暑かった夏も過ぎ去り秋となり、残暑の名残もようやく消えつつあるこの頃。衣替えもすまされ、快適な気候となりつつある中、二条乃梨子は物思いに耽っていた。
どことなく憂いを秘めたその横顔や、少し気だるげな雰囲気を出している乃梨子を、他の学生たちは気遣うように見ていた。
「……どうしたのかしら、乃梨子さん。何か悩み事でも」
「学園祭まであと少しですし、その辺のことかしら」
「一年生で白薔薇のつぼみですものね、きっと色々と大変なのよ」
乃梨子を見つめる皆の目は、優しい。
「……でも、そんな憂いを秘めた乃梨子さんも、素敵」
ときどき、他の女子とは違った視線を向けてくる子もいたが、幸いなことに乃梨子は気づいていなかった。
「はあ……」
乃梨子はため息をついた。
(夏服も終わりか……せっかく、志摩子さんの肌の露出が高くなっていたのに)
見ている者が聞いたらぶっ飛びそうなくらい、下らないことを考えてため息をついていた。
(生地が薄くなって、半袖になるだけとはいえ、わずかにでも志摩子さんとの距離が短くなり、制服越しでも触れる感触も柔らかく、白くて細い腕は直接にその温もりを感じることができたのに……!!)
無念極まりない、といった表情を浮かべる。
周囲の女生徒たちは、心配そうに見守っている。そんな必要もないとは露知らず。
乃梨子は一人、その優秀な脳みそをフル回転させて、何人たりとも追随を許さない、独自の世界に入り込んでゆく。
そもそも、リリアンの制服は露出が少なすぎる。なんだこのスカート、今時、こんな丈のスカートをはいている女子高校生がいるか?昔のヤンキーかっての。いや、それだとしたら中途半端だ。
もっとこう、他の学校だったら。
そう、中学時代の友人たちが行った高校の制服のことを考える。
セーラー服に、ブレザー。
スカートは膝上ンcmなんて当たり前、階段上るときは鞄で隠さないと丸見えだ。柄だってチェックとか可愛かったり。
夏になれば真っ白なブラウスは下着のラインを透けさせ、汗で張り付けば胸の質感だってしっかりと拝められるもの。セーラーカラーを解けば、緩んだ胸元から覗き見えるふくよかな谷間。
ああ、リリアンがそんな制服を採用していれば、志摩子さんの艶やかな姿を堪能できるものを!
いやいや、しかしそうすると他の子達も見ることができるわけで。リリアンの生徒に見られるならまだしも、その辺にいるエロいおっさんとかに、エロい視線を向けられることを考えると怖気がする。そんな助平親父どもには、この二条乃梨子が南斗鳳凰拳をくらわして、聖帝十字稜の人柱にしてくれよう。
人に見られるくらいなら、まだ今のリリアンの制服の方がましか。
そうだ、乃梨子にだけ見せてくれればよいのだ。今度、友達に制服を借りてきて、着てもらおうか。
他の学校の制服って、一度着てみたかったんだ。ねえ、志摩子さんも一緒に着てみない?きっと似合うと思うよ。大丈夫、ほら、わ、私も一緒に着替えるから……うわ、志摩子さんて肌、白くて柔らかいね。む、ムネも大きくて羨ましい…………はい、出来上がり!うわ、志摩子さん可愛い!すっごいよく似合っているよ。え?スカートが短すぎないかって?大丈夫、志摩子さん足細くて形も良いし。私はどうかな?可愛い?あは、志摩子さんにそう言ってもらえると嬉しいな…………ねえ、今度は志摩子さん、こっちの着てみない?私、そっち着てみたいな、ねえ、そうしようよ、交換。じゃあ、脱ぐね……あ、あれ、ねえ志摩子さん、ちょっと脱がせてくれない?えーと、そこを……ん、あッ……し、志摩子さんのは、じゃあ私が脱がせてあげるね。恥ずかしい?いいからほら、動かないで、ってうわっ?!ほら、う、動くからブラ取っちゃったじゃん。あ、ご、ごめん。お詫びに、私のブラ、取っていいよ、志摩子さんみたいにムネ、ないけど……あっ……し、志摩子さん、そんな私……ううん、嫌じゃないよ、志摩子さんなら。ああ、志摩子さん……
「なーーーーんて、いやーーーっ!!」
変態的妄想に耽って、奇声とも嬌声ともつかぬ声を上げる白薔薇のつぼみを、周囲の生徒たちは唖然として見つめていた。
「…………はっ」
そのことにようやく気がついた乃梨子は。
「あ、ははは、ごきげんよう、みなさん」
と、作り笑いを浮かべながら挨拶し、その場から逃げるように帰宅の途についた。マリア様にお祈りするのもすっかり忘れて。
「……白薔薇のつぼみも、色々と大変みたいね」
誰かがこぼした言葉が、マリア様の庭に虚しくこぼれ落ちていた。
「ああああああああ、私はアホか?!」
校門を出て、急ぎ足で歩きながら、乃梨子は内心頭を抱えていた。
無意識のうちに、いったいなんていう妄想をしていたのだろう。あれではまるで、完全無欠の美少女変態ヒロインではないか。
疲れているんだ。
そう、このところの行事の連続で、疲れているのだ。だから、ノーマルなはずなのにあんな、あんな志摩子さんを想像して……
「ぐはあっ」
自分で自分の妄想を思い出して、乃梨子はダメージを受けた。思わず、体が崩れ落ちて膝をつきそうになるのを、寸でのところでこらえる。
「ぬふぅ、白薔薇のつぼみは地に膝をつくことなど許されぬのだっ」
どうも最近、何かに影響を受けているらしい乃梨子であった。
自分自身のどうしようもない妄想に打ちひしがれていると、いつの間にかバス停も通り過ぎてしまっていた。戻るのも面倒くさいので、次のバス停まで重い体を引きずるようにして歩いていく乃梨子であった。
「どうしたの、乃梨子。顔色が悪いわよ」
「うひゃあっ!!」
翌日、乃梨子はぼんやりとしているところを志摩子さんに捕まった。
「ご、ごめんさい。そんなに驚くとは思っていなかったから」
「あ、いや。私のほうがぼんやりしていたから。ははは」
乾いた笑いで誤魔化す。
「どうしたの?目は充血しているし、隈もひどいわ」
「あはは、寝不足なだけ。ちょっと本に夢中になっちゃって、気がついたら朝になっちゃって」
顔を覗き込んでこようとする志摩子さんから、慌てて離れる乃梨子。志摩子さんはこれで結構鋭いから、あまり詮索されたくない。
志摩子さんのことを色々と、そりゃあもうイロイロと悶々と考えていて眠れなかっただなんて、悟られるわけにはいかない。
「えーと、志摩子さんは、委員会活動?」
「ええ、花壇の整備を」
体操服姿の志摩子さんは、そう言って花壇を見つめると、手にしたタオルで軽く汗を拭った。
「今日は暑いわね。残暑のぶり返しって感じね」
そう言われると、確かに暑い。乃梨子の額にもうっすらと汗が浮かんでいた。
乃梨子はハンカチを取り出して、額を拭いた。すると、視線がちょっとだけ斜め下に向く。志摩子さんの白い体操服が、汗でほんのりと肌に吸い付き、透けて、志摩子さんの胸がリアルに感じられた。
その瞬間、乃梨子の意識はShangri-Laへと飛んでいった。
(ビバ!環境整備委員会……っ!!)
「乃梨子、どうしたの?」
「……はっ!?い、いや、なんでもない」
手で顔を拭う。
大丈夫、どうやら鼻血が出ていたのはアッチの世界での話のようだった。
「本当に、大丈夫?」
小首を傾げて、心配そうに乃梨子のことを見つめてくる。
はうーっ、やめてだめ志摩子さん。そんな顔して見られたら、脳内エンドロフィンが核分散して無限増殖しちゃうよ。
もはや意味不明な思考をスパークさせつつ、乃梨子は帰途についた。
マンションの自室に戻ると乃梨子は、ひとつの決心をした。
「特訓をしよう!」
と。
鞄を放り投げ、制服を脱ぎ捨ててトレパンにトレーナーというリラックスした格好に着替えると、乃梨子は動き出した。
志摩子さんのことを考えて眠れなくなるなんて、このままでは日常生活に支障をきたしてしまう。それを、克服するのだ。
そして、乃梨子が考えたその特訓方法はといえば。
「慣れればいいのよ!」
というもの。
つまり、慣れてしまえば必要以上に意識することもなくなり、夜も快適に眠ることが出来る、ということだ。
では、どうすれば慣れるか。
普段から、志摩子さんに囲まれていれば、慣れるのではないか。
「よっし」
乃梨子は袖机の引き出しを開けると、そこから何やら取り出して、机の上に広げる。
それは、写真部から公式にもらったもの、乃梨子が非公式に撮影したものなど、様々な山のような写真だった。
乃梨子はその写真の山から選び出した写真を、壁のコルクボードやら本棚やらにべたべたと貼っていく。制服姿の志摩子さん、冬服、夏服、体操服、レア物の水着。私服姿は着物、ワンピース、フレアスカート。アップのものからロングレンジまで、あらゆる写真を、貼り続ける。バランスや組み合わせを考えようかとしたが、どんな風に貼っても志摩子さんの美しさは損なわれることはなかった。
ついつい写真に見とれそうになるのを抑えながら貼って、続いてはポスター。写真をもとに、ネットを通じて完全秘密主義のところで秘密裏に作成したものだ。サイズももちろん、等身大から顔のアップまでなんでもござれだ。それらを、やはり壁やら天井やらに貼り付ける。特にお気に入りの、胸チラショットのやつは、特に見やすいところに。
あとは封印しておいた志摩子さん抱き枕、人形、タオルケット。もちろん、全て特注だ。
机の上のビニールカバーの下には志摩子さんポスターをやっぱり敷いて、マウスパッドも志摩子さん写真を入れたものを。でも、汚れるのは嫌だからカバーはつけておこうか迷う。
フォトスタンドを立てて、志摩子さん写真集(乃梨子特別編集)を枕元に置いて、これで大体、パーフェクト。部屋が志摩子さんに覆い尽くされた。残った写真等は名残惜しいが、再びしまう。模様替えならぬ志摩子さん替えのときに、張り替えれば良いだろう。
乃梨子は満足げに息を吐き出した。
「……乃梨子、帰ってきているのかい?ずっと部屋にこもりっきりで、そろそろご飯でも食べた方が……」
「あ」
ドアを開けて一歩、乃梨子の部屋に入ってきた菫子さんの動きが止まる。
「ご、ごめん。もう私は、何も言わないから……」
北斗神拳の秘孔をつかれた雑兵のような動きで、菫子さんは戻っていった。
志摩子さんの美しさに圧倒されたに違いない。
なぜか怯えを見せている菫子さんを横目に、食事を済ませ、お風呂にも入って、パジャマに着替えて、いざ就寝の時間となった。
「さ、おやすみなさーい」
挨拶をして元気よく自室に入り、電気を点けると。
「うきゃあーーーーーーーっ!?」
目にとびこんでくる無数の志摩子さん、志摩子さん、志摩子さん、志摩子さん。
「し、しまった、うっかりしていた……」
鼻血がぽたりぽたりと滴り落ちているのを、手でおさえる。それは主に、正面の壁に貼られた、胸の谷間をちらりと覗かせたポスターのせい。
「ふぐおおおおおっ……」
四つん這いのまま、部屋を進む。そんな乃梨子を、無数の志摩子さんの瞳が、それこそ前後左右、あらゆる方向から見つめてくる。作業をしているときは夢中で気がつかなかったが、これは殺人的だ。いきなりこんなのに耐えられるわけがない。誰だ、いきなりこんなハイレベルの特訓を科したのは……って自分自身じゃないか!
「ふぬはぁあああっ!わ、私は白薔薇のつぼみ!退かぬ!媚びぬ!省みぬっ!!……ってぶはあああっ!」
なんとかこらえようとしたけれど、その意思は3秒と経たずに雲散霧消してしまった。
―――いや、ある意味、桃源郷ですけれど。
「い、いかん。とりあえず今日はもう寝てしまおう」
震える手を伸ばして、電気を消す。真っ暗にしてしまえば、見ることもない。
そう、思っていたのだけれども。
「あぎゃああぁぁぁ!暗くても見えるよう、蛍光仕様だったああああぁ!!」
ごろんごろんとのたうち回る。
暗い室内にうっすらと浮かび上がる無数の志摩子さん。いや、光ってます。むしろ目がきらりんと光っています。
目というより眼です。
いつもなら乃梨子を魅了するその麗しい瞳も、この暗闇の中、無数に浮かび上がっているのを見ると、むしろ恐怖……いや、これはこれで、なかなか……夜中、迫られたりしたらこんな風かしらん、なんて思ったり。
でも、それがこんな、四方八方から視線を注がれたら。
ああ、ちょっとだめ、志摩子さん、そんなに乃梨子を見つめないで。身体が火照ってくる。あ、そんな色っぽい仕種で、乃梨子を誘惑しているのか。いや、乃梨子自身が隠し撮りした写真だって分かっているんだけど。
「分かっているんだけど、ダメなのにゃーーーーっ!!」
ベッドの上で一人、のたんのたんと身体を波打たせる。
「……リコ、あんたのご両親はきっと今頃泣いているよ……」
部屋の扉の反対側で、菫子さんがそっと涙を拭っていることにも気づかずに。
二条乃梨子、リリアンという魔園に取り込まれた少女。
乃梨子は今夜も眠れない。
おしまい