眠れる森の美女ならぬ、眠れるベンチの美少年がいた。
GWが過ぎると、一気に春の暖かさが全開となってきたこの頃、確かに昼寝するには良い気候かもしれないが、本当に寝てしまっている者がいるとは。
放課後、人気の少ない中庭を散歩していた聖は、ベンチに座っている後輩の姿を見つけて近づいてきたのだが、近づくほどにどうやら寝ているということに気が付いた。
リリアンの制服を着ていてなお、美少年にしか見えない少女は支倉令。聖の一年後輩で、黄薔薇である江利子の妹。
こうして少し遠くから見ていると、見事な一枚の絵のようだが、やっぱり美少年だよなぁと思ってしまう。
実際にはとても少女らしい心を持っていると知ったのは最近のこと。それまでは、殆ど興味を持っていなかった。
令はベンチに座って寝ていながらも、姿勢よくしている。この辺は剣道を幼いころからたしなんでいるためだろうか。
足音を立てないようゆっくり近づき、令を観察する。姿勢はよいが、首はわずかに傾いていて、口が小さく開いている。ベリーショートの髪の毛は春風にふかれてさらさらと僅かにそよぎ、タイもかすかに揺れている。
確かに、見た目だけなら美少年なのだろうが、聖にとってはしばらく前から可愛らしい女の子にしか見えない。今だって同じことだ。
きっと他の、例えば令のファンが見たら、凛々しい王子様がまどろんでいるように見えるだろうが、聖から見れば可憐なお姫様がうたたねしているように見える。
そして、お姫様の目を覚ますと言えば、王子様のキスが相場なのだ。
聖はほくそ笑みながら、そっと令に近づく。
「こんな無防備に……これはやはり、王子様のキスを待っているのかな、お姫様?」
令が可愛いものに、自分が可愛くなりたいという願望を持っていることを知っている。だけど、似合わないと思い込んでいる。
ならば、ここは自分が王子様になってやろうではないか、なんて勝手に考える。
だが実際、今のリリアン女学園で『王子様』キャラといえば、令の他には聖しかおるまいとも思う。
令はその凛々しさと優しさから、上級生、同級生、下級生とあらゆる方向から人気があるが、聖の人気は下級生にほぼ限定される。まあ、そういうキャラを作り出したのが三年生のつい最近になってからなのだから、当たり前といえば当たり前だが。これからはもっと頑張って、令から王子様の座を奪ってやろう。ちょっと軽薄すぎる王子様かもしれないが、令と同じ路線でやったって勝てるわけがないのだから仕方ない。
道は険しいが、聖が王子様として君臨すれば、令だって王子様キャラから解放されてお姫様になれる……そう考えて、なんとなく腹立たしくなる。
他の人は知らなくても良いことだ。聖が可愛い女の子であることなんて、自分だけが知っていればよい。聖は我が儘で自分勝手で、独占欲が強かった。
そうこうしているうちにベンチの背後に辿り着いた。
正面から攻めるのも面白いが、こうして背後から覆いかぶさるようにしてキスしちゃうのも意外性があって良いのではないか。あ、でも本当にキスしたら怒られちゃうかな、だったらほっぺくらいにしておくか、なんて事を考えながら顔を近づけた瞬間。
「――何者っ!!」
「うおわぁっ!!!?」
いきなりパチリと目を開けた令に、顎を掴まれた。
「ちょ、令、あ、あたしっ」
「え……あ、せ、聖さまっ!?」
慌てて指を離す令。
「あイタタタ……び、びっくりした!」
「ご、ごめんなさいすみません聖さまっ!」
ベンチからバネ仕掛けのように立ち上がり、ぺこぺこと頭を下げる令。
「あ、いや、別にいきなり近づいたのはあたしの方だし、いいんだけど」
咄嗟のことで力の加減もなく掴まれたのだろうから、ちょっとばかし掴まれた顎から頬のあたりが痛かったが。
聖は頬をさすりながら苦笑いし、ベンチを迂回して令の前に立つ。
「眠っているとばかり思っていたよ。まさか、令に一本取られるとはね、いつから気が付いていたの?」
「あ、いえ……本当に寝ていたんです。ただ、何かふと邪悪な気配を感じたので、一気に目が覚めて咄嗟に……って、すすすすすすみません!」
邪悪、なんて言葉を口にしたことに気が付き、またも謝る令だったが、あまり反論もできないので怒ることもできなかった。
というより、むしろ感心した。
「へえ、凄いね、そういうのに気づくの?」
「あの、うち剣道道場で、小さいころから私も習っていたせいか、時々そういうことが」
「ふうん、何、"気"をつかむとか、そういうの?」
「はい、そんな感じです」
「で、近づくあたしの邪気を感じたと」
「はい……って、あわわ」
「もういいから」
何か言うたびに慌てる令。
以前は、そんな令を見たら鬱陶しくてウザくて仕方なかったろうと思う。ところが今は、可愛いと思ってしまうのだから不思議だ。
「でも、聖さまは何をしようとしていたんですか? あ、いきなり驚かそうと?」
「ん? いやー、令がよく寝ているようだからさ。お姫様を眠りから覚ますには、昔から王子様のキスって相場が決まっているじゃない。だから、そうしようと思ったんだけど」
「はあ…………って、き、キスっ!?」
真っ赤になる令。
「で、でもそれは、役割が違うと思います」
「そう? あたしはそんなこと思わないけど」
「そうですよ」
ちょっと拗ねる令。
また、自分がお姫様なんて似合わないと思っているのだろう。
「で、令はどうしてこんなところで昼寝していたの?」
「それは……あっ、そ、そうだ、先生から頼まれごとしていたんだ! す、すみません聖さま、失礼します」
「はいはい、気ぃつけなよ~」
ぷらぷらと手を振る聖に頭を下げ、令は急ぎ足で校舎へと向かって行った。
その後ろ姿を見送り。
「頼まれごとがあったのに途中で寝ちゃうって……天然?」
笑うしかなかった。
そんなことがあった数日後。
せっかく気が向いて真面目に薔薇の館に来たというのに、誰もいなかった。まあ、最後の授業をさぼってやってきたのだから、当たり前かもしれないが。この辺の天邪鬼な所が佐藤聖らしいところ、なんて一人で思ったところで誰もいないことに変わりない。
帰ってしまおうかとも思ったが、そうすると今度は蓉子あたりに、「まて聖はいつもサボってばかりで……」なんて愚痴を言われることになる。本当なら他の皆が来るよりずっと早くに来ていたのだから、怒られるのは癪に障る。
ならば、むしろここで皆を待ち受けて、「遅いなぁ、やる気ないんじゃないの?」なんて言ってやるのも一興か(授業が終わってからくるのだから、遅いことなんてなく普通であり、あっさりそう蓉子に返されることが想像できないのも、佐藤聖たる所以だ)
とはいえ、待つにしてもまだ一時間以上もあるわけだ。授業が終わり、掃除なんかしていたらもうちょっと時間がかかるかもしれない。聖は鞄から一冊の文庫本を取り出して広げた。
「えと、何持ってたんだっけ……って、あ、これ一度読んだやつじゃん」
取り出した本を見てがっかりする。
「まあ、何もないよりましか……」
手に取ってパラパラとページを捲る。
「ん……」
この季節、薔薇の館は過ごしやすい。
夏は暑くて冬は寒いが、春はちょうどよい。暖かい日差しが差し込み、木の香りが中にいる人を包み込んでくれる。
特にやる気もなく、一度読んだことのある文庫本を読んでいるような生徒がいたら、すぐに眠気を誘われてしまうほどの心地よさがある。
「ふぁ……」
案の定、聖も小さく欠伸をする。
目がとろんとしてくる。
「んんっ……」
そして。
聖の意識は途切れる。
ぱたぱたと床を踏み鳴らし、ギシギシと階段を唸らせながら、二階の扉の前に令は辿り着いた。
(建物が古いだけだよね、別に私の体重のせいじゃないよね?)
ゆうに170センチをオーバーする身長、そして剣道で鍛えた肉体ゆえ、令の体重は同世代の女子よりも重めだ。節制はしているし余計な肉をつけているつもりはないけれど、それでもどうしても気になってしまうのは仕方ない。
薔薇の館の階段の軋みも、皆で一緒の時は気にならないが、一人の時はこうしてたまに気にしてしまう。
(でも実際、由乃が歩くときはあまり鳴らない気がするし……)
従妹である由乃のことを思い浮かべる。
細くて、強く抱きしめたら折れてしまいそうな由乃は体重も軽い。その由乃が歩くときは、心なしかあまり軋まないような気がするのだ。
もちろんそれは単なる気のせいであり、心臓が弱い由乃は他の人よりもことさらゆっくりと上るため、あまり音がしないというだけなのだが。
そんなことを考えながら、通称『ビスケットの扉』を開く令。
「ごきげんよう――――」
口を開いて、そのまま噤む。
そっと室内に入り、ゆっくりと扉を閉めて、テーブルの上に鞄を置く。
授業が早めに終わった上に、掃除当番もなければ部活も休みの日だったから、他に誰も来ていなくても不思議でないと思っていたのに、既に人がいた。
ただその人は、椅子に座ったまま寝ていた。
「…………豪快だなぁ」
ぽりぽりと頭をかく令。
椅子に座ったまま、聖は首を後ろに倒して天井を向いた格好、さらに口を開いて眠っていた。
近づくが、起きる気配はない。
すぐ横まで行くと、足元に文庫本が落ちている。拾ってみる。
「……聖さま、こういう本をお読みになるんだ」
それは詩集だった。
記憶にインプットしておく。
令がぱたぱたと動いても目を覚ます気配がなかったので、そのままお湯を沸かしてお茶の用意をすることにした。
「疲れている……のかな?」
キッチンから様子を窺うと、いつの間にか上を向いていた顔は正面に戻っていたが、右に倒れている。
「くすっ……」
笑みがこぼれる。
昨年まで、正直にいえばほんの一か月くらい前まで、令にとって聖は少し怖い先輩だった。声を荒げて怒ったりしてくるわけではないし、直接何かをされたわけでもない。ただ、存在というか雰囲気というか、そういうのが他の生徒とは明らかに違った。
聖は棘を持っていた。それも、近づくものを遠ざけようと傷つける棘ではない、自分自身を傷つける、哀しく脆い棘だった。誰かが近づくと、聖は自分の棘で傷ついているように、令には思えた。
聖のお姉さまは、棘があるまま聖のことを包み込んでいた。
蓉子は、その棘で聖とともに蓉子自身を傷つけながら、聖に触れようとしていた。
江利子は、棘に触れそうで触れない場所から聖を見つめていた。
じゃあ、令は?
何をすることもできなかった。近づくことも、触れることも、傷つくことも、傷つけることもない。それが普通なのだ。他の生徒と同じように。
だけど同じ山百合会、そして大事な先輩、今のままではいけないと思った。だから先月、思い切って聖に近づいてみた。令には器用な事なんて出来ないから、自分が思いついて出来ることをした。
お菓子作りには少し自信がある。美味しいものを食べれば、人は幸せな気持ちになれる。だから聖のことを考え、聖のために作った。聖の好みは分からなかったけれど、薔薇の館に来たときはいつもブラックコーヒーを飲んでいたことは知っている。だから、ブラックコーヒーに合うようなレシピを試行錯誤した。
そういえば、渡したクッキーは美味しく食べくれただろうか。また作ってきてくれと言われたが、あれは喜んでくれたということだろうか。あの時は、それ以上の出来事にびっくりして聞けなかった。
「…………っ!!」
そこで、『それ以上の出来事』を思い出して赤面する。
ほっぺにちゅーだ。
それくらい、由乃と小さいころから何度もしている。だから、ちょっとしたスキンシップだと思えば何でもないはずなのに、あのことを思い出すと体が熱くなり、鼓動が速くなる。由乃とのことを思い出すときは、心が温かくなるのに。
あの日以来、なんだか時折、聖のことを不意に思い出したりしてしまう。前はそんなこと、なかったのに。
「……っと、お湯が沸いたか」
コンロの火を止め、薬缶のお湯をポットにいれる。
聖はまだ起きていないようだが、時間的にそろそろ他の人達が来てもおかしくない。蓉子が来て、爆睡している聖を見たらまた叱られるのではないだろうか。ちょっと心配になった令は、心苦しいが聖を起こすことにした。
「……聖さま、あの、そろそろ起きた方がよろしいかと」
近くにいって声をかけるが、反応はない。
指を顎にあてて少し考え、軽く肩をつつく。
「起きてください、聖さま。蓉子さま、来ちゃいますよ?」
「んぁ…………」
見ると、だらしなく涎が垂れている。さすがにこれを他の人に見られたら可哀想なので、令はハンカチを取り出して口元を拭ってあげる。聖の唾液のついたハンカチを見て、僅かに顔を赤らめてからポケットにしまう。
続いて、つつくだけでなく、軽く揺らしてみた。
起きる気配なし。
今度は、ほっぺたを指でつついてみた。
「にゅぅ…………」
「うわ、ぷにぷにだぁ……」
指先にあたる感触が、やわっこくて気持ち良い。
思わずぷにぷにとしばらく押していたが、さすがに先輩に対して申し訳ないと思ったのか、焦って周囲に人がいないことを改めて確認してやめた。
「う、どうしよう……」
無理矢理起こす、という選択肢は令の中にない。また、これ以上激しくするのは、先輩に対して出来ない。何せ体育会系の令でもあるし。
「うーん」
悩んで聖を見る。今は、椅子の背もたれに体重を預け、軽く下を向いているような姿勢になっている。
「はぁ……やっぱり綺麗だよなぁ、聖さまって」
彫りが深い顔立ちはよく外国人のようだとも評され、令もそれに異論はないが、そんな中でも特に聖を美しく見せるのは俯いて瞳を閉じているところだと、個人的に思っている。
くるんとした長い睫毛、よく通った高い鼻梁、少し堅そうに見える唇。無造作に見えて、それがその実とてもよく似合っているザックリした髪の毛が落ちかかっているのも良い。異国のお姫様のようだと思う。令も好きなファンタジー小説に出てくるような。
「…………あ」
ふと、そこであることを思い出す。
きょろきょろと室内を見るが、当然、二人以外に誰もいない。耳をすませても、誰かやってきている気配はない。
ごくり、と唾を飲む。
しゃがみこみ、床に膝をついて下から聖の顔を覗き込む。
『――お姫様を目覚めさせるには、昔から王子様のキスと相場が決まっている』
確か、そんなことを言っていた覚えがある。
令は、自分が容姿から王子様のように周囲から思われていることを知っている。そして目の前には、眠っているお姫様。
どきどきする。
心の中では理性が叫んでいる。こんなことをしていいのか、ふざけてやっていいことではないぞ、バレたらどうする、由乃に何て言うのか――
言うなれば"気"を感じた。そう、先日、令が言っていたような。
それで薄目を開けると、目の前に美しい顔が迫っていた。
閉ざされた瞼、睫毛が震えている。頬は朱に染まり、甘い吐息がかかる。
そして次の瞬間、唇に押し付けられた、ふにふにと柔らかくて少しひんやりとした感触。聖は逃げることも動くことも出来ず、ただ受けいれるしかなかった。
唇から伝わってくるのは、優しい気持ち。
この瞬間、聖の中に残されていた栞との口づけの感触は、綺麗に消え去った。
更に驚いたことに、わずかにだが舌が出てきて聖の唇をさらりと舐めた。痺れるほどの気持ち良さが、聖の全身を襲う。
「………………」
やがて、静かに離れていく唇。
見ると、真っ赤になっている令が両手で頬を抑えていた。
「うあぁ……や、やっちゃった……」
呟いている。
「で、でも、仕方ないよね、聖さまが寝ているのがいけないんだもん」
ふるふると頭を振っている。
「こ、これは絶対、私だけの秘密にしよう…………って、ええええっ、せ、聖さまっ!?」
ゆっくりと目を開いた令は、目の前で聖が自分を凝視していることに気が付いて慌てふためいた。
「い、いいい、いつからお気づきに!?」
「いや、令があたしにキスする直前?」
「あわ、あわ、あわわわわわっ……」
がたがたと震え、そのまま尻餅をついてしまう令。あまりに令の慌てっぷりが酷いので、逆に聖の方は落ち着いてきた。内心ではまだドキドキしているけれど。
「ごごごごごめんなさいすみません許してください~~っ!!」
「えーとさ、なんでキスしたの?」
「え?」
「とりあえず、理由を聞かせてよ」
「は、はい。あの……聖さまがよく寝ておられたので。起こそうと思ったんですけど、なかなか目を覚まさないので。それで……この前、聖さまがおっしゃられたことを思い出しまして」
「ん? あ~~、もしかして王子様のキスで、ってやつ?」
コクコクと頷く令。
「いや、でもアレはさぁ」
「わ、わ、分かってます、私なんかが聖さまの王子さまだなんて図々しいって。で、でも、お姫様を起こすには、その、他にいないですし、他の人に譲るのも嫌でしたし、って、わ、私何を言っているんでしょうか!?」
「落ち着きなさいっての。でも、あたしがお姫様? そりゃないでしょ」
「え、なんでですか」
キョトン、と本気で分からないように首を傾げる令。
ああ、この子は本当に周囲から自分の求められる役割というものが分かっているんだなと思った。
同時に、あんたはお姫様でいいんだよ、とも言ってやりたかった。
だけど、不意をつかれたことは事実だし、驚かされ、勝手に唇を奪われたことも事実で、ちょっと仕返しをしてやらないと気がすまない。
「ふぁぁ……なんか、また眠くなってきちゃったなぁ」
わざとらしく欠伸をしながら伸びをする。
「え? そ、そろそろ皆さんが来られますよ?」
「中途半端に起きちゃったからさぁ……むにゃむにゃ」
「ちょ、ちょっと聖さま?」
無視して目を閉じて寝たふりをする聖。
「……お姫様を起こすには?」
「は? え…………え、え、まさか!?」
ちらりと薄目を開けて、目を白黒させて動転している令を見て満足する。
「ほらほら、そろそろ他の皆が来ちゃうじゃないの?」
そう言うとほぼ同時に、階下の扉が開いて話し声が聞こえてきた。
「ええええっ? ででで、でもっ」
「お姫様はお待ちかねでちゅー」
「うううっ、うあ、あわ……」
ギシッ、と階段に体重がかかる音が聞こえた。
令は尻餅の体勢から立ち上がる。聖が少し上を向いているように寝ているから、体勢的に立ち上がらないと駄目なのだ。
「あううううっ……」
近づいてくる気配に目を開けると、真っ赤になった令が、ぎゅっと目を固く閉じてゆっくりと迫ってくるところだった。 (可愛いなぁ、ふふっ)
自分から奪いたいところだが、ここはお姫様として王子様に奪ってもらいましょう。そんな立場になるなんて思っていなかったから、聖もなんだか恥ずかしくなってきて、頬が熱くなってくる。
別に、誰に見られたって構わない。令に、してほしい。
ただ、見られることで令が引いてしまうと困るなぁ、とは思う。
階段を上ってくる音が大きくなる。何人かで話しながら来ているからゆっくりだが、それでもあと何秒というところか。
「……来ちゃうよ?」
「っ!?」
聖の最後の一言と、そして聞こえてくる足音に。
焦ったのか令は右手で聖の耳からうなじあたりを押さえ、左手で聖の胸に触れ、唇を押し付けてきた。
「――――っ!!」
ビクン、と痙攣する聖。
一秒か二秒して、離れる令。逃げるようにキッチンへと駆け込んでいく。
「――ごきげんよう。あら聖、もういたの? 早いわね」
「え、何、雨でも降るのかしら」
蓉子と江利子の声も耳に届かない。
ヤバい。
令の大きな手が、長い指が、耳たぶと首の後ろをなぞり、制服の上からではあるが胸を撫でて揉んで――もちろん、令にそんなつもりは無かったのだろうが――そうしてキスされた瞬間、聖は感じてしまったのだ。栞とキスした時よりも、自分で自分を慰める時よりも、ずっと。
「どうしたの聖、顔、赤いわよ?」
「い、いや……ちょ、ちょっと、寝ちゃってて、さ」
下着、大丈夫だろうか。
「令、紅茶いれてくれる?」
「は、はい、お姉さま。お待ちください」
令の声を聞くだけで、先ほどの余韻が襲ってきて震える。
体が火照る。
「う、うあぁぁぁぁぁぁ~~~~」
机に突っ伏す。
「ちょ、何よ聖、どうしたの?」
江利子の声も耳に入らない。
ぐったりとした聖の視界に入るのは、テーブルに置かれていた『みだれ髪』だった。
☆
家に帰り自室に戻った令は、制服から着替えることもせずベッドの上で煩悶していた。
「うああぁ、な、なんであんなことしちゃったんだろう……!!」
あんなこと、とはもちろん"キス"のことである。
前回のときは、聖から要望されたことであった。しかし今回、聖は寝ていたわけで、令が自発的にしてしまったのだ。
幼いころ、由乃とふざけ半分にキスしたことはあるが、成長してからはそういうことはしていない。そういった意味では、令にとってはファースト・キスのようなものである。
「せ、聖さまがこの前、あんなこと言うから意識しちゃったんだよ、うん」
ベッドの上で女の子座りしつつ、熱くなった頬を手で触りながら一人頷く。
「ううう、でも意識したからって、本当には、しちゃわないよね……」
あの時、魅入られてしまったのだ。
聖が美しかったから。
「お、怒ってはいないと思うけど……」
その後、あんな要求をしてきたくらいだから。
しかし、眠っている相手にするのと、起きていて寝ている振りをしているだけの相手にするのとでは、恥ずかしさが違う。二回目のキスのことを思い出し、さらに羞恥に悶える令。
「ど、どうしよ、明日からどんな顔して会えばいいんだろう」
聖のことを考えるとドキドキする。
もしかして、好きなのだろうか。
分からない。
思い悩む令は気が付いていない。
令の存在が、聖の周囲の棘を砂糖菓子のように甘く溶かし、鋭い棘の先端を柔らかにしつつあることに――