午前中の講義を終え、昼休みに入った。学食に行くか、購買で何か購入して外で食べるか少し考え、今日は外で食べようと決める。
サンドウィッチと紅茶を購入して外に出ると、天気も良いせいか、結構な数の学生が様々な場所に腰をおろしてランチをとっていた。
空いている場所を探して適当に座り、景も昼食にかかる。まずは紅茶の紙パックにストローをさし、一口すする。
「カトーさん、みっけた!」
「ぶふっ!」
いきなり背中を強く叩かれ、紅茶を噴き出しそうになったものの、口を閉じてどうにか堪える。せき込みそうになるのを抑え込んで振り向き、犯人に向かって鋭い視線を投げつける。
「あのねえ、佐藤さん」
「あはは、ごめんごめんよっと」
まったく悪びれた様子もなく、くるりとまわって景の隣に腰を下ろす。手には、有名なお弁当屋さんのビニール袋が提げられている。
「最近、ここのお弁当屋さんの味にはまっててねー、店のおばちゃんと仲良くなってから、特別に味付けとか変えてもらっちゃったりして」
にこにこと嬉しそうに、お弁当の包みを開く。どうやら今日は、回鍋肉弁当のようで、確かに食欲を刺激する匂いが景の方にも漂ってきた。
「まったく、相変わらず、人気者みたいね」
白薔薇様だったせいなのか、あるいは生来の気質なのか分からないが、聖は大学内においても人気がある。誰彼構わず、軽い言葉と魅力的な笑顔で仲良くなっていくのだが、景からしてみれば軽薄としか映らなかった。その評価も、ある事を機会に変化し、付き合い始めてみると単なる軽薄な人間ではないと分かるのだが、それでもうっかりすれば忘れてしまいそうなほどの普段の言動なのである。
皮肉を込めて言ったつもりなのだが、そんなことで応えるような聖ではない。割りばしではない、マイ箸を取り出して美味しそうに弁当を頬張りながら、口を開く。口にものをいれながら喋るのは行儀悪いと、何度注意してもなおらない。
「人のこと言えるの? カトーさんだって」
「はぁ? 何を言っているの」
思いっきり胡散臭げな視線で見つめ返す。聖の言うこと全てを本気で聞いていたら、疲れるだけである。
「何って聞いたよー。昨日、可愛い高校生男子と手に手を取ってラブラブと帰って行ったって」
聖の発言に、思わず眼鏡をかけなおしてまじまじと顔を見る。口に入れたサンドウィッチをよく咀嚼し、飲み込み、紅茶を流し込んで、もう一度見る。
「昨日、一昨日と、ずっと大学の前で誰かを待っている様子の高校生。可愛らしいその男の子のお相手は何と、カトーさんというからびっくりじゃない。その相手ってさ、祐麒でしょ? いつの間にそんな仲になったのかなー。いや、様子を聞くに祐麒の方がカトーさんに一方的に惚れちゃったのかしらん?」
「いや、それは」
「でも応じるってことは、カトーさんもまんざらではない感じでしょ。喫茶店で仲良くお茶している姿を見かけたって子もいるし、カトーさんにも春がきましたか、ん?」
頭痛がしてきて、額を手でおさえる。
聞けば、二日連続で門の前で立っていた祐麒は、学生内で少し、噂になっていたらしい。男にしては可愛らしい顔立ちをしている祐麒は、リリアンのお姉様方から人気が出る要素を備えていたらしい。
また間の悪いことに、昨日の景の服装も誤解を生む原因となった。パンツ派の景は、いつもパンツで登校し、スカートを履いて大学に来た記憶はほとんど無い。それが一昨日、部屋で失態を犯して服を汚してしまったのだ。無事だったズボンも昔のもので、外に出ていくのに着用するのは耐えられず、それで珍しくスカートを履いて通学したのだが。
どうも、祐麒と約束していたからお洒落をしてきたのだという根も葉もない噂が、どこからともなく生じてしまった。二日連続で長時間、門の前で待ち続けていた祐麒の行動と全く整合性が取れていないというのに。それはやはり、喫茶店で、二人でお茶しているところを見られたから、真実味が増して信じられているということだろう。リリアンの生徒が好んで通う喫茶店だということを失念していが、まさかこんな噂が立つなんて思いもしないから、景としてはどうしようもない。
いや、景はまだいい。噂は単なる噂であり、事実とは全く異なる。適当にあしらっていればいずれ忘れ去られていくだろうが、可哀相なのは祐麒である。大学内で景との仲が噂となって広がり、その噂が聖の耳に届いているにも関わらず、聖はいつも通り。それどころか、景との仲を喜んでさえいるように見えて、即ちそれは、祐麒に対して今のところ何も特別な想いを抱いていないということで。分かっていたこととはいえ、さすがに少し、同情する。たとえ噂が嘘だとしても、祐麒にとっては壁として立ちはだかるのではないかと、なんとなく予想がつくから。
「カトーさんって、年下好みだったの? それにしても、展開早いね、あたしも驚いたよ」
「あのね、あの子とはそういうのじゃないから、言っておくけれど。勘違いしないで」
「えー、そうなの。意外とお似合いだと思うよ、カトーさんとは」
「だから、違うってば」
「むー、そうなのー。なんだー。カトーさんガード堅い? こりゃ、祐麒もなかなか先が大変だ」
的外れのことを口にしているのに、その結論だけは合っているというのがややこしい。本当に、祐麒は大変だろうと考えて、自然とため息をついてしまった。
すると。
「でもさ、まだ祐麒のことよく知らないでしょ? そんなに一方的に断らないで、少しは真剣に考えてあげたら? 合うかもしれないじゃん」
にこにこと、胸をそらせて言う聖を見て。
「……その台詞、よーく覚えておいた方がいいかもよ?」
「は? なに?」
思わずそんなことを言い返してしまう景なのであった。
指定された場所に向かいながら、祐麒は胸の鼓動をどうにか抑えようと、懸命に全く関係ないことを考えようとしていた。
ことが起こったのはほんの二日前。聖と連絡がとりたいと思い、ここはやはり大学前での待ち伏せ作戦しかないかと考えている最中に、祐麒あてに電話が入っていると祐巳から呼び出された。
その電話の相手はなんと、祐麒が連絡したいと思っていた聖自身からであった。しかも、祐巳ではなくわざわざ祐麒を指定してのことである。
電話に出てみると、何やら、話があるが電話で話すようなことでもないので、どこかで会えないかということ。からかわれているのではないかと疑いながらも、こうして今日の約束をして、今まさに、待ち合わせの場所に向かっているというわけである。
そうそう都合の良いことばかりではないだろうと思うものの、期待をしないというのもまた無理な話で、どうしても色々と想像をしてしまう。それに、あんなにも会いたいと思っていたのに、こうしていざ、会うことが決まると、本当に何を話せばよいのか分からなくなり、まとまらないまま向かっている始末。
結局、何も決まらないまま待ち合わせに指定されたファミレスに到着した。時間を確認すれば、ほぼ約束の時間通りで、足早に店内に入って中を見回すと、奥の方の席で手を振る聖の姿を見つけた。
「すみません、遅れちゃいました」
「いや、時間ぴったしだよ。あたしが時間を間違えて、早く来すぎちゃったんだよね」
「は?」
聖の向かいの席に腰を下ろしながら、疑問符を飛ばす。時間を指定したのは、聖の方であったが。
「いや、そうなんだけどさ。たまにはそういうこともあるでしょ?」
「はあ……」
やってきたウエイトレスにアイスコーヒーを注文し、一息つく。思いがけない聖からの先制パンチ(?)に、緊張していた心がふんわりと軽くなる。
やがて運ばれてきたアイスコーヒーを一口飲んだところで、聖はいきなり核心をついてきた。
「聞いたよ、祐麒。カトーさん」
「えっ」
にやり、と笑う聖を見て、思わず目をそらしてしまう。そんな祐麒の反応を見て、また楽しそうな笑みを浮かべる聖。
タイミング的にその話の可能性が高いとは思っていても、いざ口に出されると気恥ずかしくなってしまう。それに、景は自分の口からは聖に言わないと言っていたはずなのにとも思う。何かのはずみで言ってしまったのか、それとも後から心変わりしたのか、いずれにしろ祐麒としてみたら機会であるに違いはない。
「あの、そのことなんですけど」
「まあ落ち着いて。分かっているから」
前のめりになるところを、掌を差し出されて抑えられる。
ホットコーヒーを啜り、祐麒を見つめる聖。
「さすがに少し、驚きはしたけれどね。だってまだ、ほんのちょっと会ったことがあるだけじゃない」
「あの、そ、それは」
「OK、分かってるよ、話した回数とかじゃないものね、そういうのは。分かってる、祐麒がカトーさんのことを想う気持ちの深さは」
「…………え?」
本気で、ぽかんとなる。冗談を言っているのかと思ったが、聖はあくまで真面目な顔をしている。
「二日間ずっと、大学の前で待っていたんでしょ? で、カトーさんと二人でデートしていたって、結構な噂だよ」
「え、うそっ」
からかっているのだと思ったが、何やら嘘とも言い切れない。確かにリリアン女子大の前で二日間の出待ちをしていたし、女子大生達からある程度、見られていたという自覚はあったけれど、だからといってまさか、自分のことがそんなに記憶されているなんて、考えてもいなかった。しかもそのせいで、あらぬ誤解まで受けているとは。
「ちょ、ちょ、ちょっと待って下さい聖さん」
「まあまあ、それよかいいものあげるから、携帯出して。情報送ってよ」
人の話を聞いているのか、携帯をいじっている聖。よくわからないがとりあえず自分の携帯電話を取り出し、赤外線で自分の携帯電話情報を送信する。
「おー、きたきた……っと、んじゃ次はこっちからね」
「あ……」
あれほど欲しいと思っていた聖の連絡先が、こんなにもあっさりと、しかも向こうの方からの提案で入手できるとは、思ってもいなかった。今日も、どのようにして不自然さなく切り出そうかと、実は内心で色々と切り出し方を考えていたのだ。
「結構、時間かかるな……っと、行った行った、見てみて」
言われなくても、さっそく開いて見てみると、間違いなく『佐藤 聖』の名前がアドレス帳に登録されている。これで、さすがに電話をするのは躊躇うが、メールならばそこまで抵抗することもなく送ることができる。
「顔、にやけてるよ。そんなに、嬉しかった~?」
「あ、いや、これはっ」
慌てて手で顔を隠そうとするが、見られた時点で遅いだろう。そもそも、祐巳ほどではないにしても、考えていることが比較的分かりやすいと言われるのだ。
「まあまあ、良いって。祐麒の気持ちも分かるから」
「え…………」
思わず、ドキッとする。
それは即ち、祐麒の想いを、気持を理解しているということなのだろうか、などと一人で緊張していると。
「我ながら、良い画だと思ったんだよねー、ソレ」
「は……?」
言っていることの意味がよく分からず、とりあえずもう一度携帯電話を見返してみると、何かデータが一件、聖から送信されてきていたことに気づく。何だろう、と思ってそのデータを開いてみると、それは祐麒と景が仲良さそうに寄り添っている画像だった。景は祐麒の腕を取り、二人ともほんのりと頬は赤く、それでいて笑顔。
聖と景、二人に連れていかれた居酒屋でのことだと思いいたるが、このような状況になったことも、またそんな状況で写真を撮られていたことなど、まったく覚えていなかった。流れの中で、そういったシーンがあったのだろうが、まさかそんな瞬間を聖に見られていたとは、祐麒としては失態というしかない。いや、その時はまだ、はっきりと聖に対する想いを自分自身で認識していなかったから、そこまでは考えられなかったかもしれないが。それでもやはり今、聖に知られていることの方が問題だ。
「あの、これ違いますからっ。俺はですね、加東さんのこと」
「あはは、照れてるの祐麒? 可愛いねー」
思わずテーブルに突っ伏す。聖は完全に誤解をしているようだった。短いながらも、聖と景、二人との今までの流れを思い返してみて、確かにそのように受け取られても仕方ない部分はあるかもしれないと思ったが、だからといって受け入れられるものではない。
しかし、今の聖を見る限り、すっかり祐麒が景のことを好きだと思いこんでいて、今の状態で何を言ったとしても、「こいつ、照れているな」くらいにしか感じないだろうと思った。
そしてそれ以上にショックだったのは、祐麒が景のことを好きだと勘違いしていても、聖は何とも動じていないことだった。まあ、聖が祐麒のことを恋愛対象となんて観ていなかったことは分かっていたが、それでもここまであからさまに態度で示されると、頭の中で理解していたとしても充分にダメージは受ける。
「はっはっは、悩める青少年、いや若いねー」
駄目そうである。これからどうすればよいのか困る。いっそ、聖に告白してしまおうかと思わなくもないが、この状況で告げたとして、聖がどのように受け取るだろうか。
「ほら祐麒、顔あげなって」
言われてのっそりと顔をあげると、何がそんなに嬉しいのか、嬉々とした表情で祐麒のことを見つめてきている。
逆に祐麒は、どんどん元気が失われていくような気がする。そんな祐麒の姿を、恋に悩んでいるとでもとらえているのか、元気づけるように笑いかけてくる聖。
「確かに、カトーさんは手強いかもしれないけれど、脈がないわけじゃないと思うよ。むしろ、充分にあると思う。今までを見てきても、カトーさん、祐麒に対して少なくとも好印象は抱いているし、年下もいけるね。カトーさんさ、面倒見がいいから、きっと祐麒みたいな、年下でちょっと守ってあげたくなるような子はね、はまると思うよ。あとはこう、祐麒がいかにして」
とくとくと、祐麒が頼んでもいないのに、色々と景に関する情報や、レクチャーを与えてくれる。もし、本当に祐麒が景のことを好きになっていたら、これほど嬉しいことはなかったかもしれない。実際に景は魅力的だし、祐麒が憧れて好きになる要素を十分以上に備え持っている。ほんの少し、天秤に乗せられた何かが異なっていれば、景の方に天秤は傾いていたかもしれないのだ。
それでも現実は、聖の方に天秤は傾いた。その現実において、今の状況は祐麒には辛かった。
「聖さん、あの、聞いて下さい」
「ん、何々、言いたいことはカトーさん本人に直接言いなよ?」
コーヒーのお代りもすでに飲みほし、紙ナプキンで鶴を折りながら人ごとのように受け流す聖。もっとも、今の聖にとっては確実に人ごとなのだろう。
「そうじゃなくて、あのですね」
「うあっと、ちょっと待って! やば、いつの間にかもうこんな時間っ。バイトの時間に遅れちゃう、もう行かなくちゃ」
祐麒が口を開こうとするその手前、店の時計にちらりと目を向けた聖が慌てて腰を浮かせた。
「ちょっと、待ってください聖さん。あの」
呼び止めようとするが、慌ただしく荷物をまとめる聖。といっても、携帯電話と携帯音楽プレイヤーくらいしか持っているようには見えないが。
そして立ち上がった聖は、ジーンズのポケットから千円札を一枚取り出してテーブルの上に置く。
「これ、あたしの分ね。悪い、祐麒、時間ないからもう行くわ。カトーさん情報は引き続き善意で流してあげるから、安心して。あと、相談とかあれば遠慮なく言いなさい。あ、話の続き、良かったらメールでもして。んじゃねっ」
言いたいことだけを言い放ち、手を挙げて颯爽と店を飛び出していく聖。店のウィンドウ越しに、聖がほとんど駆け足でバイト先に向かっていくのを、ただ声もなく見送る祐麒。結局、誤解はとけぬままに別れてしまった。
祐麒はがっくりと肩を落とし、無言で折りたたまれた千円札を見つめる。
収穫もあったけれど、傷も負った。立ち上がれなくなるわけではないし、そもそも、これくらいで立ち上がれなくなるなら、最初から想いを寄せることなどしなければよいのだ。そんなことは頭では十分に分かっているけれど、それでも直ぐに上を向けるかと言われると、そうはいかないのが人間というもので。
「あぁ、今ん所、脈なしか……」
分かっていたこと、あるいは予想出来ていたことが、本人から明らかにされたというだけのこと。
だが、こうして祐麒に対して勘違いではあっても好意的に接してくれていることは、悪くはないだろう。本心は分からないが、少なくとも祐麒と話をしているときは楽しそうにしてくれているし、嫌な相手なら、そもそも今日みたいな理由でわざわざ呼び出したりはしないはずだ。
だから祐麒のポジションとしては、マイナスというよりはむしろプラスに近いのではないかと、良い方向に考える。
連絡先も手に入れたし、今後は接する機会を自らの行動で増やすこともできる。誤解をといて、きちんと自分の想いを伝えることだって、充分に機会を得られるはずだ。
新たに登録されたアドレス帳を開いて見て、思わず笑みが浮かぶ。
「でも、まあ」
いくら聖が言ってくれたとはいえ、電話やメールで告白をするというわけにもいかない。
聖との接点を保ち、仲良くなり、場所とタイミングをはかって自分の気持ちを伝えるしかないだろう。
携帯電話に登録された聖のアドレスを見て、祐麒は一人、細く息を吐きだすのであった。
第五話に続く