅に到着し、そこで別れることになる。いくらなんでも、まだ昼だし、家まで送っていくなんて言う時間でもなければ、そんな仲でもない。菜々はぺこりと頭をさげて、去っていこうとする。
「菜々ちゃん」
その背中に、思わず声をかけていた。
立ち止まり、振り返る菜々。
何かを言おうとして、でもうまく言葉が出てこなくて口をパクパクとさせる。菜々は、首を傾げて見ている。
「あの、さ」
まっすぐに見る。
わずかに幼い瞳が、やはりまっすぐに見つめ返してくる。
「俺、待ってるから。菜々ちゃんから連絡くるの、楽しみに待っているから、本当に。次は絶対に、負けないからな」
素直な気持ちを、ぶつける。
そうだ、これで切れさせたくなかったのだ。この前と、今日のことは偶然だったかもしれない。だけど、偶然が三度も続くなんてことは、そうそうない。だから次は、必然にしたかった。
菜々は表情を変えず、それでも少し考える仕種をみせて。
「……善処します」
とだけ答えて、軽快な足取りで帰って行った。
その小さな後ろ姿が人の間に消えてゆくのを、祐麒はじっと見送った。
帰宅して早速、購入したゲームをプレイし、夕飯をすませ、自室に戻って久しぶりに携帯電話を確認してみると、なんか、とんでもないことになっていた。
菜々からのメールが十通以上、たまっていたのだ。
『送信テストメールです。届いたら返信願います。』
『本日購入のゲーム、どこまで進みましたか? 私は現在、レベル8で、これからカンパネルラの塔に向かうところです。パーティは勇者、剣士、盗賊、僧侶です。大きなメダルは今のところ5枚だけで、いくつか見逃しているのではないかと懸念しています。レアアイテム等、今後の情報交換を求む』
『そういえば、『nanaルールブック』を展開するのを忘れていました。次の対戦に備えて添付ファイルで送りますので、熟読のうえ頭にたたきこんでおいてください。ルールを定めているのは以下の通り……』
『そういえば、足の具合は大丈夫ですか? さすがにちょっとやりすぎたかと反省していますが、誤解されるような行動をしていたあなたにも非はあったと思います。とはいえ、一方的に被害を受けたのはそちらなわけで、その点に関しては真に申し訳ないと……』
『対戦ゲームも良いですが、『MH』シリーズなどもプレイされたりしますか? パーティプレイで協力というのも楽しいと思います。私の友人にはオンラインゲームで一緒にパーティを組んでくれるような子がいないので、もしそのような機会があればパーティを組んでクエストに出ることも……』
『ところで一向に返信がないのですが、きちんとメールを読んでいますでしょうか? せっかく女の子からのメールだというのに、返信が遅いとあきられてしまいますよ』
『ちなみに私の容姿は幼くありません、年相応だと思います。クラスの中ではむしろ大人びていると言われている方で……』
こんな感じで、びっしりと文字で埋まったメールばっかり。ところどころに顔文字や絵なんかも入ってはいるけれど。一緒にいるときは、あまり口数の多くない、物静かな女の子だと思ったが、こうしてみると心の中では色々なことを思っているようだ。
「面白い子だな……」
自然と、携帯の画面を見つめている頬が緩む。
「それじゃあ……」
指を動かす。返信メールを打ちながら、菜々がどのような反応を示すだろうかと頭の中で想像して、笑いをこぼす。
幼さが残る顔立ちをしているけれど、落ち着いてしっかりしている女の子。真面目そうだけど、ゲームが好きで、痴漢に竹刀を振り上げ、たぶん結構な負けず嫌い。
携帯電話の液晶画面の向こう側に、菜々が見せた仕草と表情を描いて、祐麒は送信ボタンを押す。
メールが送信されるのを確認して携帯電話を閉じるが、まるで幼いころ遊園地に行く前日のように、心は落ち着かなかった。