リリアン&花寺生徒会の合同デートが行われた翌日。
山百合会の仕事はなしということで、乃梨子は志摩子さんと一緒に帰宅の途についていた。マリア様にお祈りをして、並んで歩く。
「昨日は楽しかったわね」
「まあ、ね」
志摩子さんはにこにこしているけれど、乃梨子にしてみれば昨日のことを思い出すとちょっとばかりムッとくるものがある。楽しくなかったわけではないけれど、頭にくることもあった。
それに、志摩子さんが楽しかったと言うのも気になる。考えすぎかもしれないけれど、それは、あの人と一緒だったから楽しかった、なんていうことはないだろうか。
すると、そんなことを考えていたのが顔に出たのか、志摩子さんが眉をひそめて訊いてきた。
「乃梨子は、楽しくなかったの?」
「そんなことないよ。ただ……」
「ただ?」
「ちょっとばかり下心が見えたりしたから。志摩子さんとかを見る目が違っていたもの」
乃梨子がそう言うと、最初はきょとんとしていた志摩子さんだったけれど、やがて何か納得したように大きく頷いた。
「ああ、だから乃梨子、昨日ずいぶんと怖い目で私のことを見ていたの?」
「……は?」
首を傾げる乃梨子に対して、志摩子さんは何が面白いのか、くすくすと上品に笑いながら意味ありげな視線を乃梨子に向けてくる。
「昨日、私が祐麒さんとペアを組んでしまったから。私が祐麒さんを独占してしまったからだったのかしら?」
「ちょ、ちょっと志摩子さん! なんかとんでもない誤解だよ、それ」
猛烈に否定する。
よりにもよって、なんでそんな勘違いをするのか。乃梨子が二人のことを見つめていたのはそんなことではなく、志摩子さんに悪い虫がつかないようにと見張っていたからなのに。
「誤解なの?」
「あたりまえでしょう!なんで私が祐麒さんを」
「あら、だって乃梨子、随分と甲斐甲斐しく祐麒さんのお世話をしていたじゃない。ボールを渡したり、飲み物を買ってきてあげたり」
「そ、それは志摩子さんの手を煩わせたくなかったからっ」
「本当に?」
志摩子さんは、執拗に疑ってくる。ここは、きちんと言っておかないといけない。
「本当だってば。まったくもって、誤解なんだから」
「……そうなの。それは困ったわね」
断言すると、なぜか志摩子さんは本当に困ったような表情をした。
「なんで志摩子さんが困るの?」
「それが、実は乃梨子に申し訳ないと思って、祐麒さんと会う約束をしてしまったの」
「は? 誰と誰が会う約束?」
「乃梨子と、祐麒さんが」
いやいやちょっと待て。なぜ昨日の今日で、そんなにも素早く事を進められるのか。いつもは、ほんわかのんびりの志摩子さんが随分と迅速な行動。乃梨子のためを思ってしてくれたのだと考えるとちょっと嬉しいけれど、その方向性が逆向きに間違っているとちょっと悲しい。
「じゃあ、乃梨子は会う気はないのね」
「当然でしょ。なんで、私が」
「でも、こちらから誘っておいて祐麒さんに失礼よね。じゃあ、変わりに私が行ってこようかしら」
「ままま、待った志摩子さん」
乃梨子が拒んだから志摩子さんが行くなんてもっての外である。志摩子さんと二人きりなんかにしたら、男なんてみんな理性を抑えられなくなるに決まっている。とてもじゃないけれど、そんな危ないところに志摩子さんを送り出すわけにはいかない。
だから乃梨子は、こう言うしかなかった。
「分かった、私が行くから」
と。
約束の日。
待ち合わせ場所に向かう途中で、乃梨子は眉間にしわを寄せて思い悩んでいた。そもそも、嫌なら断りの連絡を入れればよかったではないか。あからさまに断るのが失礼なら、体調が悪いとかいくらでも理由はつけられただろうに。
だが後悔してももう遅い。既に待ち合わせの時間は迫っており、断りの連絡を入れる手段はない。だから行くしかないのだが。
「あー、なんで私がこんなこと」
本当であれば、志摩子さんとどこかの教会でも見に出かけるところなのに、わけの分からないことに時間を割かれるとは。まだ、家でネットサーフィンでもしている方が有意義といえるものだ。
頭の中でうだうだと考えていても時間は止まってくれないし、約束の時間に遅れてルーズな人間だと思われるのも癪に障る。乃梨子はなんとか気持ちを落ち着かせるよう、自分自身に暗示をかけながら歩き続けた。
「あ、二条さん。こっち、こっち」
いつの間にやら到着していたようで、乃梨子のことを呼ぶ声が右斜め前方から聞こえてきた。軽く手を上げているその人の姿を見つけて、乃梨子も軽く会釈しながら近づいた。そして、何か言おうとする相手の機先を制して、乃梨子の方から宣言した。
「言っておきますけれど、今日は志摩子さんの顔を立てて、仕方なく来たんですからね」
その一言に、それまでにこやかだった祐麒さんの表情がさっと変わる。さすがに、ちょっときつい言い方だっただろうかと思ったが、どうしようもない。
「な、なんだよ。俺だって、藤堂さんに頼まれたから。二条さんが、俺と会いたがっているって」
「なんですか、それ。そんなの真に受けるなんて、自惚れもいいところじゃないですか。そんなの、志摩子さんの純然たる勘違いですから」
「何言ってんだよ、藤堂さんが嘘つくはずなんてないと思うだろ。だからわざわざ来たんじゃないか」
「わざわざって、志摩子さんにお願いされて断れなかっただけなんじゃないですか」
「ああ、藤堂さんは素直でお淑やかで綺麗で、誰かさんとは大違いだから」
「そういうの開き直りっていうんですよ。下心丸見えで、いやらしい」
「ああもう、本当に可愛くないな君は」
「あなたなんかに可愛いと思われなくても構いませんよーだ」
会うなり、大舌戦。
乃梨子も初めは、いきなり言いすぎたかと思ったけれど、相手の反論についつい我を忘れて声を荒げてしまった。そうなるともう、お互いに引っ込みがつかなくなってこの始末である。
周囲にいる人たちも、何事かと思って二人のことを見つめている。ちょっとさすがに、やりすぎたか。注目を浴びるのはあまり好ましくない。
それは相手も同じようで、ようやく状況を理解して、少し照れくさそうに顔を背ける。
「……とりあえず、場所を変えようか」
「……そうですね」
一時休戦、という形でその場を後にした。
その後はもう、最悪としか言いようがなかった。
志摩子さんから渡されていた映画のチケットは今日までが有効で、その映画は二人とも前々から観たかった作品だったので、渋々二人で映画館に入った。
映画そのものは思っていた以上に面白かったのだけれど、映画館を出た後つい興奮して祐麒さんと一瞬、映画の内容のことで話が盛り上がりかけてしまった。お互いほぼ同時に喧嘩していたことに気がついて、さらにどこか気まずくなる。
そのまま惰性のような感じで喫茶店に入りお茶をするも、状況が状況なだけに気分も乗らず、せっかくのケーキも紅茶も美味しさ半分といった形だった。
席を立つときは、奢ると言って伝票を持って行った祐麒さんに対し、無理やりお金を払ってワリカンにした。自分の分までお金を出してもらう理由も意味も無かったから。
外に出ると、既に薄暗かった。
「それじゃあ、今日はどうもありがとうございました」
一応、最低限の礼をして頭を下げる。きっと、志摩子さんが見たら嘆くかもしれないけれど仕方が無い。これでも、譲歩しているほうだ。
ようやく終わったと思い、さっさと帰ろうと歩き出す。
「待って。送っていくよ」
「結構です」
確かに、日は沈み夜に近くなりつつあるが、それでもまだ送ってもらうほど暗くはないし、たとえ夜になっていたとしても送ってもらうつもりはなかった。
公立の中学に通っていたときには、もっと遅い時間に一人で帰る事だってあった。
しかし、祐麒さんも諦めが悪く、早足で歩く乃梨子の後を追いかけてくる。
「気になさらなくても結構です。一人で帰れますから」
「そういうわけにもいかないよ。二条さんだって一応、女の子なんだから」
一応とはなんだ。
無視して歩き続ける。
「それに、君に何かあったら藤堂さんに会わせる顔がない」
「結局、志摩子さんに好印象を抱いてほしいだけなんですね」
「そうじゃないって。だから、もう」
何が、そうじゃないんだか。
志摩子さんに気があるなら、直接いけばいいのに。志摩子さんくらい美しければ、世の男性全てが魅了されてもおかしくはないし。もっとも、乃梨子がそんな怪しげな男の人たちは近寄らせないが。
駅に到着する。
切符を買って改札内に入っていくと、やはり祐麒さんも後ろからついてくる。
「……まさか、私の家までついてくる気じゃないでしょうね」
「俺も、家に帰ろうとしているだけだから」
ただそれだけ言って、乃梨子から少し離れた場所に立つ。乃梨子はわざと、視線をそちらに向けないようにする。
やがて電車が滑るようにホームに入ってくると、吸い込まれるようにして中に入っていく。それほど混んではいないけれど、座れるほど空いているわけではない。乃梨子は扉の近くに立った。
アナウンスとともに、電車が出発する。
顔を見ないように扉のほうを向いていたが、扉のガラス部分に夜の街を背景とした車内が映し出され、そこで二人の視線があった。
「……見ないでくれますか」
「今のは不可抗力だろ。なんでそこまで絡むかな」
「それはっ……!!」
振り向く。
その瞬間ブレーキがかかり、急にスピードが落ちた。
しまった。振り向いたとき、思わず手すりの棒から手を離していた。
「――――――!」
体が後ろに倒れていく。踏ん張ろうとしても止められない。
まずい、転ぶ―――と思ったが。
「大丈夫?」
「えっ」
倒れていなかった。
すぐ目の前には、祐麒さんの顔がある。
そして、乃梨子の腰と肩の中間くらいの位置に腕が回されている。すなわち、抱かれるようにして乃梨子の体は支えられていた。
体勢を悟った瞬間、顔がカッと熱くなる。
離して、と言って突き放そうかと思ったら、次の瞬間に電車が急にスピードを上げて今度は前につんのめる。
つまり、乃梨子の方から胸の中に飛び込んでいくような格好となった。
「…………っ!!」
今度こそ胸を突き飛ばして距離を取る。
無言でお互い見つめあう。
乃梨子は睨みつけるようにして相手を見上げるが、今自分がどんな表情をしているか分からなかった。ただ一つ確実なのは、赤くなっているだろうということ。
「あ……なっ……い……」
何か言おうとして、でも結局何も言うことができなくて。
そうこうしているうちに電車は次の駅にゆっくりと到着した。車窓の外側を流れてゆくホームの光景も動きを止める。
「べっ、別に頼んだわけじゃないですからねっ……!!」
扉が開くなり、乃梨子はそんな訳の分からないことを口走りながら、逃げるようにしてホームに降り立った。
アナウンスの声と雑音に交じって、祐麒さんが何か言っているのが聞こえてくる。
「……ここはまだ、降りる駅じゃないよっ……」
そんなことは分かっている。だけど、そのまま一緒に乗り続けてなんて、いられるわけないじゃないか。
発車の音楽が鳴り、扉が閉まる。
祐麒さんは追ってこなかった。
電車の中で、ちょっと余裕ぶった笑顔を浮かべながら、乃梨子に向かって手を振っている祐麒さん。その姿を見て、また少し頭にきた。
だから乃梨子は、動き出した電車に向かって思いっきり舌を突き出してやった。そして。
「言っておくけど、ただの突発事故なんだからっ……!」
小さくなっていく電車の影を見つめながら、心の中でそう叫び。
ロングスカートの裾を風に翻しながら決めてやる。
絶対に、笑ってなんてあげないんだから。
おしまい
【おまけ】
董子のマンションに帰り着いた乃梨子は、自室に戻るなりバッグをベッドに投げつけた。全く罪のないバッグが跳ね、中から財布が飛び出る。
腹立たしいったらありゃしない。
何が腹立たしいって、年上ぶって乃梨子のことを気にかけようとするあの態度。喧嘩していた相手に対して気を遣うとか、それが男らしいとか、年上のつとめだとか思っているのだろうか。
そして何より、そんな相手を前にして逃げるようにしてしまった自分自身に腹が立つ。
あんなのただの事故だったのに、まるで意識してしまっているみたいではないか。変な誤解されでもしたらたまったものではない。
「ああ、もうっ」
苛々とした気持ちを落ち着けようと、紅茶でも飲もうとリビングに向かう。途中、洗面所に入って手を洗う。
手を洗って顔を上げると、鏡に映る自分自身と目が合う。
「…………」
言葉が、脳裏に蘇る。
鏡に映る自分の表情はいつもと変わらない。やや不機嫌そうかもしれないけれど、これがいつもの自分なのだ。
そんな自分を鏡越しに見つめ、乃梨子は。
「……なーんて、笑顔の練習でもすると思った? するわけないじゃん、ばーか」
呟くように言って舌を出した後で、洗面所を出て行くのであった。