「……おい、どういうことなんだよ」
獲物を狙うかのような鋭い眼光が正面から見据えてきて、思わずちびりそうになる。比喩ではなく、本気で。
「ど、どういうことと言われましても」
「なんで! あたしとお前が付き合っていることになってんだっつーの!?」
「そんなの、俺が知りたいですよ!」
祐麒も負けじと睨み返すが、迫力という点では全く及んでいないだろう。相手の目つきは、数々の修羅場を潜り抜けてきた鬼か羅刹のみが醸し出すことの出来るものだ。
正面から受け止めることが出来ず、思わず視線をそらしてしまう。
すると目に飛び込んでくるのは、カラフルなカーテン、丸っこくて小さなソファに可愛らしいクッション、ローズ系のベッドや布団カバーに枕、アンティーク風猫脚のドレッサーにスツール、そして部屋のいたるところに配置されているぬいぐるみたち。なんというか、お姫様系の室内。
「こ、こら、きょろきょろするな!」
祐麒の視線が室内を泳いでいるのを見て、怒られる。
だから言葉の主に目を戻せば、癖っ毛なのか色々とはねているけれどそれがワイルドさを出している赤茶色の髪の毛、野生の獣を思わせる鋭く吊り上った瞳。一方でそんな表情に不釣り合いなのは衣装で、オフホワイト×オレンジのボーダーのパフスリーブTシャツの上に、胸元のフリルが可愛い同色ドット柄のサロベットパンツにレギンスという、なんともキュートなコーディネート。
「な、な、なんだよ?」
その衣装を身に纏っており部屋の主でもあるアンリは、祐麒の視線を受けて口を尖らせる。文句があるなら言ってみろ、という感じだ。
「いや、いつもメイド服の格好ばかりだったから……凄く可愛いですね、アンリさんって」
怒られるのは怖というのもあるが、実際のところ本心でもあるので、祐麒はそう言った。
すると。
「―――――ば、ば、ばっか! そんなわけ、ねーだろ!」
「ふげぅっ!!」
真っ赤になったアンリに、強烈なボディブローをくらって悶絶する。ボディでダウンを奪うのは大変なのに、一撃でおとされるとはなんたる拳か。
「こ、こ、この部屋は、奥様に用意していただいた部屋だから、別にあたしの趣味ってわけじゃねーし!」
アンリは小笠原家に住み込みで働いており、住み家はというと庭に建てられている離れになる。1DKの間取りで、実質一人暮らしと変わらない。
「部屋はそうかもしれないですけど、家具やぬいぐるみや服は、アンリさんが選んで買っているんじゃないんですか?」
「うううううるせーな、どーせ、似合わねーってんだろ、畜生!」
「いや、だから可愛いって言っているじゃないですか」
再度言うと、またしても目を見開いて真っ赤になってしまう。
そういう反応が可愛くて、随分と祐麒も余裕を持てるようになってきた。
「こ、これは、反動なんだよ」
「反動?」
訊き返すと、ベッドの上で胡坐をかいている格好のアンリが、ぶつぶつと小さい声で話し出した。
「……あたしが昔、荒れていたことは知っているよな?」
「初耳ですけれど、想像はついてました」
「まあ、別に珍しい話でもなんでもなくてよ、親の問題とかあって中学の頃から荒れててさ、悪さっていうか、色々暴れていたんだ。いつも喧嘩に明け暮れていたような感じ」
そんなアンリがなぜ、今や小笠原家の使用人なんてものになっているのか。あまり詳しいところまでは話してくれなかったが、命に関わるような危険を偶然にも助けてくれたのが清子だったとのこと。更に清子はそれだけでなく、アンリを叱り飛ばしたという。
衝撃を受けたアンリだったが、それで終わりではなかった。既に実家からも勘当されており、命に関わる危機の中で裏世界からも追われる立場、一度は清子に助けられたものの、そのままでいられるわけもなく逃げようとしたが捕まり、若い女ということで『その手』の場所に売り飛ばされそうになった。反抗しようにも自由は奪われ、薬までも注入されそうになった直前、またしても清子によって助け出された。
もちろん、清子自身ではなく、清子が手配した特殊部隊によってではあるが。薬漬け、女の貞操、奴隷、そういったものから救助されたアンリではあったが、肉体的な拷問を受けて相当に弱っていた。
そんなアンリを拾い上げ、心と体を癒し、行き場のない彼女に小笠原家の住み込み使用人という立場を与え、新たな人生を授けた。
どうして、見ず知らずのアンリにそこまでしてくれるのか。ベッドで養生している時に見舞いに訪れた清子に、アンリは尋ねた。
すると清子は、なんでもないことのように淡く微笑んで答えた。
『――だって、一度助けたのだから、最後まで責任もって助ける義務が私にはあるもの。それに丁度、娘に年の近い子を雇いたいと思っていたのよ』
と。
その言葉を聞いて、清子の表情を見て、アンリは清子に敵わないことを悟った。同時に、一生をかけて清子に尽くそうとも思ったという。
「――とまあ、そんなわけだ」
「いやいや、全然っ、珍しい話ですって!!」
途中までは確かに、よく聞く話ではあったが、途中からはどこのノワール小説だよと突っ込みたくなった。普通の人間は、抹殺されそうになったり、奴隷として売り飛ばされそうになったりすることなどない。即ちアンリは、それほどヤバいことをしてきたということなのか。
「こうして、新しい人生を歩めるようになったのも、奥様のお蔭だからな」
「そ、そうだったんですか……あ、ということはもしかしてアンリさんって、元々は違う名前だったりするんですか?」
「ああ、本当は『こな』なんて名前でさ、ダサいよな」
「えー、そうですか? こなちゃんなんて、可愛いじゃないですか」
「んなこと……って、お、お前、何どさくさに紛れて人の本名聞き出してんだよ!!」
「うががががぎぎぎぎぶぎぶぎぶ!!!」
即座にスリーパーホールドが決まり、タップする。抱きしめられる感触を楽しむ間もなく、死を間近に感じてしまった。
「うあああぁ、奥様以外、誰にも教えてなかったのに……!!」
ベッドの上で丸まり、頭を抱えて唸るアンリ。
「ま、まあ、いいじゃないですか。俺は誰にも言いませんよ、二人だけの秘密ということにしましょう」
落ち込んでいるアンリの肩をポンポンと叩く。
「てめぇ、何なんでもないことのように言ってんだよ。あたしの本名がバレたら、またどこから狙われるかわかんねぇんだぞ? ちょ、本気でお前、一生、絶対あたしから逃がさねぇぞ」
むくりと体を起こし、襟首を掴んですごまれる。
「そ、それって、俺と一生一緒にいるってことですか? え、プロポーズ?」
「なっ……! そそそ、そんなこと、言って、ねえだろっ」
「でも一生逃がさないって」
「そ、そ、そ、そういう意味じゃ、な、ないし……」
アンリの扱い方がなんとなくわかってきたので、すごまれたときも冷静に対処。へなへなと耳まで赤くなったアンリからは力が抜け、呼吸が楽になる。
「ええと……それで、反動っていうのは」
「だ、だから……そういう人生を送ってきた反動というか……可愛いものとか全く縁のない人生だったから……」
要は、女の子らしいことをしてこなかったから、今になってそういったものを集めていると。だけど、そんな姿を晒すのは恥ずかしいから、普段は誰にも言っていないということだろう。非常に分かりやすいギャップ萌えだ。
よく見れば、本棚に並んでいる本も、格闘技や経済学の本にまじってかなりの量の少女漫画や少女小説だったりしている。
「くそっ、この部屋だって、奥様以外はあげたことなんてなかったのに……それもこれも、お前があたしのこ、こ、恋人だなんて奥様が勘違いなさるからっ……!!」
そもそも今日、なんでアンリの部屋に祐麒がいるのかといえば。
清子に呼び出されて小笠原家にやってくるなりこの離れまで案内され、アンリに対面させられたのだ。アンリも何も聞いていなかったらしいが、清子に逆らえるわけもなく祐麒を部屋に招き入れることとなった。
どうも、アンリと祐麒が恋仲だと勘違いしている清子、アンリが奥手でなかなか二人の仲が進展しないことにヤキモキして、アンリに半ば強引に休暇を与えたうえで祐麒を呼びだしたようなのだ。
「ち、畜生~~っ。奥様が、お洒落しなさいなんていうから、どこかに外出されるかと思っていたら……まさか、こんな」
「外出するとき、アンリさんはそういう格好をするんですか」
「しねーよ! だから、奥様に言われて……」
落ち着かなさげに体をもじもじさせているアンリ。
確かに可愛らしい格好ではあるが、特別に変わった服装ではない。そこまで恥ずかしがることはないと思うのだが、どうも普段から慣れていない格好でしかも祐麒の前だということが、アンリを落ち着かなくさせているようだった。
「だ、だ、大体、祐麒は奥様のことが好きなんだろ!? 変な誤解はさっさと解いて、奥様のとこに行けよ!」
今まで怖いとばかり思っていたアンリの、思いがけず可愛い部分を見てしまい、祐麒はついからかいたくなってきてしまった。
「んー、でも、この方が都合よくありませんか?」
「な、何がだよ」
「実際、清子さんは結婚していて旦那様もいるわけで、ガードは堅い。そう簡単にいくわけないじゃないですか」
「そこはお前、気合いで頑張れよ」
「頑張るにしても、俺と清子さんじゃ接点がなさすぎるんです。俺が清子さんを何度も訪れたり、電話したりというのは不自然というか、そもそも用事が作れない。でも、アンリさんと付き合っているということになれば、小笠原家に顔を出すのも自然でしょう」
「そ……それはそうかもしれないけれど」
「だから、俺とアンリさんが恋人のフリをするっていうのも、案外いいんじゃないですかね?」
「そ、そう……なのか?」
段々と誘導されていくアンリ。
「それに、清子さんだけじゃなく、アンリさんも女性としての幸せを求めてもいいんじゃないですか」
「な……何を言ってるんだ?」
「話を聞くにアンリさん、平穏な人生とは無縁だったようですし、小笠原家に来てからは住み込みで働いて出会いの機会とかもなさそうだし、そんな暇もなさそうだし。男性とお付き合いしたことって、ありますか」
「そっ、そんなこと、今は関係ないだろっ!」
「関係ありますよ、だって清子さんの幸せのためにアンリさんは俺と清子さんをくっつけようとしているんでしょう。でも、アンリさんの幸せは? それがなかったら意味ないじゃないですか」
「あ、あたしの幸せは、奥様の幸せで……」
「清子さんだって今、幸せじゃないなんてことはないでしょう。確かに旦那さんは愛人を作っているかもしれないけれど、少なくとも愛し合って結婚して、子供も出来て、夫婦仲も母娘仲も悪いわけではないわけだし」
「で、でも」
「それで、アンリさん彼氏いない歴は……そういえば以前、清子さんが言っていましたね。確か、彼氏いない歴26年でしたっけ」
「ま、まだ24年だ!!」
言ってから、はっとして口を押さえるも遅い。
「うぅ……」
悔しそうに俯いてしまう。
「だ、大体、あたしみたいな女、そういうこととは一生無縁なんだよ」
「なんでですか、アンリさん、可愛いですよ」
「う、嘘だ。目つき悪いの、あたし知ってんだ」
「それも一つのチャームポイントですよ」
「暴力女だし」
「守ってくれそうで頼もしいじゃないですか」
「む、胸だって全然ないし」
「俺、胸の小さい女性も好きですよ」
「だだだ大体あたし、今年で25だぞ。そんな」
「俺と9つ違い、10も離れてないですよ。それに俺、綺麗な年上のお姉さんっての、凄く好みなんで。9年上の25歳で彼氏いない歴25年、喧嘩に強くて気も強い、だけど可愛いところもあるなんて、最高ですよ」
「ううううううううぅ」
反論を全て封じられ、歯噛みするアンリ。
高校生男子に良いように言われ、真っ赤になって恥ずかしそうに、悔しそうに震えている24の乙女。なんだ、この可愛い生物は。
いつしか祐麒はベッドの上でアンリと並んで座り、腰に手をまわしていた。
「じゃ、じゃ、じゃあ、祐麒は…………あ、あたしのことが……す、好き……なのか?」
おそるおそる、といった感じで尋ねてくるアンリ。吊り目は変えられないから目つきは相変わらず鋭いが、どこか弱々しく懇願するような瞳。
あんなに強くて、よく知らないがとんでもない人生を送ってきているようなのに、この手のことには全く疎いようで。祐麒の言葉一つ一つに真面目に反応してしまって、こんなに隙だらけでチョロいようだと、心配すぎる。
好きかと問われると――――好き、なのかもしれない。
「い、いや、違う。だからそうじゃなくて、駄目だ、奥様が」
混乱して目を回しているアンリ。
「アンリさんは、どうなんですか?」
祐麒は腰に回した手に力を入れ、更にアンリを抱き寄せる。体勢を崩し、背中から凭れ掛かってくる格好となったアンリを、背後から抱きしめる。
「なっ……ば、馬鹿、いつの間に……離せよっ」
両腕を外側から包むようにして抱きしめているため、暴れようとしてもアンリは腕を使えず、逃れることが出来ない。
「アンリさんは俺のこと、どう想っているんですか?」
「ど……どどどどどどう、って……」
顔を斜めにして見上げてくるアンリ。
「年下は嫌ですか?」
「べ……別に、そういうわけじゃ」
「高校生じゃ、年下すぎますか?」
「よ、よくわからないよ」
「自分より弱い男は駄目ですか?」
「強い方がいいけど、駄目なわけじゃ……」
「じゃあ、俺が恋人というのは、嫌ですか?」
「そ、そ、それは……ってゆうか、い、いつまでこんな格好しているつもりだ、離せ!」
「離れたいなら、離れればいいじゃないですか」
「だ、だから、お前が動けなくしているんだろ」
「こんなの、アンリさんが本気を出したらすぐに解けるじゃないで……あだーーー!!」
言った途端、本当に本気を出されて腕を捻られた。
「ったく、油断も隙もない」
そそくさと距離を取るアンリ。
祐麒は痛む腕を押さえながら、それでもアンリを攻める。
「あー、でもあんなに強いから筋肉凄いのかと思いましたけれど、すごい柔らかいんですね、アンリさん」
「な、何を」
「それに、凄くいい匂いだったし」
「何を言って……て、ちょ」
ばたばたと慌てふためき、ベッドの上を四つん這いで逃げ出す。スカートだったらパンツ丸見えのところだったが、さすがにそうはいかなかった。
「で、どうします?」
「どどど、どうって、何が」
「俺と、恋人同士のフリをすることですよ」
「え……と……」
「あくまで、フリ、ですから」
「フリ……なんだよな?」
頷く。
もちろんフリではあるのだが、そこから真実の関係になっていくのもアリかもしれないと祐麒は思い始めていた。それくらい、今日この部屋で目の当たりにしたアンリの姿は普段とギャップがあって、可愛かったから。もっと、アンリのことを知りたいと感じたから。
「お、奥様と仲良くなるため、なんだよな?」
「そうです」
「そういうことなら……ま、まあ……あり、なのか……?」
ぶすっとしつつ、小さく頷くアンリ。
「良かった。それじゃあ」
「な、なんだよ」
近寄っていくと、あからさまに警戒するアンリ。
「あんまり逃げないでくださいよ。ほら、恋人同士のフリを疑われないためにも、まずは俺たちがある程度仲良くしないと、不自然じゃないですか」
「そうかもしれないけど……ひゃっ!?」
アンリの手に、自らの手を重ねる。
「な、な、な、なんだよっ」
「えと……アンリさんとちゅーしたいなって」
「なっ…………ば、ば、馬鹿やろーーーーー!!!」
コークスクリューパンチが頬にめり込み、壁際まで吹っ飛ばされた。
「ち、ち、ちゅ、ちゅーなんて、そんな、いきなりレベル高すぎだろ!?」
「痛い……っ、アンリさん、俺に清子さんと関係を迫るくせに、自分のことになると純情なんですね」
「~~~~~~っっっ」
指摘され、サロベットのパンツを掴んで打ち震えるアンリ。
そして。
「な、な、なんだよお前、なんなんだよっ!? そ、そんな、そんな平気な顔して、凄い恥ずかしいことばかり言って、余裕見せちゃって、そんなにあたしを馬鹿にしたいのかよーーーっ!!」
じたばたと喚き出すアンリに、祐麒はまた別の意味でびっくりさせられた。
「そ、そりゃ、あたしはそんな経験皆無だし、お前から見たら25の女のくせに馬鹿みたいって思うのかもしれないけど、畜生、畜生っ!!」
「わ、え、落ち着いてアンリさんっ」
まるで幼い子供のように足をばたばたと上下させる。
「う、う、うるさいうるさーーい! ど、どうせあたしなんか、25にもなって知っているのは喧嘩の仕方くらいで、なんにも知らない女だよ! お、お、お前は、な、何人もの女と経験してきているのかもしれないけど、くそくそっ!」
殆ど泣きそうな勢いである。
でも、なんとなく分かったかもしれない。アンリは中学に入った頃から荒れはじめ、それからは相当に凄い世界で生きてきたようだ。生きるか死ぬか、社会の闇、裏の世界なんてものを歩いてきたのかもしれない。だからこそ、こと恋愛とかそういうものに関しては、小学生と変わらないのだと。
小笠原家の男性使用人は年配ばかりだし、使用人という身では家の人や客人と立場が異なり、機会もなかったことだろう。アンリ自身、その手のことに積極的になってこなかったかもしれない。
アンリの反応が可愛いからと、気軽に意地悪してきたことを後悔した。
「ごめんアンリさん、そんなつもりじゃなかったんだ。俺だって、生まれてこの方、彼女なんていたことないし」
「う、嘘だね、じゃなきゃあんなぽんぽんと、軽い言葉が出てくるはずないし」
「いや……それは、アンリさんがあまりにテンパっているから、逆に俺は余裕が出たというか」
「それに、あんな簡単にちゅーしたいなんて言うなんて、今までに何度もしたことあるからだろう」
「一回もしたことないですっ」
「嘘だ。だってそれじゃあ、初めてのキスを、好きでもない相手とそんな簡単にしたいなんて言うわけがない」
「そりゃそうですよ、俺だって、本当に好きな人とじゃなきゃキスなんてしたいとは思いませんから」
「ほら見ろ、だから」
「だから……ほら」
言いながら祐麒は、そっとアンリの頬に手を添えて前髪をかきあげ、額に軽く唇をつけた。触れるだけの、キス。
「え――――」
硬直するアンリ。
次の瞬間、爆発したかのように首から耳まで紅潮させた。
「な、な、なななな、なっ――」
おでこを手で押さえ、祐麒を見上げるアンリ。
「ヤバいです。なんか俺……本気でアンリさんのこと、好きになってき始めてるかも」
そして祐麒は、アンリの右手を握り、アンリと視線をあわせて告げた。
「ふ、ふ、ふざけるのも大概に」
「ふざけてなんかないですよ、だから……本当のキスは、アンリさんが俺のことを好きになってくれるまで、お預けにします」
「そ、それじゃあ奥様に申し訳が」
「清子さんはそもそも、俺とアンリさんが付き合っていると思っているし、更に仲良くさせようと今日みたいなことを画策したんでしょう? 清子さんが望んでいるのも、アンリさんが女の子として幸せになることなんじゃないですか?」
「お……女の子、って年でも柄でもねぇし」
「十分に女の子だと思いますけど……こなちゃんは」
「~~~~~~っっっ!!」
今日知った、本当の名前で呼ぶと。
アンリは瞳を潤ませ、口を震わせ、頬を赤らめ。
無言のまま、目にもとまらない掌底打ちを顎にクリーンヒットさせてきて、祐麒はそのまま気を失ったのであった。
気が付いた時は、既に陽が沈んでいた。
アンリが言うには、おそらく後遺症は残らないだろうが、もしも夜中に頭痛や吐き気が発生するようだったら連絡するようにとのことで、非常に不安だった。
「……って、あ、これってもしかして、アンリさんの携帯番号ゲット?」
「変な意味に捉えるんじゃねえっ!」
「それじゃ、俺の携帯番号も教えておきますね」
「お……おう」
祐麒が気を失っている間に、いつの間にかアンリはラフなシャツにジーンズという格好に着替えていた。そんなに恥ずかしがらなくても良いと思うのだが、まあ、またいずれ目にする機会もあることだろう。何せ、二人は『恋人同士』になったのだから。
「……だから、フリだからな、あくまで、フリ」
「分かってますって」
アンリの見送りを受けて門に向かっていると、清子が逆に外出から戻ってでもきたのか、中に入ってくるところだった。
「あら祐麒さん、もうお帰りになるの? ふふ、真由さんのお部屋に泊まっていっても、よいのですよ」
「お、奥様っ! わ、私たちはそのような……」
「えと、それはまた今度にでも。アンリさんもお仕事、忙しいですし」
早速、フリすら忘れて否定しようとするアンリの言葉を遮り無難に応答すると、清子は少し驚いたように祐麒と、そしてアンリを見た。
「まあ……ふふ、仲が良いのですね。真由さん、随分と雰囲気が変わりましたね」
「え?」
「それでは、私はここで。祐麒さん、またいつでも遊びにきてくださいね」
軽く頭を下げ、去っていく清子。
その仕草や表情には、やはり祥子やアンリには無い艶然としたものがあり、どうしてもドキッとさせられる。
「――――やっぱり、奥様がいいだろ?」
清子の姿が小さくなるまで見送っていると、腕組みをしたアンリが不機嫌そうに言うので。
「いやいや、今は俺の恋人は、こなちゃんですから、ね」
「なっ――――ゆ、祐麒っ、てめその名前」
「大丈夫、二人きりの時しか呼びませんから」
「だ、だから、駄目だっつってんだろ!!」
次の瞬間、こめかみに見事なホースキックが炸裂した。目にも止まらぬとはこのことか。
宙を舞いながら。
アンリとなら、常に刺激的で危険で、それでいて楽しくて愛おしくなるような関係を築くことが出来ると思う祐麒なのであった。
おしまい