「乃梨子さん、最近、元気がないのではなくて?」
「……そお?」
乃梨子は覇気なく、答えた。
目の前に立つ瞳子は、訝しげにして乃梨子を見ている。
教室の中、休み時間。
元々、乃梨子は自分からクラスメイトに積極的に話しかけるほうではなかったから、休み時間に一人で静かにしていても、特段いつもと変わることはないはずである。だから、今日のこの時間も自席で頬杖をついて黙っていたのだが、世話焼きの友人はなかなかに目ざとく、乃梨子のことを放っておいてはくれなかった。
瞳子は更に続けて聞こうかどうか迷っているようだった。ここで乃梨子が視線を外せば、きっとそれで終わりになったに違いない。
だけれども、クラスメイトは瞳子一人ではないわけで。
「まあ、元気がないのですか、乃梨子さん」
「体調でも優れないのでしょうか。山百合会のお仕事、大変なのかしら」
敦子と、美幸。
純粋な善意から言ってきてくれているのは、これまでのつきあいで分かっているけれど、正直、さほど嬉しくないのは失礼だろうか。
乃梨子は生返事をするだけで、申し訳ないがまともに相手をする気力がなかった。
「本当、乃梨子さんがここまでになるなんて……」
「待って、敦子さん。私、ひょっとして分かったかもしれません」
二人の会話を、乃梨子は聞き流していた。瞳子も、何も言わずに二人のことを見ている。
「まあ、なんですの美幸さん」
「乃梨子さんのこの憂いの表情……これは、『恋わずらい』に違いありませんわ」
「まあ!」
とんでもない一言が耳に飛び込んできて、乃梨子は条件反射的に椅子から立ち上がり、口を開いていた。
「あいつとはそんな仲じゃないわよっ!!」
大きな声が教室中に響き渡り、それまで休み時間特有の騒がしさに包まれていた教室が、静寂に包まれる。
皆の目が、いきなり立ち上がって大声を発した乃梨子に向けられている。
「"アイツ"って誰ですの……乃梨子さん?」
瞳子のガラス細工のような目が、心を見透かすかのように乃梨子に向けられていた。
乃梨子は自己嫌悪に陥っていた。大勢の同級生の前であのような醜態を見せてしまうなんて、どうかしている。頭を拳で何度か叩き、足元の小石を行儀悪く思いっきり蹴飛ばす。もちろん、周囲に人影が少ないことを確認してからである。
歩きながらため息をつく。
こんな失態を犯してしまうのも、全てはアイツのせいである。
「――こんにちは、二条さん」
そう――コイツのせい
「……って、うひあっ!?」
頭の中で思い浮かべていた人物が突然、目の前に現れて驚き、奇妙な声を発してしまった。
その人物――紅薔薇の蕾である福沢祐巳の弟にして、花寺学院の現生徒会長、福沢祐麒は乃梨子が驚いたことに驚いているようで、少し上体が反っている。
どうやら下らないことを考えているうちに、いつの間にか正門まで辿り着いていたようだ。見回せば祐麒だけでなく、他の花寺学院生徒会の面々の姿も見える。
今日は、リリアンの学園祭に向けて花寺学院との合同練習の日で、乃梨子は山百合会の一年生として出迎えにあがったわけである。
当然、祐麒が来ることも分かっていて、それで気分が良くなかったのだが、こうして目の前にすると余計に胸の内がざわついてくる。先日、ふとしたことから見られた恥しい姿のことを思い出し、導火線に火がつきそうになる。
「――二条さん?」
「あ、すみません。花寺学院の皆様、どうぞこちらへ」
小林の声に我を取り戻す。
そして、殊更に祐麒の方に顔を向けないようにして、花寺学院生徒会一同を薔薇の館へと案内していくのであった。
瞳子に「元気がない」と言われたのは、別に花寺学院生徒会長のせいではない。断じて、そんなことはない。
ただ、「元気がない」ということは間違っていないかもしれない。元気がないというか、力が入らないというか、活力が出ないというか。とにかく、体に力がみなぎらない。だから、劇の練習もなるべく手を抜きたいのだが、一番下っ端である乃梨子が、志摩子や他の人が見ている前で手抜きなどできるわけもない。
ましてやアイツに、気の抜けた姿を見られるなど屈辱である。だから気合を入れた。劇の練習だって、役者としては大根かもしれないけれど力を込めた。力仕事だって、花寺の男子がやるというのを制して率先する。
「――ちょっと乃梨子。あまり無理しなくても」
少し心配そうな顔をして、志摩子が声をかけてくる。
「大丈夫だよ、志摩子さん。これくらい軽い、軽い」
心配させないよう、笑顔を見せる。それでも、志摩子はどこか不安そうな表情をしている。確かに、少しばかり疲れたが、元気さを見せるくらいは出来る。
志摩子の肩越しに祐麒の姿をとらえた。
乃梨子は無視して、可能な限り距離をとるようにして練習を続けた。
そうこうしているうちに時は過ぎ、もう少しで練習の時間も終わろうかという頃になって、乃梨子は体の変調を感じた。
意識は、保っている。だけれども、体が上手いこと自分の意思に反応しない。やけに手足が重く感じ、視界が狭くなる。
なんだこれ、膝に力が入らない、と思った次の瞬間には、体はゆっくりと沈んでいた。派手に転ぶわけではない、へなへなと崩れ落ちるように膝をつく。乃梨子の名を呼ぶ誰かの声が聞こえるが、反応できない。そしてそのまま背中から床に倒れる。
「……あれ?」
衝撃を予測していたが、いつまでたっても硬い床にぶつかる様子はなかった。
「だ、大丈夫?」
すぐ目の前に、祐麒の顔があった。
どうやら、たまたま近くにいた祐麒が、倒れそうになった乃梨子の体を抱きかかえてくれていたようだった。
「……っ、だ、大丈夫よっ!」
気がつくなり、すぐに身を離そうと立ち上がった。
途端、立ち眩みをして体が揺れる。
「危ないって」
支えるように、肩を抱かれる。
顔に、カッと熱が上がる。
「だから、だい、じょうぶ、だからっ」
気合で、自力で立つ。
大したことはなかったようで、多少、ふらつきはするものの一人で立てないことはなかった。
「乃梨子、大丈夫なの?」
心配そうな表情で、志摩子が傍に寄ってくる。乃梨子は安心させようと無理に笑顔を作ろうとして、失敗した。
「乃梨子、無理しないで」
「やだな、心配性だねお姉さま。ちょっと、疲れただけだから」
「だけど」
「もう大丈夫だから。ほら、あと少し、続きをやろう」
力を振り絞り、元気なフリをする。実際、今日の練習はあと少しで終わる。これくらいであれば、なんとか持ちこたえられるだろうと思った。
皆に心配かけないよう、何でもないフリをして台本に手を伸ばす。しかし、乃梨子の手が台本に触れる前に、横から伸びてきた別の手に乃梨子の腕が掴まれた。
「そんな無理しちゃ駄目だって」
祐麒だった。
「だっ……から、無理なんて」
「乃梨子ちゃん」
反論しようとした乃梨子の口を封じたのは、祥子の冷静な声だった。
「祐麒さんの言うとおりよ、無理はしないの。体調が優れないときはきちんと休むのも、重要なことよ」
「で、でも」
「そうだよ乃梨子ちゃん。無理して、もし倒れでもしたら元も子もないでしょう?」
令が、さらに優しく言い宥めてくる。
他の人も、声には出さなくても目で語っている。
「少し早いけれど、今日はもう、終わりにしましょうか」
「……そんな。あの、皆さんは続けてください。私、素直に帰りますから」
自分のせいで、練習が中途半端になるなんて耐えられない。悔しくはあるけれど、迷惑をかけるわけにはいかない。
だけど皆、どこか困ったような顔をして、お互いに見合わせている。
確かに、数少ない大事な合同練習を中途半端な形で終わらせるのは勿体無い、かといって乃梨子一人を帰らせるというのもどうかと、そういった感じが漂っている。
どうしたものかと、微妙に重い空気になりはじめたところを打ち破ったのは、紅薔薇の蕾であった。
「そうだ、それじゃあ祐麒、乃梨子ちゃんのこと送っていってあげてよ」
「はあっ!?」
「なんでっ!?」
ほぼ同時に、二人が抗議の声をあげる。
しかし二人の声をさらりと受け流し、祐巳はにこやかに続ける。
「ちょうど祐麒の出番も終わったし、いいじゃない、ね? これなら心配ないでしょう」
グッドアイディア、とばかりに得意げに胸をはる祐巳。
「ね? じゃなくて。おい祐巳、勝手なことを」
「いや、いいアイディアじゃない。祐麒くんも、助けたんなら最後まで面倒みなくちゃ」
「は、支倉さんまで」
一気に、流れが変わる。
乃梨子もどうにかして流れを押し戻そうとするものの、多勢に無勢である。
「ちゃんと乃梨子ちゃんのこと、守ってあげないとね、祐麒」
「あ、なんだユキチ、そういうことかよー」
「道理で、乃梨子ちゃんが倒れかけたとき、やけに素早かったものね」
「乃梨子、よかったわね」
「ち、ちが、ちが、ちが……う……」
言っても、誰も乃梨子の言葉など聞いていない。
「さあさあお二人さん、行った行った」
鞄を持たされ、背中を押され、扉まで運ばれる。
先に乃梨子が外に出た後、一歩遅れて出てきた祐麒に、祐巳が小さな声で囁く。
「……お母さんには上手く言っておくから、少しくらい遅くなっても大丈夫だからね」
「おい祐巳、何馬鹿なこと」
「いーから、ほら、乃梨子ちゃん待っているよ」
最後に背中を一押し、祐麒は押し出されて乃梨子の隣に並ぶ。唖然としている二人の目の前で扉が閉まる直前、祐巳はまるで『お姉ちゃん、グッジョブでしょ?』とでも言うかのように、得意げに片目をつぶり、右手の親指を立てた。
閉じかかる扉の隙間からは、乃梨子たちのことを見つめる生温い目が見えた。
バスの中、窓枠に肘をつき、無言で流れてゆく外の景色を眺める乃梨子。隣には、やはり無言で座っている祐麒。
徐々に傾いてゆく太陽を横に見ながら、重苦しい雰囲気でただバスに揺られる。中途半端な時間帯とはいえ、車内にはリリアンの女子生徒の姿があり、誰もが皆、乃梨子と祐麒のことが気になるように、ちらちらと視線を向けてくる。
下手に詮索されるのも嫌なので、仕方なく学園祭に向けての事務的な会話をして、場を誤魔化す。祐麒もまた乃梨子の意図を理解したのか、合わせて当たり障りのない受け答えをする。
バスを乗り継いで、家の近くまで来ると、さすがに他にリリアンの制服姿を見かけることはなくなった。しかし、祐麒の姿はまだ乃梨子の後ろにあった。
「……もう、いいですよ。別に、大丈夫ですから」
「そうはいかないよ。ちゃんと、送っていく。心配だし」
「心配される覚えはありません」
「倒れたじゃないか」
「…………っ」
住宅街の中、二人の足音が響く。
どうしてこういう時に限って、買い物帰りのおばさんとか、走り回る子供達とか、昼寝している猫とか、姿が見えないのだろうか。
ぴったり三歩ほど後をついてくる存在が、気になって仕方がない。追い返したいが、力が入らないし体力がもったいないので、無視して歩く。
角を曲がり、公園を横切り、間もなくマンションが見えるというところで、またしても目が眩んだ。
バランスを崩す。
後ろの祐麒が手を伸ばしてくる気配を感じ、咄嗟に踏ん張ろうとする。二度も助けられるなんて、何か負けるような気がするから。
どうにかこうにか堪えた、と思ったが、体が崩れ落ちてゆく。踏ん張れ、踏ん張れ、アイツが見ているぞと心を震えたたせる。
膝をつく。
手をつく。
だけど、倒れはしない。
「に、二条さん、だいじょうぶ?」
「――別に。ちょっとその、不意にモノマネ?」
「何の?」
「……ターミネーター2?」
「や、疑問系で言われても……」
気まずさと気恥ずかしさで、赤面しながらゆっくりと立ち上がる。
そして立ち上がった瞬間、大きな音が乃梨子のお腹のあたりから飛び出した。慌ててお腹を押さえるが、とき既に遅く、音は全て出終わった後だった。
ちらりと、後ろを振り返る。
目を見開いて乃梨子を見下ろしている祐麒。
先ほどの倍くらい、顔が熱くなってくる。
「……お腹、空いているの?」
まるで返事をするかのように、『ぐぅ』と乃梨子のお腹が鳴いた。
この前の週末から、菫子が出張で家を空けていた。当然、しばらくの間、乃梨子は一人で暮らすことになるわけだが、色々と誤算があった。
何と乃梨子は、家事がいまいち苦手であった。薔薇の館で細々とした仕事はこなしているが、家での仕事となると勝手が違う。
掃除、洗濯はまだよかった。問題は食事である。
実家でも、菫子の家でも、料理を作るということはなかった。だから菫子からは出張に出る前、生活費として一万円を手渡され、当座の糧に変わるはずであったのだが、初日に紛失してしまったのだ。
困ったことに、貰ったお金以外にまとまった金はなかった。学生である乃梨子はお小遣いで自分の好きなものを買っているが、今月の残りはあとわずか。貯金は定期預金で、今回のような理由で崩したくはない。菫子に内心で謝りつつ室内を少し探ってみたが、目ぼしいものは見つからない。
結局、財布の中に残っていた僅かのお金でしのぐしかなかったのだが、そのお金も一昨日でほぼ尽きた。冷蔵庫を覗いてもお酒ばかりしかなく、昨日からろくに食べ物を喉に通していなかった。微妙にプライドもあり、実家にも学友にも情けなくて泣きつけず、今に至るという訳である。
「……それじゃあ、昨日から何も口にしていないの?」
「そんなことありません、ちゃんと食べていますよ」
「何を?」
「……ピーナッツとか……チーズとか」
「お酒のつまみじゃん」
「ぐ」
「あ、いいからほら、食べて食べて」
目の前に置かれている海鮮あんかけ焼きソバを指差す祐麒。言われなくても食べるわい、とばかりに食らいつく乃梨子。
恥辱の腹の音の後、マンションには戻らず方向転換し、少し歩いた先にあるファミレスへと足を踏み入れた。遠慮せずに注文してよいと言われ、ここで下手に遠慮してしまうのも悔しいので、堂々と思うがままに注文した。
焼きソバ以外に、海老グラタン、ペペロンチーノ、デザートに杏仁豆腐。麺類ばかりだと笑われたことは、無視である。
「別にいいんだけれどさ、本当にそれだけ食べられるの?」
「だ、大丈夫です」
強がりつつも、さすがに頼みすぎたかとテーブルの下でお腹をさする。だが、ここで食べ残してしまってはそれこそ恥だ。乃梨子は気合を入れて箸を握りなおし、焼きソバの皿目掛けて突き出す。
すると、ほぼ同時に正面からフォークがのびてきた。
「なんか見ていたら、俺も腹減ってきちゃった。もらってもいい?」
「ふ、ふん、好きにしてください。というか、祐麒さんのお金ですし、私に断らなくても」
「でも、二条さんに奢ったものだから、もう二条さんのものだ」
フォークは、焼きソバに触れる前で止まっている。
「奢っていただくつもりはありません、お代はちゃんとお返しします」
「それなら余計に、二条さんに許可もらわないと食べられないじゃない」
「う……」
じっと見据えるが、祐麒は何も言わずに見つめ返してくる。
「ど、どうぞ、食べて構いませんから!」
「ありがとう」
わずかに笑みを浮かべて、取り皿に焼きソバを盛る祐麒。なぜ、奢ってもらっている乃梨子が礼など言われなければならないのか。だけど、そんなことを口にすることも出来ず、乃梨子もまた無言で焼きソバを皿に盛る。
結局その後、二人で三皿+デザートを綺麗に平らげたのであった。
翌日。
乃梨子はすっかり元気になっていた。
ファミレスの帰りには、コンビニに寄って朝食用のパンまで購入してもらい、おまけにお釣りまで握らされた。恩を受けてばかりというのは悔しいが、昨日と同じ醜態を晒すわけにもいかないし、背に腹は変えられない。それに今日を乗り切れば菫子が帰ってくる。あとは、受けた借りをどうにかして返すだけだ。
一日の授業を終えたら乃梨子はダッシュで薔薇の館に駆けつけたかったが、掃除当番のため、そういうわけにもいかなかった。本当は、昨日に迷惑かけた分を少しでも返そうと、早めに行って掃除やお茶の準備をしたかったのだ。
素早く教室の掃除をすませ、早足で薔薇の館へと向かう。
「すみません、遅れました」
薔薇の館に入ると、既に乃梨子以外の山百合会メンバーは揃っていた。
皆の目が、一斉に乃梨子に注がれる。
「乃梨子、体の方は大丈夫なの?」
まず志摩子が、乃梨子の体を気遣うように尋ねてきた。
乃梨子は、笑顔で頷く。
「はい、昨日はご心配をおかけして申し訳ありませんでした」
全員に向けて、頭を下げる。
「謝ることはないのよ。でも、今日はあまり無理しないようにね」
「ありがとうございます、祥子様。でも本当にもう大丈夫ですから」
嘘でも何でもない。
現金なもので、お腹一杯に食事したら、体力は完璧に回復していた。
「昨日、元気の素を注入してきましたから」
腕を上げて、力こぶを作る仕種を見せる。
「へえ……元気の素、ねえ」
「ええ、そりゃもうたっぷりと」
何せ、二人で分けたとはいえ三皿+デザートだし、明らかに乃梨子の方が沢山食べていたし。
しかしなぜか由乃は、うっすらと頬を赤らめ、妙な薄笑いを浮かべて傍らに立つ令に声をかける。
「聞きました、お姉さま? 乃梨子ちゃんったら、『元気の素』を『たっぷり』と『注入』されたんですって。あらららら、いやー、きゃーっ」
「ちょ、ちょっと由乃、そんなハッキリと口にしないでよ」
「言い出したのは乃梨子ちゃんじゃない」
令もやっぱり、顔が赤くなっている。
はて、と首を傾げる乃梨子を放っておいて、由乃は祐巳に話しかける。
「ねえねえ祐巳さん、昨日は祐麒くん、何時ごろに帰ってきた? 帰ってきたとき、どんな感じだった?」
「え? えっと……九時半くらいだったかな。どんな様子って、うん、血色がよかったような」
「学校を出たのが五時前で、帰ったのが九時半かぁ。んで、血色が良かったと、これは決まりですかね、お姉さま?」
「由乃、あんまり詮索するのは失礼だって。下品よ」
「やだーっ、令ちゃんだって、想像しているくせにっ」
「あの、お二人とも一体何を」
乙女オーラを出してはしゃいでいる黄薔薇の二人に、乃梨子は疑問符を投げかける。すると、由乃はニヤケ顔、令は恥じらいと興味の混じった表情で、乃梨子を見据える。
「おやおや、おとぼけですか乃梨子ちゃん。元気の素をたっぷりと注入してもらったなんて、大きな声で言っちゃって、この!」
「え――――って、な、なんか……凄い勘違いしていませんかーーーっ!?」
何となく、由乃の言っていることの意図を理解して、一気に爆発する乃梨子。
「や、やっぱり外部の子は進んでいるなぁ……そ、それとも、ソレが普通なのっ!?」
「れれれ令さまっ、ですから誤解」
「ちょっと令、貴方一体、何をそんなに茹だっているの。ちょっと祐巳、貴方は理解しているの?」
「あぅ……はい、いえあのっ、やー私もよくわかりませんー」
「それならどうして、そんなに赤い顔をしているの?」
「あ、暑いかなーって」
意味を把握できていない祥子と、どうやら何となく理解したけれど白を切っている祐巳。
「そういえば乃梨子さん、同居しているおば様が出張されているから、しばらく一人だと仰られていました」
加えて、更に熱狂に拍車をかける一言を紡ぎだしたのは、いつの間にこの場にやってきていたのか、瞳子であった。
「マンションに今は一人だけ……」
「祐麒くんを連れ込んで……」
「二人きりの数時間……」
「元気の素の注入……」
「だーかーらーーーっ! へ、ヘンな想像はしないでくださいっ!」
乃梨子が何かを言おうとしても、誰も本気で聞こうとはしてくれない。皆の頭の中では、きっととんでもない想像が渦巻いていることだろう。大体、乃梨子と祐麒が二人で帰ることになったのは祐巳のせいだということを、誰も覚えていないのだろうか。
「乃梨子……」
「し、志摩子さん、あのっ、聞いてっ!」
肩を叩かれ振り向いた先には、真剣な目をした志摩子。乃梨子は最後の砦ともいうべき志摩子に縋りついた。
「わかっているわ、乃梨子」
乃梨子を安心させる、優しい女神の微笑。
そうだ、姉である志摩子なら理解してくれると、乃梨子は志摩子を仰ぎ見る。そんな乃梨子の手を取り、両手で静かに包み込んで、志摩子は女神の笑みから、そっと恥らうような表情へと変わり。
「でも、やっぱり、あまり直接的な表現は控えて欲しいの。嬉しいのは、分かるけれど、ねえ?」
「へ……」
唖然とする乃梨子。
志摩子は恥じらいの表情から再び、天使の笑顔にと戻る。
「おめでとう、乃梨子。だけど、痛かったりしたら無理しなくてよいのよ?」
痛いって、どこがですかと、心の中で問いかける。
「そういえば乃梨子さん、今日の体育は見学でした」
「まあ、やっぱり。無茶は駄目よ乃梨子」
体育を休んだのは、お昼に食べたおにぎりと牛乳の組み合わせが悪かったせいで、お腹の調子が優れなかったから。
というか、先ほどから余計な一言を挟んでくる瞳子は、乃梨子に何か恨みでもあるのだろうか。
「の、の、乃梨子ちゃん、そのさ、どうだった? どんな感じなの?」
「やっぱり痛いの? 祐麒くんは、優しくしてくれた?」
「痛いって、どこか怪我でもしているの、乃梨子ちゃんは?」
「いや、まあ、怪我といえば怪我……なのかな? その、女の子独特のさ……」
「うわーっ、今日帰ったら、祐麒と顔あわせられないよーっ」
お嬢様学校とはいえ、みんなお年頃の女の子。興味津々で瞳を輝かせ、話に興じている。当事者である、乃梨子ただ一人を除いて。
「――もうっ、私の話をきいてくださーーーいっ!!」
「えっと、惚気話ならまた後でゆっくりと……」
「だから、違いますーーーっ!」
乃梨子の悲痛な叫びが薔薇の館にこだまする。
結局、本当のことを話して誤解が解けたのは、祐巳が祐麒から裏を取ってきた翌日のことであった。
「……だから、昨日からそう言っていたじゃないですか」
「あはは、ごめんね乃梨子ちゃん」
口では謝りつつも、『本当のことは分かっているから、照れちゃって可愛いんだから』とでもいうような表情で乃梨子のことを見ている、山百合会メンバー達。
「志摩子さん、あの本当に私は」
「ふふ、大丈夫よ乃梨子。分かっているから」
「ああぁ、もぉ~っ」
生ぬるい目で見守られ、乃梨子は一人身悶えるのであった。
おしまい