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マリア様がみてる 百合CP

【マリみてSS(志摩子×桂)】生くりーむ・キス

更新日:

 

 自室のベッドに丸まるようにして横になり、桂はボーッとしていた。家に帰ってからというものずっとこの調子で、夕御飯のときも親に心配されたものである。大好きなドラマ、テレビを見ていても集中できず、部屋に戻って音楽をかけて本を開いても頭に入ってこなくて、結局、何もできずに寝転がっている。
 それくらい、桂は衝撃を受けていたのだ。
 指を持ち上げて、唇の目の前まで持ってくる。触れようとしたところで、止まる。食事もしたし、歯も磨いたし、いまさら何だけれども残り香があるような気がして、触れることができない。
 体を回転してうつぶせになり、シーツに向かってため息一つ。
 果たしてあれは、現実のことだったのか。
 一体、どういうつもりだったのか。

 桂は頭を悩ませ、悶々とした夜を過ごすのであった。

 

~ 生くりーむ・キス ~

 

 修学旅行を一週間ほど後に控えた日曜日のこと。桂は浮かれ気分で街を闊歩していた。もちろん、修学旅行で初めて海外に行くのも物凄く楽しみだったけれど、今、浮かれているのはそのせいではない。
「桂さん、本当に楽しそうね」
「あははっ、ごめんね、なんか浮かれちゃっていて」
「ううん、私も楽しくなるから」
 そう言って、春の日差しのような微笑みを向けてくれるのは、志摩子さん。ああ、桂にもっと詩的センスがあれば、志摩子さんの表情を素敵に表現することができるのに。
 だがしかし、桂の表現がどんなに稚拙であろうとも、志摩子さんの美しさを損なうことはない。今だってそりゃあもう、眩しくて目をそむけてしまうくらいの笑顔で桂のことを見てくれているのだから。
 修学旅行先のホテルは、二人で一部屋が基本。そこで桂は、なんと志摩子さんと同部屋という権利を獲得したのである。ダメ元の気持ちで志摩子さんに話しかけたら快諾してくれて、それだけじゃなく、「私も桂さんと同じ部屋になれたらいいな、って思っていたの」なんてリップサービスまで。それだけでハッピー気分はMAXになりかけたが、桂は調子に乗って、せっかくだから一緒に修学旅行のための買い物に行かないか、なんてお誘いをしてしまった。
 断られるかな、なんてあまり期待せずに訊いたのだが、これまたあっさりと承諾してくれて、今に至るというわけである。
 志摩子さんとデートということで、桂は物凄く頑張ってお洒落した。お姉様とデートした時よりも気合いを入れたくらいで(お姉様、ごめんなさい)、お気に入りのワンピースはパーカ+ひらひらのスカートのように見えるのがポイント。って、気合いれたといってもこれだけだけど。
 一方の志摩子さんは、ホワイトのプルオーバーの上からサーモンピンクのワンピースにレギンスというスタイル。はっきりいって、元が美人だからとにかく綺麗で可愛い。
 まあ、そういうこともあって、桂はハイテンションであった。
「ねえねえ、志摩子さん。このパンツ可愛くない?」
「ちょ、ちょっと大胆じゃないかしら」
 桂が手にしたショーツを見て、ほんのりと赤くなる志摩子さん。修学旅行に向けて、桂は下着もすべて新しいものを持っていく予定だ。何せ志摩子さんと同じ部屋、着替えだって見られてしまう。それも二人きりで、体育の着替えでみんな一緒というのとはわけが違うのだ。
「これ可愛い! 志摩子さんに似合うんじゃない?」
 広げて見せたのは、ピンクのショーツ。レースが可愛らしい。志摩子さんのワンピースがピンクだから、短絡的に結び付けただけだけど。
「そ、そう?」
 恥ずかしそうにしている志摩子さんも、また可愛い。
 そんなこんなで下着を購入。残念ながら志摩子さんは買わなかったけれど、こうして一緒に下着を買うことができただけでも幸せである。
 その後も、化粧水やボディケア用品、旅行に必要なものからそうでないものと、色々と見て回った。途中では喫茶店に入ってお茶したし、半ば強引に志摩子さんの腕を取って一緒にプリクラを撮ったりと、桂にとっては完全に忘れられない一日となった。
 そうして日も暮れかけてきた夕方、帰り道に通りかかった公園の近くでクレープの屋台を見つけて購入、ベンチに腰かけてクレープを頬張る。桂は王道のバナナチョコ、志摩子さんはイチゴカスタード生クリーム。小さな口で食べる志摩子さんは、どこか小動物みたいである。
「あー、今日は楽しかった。なんかごめんね志摩子さん、あたしの行きたい所ばかりひっぱりまわしちゃって」
「ううん、私も楽しかった。私、あまり活動的じゃないから、桂さんが色々とリードしてくれて助かったもの」
 言いながらイチゴをかじる志摩子さんが、またキュート。唇に白いクリームがついているのもまたよし。
 公園内で遊んでいた子供達も、親につれられて帰っていく。明日は平日ということで、みな早めに帰っていくのか。
「あー、でも楽しかった、ホントに。志摩子さんとデートできるなんて、思ってもいなかったからね、前までは」
「あら、どうして?」
 不思議そうな顔をして、志摩子さんが問い返してきた。
 だってそうだろう、片や学園で1、2を争う美少女で白薔薇様で、成績も優秀で、学年を代表するような人。片や容姿も成績も人並み、その他一般人でしかない桂。まさかデートできるなんて、思えるわけもない。
 もちろん、そんなことを口にはしないけれど。
「いやー、だってほら、志摩子さんは祐巳さんや由乃さんの方が、仲いいじゃない」
 同じ山百合会の仲間だし、当り前だとは思うけれど。桂だって、同じテニス部の同級生との方がよく遊ぶし、よく喋る。
「ええ、祐巳さんと由乃さんは、確かに。でも……」
 クレープを食べ終え、包み紙を丸める。ゴミ箱はどこにあるかと首をひねっていると、不意に、手に何かが触れた。見れば、志摩子さんの指だった。
「桂さん、口にクリーム、ついているわよ」
「ええっ、ど、どこ」
 慌てて手の甲で口を拭う。よく、友達にも言われるけれど、そんな姿を志摩子さんに見られるのは、他の友達に見られるのよりも恥ずかしい。
「そっちじゃないわよ。拭ってあげるから、こっち向いて」
「えー、だ、大丈夫だよ、そんな」
 志摩子さんに拭かせるなんて大それたことだし、何よりもみっともなくて恥ずかしいではないか。だから、笑って断ったのだが。
「ほら、遠慮しないで」
「本当に大丈夫だから――」
 志摩子さんの方に顔を向けた瞬間。

 ――――え?

 唇のすぐ横に、暖かく柔らかな感触が、触れる。
 目の前には、目を閉じた志摩子さんの顔。生温かくて、ぬめりとしたものが動いて、桂の唇の縁を舐めるようになぞる。
 時間にして、三秒ほど。
 ゆっくりと、志摩子さんが離れてゆく。
「……とれた、わよ」
 囁くように言って、志摩子さんは立ち上がり。
「今日は、本当に楽しかったわ。それじゃあまた明日、ごきげんよう」
「ご、ごきげんよう」
 機械的に挨拶を返し、足早に立ち去る志摩子さんの後姿を見送る。
「えーと……」
 腰が抜けたように、ベンチから立ち上がることもできずに呆然としている。まだ、先ほどの感触が残っている。

 ぺろりと、舌で舐めてみる。甘い甘い、生クリームの味だった。

 

 果たして、昨日のことは現実のことだったのだろうかと、まだ疑いながら登校する。しかし、あれは間違いなく起きたこと。あの感触が、あの味が、あの痺れるような感覚が嘘だったら、何を信じればいいのか。
 しかし、だとしたらなぜ、志摩子さんがあんなことをしたのかが分からない。ほんの気まぐれだったのか、それとも――
「ごきげんよう、桂さん」
「ごっ、ごきげんよう」
 考えている間に教室についたようで、そこでいきなり志摩子さんに挨拶されたものだから、声がひっくり返ってしまった。そんな桂の姿を見て、志摩子さんがくすくすと笑っている。
 いつもと変わる様子のない志摩子さんを見て、安心したような、残念なような、複雑な気持ちになる。
 だけど、変な態度をとられるよりかはよほどマシである。
 結局、桂は深く考えないようにした。
 何かしら意味があれば、志摩子さんの方から何か言ってくるだろうという思い。そして、自分から動くことへの恐れ。

 そんな風に日常を過ごしているうちに、あっという間に修学旅行となった。

 

 桂は浮かれまくっていた。
 何せ、生まれて初めての海外旅行である。見るものすべてが珍しいし、興奮ものであるから、はしゃぎまくっている。
 ベッドがどうの、家具の色使いがどうの、壁に飾られた絵がどうのと、ホテルの部屋に入っても一人で浮かれて室内を落ち着きなくうろうろと動き回っていた。すると、背後でわずかに笑う声が聞こえてきて、慌てて振り向いた。
「あわわ、ご、ごめん志摩子さん。あたし、うるさかったよね」
 そこには同室となった志摩子さんが、いつもと変わらぬ聖母様のような笑みを浮かべて立っていた。
 桂が浮かれているもう一つの理由は、志摩子さんと同室だということ。
「そんなことないわ、私も、いろいろと気になっちゃって。あのランプとか、凄くおしゃれだなって」
「そうだよね、ね、こういうの楽しいよね」
「ええ、うふふ」
 あくまで上品に笑う志摩子さんだけれども、やっぱり少しは興奮しているようで、いつもよりもテンションが高いように感じる。こんな風に志摩子さんと楽しく過ごせるなんて、夢のようである。
 いつからだろう、志摩子さんのことが気になりだしたのは。
 一年生の最初の頃までは、綺麗だよな、と外から思う程度だった。白薔薇様の妹になったときは、さすがだなと思うと同時に、ちょっと遠い存在になったように感じた。こんな綺麗で素敵な人と仲良くなれたらいいなあ、なりたいなあと徐々に思うようになり、だけどそんなうまくいくこともなく時は過ぎて、高校一年が終わった。
 契機が訪れたのは、二年生に進級したとき。なんと、志摩子さんとまたも同じクラスになれたのだ。これで、卒業するまで一緒のクラスで居られることが確定した。加えて、祐巳さんや蔦子さんといった、前のクラスで仲が良かった人たちは別のクラスとなり、黄薔薇の蕾である由乃さんも同じクラスにならなかった。
 喜ぶと失礼なのかもしれないけれど、桂は今こそ志摩子さんと仲良くなるチャンスと、勇気を振り絞ってアタックをした。
 といっても、今までより挨拶することを心がけたり、お昼を誘ったりと、本当に些細なことばかりであったが。
 そうしているうちに、桂ははっきりと気がついた。自分は、志摩子さんに恋をしているのだと。
 恋は人を明るく楽しくさせる。
 ごく普通の女子高校生であると自覚している桂は、自分が志摩子さんの恋人になれるなんて思ってもいなかったけれど、一緒にいるだけで、近くにいるだけで幸せな気持ちになれた。
 志摩子さんが自分のことなんか好きになることないだろうと思っていたから、少し哀しくも気さくに友人として付き合えていたのかもしれない。
 きっと、志摩子さんの好きな人は前白薔薇様であった佐藤聖さまか、白薔薇の蕾である二条乃梨子ちゃんだろうとも思っていた。
 それでもやっぱり、近くにいたい気持ちは変わらない。だからこの修学旅行で、同室にならないかと思いきって誘ってみたのだ。こればかりは、同学年で同クラスである桂だからこそ出来ることだった。
 志摩子さんは、喜んで桂の申し出を受けてくれたわけで、こうして同じ部屋で寝泊りをすることになったわけであるが。
 一週間ほど前、修学旅行の買い物を一緒にしたときの帰り、公園でのキス。あれはどういうことだったのか、今だに志摩子さんからは何のアクションもない。みんなと一緒にいるときは、あまり思い出すこともないけれど、こうして二人になるとふと意識しそうになって、慌てて頭から追い出す。
 変なことをして嫌われたくない、そういう思いの方が、桂には強かった。

 

「ねえ、桂さん」
 不意に呼びかけられ、首をまわす。
 寝巻きがわりに持参したシャツとハーフパンツに着替え、ベッドに潜り込んだ直後のことだった。
 パジャマに着替えた志摩子さんが、桂の方を見つめていた。なんだろうと思っていると、とんでもないことを志摩子さんは言ってきた。
「そっちのベッドで一緒に寝ても、いいかしら?」
 と。
 一瞬、何を言われたのか理解できなかった。硬直している桂に向けて、志摩子さんは続ける。
「普段と違う場所で、なんか少し怖くて。ダメ、かしら」
「そ、そそそんな、ダメなんて。どうぞどうぞ、遠慮なく」
 かろうじてそう答えるなり、志摩子さんは枕を抱えてそそくさと本当に桂のベッドにもぐりこんできた。
 幸い、ベッドは少し大き目だったし、さほど大柄でもない女子二人なのでスペース的には問題なかった。
「ふふ、あたたかい」
 すぐ目の前に、微笑む志摩子さんの顔がある。それだけではない、密着しそうなほど近くに志摩子さんの体もあり、ちょっと動くと触れ合ってしまう。このままだと、急速に活発に活動しだした心臓が破裂してしまうかと思い、桂はとにかく何かおしゃべりすることにした。
「志摩子さんはさ、好きな人とかいるの?」
 修学旅行の夜といえば、これが定番だ。
 好きな人の名前を言われたりしたら、悲しくなってしまうかもしれないけれど、知りたいという怖いもの見たさみたいな興味もある。
「え、ど、どうして? そんな急に」
「やーだなー、修学旅行の夜といえばコイバナ! って相場は決まっているじゃない」
「そうなの?」
「そうだよー。ほらほら、言っちゃいなよ、秘密は守りますよ、この桂さん」
「そういう、桂さんはどうなのかしら。好きな方はいるの?」
「いますよ、そりゃもちろん」
 即答である。
 ちなみにその想い人は目の前にいたりするわけなんだけれど、口に出せるはずもない。
「え、誰……?」
「駄目、それは秘密なんだもーん」
「ええっ、何よそれ。ずるいわ、そんなの」
「あはははっ」
 先ほどの緊張は、あっという間にどこかに消え去っていた。かわりに、どこにでもあるような女子高校生同士の会話に埋められる。
 やっぱり話の中心は、恋のこと。でもお互い頑固に、誰が好きなのかは言わない。かわりにではないけれど、クラスメイトの誰それは誰のことが好きだとか、他人の恋の話になったり、芸能人だったら誰が好きとかいう話になったり。
 本当に、特別でも何でもないごく普通の会話が交わされていた。こんなにも気さくな雰囲気の志摩子さんは初めてかもしれないとさえ思った。
 一緒のベッドだなんて、とてもじゃないけれど寝付くことなんてできない、そう思っていたけれど、お喋りをしているうちに自然と一日の疲労に包まれて、桂はいつしか眠ってしまっていた。

 

 心地よい揺れで、桂は目を覚ました。
「んぁ~、もうちょっとぉ」
「うふふ、桂さん、そろそろ起きたほうがいいわよ」
「んん~……ふぁ?」
 目を開くと、女神さまがいた。一瞬、自分がどこにいるのかわからなかったけれど、すぐに我に返り、跳ね起きた。
 旅行に出る前は、志摩子さんと一緒の部屋だなんて眠れなかったらどうしよう、なんて考えていたけれど、一緒のベッドで横になるという状況にもかかわらずあっさりと寝こけた挙句、寝坊である。
 部活動で朝錬などやっているから朝にはそれなりに自信があったから、本当なら早起きして志摩子さんの可愛らしくあどけない寝顔でも堪能しちゃおう、なんて考えていたのにこの体たらく。よく考えれば志摩子さんの実家はお寺で、朝なんかも早いのかもしれない。
「や、やだ、あたし、いびきとかかいていなかった?」
「うふふ、可愛い寝顔だったわよ、桂さん」
 微笑みながら言われて真っ赤になる。桂がやろうとしたことを、志摩子さんにやられるなんて。しかも気がつけば、口の端によだれの跡が付いている。慌てて手の甲で拭ったけれど、口を開けて涎垂らして寝ているところを見られたのかと思うと、恥ずかしくてラケットのガットでも無心で張りなおしたくなってくる。
「桂さん、そろそろ着替えたほうがいいわ。間に合わなくなっちゃう」
「え。うわわ、本当だ!」
 見ると、志摩子さんはすでにばっちり制服に着替え、髪の毛もきちんとセットされていて、大事なシーンを見逃したことに桂は落ち込む。
 夜はお風呂に入るタイミングで着替えるから、この朝の着替えこそ、志摩子さんの脱衣シーン&裸体を見るチャンスだったというのに。
 桂は内心、泣きそうになりながら寝間着を投げ捨てるようにして着替え始めた。
 パンツ一枚になったところで、背中に妙に熱い視線を感じて顔だけ振り返ってみると、なぜか志摩子さんがやけに真剣な顔をして桂の方を見ていることに気がついた。
「ど、どうかしたの志摩子さん?」
「……え? あ、いえ、なんでもないの」
 くるりと背を向け、自分の荷物に手をのばす志摩子さん。
 はてな? と思ったけれど時間がないので気にせずさっさと着替える。急いでいるとき、ショートカットの髪は楽なんだけれど、癖っ毛だけがどうしようもない。くるんと跳ねる髪の毛が制御できずにあたふたしていると、志摩子さんがやってきてきれいにセットしてくれた。
「それじゃあ、行きましょうか」
「うん! 今日も楽しみだね、あ、今日はどこに行くんだっけ? うわーい、美味しいもの食べられるといいなあっ!」
「ふふ、桂さんは食いしん坊ね」
「えへへー」
 笑いながら志摩子さんとともに部屋を出る。
 今日も幸せな一日でありますようにと願いながら。

 

 朝食を終え、ちょっとホテルの中を歩いているときのことだった。生徒の泊っている部屋から離れていて人気のない場所で、誰かが階段の方に消えていくのがちらりと見えた。深く考えずにその後を追って、階段の方に顔をちょっと出して覗いてみると、そこには衝撃的な場面が展開されていた。
 階段の下の踊り場のところで、女子生徒二人が抱き合って口づけをしていた。まぎれもなくリリアンの制服を身につけているその二人は、なんと蔦子さんと真美さんだった。
 思わず見つめてしまったが、すぐに顔を引っ込めてその場を後にする。しばらく歩いたところで立ち止まり、先ほどの光景を思い返してみるが、間違いなく蔦子さんと真美さんであった。
 心臓の動きがすごく速くなっていて、顔が熱い。
 頭の中が混乱する。あの二人って、そーゆー関係だったの!?
 まだドキドキしている胸をおさえていると、廊下の角の向こうから話し声が聞こえてきて、思わず柱の陰に隠れてしまう。
「――本当に、毎年困ったものですね」
「修学旅行だし、仕方ないけれどね」
 姿をあらわしたのは、引率の先生だった。
 何やら困惑したような、苦笑したような、微妙な顔をして話している。
「初めてだと、制御がきかないこともありますからね」
「見回って後片付けする私たちの身にもなってほしいです」
「あら? そんなこと言っている早見先生も確か修学旅行のときに……」
「ややや、やめてくださいっ!」
 よくわからないことを話しながら、二人の先生は消えていった。なんだったのだろう、と首をかしげながら後姿を見送っていると。
「修学旅行を機会に成立するカップルが、毎年いるのよ。それで、先生方は毎年、こうして朝に部屋を見回っているの?」
「へー、なんで?」
「変に汚れたシーツとか、ホテルの人に見られたり片付けられると恥ずかしいじゃない、学園としても」
「ふーん、何、汚れたシーツって……って、蔦子さんっ!?」
 振り向けばそこには先ほど見たばかりの蔦子さんの姿が。真美さんの姿は見えない。二人のキスシーンを思い出し、また顔が熱くなる。
「二人きり同じ部屋で一晩過ごせば……わかるでしょう? 大体、最終日とかが多いらしいんだけどね。中には、お漏らししちゃう子もいるらしくて」
 ようやく、蔦子さんの言っている意味が分かって、桂は赤面する。
「桂さん……さっき見たことは、他言無用ということで」
「いっ」
 バレていた。
 肩に置かれた手が、なんか怖い。眼鏡の奥の瞳が、ギラギラと光っている。
「しくじったわ。真美さんたら、部屋まで待てないなんていうから……」
「つ、つかぬことを聞きますが、お二人はいつから……」
「人のことより桂さん、ご自分のことを考えたら?」
「え、あ、あたし?」
「志摩子さんと一緒の部屋なんでしょう? その辺、どうなのかしら」
「えええええぇ、あ、あたしと志摩子さんで、何かあるわけないじゃない」
 あはは、と笑ってごまかす。
 まあ実際、何もないのだけれど。
 だけど蔦子さんは、なぜかにやりと不敵に笑う。
「まあ、頑張って。何事も桂さん次第よ」
「よくわからないけれど……うん、頑張る!」
 両の拳を握ってガッツポーズ。
「うーん、そういうところに惹かれたのかしら?」
「え? 何が」
「あー、なんでもない。それじゃね。それから、くれぐれも先ほどのことは……もし、誰かに話が伝わったりでもしたら桂さんだとみなして、あなたの恥ずかしい写真を公開するからね」
「あはは……き、肝に銘じておきます」
 今の蔦子さんの目は本気だった。桂は冷や汗を流しつつ、頷くのであった。

 

 二日目の夜になった。
 朝の蔦子さんの言葉が気になり、観光中にもいろいろとリサーチをしてみた結果、桂が知るだけで三組のカップルが成立したようであった。人ごとながら、実に羨ましい限りである。
「今日も一日、楽しかったわね」
「うん! あそこ、凄かったよね、あたし超感動しちゃった!」
 寝巻き姿で、今日一日のことを話し合える、それだけで十分に桂は幸せだった。だって、一年前には志摩子さんとこんな風に気さくに話せるなんて、思わなかったから。
 さらに今夜は、大胆なことをしようと考えていた。昨日は志摩子さんが桂のベッドにきたから、今日は桂が志摩子さんのベッドで寝ちゃおうか、なんて提案をしようというのである。
 心を落ち着かせ、ごく自然に、普通の会話のように切り出すのだ。
「ね、ねえ、志摩子さん」
「なぁに?」
 小首を傾けるしぐさが、可憐過ぎる。
「きょ、きょっ、今日は、きょわーーーーっ!?」
 志摩子さんの方に近寄ろうとして、ベッドの端に足を引っかけてしまった。精神的にかなりテンパっていた桂は、バランスを取り戻すことができず前のめりになって志摩子さんに突撃した。
「きゃあっ」
 正面で、志摩子さんが慌てて桂の体を支えようとしてくれた。
 その瞬間。

「――――っ!?」

 目の前に志摩子さんの顔が迫ったかと思うと、唇に、暖かくて柔らかいものが触れた。目をまん丸にしている志摩子さんが至近距離にいるというか、眼前だ。
 支えられてかろうじて体勢を立て直した桂は、急いで志摩子から離れた。

 えと。
 今、唇にふれたものは何だ。
 まままま、まさか、もしかしなくても、し、志摩子さんの唇ではないだろうか。え、マジで、本当に? 頬を手でおさえる。突然のことで、信じることもできなくて、なんだか心はパニックになっているのに体の方は落ち着いていて。
 ふと、志摩子さんの方を見ると、同じように頬と口元に手をあて、赤面して俯いて床を見つめている。
 そんな志摩子さんの姿を目にした瞬間、やばい、どうにか言い訳しないと、と言う思いが急速発達した。
「ごごごごめん、志摩子さんっ! あ、でも、ほら、今のはアクシデントだし、ね、ノーカウントでいいんじゃないかしら。いやいや、むしろ無かったことにして、忘れちゃって、ね? ほんとごめん!」
 ぺこぺこと謝ると。
 ゆっくりと顔をあげた志摩子さんの目は、悲しそうな光を揺らしていた。
 ああ、やっぱりそんなんじゃだめか。もし、志摩子さんのファーストキスだったりしたら、取り返しのつかない大チョンボだ。どうすればいい、時間を巻き戻したい、桂なんかが相手じゃ、志摩子さんが可哀想だ。
 なすすべなく、あわあわとタコ踊りのように動いていると。
「……忘れないわ」
 志摩子さんが呟いた。
「え?」
「だって、ファーストキスの相手が、大好きな桂さんだから……忘れることなんてできないもの」
 え、今、なんとおっしゃいましたでしょうか。桂は自分の耳が壊れたのかと疑った。信じられないようなことを、志摩子さんは口にしたような気がする。
「桂さんは、忘れてもいいわ……でも、私は忘れない」
「ちょっと、待って。え? なんか今、あたし、聞き間違えた? なんか志摩子さんが、あたしのことを好きとかなんとか言ったよーな」
「違うわ」
「あ、そ、そうだよね、そりゃそうだよね。志摩子さんがそんなわけないよね。あー、びっくりした。だって、あた」
「好きじゃなくて、『大好き』って言ったの」
 は。
 え。
 なんとな。
「え、えええええっ!?」
 どびっくり。冗談ではなかろうか。
 桂の反応に、志摩子さんの顔が一気に暗くなる。頬にさしていた朱みがサッとひき、怖いくらいに白くなる。
「ごめんなさい……迷惑よね、こんなこと言われても。でも、私、桂さんにどう思われたとしても、自分の気持ちに嘘はつけなくて。たとえ、桂さんに嫌われても」
「ちょ、ちょっ、ちょっと待って! いや、なんか勘違いしているから志摩子さん。あたしが志摩子さんのこと嫌いになる? ありえないし! ってかむしろ、あたしだってずっと志摩子さんのこと大好きだったし!」
 どさくさ紛れに告白してしまった。
 いや、告白というか、志摩子さんの誤解をとくために懸命に説得しようとして本心がポロリと出たというか。
「無理しなくていいの、桂さん。困らせてごめんなさい」
 なおも納得してくれない志摩子さんに、桂はさらに慌てる。このままでは、誤解をされたままで、せっかく仲良くなったのにギクシャクした関係になってしまう。
「だから違うのー! 本当に志摩子さんのことが好きなんだから! ってか、むしろセクシャリティ的(?)に好きなんだから!」
「嘘よ。だったらどうして昨日、何もしてくれなかったの?」
 潤んだ瞳で見上げてくる志摩子さん。
「私、すごく緊張していたけれど、桂さんはあくまで友達として接してくれるだけで、一緒のベッドでもすぐに寝ちゃったし」
「うぐ」
「私はドキドキして、ほとんど眠れなかったのに」
「あう」
 このときばかりは、自分の神経の図太さというか、鈍感さを恨んだ。そりゃそうだ、普通、大好きな人と一緒のベッド、一緒の布団にくるまっていたら、胸が高鳴って眠ることなんてできないのではないか。
 ところが桂ときたら爆睡である。
 志摩子さんのことを何とも思っていない、なんて受け取られても仕方がないのかもしれない。
 どうすれば誤解をとくことができるのか、とにかく自分の気持ちを伝えるしかない。
「ホントにほんとに志摩子さんのことが好きなの!」
「ありがとう。でもそれはお友達としてでしょう」
「だから、そうじゃなくて」
「本当に無理しないで」
「無理じゃないって! だってあたしいっつも志摩子さんのことおかずにして一人エッチしているんだからってうぎゃああああああああああああああたしなんちゅーことをっ!!」
 思わずムンクの叫びのポーズをとってしまう。
 勢いあまって、とんでもないことを口走ってしまった。事実であるし、しかも『おかず』だなんて言っちゃって。さすがにこれには、志摩子さんだってヒクだろう。
 おそるおそる、志摩子さんの様子を見てみると。
「……ほ、本当に?」
 意外なことに、顔を赤くして桂のことを見つめていた。無言でコクコクと頷く。ここで否定でもしようものなら、その方が悪い方向にいってしまいそうだと気づいたから。
 すると志摩子さん、なんと。
「う、うれしい、かも」
 なんて意表をつく答え。
 え、それって、どういうこと? と思って立ち尽くしていると。
「だって、私も桂さんのこと思ってしているから」
「え、な、何をでしょうか」
「そ……それは……じ、自慰を」
 真っ赤になって言う志摩子さんに、吹っ飛びそうになった。
 まさか、純粋で清廉でお上品な志摩子さんの口から、そのような単語が出てくるなんて想像の範疇を逸脱しているから。
 志摩子さんが座っているベッドの隣に腰を下ろし、顔を覗き込む。間違いなく志摩子さんだけれど、見たことないくらい顔を真っ赤にしている。桂の顔だって、きっと負けないくらいに茹だっているに違いない。
「えと、それじゃあ、し、志摩子さん。まさか、本当にあたしのことを?」
「か、桂さんのほうこそ……わたしをからかっているのではなくて?」
 ぶるぶると首を振る。
「嬉しい……」
「そ、それはあたしの台詞かも。だってまだ信じられないもん、志摩子さんがあたしのことを? ドッキリじゃないのかしら山百合会の」
「違うわ、私の、本当の気持ちなの」
「なな、なんで、私なんか? 私なんか聖さまや静さまみたいに美人じゃないし、乃梨子ちゃんみたいに優秀でもないし、なんの取り柄もないような普通の女の子なのに」
 不細工だとは思わないが、別に美人でもない。笑顔が可愛いとお姉さまはいってくださったけれど、はたしてどうか。
「そんなことないわ。私、いつからかしら。桂さんに惹かれている自分に気がついたのは。いつも明るくて、素直で、元気一杯で輝いていて」
「それだったら、祐巳さんとかのほうが」
 祐巳さんの素直さには、桂なんか足元にも及ばないのではないか。まっすぐで純真な祐巳さんだから、あれほどに生徒から慕われているのだろう。
 比べて桂は、確かに素直かも知れないが、むしろ自分的には単純バカという思いがある。それに、純真なんかじゃないし。むしろ色々と不純なこと、ずるいことだってよく考えている。
 お姉さまと一度姉妹を解消したり、お姉さま以外の憧れの先輩から内緒でラケットをもらったり、そんなんだ。
「確かに、祐巳さんは素敵だわ。でも、桂さんとは違うの。桂さんの優しい気配りに、どれだけ私が助けられてきたか、知っているかしら?」
「ええ、なに、それ。全然そんなことしていないよあたし」
 まったく身に覚えのない桂は、即座に否定したが、志摩子さんは「いいえ」と、ゆるやかに首を振る。
「桂さんはひょっとして意識していなかったのかもしれないけれど、二年になってクラス替えして、祐巳さんや蔦子さんと違うクラスになって。私はあまり積極的ではなくて、クラスの皆は私が白薔薇様だということでどこか遠慮しているような感じで」
 確かに、そういう雰囲気はあったというか、志摩子さんがあまりに美人過ぎるから近寄りがたいというか。
「そんな私にいつも話しかけてくれるのが桂さんだった。授業の合間の休み時間のとき、お昼のお弁当のとき、掃除当番のとき」
「そ、それは単にあたしが志摩子さんとお話したかっただけで、そんなつもりじゃ」
「ええ、分かっているわ。でも、だからこそなの。桂さんはただ、私と話したかったから声をかけてくれる。クラスで浮いている私を見かねてきたわけじゃない。だから、うれしかったの」
「いや、そんな大層なものじゃ。だって、さっきもいったけれど、むしろこれで志摩子さんとお近づきになれたらなー、なんて邪な気持ちが強かったわけで」
「そう……でも、同じことだわ。それは私に好意を持って話しかけてくれていたということなのだから。そういうことが続いているうちに、いつしか私はいつも桂さんのことを目で追っている自分に気がついたの。桂さんの笑顔に、無邪気にはしゃぐ姿に、楽しそうにしている桂さんに、目が吸い寄せられていたの。いつの間にか、桂さんのことが好きで好きでたまらなくなっていたわ」
 切々とした告白に、聞いている方が恥ずかしくなってきた。
 桂の方と来たら、単に志摩子さんが美人で性格がよくてスタイルが良いから好きになったと、ミーハーというか見た目重視というかだから。
「ねえ、桂さん。本当に、桂さんも、その……私のことが?」
 ちらちと、横目でこちらを見てくる志摩子さんに、桂は急いでうなずいた。
「もちろん、あたしも志摩子さんのこと一年生のときから好きだったよ。でも、すごく綺麗だし、山百合会に選ばれて、あたしには遠い存在だと思っていた。だから、せめて仲良くなりたいって思って、さりげなく話しかけたりしていたんだけれど。でも、まさか志摩子さんがあたしのことを好きになんてなるわけないと思っていたから。昨日だって、ちょっと外国旅行でさすがの志摩子さんも少し興奮しているのかなって、そのくらいにしか考えていなかったから」
「……でも、今は違うかしら? だって、私たちの想いは……」
 そこまでで、口をつぐむ。
 ベッドに隣りあわせ、お互いに見つめる。
 やばい、このシチュエーション、この流れ、この状況は、なんて心の中で複雑なことを考えている間もなかった。
 ごく自然に顔が近付き、志摩子さんと唇を重ねていた。
 手も重なり合う。細く、繊細そうな指に自らの指を絡める。
 ゆっくりと唇を離すと、上気した顔で桂のことを見つめてくる志摩子さんと、視線が絡み合う。
 志摩子さんの手が、肩にかかる。そのまま軽く力を入れると、桂をベッドに押し倒すように寝かせ、自身の体も横たえる。
 ぎゅっと抱きつくと、志摩子さんの大きな胸が押し当てられる。自分のか、あるいは志摩子さんのか分からない心臓の音が聞こえる。
「桂さん、温かい」
「志摩子さんも。気持ちいい」
「ええ……」
 抱きあっているだけで幸せな気持ちになれる、そんなことがあるということを、身をもって知った。
「桂さん、大好き……」
 静かな部屋に響く小さな声が、桂の胸の奥を熱くする。
 今、幸せが確かに腕の中にあるのを、桂は感じているのであった。

 

 目が覚めたら全部嘘だった、なーんてことはなかった。
 起きたときにはちゃんと志摩子さんが隣に寝ていて、可愛らしい寝息を吐き出していた。
 あわよくばこの旅行で志摩子さんの寝顔を拝んじゃおう、なんて考えていたけれど、まさかこのような状況で見ることになるとは思わなかった。
 桂はそっと、手をのばして志摩子さんの体を軽く抱きしめてみた。
 間違いなく、志摩子さんの柔らかさを感じることができる。
「夢じゃ、なかったんだぁ……」
 じわじわと、実感がわきあがってくる。
 昨夜は無我夢中だったけれど、朝になって少し落ち着いて、本当に自分は志摩子さんと想いをを確かめあったのだと理解する。
「いやーん、志摩子さん、だいすきー」
 にやにやと一人でほくそ笑みながらつぶやくと。
「……私もよ、桂さん」
「え、あ、お、起きていたの?」
「たった今、ね。おはよう、桂さん」
 寝起きの志摩子さんは、少しぼんやりしているようだったけれど、それでも美しさは全く損なわれていない。ふわふわの髪の毛が乱れているけれど、それすらも計算されたかのような様相である。小さな目元を手でぐしぐしとしている姿は、あまり志摩子さんぽくないけれど、猫みたいで抱きしめたくなる。
「ああ、幸せ。こんな幸せでいいのかなぁ」
「ふふ、桂さんたら……でも私は、少し残念」
「え、な、何が」
 志摩子さんの言葉に慌てる。ひょっとして夜、知らないうちに何か変なことでもしてしまったのだろうか。
「だって、桂さんたら昨夜もまた、すぐに寝ちゃうんだもの」
「あぅ……ご、ごめんなさい」
 昼間は観光で色々と歩きまわっていて体は疲れている。だから、ベッドに横になって、柔らかくて温かい志摩子さんと抱き合っていたら、あまりに気持ち良くてすぐに眠りに落ちてしまったのだ。
 でも、それが残念ということは、要するに志摩子さんは、桂に起きていてほしかったということで、それはなぜかといえば。
 お話をしたかった?
 それもあるだろうけれど、やっぱりきっと、あの流れからいけばエッチなことをしたかった、ということだろうか。
 見れば、志摩子さんはほんのりと頬を桜の花びらのように染めて、上目づかいに桂のことを見ていた。
「ご、ごめん。あの、ほら、お楽しみはまたとっておくということで」
 苦し紛れにそんなことを言うと。
「お、お楽しみ……」
 顔を赤くする志摩子さんを見て、つられるように恥ずかしくなる桂。
「でも、そうね。これから幾らでも時間はあるものね」
「う、うん」
 体を起こし、乱れる髪の毛を指で梳く。
「これからもよろしくね、桂さん」
「こ、こちらこそ」
 自然に、ゆっくりと、二人の唇は重なる。

 志摩子さんの唇は柔らかくて甘くて、やっぱり生クリームみたいだった。

 

おしまい

 

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