弾むボールを必死の表情で追いかける少女。太陽の光を浴びて肌に光る汗、みずみずしい太腿。
―――美しい。
無邪気に何かを語らいながら歩いてゆく少女たちの集団。何一つ暗いところの無い、穢れを知らない無垢な心を思わせるその様相。
――――美しい。
風に翻るスカートの裾、弾む豊かな胸元、汗で肌に張り付いたシャツ、艶っぽいうなじに後れ毛。
―――――やはり美しい。
そんな被写体を次々とファインダーに収めながら、女子高校生であることを心から感謝する。同じ女子高校生でなければ撮ることの出来ない、同じ女子高校生でなければ痴漢行為として訴えられかねないことが堂々と出来るのも、今の立場があるからだ。
少女たちの美しい一瞬を、写真という永遠に色褪せることの無い媒体に収めることこそ、自分の使命だととらえている。
「でもちょっと、変態さんぽいよ」
「……忌憚ないご意見、ありがとう」
お返しとばかりに、振り向きざまに一枚。
驚きながらもさすがに、いい表情をしている。
「――もう、いきなりはやめてよー」
頬を膨らませて、しかめっ面をしているのは紅薔薇のつぼみ、一年生から絶大な人気を誇っている福沢祐巳さん。ころころと変わる百面相が、彼女の持ち味。感情を素直に表現できて、写真に撮ってもそれが隠れないところが素晴らしい。
「……で、いつから私のことを見ていたのかしら?」
「ついさっきからだけど」
隠し撮り……もとい、撮影に夢中だったとはいえ、知らぬ間に後ろを取られたのは不覚であった。
夏も終わり、秋に入ったとはいえまだまだ猛暑を引きずるような暑さが続いている。今日も、青空から太陽が元気に顔を出して皆を美しく照らし出してくれている。額にうっすらと浮かび上がった汗をハンカチで拭き取りながら、友人の顔を見る。
「それで、何か用かしら、祐巳さん」
「別に、ちょっと見かけたから声をかけただけなんだけれど……」
可愛らしく首を傾げると、あわせるようにして左右で止めた髪の毛が揺れる。
祐巳さんもいいけれど、部活動中の生徒達もやはり捨てがたい。私は、カメラのレンズを再びグラウンドに向けた。そこでは、陸上部ハイジャンプのエースが今まさに高飛びのバーに向けて助走を開始したところだった。
「……最近、祐麒とはどうなの?」
「うはぁっ?!」
見事にその肢体がバーを越えた瞬間。思いっきり、ぶれてシャッターを切った。
後ろを振り返る。
「今、なんと?祐巳さん」
「え?ああ、だから最近、祐麒とはどんな調子なのかなと思って……って顔が怖いよ、蔦子さん」
恐らく目が怖かったのだろう。自覚できるくらい、祐巳さんのことを睨みつけていた……と思っていたのだが。
「そんなに照れなくてもいいのに」
この友人には通用しなかった。
眼鏡のずれを右手中指で直しながら、私は文句を口にする。
「照れるとかそういうことじゃなくて。一体、どこからそんな話が」
祐麒、と祐巳さんが言っているのは、彼女の年子の弟さんのことである。確かにしばらく前に、写真撮影のモデルを依頼して一緒に出かけたりもしたけれど。
「彼とは別に、何もないから」
「わ、カレだって」
「……ふふふ、祐巳さん。どうやら恥ずかしい写真を皆に公開されたいようね」
「え、えーっ、何それっ。あはは、じゃ、じゃあね、また」
軽く脅してあげると、祐巳さんは何か取り繕うような笑顔を残して、急ぎ足で去っていった。
目を転じれば、グラウンドでは相変わらずハイジャンプの練習が続けられているけれど、なんだか気が抜けて撮影を再開する気にはなれなかった。
「今日はもう、帰りますか」
誰に言うでもなく呟くと、まだ部活で賑わう学園を後にした。
自宅に戻り、自分の部屋に入ると、まずはノートパソコンの電源を入れる。パソコンが起動しているのを横目で見ながら、着替えをする。暑いから、制服を脱ぎ捨てて下着姿になるとちょっとすっきりする。
「……む」
下着が少しきつい。
最近、また胸が大きくなったようだ……って、そんなことは置いておいて。気楽なシャツとパンツに着替え終わった頃には、パソコンも起動が済んでいてデスクトップの壁紙が鮮やかにその姿を見せていた。ちなみに、最近の中では会心の出来である、『祥子さまと令さまのツーショット』写真だ。うーん、こうして見ても素晴らしい。本職のモデルも真っ青な美男美女(?)カップルぶりだ。
ちなみに私がパソコンを利用するのは、主にデジカメで撮った写真の保存と管理のためである。今日も早速、デジカメデータをパソコンに移す。データごとにフォルダに分け、ファイル名を変更する。いつもやっている作業なので、それほど時間はかからない。
デジカメの良いところは、やはりデータの保管に場所を取らず、管理もしやすいというところだろう。
一通りの作業を終えたところで、今度はメールソフトを起動してメールチェック。
何通か来ているが、メルマガとかが多く、大して興味を引く題でもなければすぐに廃棄する。しかし、そんなメールの中に一通。
「―――」
今日も、届いている。
差出人の名前は、『福沢 祐麒』。
そう、実は前の撮影会のときに、今後の連絡をするためということでメールアドレスを交換していたのだ―――彼からの申し出で。
メールを開封し、読み進める。
"ごきげんよう、蔦子さん。"
クスリと笑ってしまう。なぜかいつも、メールの書き出しにはリリアンの挨拶をしてくるのだ。
冒頭には、学校で起きた面白い事件の話とかが書いてあって。さらに読み進めていくと、今度はカメラの話題になって。
"――蔦子さんと話していて、やっぱりデジカメが物凄く欲しくなってきた。最近のは本当に小さいし、画像も綺麗だし、便利だよね。今度の学園祭とかでもあればきっと重宝するだろうし。
でも、色々とアドバイスを貰ったけれども、やっぱり何がいいのかよくわからなくて。
それで、もし、蔦子さんさえ良ければだけれど、今度一緒に見にいってもらえませんか?俺一人だと、訳分からないまま店員さんに言われるままに買ってしまいそうで。
あ、もちろん無理にというわけではないので。
それでは、また。"
「――――」
思わず、息を飲み込む。
もう一度、文章を読み直してみるが見間違いではなかった。
とうとうきたというべきか、やっぱりきたというべきか。ある程度予想はしていたことだったが、いざ現実になると少しどきどきしてしまう。
明記はしていないが、これは明らかに一緒に出かけようという、一種のデートの誘いであろう。カメラを買いたいから買い物につきあってほしいとは、自分を誘う口実としては一番分かりやすいし、ある意味自然だ。
しかしながら、私はそこまで見抜いている。
その上で、どうするかを決めて返事をしなければならない。
窓の外を見る。時間的には夕方になっているが、まだまだ日は高くしつこいくらいの暑さが渦巻いている。エアコンは入れていない。開け放たれた窓の網戸から、生ぬるい風が入り込んできて髪の毛を揺らす。
机の上に肘をつき、手の甲に顎を乗せる。
しばらく、そのままの姿勢でぼーっとして。
「……さてと」
おもむろに、キーボードに指を滑らせる。
時折、考えながらも指はほとんど止まることなく文章を書き上げていく。
書き終えると、髪の毛を指ですくい上げながら内容を見直して、マウスをクリック。
「…………」
一瞬にして送信されたメールを確認して。
椅子から立ち上がって、ぐっと背伸びをする。
「あー、なんでかなあ……」
呟きながらそっと置いたメガネのレンズが、窓から差し込む夕陽を反射して物言いたげに小さく光っていた。
日曜日。
天気もよくお出かけ日和となったこの日に、三人の少女が集った。
「本当に、今日がXデーなんでしょうね」
と、さらさらストレートヘアーの少女。
「そのはずだよ、朝から念入りに髪型セットしていたし、服だって違うし」
これは、くせっ毛でちょっと髪の毛が跳ねている少女。
「まさか、こんなスクープがあるとは思っていませんでしたね」
ショートカットの少女はメモとペンを手にしている。
「でも、本当にこんなことしていいのかなあ。人のプライベートを見るようなこと」
「何言っているのよ、自分だって弟さんのこと、気になるでしょ」
「それは、そうだけど」
お分かりかとは思うが、さらさらストレートヘアーの少女はお下げをほどいた由乃さん。くせっ毛はツインテールをほどいた私、福沢祐巳。そしてショートカットは真美さんと、おなじみ二年松組の仲間たちだった。
いつもはここに、カメラを手にした蔦子さんが加わるのだが、今日ばかりはそういうわけにはいかなかった。何しろ、獲物が蔦子さんなのだから。
「ちょっと楽しみね、蔦子さんが男の子相手にどんな態度を取るのか」
由乃さんは、本当に楽しそうにしている。こういうところは、卒業された前黄薔薇さま、鳥居江利子さまによく似ていると思うが、言うと本人の機嫌が悪くなるので口には出さないけれど。
今日、三人が集まることになったのは、ひとえに祐巳のせいである。
ひょんなことから、弟の祐麒がどうも日曜日に蔦子さんとデートすることになったのを知り、そのことをつい、りりあんかわら版のネタに困っていた真美さんにぽろりとこぼしてしまい。そしてそれを、近くにいた由乃さんにも聞かれてしまって、今日に至るというわけである。
要は、好奇心と野次馬根性と暇つぶしである。祐巳としては、弟の行動が気になるという理由もあったけれど、やっぱり隠れて様子をうかがうというのはあまり趣味がいいとはいえない。
それでなくても、自分の弟が、自分のクラスメイトとデートするという状況。
ちょっと複雑な心境の祐巳であった。
「待ち合わせ場所は、ここで間違いないの?」
「そのはずだけれど」
地元ではなく、都心の某駅の改札口。
祐巳たち三人は、その改札口がよく見える場所を陣取って身を隠していた。人が多いので、よほど運が悪くなければ見つからないだろうとは思う。
「電気屋にいくんですよね」
「デジタルカメラを見にいくらしいから」
なんでそんな情報を知っているかというと、祐麒がメールの内容をプリントアウトしていて、机の上に置きっぱなしになっていたのを、ふとしたはずみで見てしまったからである。言っておくが、わざとではなく、偶然の産物である。うっかりしていた祐麒が悪い。
「―――お、ターゲットBが到着したもよう」
その声に目を上げれば、見慣れた狸顔の弟が、改札口の前にその姿をあらわしていた。
「約束の時間より十五分前か。結構、早いわね」
それより更に二十分も前から待ち構えて張り込んでいる自分たちはどうなんだろう、と思ったがやっぱり口には出さなかった。
隣では真美さんが熱心にメモを取っている。祐麒の服装やら様子やらを随分と克明に記録しているようだ。
「……落ち着きがないわね」
由乃さんがつぶやく。
確かに、せわしなく時計を見たり、周囲にきょろきょろと顔を振ったり、祐麒の様子はとても落ち着きがあるとは思えなかった。
「なんか、いいわねこういうの。初々しくて」
恐らく由乃さんだって男性とおつきあいなんてしたことないだろうに、偉そうにそんなことを言っている。
「―――あ」
そうこうしているうちに約束時間の十分前となったところで、祐麒に歩み寄る女性の姿が確認された。もちろんそれは、蔦子さんだった。
「……ねえ……あれ、蔦子さんよね」
「ええ……間違いなく」
「でも……なんか……」
一瞬、そこで間があいて。
「「「……今日の蔦子さん、すごい可愛くない?」」」
はからずも、三人の声がハモった。
だが実際、遠目に見ても今日の蔦子さんは、いつもと違って物凄く可愛らしく魅力的に見える。
まずはなんといっても髪型。普段はセミロングの髪の毛を自然に流している感じだけれど、今日は髪留めで後ろでまとめていて、余った髪を軽くサイドから下ろすような形になっている。
髪型だけではない。服装はといえば、淡い水色のホルタートップに同色のボレロで上半身をコーディネート。それにあわせる下半身は、ひらひらデザインが可愛らしいブラックのティアードミニスカート。
私服姿の蔦子さんを全く見たことがないわけではなかったけれど、今まで見たどんな格好よりも女の子らしさを全開にしたようなスタイルだった。そんな蔦子さんを目の前にして、遠目からでも祐麒がだらしなく見惚れているのが分かった。
「……私、前から思っていたんだけれど」
顎に指をあてながら、二人の姿を凝視している由乃さん。
「蔦子さんてさ、えろくない?」
「え、えろっ?!」
思いもかけない言葉を耳にして、祐巳は奇声をあげてしまった。仮にもお嬢様学校と呼ばれているリリアンに通う女の子の口から、そんな言葉が出てくるとは。
しかし気にせず由乃さんは続ける。
「なんていうのかな、こう、目つきとか、体つきとかが、えろいのよ」
「あ、それ分かる気がします。体育の着替えのときとか、蔦子さんからは妙なフェロモンのようなものを感じるのです」
「そう、それ!あれは"えろふぇろもん"よ」
「"えろふぇろもん"……ですか」
「そういわれると確かに……蔦子さん、胸とか大っきいしね」
お姉さまみたいにゴージャスバディというわけではないけれど、出ているところは出ていて引っ込むところは引っ込んでいて、なんてゆうか同性として羨ましい。
今日だって、ホルタートップでいやでも強調される胸元の膨らみ、ミニスカートからのびた細すぎもせず太すぎもしない柔らかそうな太ももなど、言われれば納得と頷いてしまうような色気が発散されている。
「あと、眼鏡の奥で光る目。流し目とゆうか、細めたあの目つきがえろい」
「確かに、被写体を見つめるときの視線はえろいですね」
「そんなにえろいかなー」
「えろいわよ。私達は女だから、まだそんなに感じないかもしれないけれど、あれはえろいわ」
「えろいですね」
「あ、二人が移動するみたい」
「追いかけましょう」
三人は揃って二人の後を追いかける。
……歩きながら祐巳は思った。若い女の子三人が口々に『えろい』なんて言葉を連発するのはいかんだろう、と。
後編に続く