<1>
「えー、このクラスの担任となりました福沢祐麒です。これから一年、よろしくお願いします」
挨拶をして頭を下げると、途端に教室から黄色い声が湧きあがった。
「センセー、今何歳ですかーっ?」
「好きな女性のタイプは?」
「今付き合っている人はいますかーっ?」
好奇に満ちた視線、そしてそれを表現した質問の数々。わかってはいたことだけれど、女子中学生の勢いはすごかった。
勤め先が女子中学校となったと話したとき、友人の教師は羨ましいなんてことを言ったがとんでもない。
これから先、女子中学生パワーに対抗しないといけないことを考えるだけで疲れる。それに、中学生といったらまだ子供だ。
羨ましい、なんて言っていたやつはロリコンに違いない。
そんなこんなで、祐麒の女子中学校での教師生活は流れてゆくのだが。
家庭訪問、とある一件の家の前で立ち止まる祐麒。住所と表札で間違いがないことを確認し、一つ深呼吸をする。
女子中学生は多感で複雑でもある。家庭訪問も楽ではない。これから訪れる子は母子家庭のため、また気を使わなければならない。
呼び鈴を押して待つことしばし、一人の女性が玄関に姿を見せた。
二十代半ばくらいに見えるその女性は、とびきりの美人だった。姉だろうか。しかし、どこかで見たこともある気がする。
「いらっしゃいませ、どうぞ上がってください。娘もすぐに呼んできますから」
驚くことに、母親だった。だとすると随分と若くして子を産んだのか、それとも凄い童顔なのか。
もう一度、こっそりと調査票を見る。2年C組39番『山辺亜紀』、母親の名前は、『山辺江利子』……
「ちょっと、先生に色目使わないでよっ、江利子さんっ!!」
「あら、別にいいじゃない、私も先生も独り身なわけだし、何も障害はないけれど、亜紀ちゃんはなんでそんなに怒るのかしら?」
「う、く、そ、そんなの、嫌に決まっているじゃないっ、義理とはいえ母親が自分の担任となんて、嫌らしいっ!」
「それだけ? なーんだ、亜紀ちゃんも先生のことが好きなんだと思っちゃったけど、良かったー」
「ぐっ……!!」
目の前で繰り広げられる母娘の痴話げんか(?)に、祐麒は口を挟む余地もない。
尚、後に祐麒は『未亡人好きのロリコン教師』と、陰でとんでもない称号を得ることになるのであるが、それはまだ先の話……
<2>
大学生になった私と祐麒さんは、今も清い交際を続けています。
優しい祐麒さんは、私のことをとても大切にしてくれます。もう少し積極的になっても私は構わないのですが、祐麒さんはとても紳士的です。
だからといって、私の方から何かを求めることなどとてもできません。だから、私達はとても清らかな交際を続けています。
でも、時に思います。祐麒さんが何も求めてこないのは、私の父に原因があるのではないかと。
「いや、祐麒くんが手伝ってくれて、法事も非常に楽だったよ。本当にありがとう」
「いえ、お役に立てたなら、良かったですけれど。なんか、むしろ足手まといだったんじゃ」
「そんなことないさ、いつ我が家に来てくれても問題ないくらいだ、とはさすがに言いすぎか、はっはっは」
豪快に笑う父を見て、微妙な笑顔を浮かべる祐麒さん。
毎度のことだけど、父はすぐにそのようなことを口走る。跡継ぎもこれで安心だと。即ち、祐麒さんが私とけ、け、けっこ……!!
からかわれる度に、いつも赤くなってしまう私と祐麒さん。
私に何かしたら、家を継がなければいけないと。やっぱりお寺なんて嫌だと思っているのではないだろうかと。
だとしたら、私が祐麒さんのことを縛っているのか。このままでは、良くないのではないかなんて思ってしまう。
「違うよ志摩子さん、そんなんじゃない。俺は、志摩子さんと一緒にいられるなら、そんなことは気にしない」
部屋の中、祐麒さんに肩をつかまれ、力強くそう言われた。
「お、俺が志摩子さんに何もできないのは、単に俺がヘタレだから……し、志摩子さんが綺麗すぎて、俺なんかが何かしていいのかって思っちゃって」
「どうしてそんなことを。むしろ私は、祐麒さんに何かしていただきた……」
「え?」
「あっ」
口にしてから、とんでもないことを言ってしまったと気が付き、かぁっと頬が熱くなる。
「ご、ごめんなさいっ。は、はしたない女だと思いましたよね」
「そ、そんなことはないですっ。その、む、むしろ嬉しかったというか、その……」
「え……」
赤くなった祐麒さんの顔が、先ほどより近い。肩に置かれた手が、わずかに震えているのが分かる。私はそっと目を閉じた。
近づいてくる気配。祐麒さんの息がかかる。心臓が張り裂けそう。そして。
「祐麒くん、志摩子、とっておきの日本酒があるんだ、一緒に飲むぞ」
父の声に、びくっとして体を離す。お互い、なんとなく何も言うことができなくて。
「ふ……ふふっ」笑ってしまった。
立ちあがり、父の誘いに応じるために部屋をでる。私達はとても清い交際を続けている。
「行きましょうか」
そっと、手をつなぐ。ゆっくりとだけど、それでも確実に、私たちの距離は近づいているのだ。
<3>
「乃梨子さん」
にこにこと笑いながら、可南子がやってきた。大抵、可南子がこんな表情を見せるときは、ろくなことではない。
「これ、いかがです」
可南子が見せてきたものは、コンサートのチケットだった。乃梨子も好きなアーティストで、即日完売のプレミアチケット。しかもアリーナのステージ前。
「え、うそ、本当っ!?」
飛びついた乃梨子の手をかわすように、腕を上げる可南子。可南子の慎重で手をあげられると、本当に届かない。
「うふふ、ちなみにお隣の席のチケットは祐麒さんにお渡し済です」
「なっ……」
「喜んでくださいな、乃梨子さんと祐麒さんのために、私が苦労してとったチケットなんですもの」
と、どこからか現れて得意げに笑う瞳子。
「な、何よそれ、意味わかんない。別に私はあの人のことなんかなんとも思ってないし、デートなんかしたくもないし」
「あら? 私、お二人がそのアーティストの大ファンだということだから用意しただけですわよ。別に、お二人をデートになんて一言も」
「本当、いきなりデートと受け取るということは、どういうことでしょうねえ瞳子さん」
「不思議ですわねぇ、可南子さん」
怖いぐらいに仲良く笑い合ってみせる瞳子と可南子。乃梨子は顔を羞恥に染め、体をぷるぷると震わせる。
「まあ、嫌だと言うなら仕方ありません、可南子さん行かれますか?」
「そうねぇ、私は大ファンというほどではないけれど、結構好きだし。祐麒さんとの『デート』というのにも興味あるかも」
「あら可南子さん、大胆発言。男性嫌いのはずではなかったんですの」
「そうだけど、こういうコンサートで盛り上がって、意気投合なんてこともあるかもしれないし。いつまでも男嫌いというのも子供っぽいし」
「いい機会かもしれませんわねぇ、祐麒さんはあまり男性を感じさせませんし、可南子さんにはお似合いかもしれません」
「駄目よそんなのっ、そのチケットは私がもらうんだからっ!」
二人の話を聞いて震えていた乃梨子が、驚くべき跳躍力で可南子からチケットをもぎ取った。
「ほ、本当に好きなファンが行くべきだと思うし、私も本気で観に行きたくてチケットとれなくて、だから行くだけだからねっ」
「ほうほう」
「な、何よその変な笑いはっ! か、勘違いしないでよねっ!」
こうして乃梨子はいつものように、瞳子と可南子にからかわれるのであった。
<4>
猛暑の日々が続いていた。ここ数年、夏は本当に暑く、地球はどうにかなってしまうんじゃないかと、本気で考えたりもする。
だけど、どんなに暑くても変わらず楽しみなこともあるわけで。
「お待たせ、行きましょうか」
「おおっ……浴衣、いいですねっ」
登場した景は、グラデーションピンクに大輪の牡丹があしらわれた、とても鮮やかな浴衣に身を包んでいた。
アップにまとめた髪の毛、のぞいてみえるうなじ、そして眼鏡の下の涼やかな瞳。見惚れてしまう。
「でも、ちょっと意外かも。ピンクの浴衣なんて、予想もしていませんでした」
「どうせ紺とか黒だと思っていたんでしょう? だから、あえて裏をかいてみました」
悪戯に片目をつむってみせる景。
今日は花火大会、二人で観に行く約束をして、待ちに待った当日なのである。
物凄い人出、さらに蒸し暑い夜と、状況的には快適とは言い難いが、それでも心行くまで夏の夜に咲く花を堪能した。
そして、帰り道。
「うわっ……凄い人。景さん、だ、大丈夫ですか?」
「う、うん、なんとか……きゃっ」
花火が終わっての帰りは、他の観客とタイミングが合うので大混雑、大渋滞となっていた。
「あ……えと、ご、ごめんなさい」
「い、いえ」
人に押され、祐麒の胸に抱きつく格好となっている景。正直、ムラムラしてくる。
「すみません、汗臭くないですか」
「ううん、大丈夫。祐麒くんの汗の匂い、結構好きだし」
「え、あ、ありがとうございます」
「あ、やだっ、ごめん、変なこと言った」
慌てて打ち消そうとするが、もう遅い。頬を赤く染めて、俯く景。普段は年上で大人っぽいけれど、今はとても可愛らしく見える。
「あ……帯、乱れてきちゃった。家までもつかな……」
人込みで浴衣の着付けが崩れて来ているようだった。困惑したような景の声が、顎の下から聞こえてくる。
「ね……浴衣、直したいから、祐麒くんの部屋、寄って行っても、いいかな?」
下から見上げてくる景。
「はっ、はい、も、も、もちろんですっ」
上ずった声で返事をする祐麒。今日こそ、今日こそいけるかもしれない。
そんな野望を持った祐麒の夏の夜は、また儚くも散るのだが、祐麒がそれを知るのはこれから数時間後のことであった。
<5>
「ちょっとお母さん、これは一体、どういうことなのっ!?」
怒りの叫びをあげているのは、可南子。上背がある可南子が、更に長い髪の毛を振り乱して叫んでいる様は、かなり怖いものがある。
対して可南子の母は、さすがに実の母ということもあるのか、落ち着いたものである。
「何がかしら? 別に、どうもこうも、見たとおりだけれど」
「み、見たとおり、って……」
拳を握りしめ、ぶるぶると震えている可南子。その可南子の視界に入っているのは、下着姿になりかけの母親。
まだまだ若々しい母の肉体は精気に満ちていて、肌の張りも、腰のくびれも、若い小娘に負けていない。
そして母の前でベッドの上にいるのは。
「ゆ、ユウキっ、あなた、な、な、何をして一体……」
上半身はシャツ一枚、そしてジーンズはジッパーが半分くらい降りているような状態で。
「可南子だって高校生なんだからもう分かるでしょう? 私とユウキくんは、男と女の関係にあるって」
「い、いや、それはまだだから、可南子ちゃんっ」
「そ、そ、そんな馬鹿なっ!? だってお母さんはっ……」
「私は今は独り身なわけだし、恋愛してもそれは自由でしょう? 確かに、相手はちょっぴり若いかもしれないけれど」
「ちょ、ちょっぴりどころじゃないでしょっ!? そ、それにユウキは私の……っ」
「んふ、私の、何かしら?」
母親に問われるが、怒りか羞恥か、顔を紅潮させたまま答えることが出来ない可南子。
「可南子がいつまでも思わせぶりな態度とるだけで、何もさせてあげないから、こういうことになるのよ」
「な、何をいけしゃあしゃあとっ。大体、それでも母親なのっ!?」
「もちろんよ、可南子の幸せを願っているわ。でもね、私は女でもあるのよ。ごめんね可南子」
「ユウキ、あんた何、年増の色仕掛けに引っ掛かっているのよっ。馬鹿じゃないの」
「あら、でもその色仕掛けにかかるということは、私の魅力もまだ捨てたもんじゃないということよね」
「そ、そうじゃなくて、それよりいつまでそんな格好でいるのよ、さっさと服着てよっ」
「いいじゃない、どうせこの後ユウキくんに脱がされるんだから」
「な、なっ、なっ……!!!」
「ふふ、可南子、ユウキくんを『お父さん』と呼びたくなかったら、貴女も本気を出しなさい」
可南子が見たこともないような、大人っぽい色気のある下着姿で艶然と微笑む母。
この日から、細川家では母と娘の仁義なき戦いが勃発したとかしないとか……